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2019-08-16

原爆犠牲者無駄

特攻にあるのはどこまでも、人体実験捕虜虐殺などと同じく倫理的問題だろう

例えばプリンスオブウェールズ攻撃撃墜された一式陸攻の乗組員や、原爆の開発製造で死んだ研究員必要犠牲だとでもいうのだろうか

ガダルカナル餓死者、はまあ無駄死にと言われるかもしれないが、はたしてインパールガダルカナル中国戦線と硫黄島との間に、どこか線を引けると思うのだろうか

さすがにヒトラー空襲の死者の間には線を引けるだろうが、特攻隊は間違いなく社会強要された犠牲者の側だろう

どこか一事象にだけ無駄死だと言い出すのは、無駄ではない死があるかのようだ

それを言葉遊びだというのならば、遊んでるのはあんたらだろうよ

言葉遣い配慮がねえっつってんの

戦争はみんな無駄死にだ

からといって誰かのお墓に向かってそんなこと口に出せるわけなかろうよ

それがたっかだかネトウヨレスバするためなら許されると思ってるのなら、同類だよあんたらも

2019-03-18

anond:20190318101542

それ順番が逆で、敗戦濃厚になってきたからそう思ったんだろ。

ミッドウェーガダルカナルのあたりまでは勝つ気でいたんじゃねーの。

2018-11-11

anond:20181111005245

うそ

日本だと無条件降伏正当化するために原爆投下被害を過度に大げさに言ってる

実態はただの威力が高い爆弾に過ぎず

民間人虐殺インフラ破壊も通常爆弾焼夷弾で多くが行われているのに

無条件降伏タイミングが一致していなければガダルカナル程度の扱いでしかなかっただろう

2018-08-12

anond:20180812225601

そうやって冷血なオレ格好いいと頭脳明晰を気取っていても当人が腰が引けてて説得力ゼロ 

遠いガダルカナル沖縄では冷酷な戦術を連発しても本土自分がやる段になったとたん戦いもせず無条件降伏して放り出した

戦艦大和もずーっと瀬戸内海に引きこもっていた

2018-01-29

ガダルカナル沖の海底に「比叡」か…隆起物発見

日本政府アレン氏に100億ぐらい払ってほしい

そんな端金いらないぐらいの富豪なんだっけ?

2016-11-06

日本戦争負けてから

日本戦争負けてから俺が生まれるまでの年数と、昭和が終わってから現在までの年数が同じになっていたことに我ながら驚愕した。

そういえば、自分子供のころ、近所に「ガダルカナル地獄を見た」みたいな爺さんが普通にいたもんな。

あのころは、まだ日本戦後だったんだな。

大人のいう「戦争はいけない」に妙な切実感と説得力があったのも当然だ。

2016-03-02

やっぱ団塊世代ってすごいんだよなって思った

気が付くと40代おっさんになってたんだけど。

で、最近ふと思うことがあったんだけど、自分物心ついたときって、まだ「戦後35年」とか、「戦後40年」とかいってのね。

で、もう戦後71年目に入るわけだか、ということは

第二次大戦が終わる→俺が物心つく」と「俺が物心つく→現代」が、同じくらいの時間になりつつあるわけ。

これは、結構驚く。

俺が子供のころってのは、フツーにじいちゃん、ばあちゃんに話を聞けば、空襲の話とか、機銃掃射で撃ち殺されそうになった話とか、

知り合いが戦争で死んだとかって話が聞けたし、

小学校で「身近なお年寄り戦争体験を聞いてくる」なんて宿題やると、

「うちのおじいちゃんは、ガダルカナルという南の島で、死にかけたそうです」

なんて話を聞いてくる奴が普通にいた。

うちの母方の実家空襲にあってるし、うちの叔父鶏肉苦手なのは子供のころ食糧不足で、

もらってきた鶏をじーちゃんとばーちゃんがなれない手つきで絞めてるのをみたときトラウマだったりとか、

多分、今のシリアかってくらいの生きるか死ぬかの修羅場を潜り抜けた人も、けっこうフツーに生きてたわけ。

で、それから30年くらいたって、俺が生まれているんだけど、

まあ、その時代には、ネットはおろか、スマホケータイパソコンウォッシュレットもなかったし、

家庭でテレビ番組を録画するってのは、金持ちの家ではあったのかもしれないけれど、まだまだフツーの家ではできなかったし

飛行機のるのは、かなりの贅沢だったし、コンビニ24時間営業ではなかったけれど、

でもテレビフツーに見てたし、洗濯機テレビ炊飯器もあったし、車もっているのが特別金持ちってこともなかったし、

道端で孤児餓死しているなんてことはなかった。

すでにGNP世界第2位の経済大国だったからね。

(当時は、経済指標として、国内総生産GDP じゃなくて、GNP国民総生産を使うのが普通だった。

対外投資とかあまり考慮に入れる必要がなかったからだろう)

で、それから30数年で、たしかにいろんなものが出てきて世の中変わってはいるんだけど、

なんっていうか、生活基本的レベルってのは、そこまで大きく変わっていないような気がするんだよね。

少なくとも、その前の30数年に比べると。

いや、「その前の30数年」に関しては、あくまで伝聞ですけれども。

最近若い人が安易に「日本オワタ」みたいなことをネットに書き込んでいるのを見ると、

無意識のうちに「なに甘ちゃんなこと言ってんだよ」と思っていた自分がいて、

自分のおじさん化に自分で驚くわけだけれども、その感情の源は、この辺の間隔にあるのかなあと。

僕らの親世代である戦中派~団塊世代ってのは、とにかく日本の変革を阻むガンとしてネットでは評判が悪いわけだけれど、

自分なんかは、やっぱり、ちょっと尊敬するんだよね。

だって、あの人たちが子供のころって、日本米軍占領されてて、チョコレート欲しさに占領軍追っかけて、

で、奴らが動物にエサやるように子供にばらまいているのを、ありがたがってもらっていて、

それを親(俺らから見たら祖父母)が、やりきれない目で見てたりしてたわけだ。

そんなところから、今でいえばブラックしか思えない働き方して、気づいたら「経済大国」を作ってた。

なんだかんだいって、これはすごいことだと思う。

一方、俺ら世代は、その負の遺産を前に、なすすべもわからず、とにかく対応するのに精いっぱいで、

まだ、さして何にも残していなかったりするわけだが。

・・・・あ、この話、とくに落ちはないです。なんかちょっと感慨にふけっただけ。

2013-11-29

戦争について知ること、勉強すること、考えること

戦争について、学ぶことはなんの意味があるのだろうか。ふとそう思った。そして、それをいくつかの切り口に分けて考えてみた。

私が生まれたのは平成がはじまってすぐのこと、ちょうどソ連崩壊した時期だ。

もちろん、私にとっての戦争は、まったくもって身近なものではない。

ただ、平和とか戦争について考えているうちに、あえて書いて、いまのところの自分の考えを残してみたくなった。

特にここでは、日本が直接関わった直近の戦争であり、当事者が生存している第二次世界大戦もしくは大東亜戦争について書きたい。

それでも、もう70年も昔のことだ。もう30年過ぎて、あっという間に終戦から100年くらい経ってしまうだろう。


1) 戦争とはどのようなものだったのかを学ぶ

戦地に赴かない限り、また時代を遡らない限り、戦争経験するというのは不可能である。そこで、戦争とはなんだったのかというアプローチが一番初めにくる。その方法は、博物館に行く、写真をみるなどなど様々である特に昭和のひと桁年代に生まれた方々が生きている間は、彼らが直接経験したその記憶から学ぶという方法が可能だ。国民の高揚もしくは虚脱、戦争の残虐性を生の声で聞くことができる。ただ、これはあと10年もしたらほとんど不可能になってしまうかもしれない。

2) なぜ戦争が起こったのかを学ぶ

なぜ人は戦うのか、なぜ領土拡大を目指したのか、なぜ支那事変は起きたのか。戦争という歴史的事実の起点に対して、なんで、と問いかけてみるのは素朴ながら、ものすごく頭の回転を必要とする。当時の国際情勢はどうだったのか、リーダーたちはどのような野望と認識を持っていたのか、国民はそれにどのように反応したのか。様々な要素が重なりなって、奇襲や宣戦布告へと結びつく。今後、自分たちの国を戦争に巻き込まないためにも、なぜ戦争は始められたのかという視点重要だ。

3) なぜ戦争に負けたのかを学ぶ

戦争は悪だという考えで、考えることそのものを停止するのは簡単だ。負けてしまった戦争の敗因を考えても仕方がない、という声もあるだろう。ただ、同じ過ちを繰り返さないという意味でも、その分析意味を持つ。たとえば、地図をみながら、その伸びきった補給線に嘆息するのもそうだし、インパール作戦など、個別の作戦の是非を問うてみることもできる。ミッドウェー海戦ひとつの転機とするならば、ガダルカナルなどその後の日本軍の行動をチェックしてみるのもいい。失敗から学ぶ、その絶好の材料がここにあるはずだ。

4) 戦争のあとに何が起こったのかを学ぶ

玉音放送を流したのが8月15日日本降伏文書に調印したのは9月2日である敗戦を迎えた日本はどのような戦後処理を受けたのか。それは戦争によって決められた勝者と敗者の間における、責任と今後の関係性の規定だ。東京裁判はじめ戦争犯罪人断罪や、大日本帝国憲法の破棄と日本国憲法制定のプロセス国体及び皇室制度政治責任に関する議論など、その射程は広い。もちろんサンフランシスコ平和条約も外せない。戦争の前と後でどのような変化があったか。それまでの常識非常識になり、非常識常識になったその転換を捉えることは、私たちが生きる時代のはじまりを知ることができる。

5) 戦争の裏で何が起きていたのかを学ぶ

戦争から何十年も立ち、研究も進んだいま、私たちひとつのできごとをいろんな視点から見ることができる。日本必死になって戦争していた裏で、連合国はその後の戦後秩序についての議論を重ねていた。その反対側のやりとりを見ることは、面白くもあり、悲しくもある。例えばカイロ会談、テヘラン会談、ポツダム会談では、その後の大国による世界秩序の土台がどのように作られていったのかを知ることができる。往々にして、物事は知らないところで決定されているものだ。

6) その後の人びとは戦争をどのように捉えたのかを学ぶ

最後に、後世に生きる人びとはどのように戦争を捉えたのかを考えることは、非常に重要だ。戦争を知る世代はそれをどう形容したのか。戦後歴史おいて、知識人市民がもがきながらその形容詞を見つけていく過程から戦争日本、そして市民との関係を考える際のヒントが眠っている。もちろん、戦争のもの完璧見方で統一することは出来ないし、しなくてもいい。だけど、その議論をときに批判的に、とき肯定的に見つめ直しつつ、あえて自由に考えてみよう。戦争の総括というものが不在だからこそ、自分で考えることが必要になる。

6つ項目をあげて書いてみた。もちろん諸外国から視点、人道的な視点など、まだまだ様々な切り口がある。

戦争について知ること、勉強すること、考えること。

平和世界希求する、実現するためにも、そうでなかった時代もっともっと知っておいたほうがいい。

今まで書いてきたのは、全て日本の話だけ。あらゆるところで紛争は起きているし、その火種はどこにだってある。

このような問題に対して、目をそむけるのは簡単だけど、目を見開いて、向き合っていたい。

2007-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20071220225622

生産力ない人に割くリソースはないよ、って流れだから。金のない老人は国内で棄民。

それじゃ文明国とはとてもいえないわけだが。

精々楽しめるうちに楽しんでいれば、ひょっとして死ぬまで楽しめるかもしれない。

そういう気構えで生きてくしかないだろう。

その最後がたとえのたれ死にでも、ガダルカナルで飢え死によりはマシ。

そのはずだ。

2007-01-31

女ってわからねえ

今日disdisられのバトルを続けている41歳年増女と30歳年相応なんだけれども

派閥の概要がまとまってきたようなのでメモっておく。

・41歳年増女派

年増女・・・ボス

仕事中にmixiばっかりやってる32歳

学生バイト×2名(19歳・20歳)

ここの4名は半ば宗教じみてきてヤヴァイかほりが立ちこめている。

祭り上げられる41歳年増女。顔には陰湿陰険という相が出ているぞ??。怖い怖い。

・30歳年相応派

年相応・・・ボス(ボスだがそこまでボスという素振りをしていない。それは好印象)

仕事の出来る29歳

ここの2名は仕事が出来るので上司としてはこっちを応援したい。

問題はどちらにつくのか態度を一切出さない不気味な27歳の存在

どうやら両派閥とも関わり合いを持っているようなのだがさては二重SPY・・・!?

俺もおまえが疑わしい。

ああ俺、人間不信に陥っちゃう!部下が女性ばかりな俺の職場がいけないのか、

それともいままで俺の管理能力を問われる揉め事が起きていたことに実はぜんぜん

気が付いていなかっただけなのか・・・

今日は社内メールdisりあうだけで済んでいるようだが、昨日はプロジェクト

進捗報告BBSdisり続出だったので当該記事を消す俺の立場にもなって頂戴!と

心の内が、女のヒステリーみたいになってしまった。

が、仏のように涼しい顔で業務を遂行する中間管理職の俺。

部内でこんな揉め事が起きているのが顕在化したら俺のボーナス査定がヤヴァイ!

部長にこの事実を隠しつつ部下にヲチしていることに気付かれないようにという

それなんてガダルカナル海峡状態。だーれかたすけてふーじーこちゃーん!

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