男(稀に、女性)の思い通りに動く性的対象が描写されるのみだ。当然、ワンパターンなものにしかなりえない。
確かに、ポルノのジャンルには舌を巻くものがある。しかし、人々は自分の“抜ける”ものしか見ない。すなわち、個人レベルにまで視点をもっていくとやはりワンパターンで無味だ。
ポルノのジャンルの豊富さは、東アジアでは主食にごはんを食べ、南米ではトウモロコシを食べ、という違いでしかない。
獣姦と脳姦の違いなんて、ウガリとチャパティの違いと変わらない。どちらにしろ、ポルノは主食だ。ごはんだ。
ポルノは、しばらく間をおくとまた欲しくなる。
海外から帰ってきた日本人は口を揃えてこう言う。「白い米が食べたい」、と。
ポルノも同じだ。ヤることは全く同じであるつまらない動画も、日をおけばまた見てしまうのだ。
この国では、ポルノのことを『オカズ』と呼ぶ習わしがあるが、この風習がポルノの本質の理解を遠ざけているように思える。
ポルノ自体はごはんとして、ジャンルがオカズではないだろうか。 ゴックンではごはんが進まないが、スペレズなら何杯でも・・・という経験はあるだろう。 (そして虹嫁は別腹?)