はてなキーワード: 聖人とは
幼い頃から英才教育を受け、小中高と勉強に打ち込み天才と言われ、東大でも優秀な生徒と言われ、一流金融アナリストになる。
20代にして年収は1000万を超えた!
だが、名誉欲や金銭欲は無く、身なりや食生活は質素で、無趣味に近く、ただひたすら仕事をするだけのマシーンになっていた。
容姿は自分でも自覚している程の醜悪さで、女性と会話した経験は極めて少なく、当然童貞。
もうとっくに女性と付き合うことはおろか、親しい会話をすることすらあきらめている。そんな人間である。
徐々に性欲は衰えていき、過労のため健康を害したこととあいまってEDになる。
ああ!あの青春時代はなんと華々しかったことか。勉強一筋というと退屈に聞こえるかもしれないが、今の枯れた人生に比べると実に華々しかった!
名誉欲・金銭欲・性欲が無いというと聖人のようであるが、実際には枯れた人間である。
欲がなければ目指すべきものが無いので努力することや何かに打ち込むことが無い。そうすると、どんどん自らの能力が衰えていくのを目の当たりにすることになる。
模試で全国10位以内に入ったり、IQが160だったり、経済学部でありながら東大数学科の人より数学が出来たりしたあの日々はもう・・。
ここ数年、物忘れや頭がうまく回転しないといったことを毎日のように経験する。EDとも数年の付き合いになる。
幸いにしてバリバリ勉強・仕事してきた長年の経験のおかげか、ストレスに打ち勝つ精神力は備えているし、健康管理能力も優れていると自負している。
だから、うつ病や働けないほどの病気にはならずに済んでいる。それはいいのだが・・・。
この、欲がないことによるどうしようもなく空虚で枯れ果てた気持ちはどうしたらいいのだろう!
30代前半にしては酷く老けたこの男性はそう心のなかで繰り返しつぶやいてきたのだった。
人ってチヤホヤされ始めると劣化するって話を大学の講師がしていたんだが、本当だなあと。
ルックスがなかなかいいからなのか人生の大半を異性からチヤホヤされてたという異性と少し付き合っていたのだが
自分がやりたくないこと、自分が嫌だと思う事は近くにいる異性の誰かがやってくれると普通に考えていて。
実際やってくれる人がいたんだよな。で、そのまま大人になったものだから痛い事痛い事。
生きていて、当たり前だと思えるようになるレベルの我慢を苦痛に感じて、親しくしてくれてる人にしてる少しの我慢もできないような人に
成熟した人間関係なんて望めないと思うし、狭い人間関係で充分とかいってるそうだがそこでできること、体験できる楽しみ苦しみなんてほんの僅かしかないよね。
狭い人間関係ね。充足できる狭い人間関係。そうかわかった。中学高校あたりからやり直したいんだな。
なんていうか本当に信頼できたり、本当に分かり合える友達とかって一人か二人いればいいとおもうんだ。
でも親しき仲にも礼儀ありって言葉があるようにその仲でもある程度我慢しなければならない事って発生する。
それも我慢できないような人に、充足できる狭い人間関係が築けるとは到底思えないんだよな。
よっぽど自分に夢中で(笑)、自分のために何もかもを捨て去って頑張ってくれる人じゃないと相手できないよな(笑)
さらに痛いのは、自分が気に入った相手は自分のそういう考え方を持っていると決め付け勝手に誘惑して味方にしているところ。
そういうところを嫌って、この人の同性の知人に第一印象を聞くと「一目見て関わらないほうがいいと思った。」「敵に回すと面倒なタイプだと判断した。」とか
見事にお世辞にもいい評判帰ってこないんだよなw。筆者も同性でやばそうなのは少し話した時点でだいたい検討つくんだけど、やっぱわかるもんなんだな。
こういう痛い子に取り巻いちゃってるやつもやつだよね。まぁかくいう筆者もつい最近まで取り巻きだったから人のこといえないんだけど。
この異性を絶対不可侵の神みたいな感じで崇めちゃってさ。他見えないの。この人を苦しめるものは全て悪。どこのカルト宗教だよw
それに気付いたとき、そうマインドコントロールされてる自分も気持ち悪くなったし、なんかそのコミュニティ全体が気持ち悪くなったね。
こういう人たちはびっくりするぐらいその神のヤバイ部分って見ないんだよな。わかんね〓わかんね〓っていってるの。わからないじゃない。わかろうとしないんだよ君達は。
まぁこれは憶測だから、実際はどうだかしらんけどね。
普段から嫌なことから目をそらしてるんだろうなっておもう。だからそうしてる自分が異常だと思わない。いいところばかりみてる自分は正しい(笑)とおもってるんじゃないかなと。
痛いねー。悪いところが一つもない聖人君子なんてこの世の中にいるのかね?「サンタさんは本当に実在する」並に無理な幻想を抱いているとおもう。
こう一方的に批判かいてると自分が神みたいに思えてくるけどそれも間違ってるんだよな。
自分はひねくれてると思うし、社会的には抹殺されるべき人間だと思ってるまぁでもしょうがないよね。
人には自分で変えられない部分ってものがあるさ。きっとこの痛い子もそれがたまたま痛い部分なんだろうね
話がとっ散らかっているという批判は本当に申し訳ないです。まぁこんな自分なんでニュアンスだけでも伝わればと思うけど。
で、マスコミが企業を叩き潰すのにその逆は許されないのかと言っているけど、当然どっちもダメに決まってるでしょ。
でもそういうニュースを求めているのはいわゆる「善良な市民」なわけですよ。マスコミと市民がゆっくりと長い間共犯関係にあって、今の図式が出たんだと思うんだよね。
だから声を上げたり批判するのはいいと思うけど、それが「毎日が変態だから、毎日を潰す」という方向に行くのはおかしくない?それではそのまま、あなた方が憎んでいる「マスゴミ」のやり方そのものなのでは。しかもマスゴミでさえおおっぴらに「潰す」なんてこと言わない。ある意味マスゴミよりも下品なやり方でマスゴミ批判をしているのではないか?
一般の人が「潰す!」って言って潰れる範囲って本当に限られてるんだってば……。
結局電凸もネットイナゴも、今のように必要以上に攻撃的な態度のままでいたら、ずっと昔からある「風評被害」の一部みたいに取られてしまうんじゃないの。真にマスコミを反省させたり、スポンサーに届くような批判として取ってもらえないと思います。ちょっと頑張れる営業がいる会社なら、電凸されたスポンサーに直接会いにいって説得できると思うから、電凸しても意味ないって思うし。
俺が気になるのはなんでそんなに攻撃的なのか?ってこと。批判以上の感情が入っているんだろうなと。マスコミも過熱報道で攻撃的になることもあるけど、どうしてかっていうと、そういう記事を読みたい人がいて売れた時期がちょっと前にあったからで、話題を提供してやってると思ってる人がマスコミにもいる。そしてワイドショーを見るような人がいる限りそう言うことはあるんじゃないかな。それはもう需要が出来てしまった時点で仕方ない…。個人的にはそう言うのはホント終わってほしいと思うけど。でもネットだって、サイゾーとか探偵ファイルとか、似たようなメディアはあるけど、そちらは何故叩かれず、逆に「探偵ファイルに依頼しようぜw」みたいに頼られているのか?結局、ネット側にもそう言う下世話な欲求があるじゃん。ネットもメディアも、そんなに聖人君子ではないだろうと思う。
ネットもメディアなんだからネットのやり方に歩み寄れと言う人もいたけど、「潰す」なんて穏当じゃないことを言ってる方に歩み寄れるわけないじゃないですか……。新聞・テレビもさすがにそこまで敵意をむき出しにはしない(出来ない)です。「潰す」とかおもしろ半分の電凸行為を勧める行為やネットイナゴが「マスメディア」としての役割だとは言えないです。マスメディアがそんな反社会的な行動を取ってそれで良しとしてたら、人々に「ネットはメディアだ」と認めさせる道は遠のくばかりでしょう。
「自分たちはもうネットがすっかりメディアとして機能してる」って人もいるかも知れないけど、いまだにニュースなどについてはネットの人の一時情報はテレビや新聞に頼りっきりって言うのは少し滑稽じゃない?結局自分がいわなくてもその辺はネットと旧メディアが共存してるんだなーと思います。
この文が「じゃあやってみろ」論法だという人もいるけど、そうじゃない。
何をやっていいかわからないからとりあえず叩いてる感じの人は是非、叩く以外にも方法があるってことを知ってほしいです。
ネットが本当にマスメディアとして認められるには電凸や祭りなどの手法を使っていたらいつまでたっても説得力がないんじゃないの?それに、大体においてネットの人たちの一時情報は結局テレビか新聞じゃない。
それではいつまでたってもテレビか新聞に代わる新しいメディアにはなれないのではないですか?というかその態度が結局「新聞、テレビなしには生きていけない」ということの体現になってしまっている。ネットで政治について語るのはそう言うことにつながるのでは。だからいつか記者クラブ制度や電波の権利が解放されるまでは、結局共存しかないんだと思う。マスコミを潰したいなら記者クラブや電波の権利について熱く議論するほうが簡単そうだけど…そう言う行動はあまり見られなさそうだから、やっぱりマスコミが感情的に嫌いなだけなのかなって印象を受けるので、残念だなぁと。そんな嫌い!って言う感情に巻き込まれて職を失ったらたまったもんじゃないだろうなあと思ってエントリーをあげました。人生初ホッテントリ。
さて、ハートマン軍曹は微笑みデブに銃殺されるわけだが、教師がもはや絶対神としての権威を振る舞えなくなっている以上、何か別の方法論が必要なのであろう。
権威を振る舞えなくなった結果、生徒からなめられる。足元を見られる。
教師がやりたい教育と、社会から求められている教育の不一致もあるかも知れない。
(どちらも間違っている可能性も大だ。)
むしろ、むしろ、教師はマジギレした方が良いのかも知れない。
手のつけられない生徒の親がヤクザだったでござる、というのは私の昔の友達の体験談だったが、「君の親はヤクザで、先生はおびえている。君にまともに教えることが出来ない」と、生徒本人に相談すべきだったかも知れない。教師は絶対に尊敬されるべき聖人君子のような存在を目指すのではなく、一人の人間として器の小ささを見せつけるべきかも知れない。むしろ、教師に求められるのは、相手を一人の生身の人間だと想像出来る想像力をつけさせることなのかも知れない。
「体罰が子供のためになるかならないか」みたいな議論を眺めていて思うんだけど、これ、「自分の受けた体罰が自分のためになっているかどうか」って視点で考えてみたらどうだろう。「自分のためになったかどうか」は「いまの子供のためになるかどうか」なんかよりはるかに明確な答えを出せる問題だし、そこから議論を始めても良いんじゃないだろうか。「子供のころ体罰を受けてためになったから自分も体罰する」なら一応筋は通るけど(個人的にはそれでも嫌だけど)、「子供のころ体罰を受けたから自分も体罰する」じゃ危ない人の論理だよね。「ためになった」にしろ「ならなかった」にしろ、体罰が日常茶飯事だった20代か30代以上の世代ならきっとみんな即答できるだろうと思うんだけど、どうかな。
私(1980年生♂)の場合、特にためになったことはない気がする。強いて言えば「先生だって聖人君子じゃない」って学んだことが収穫だろうか。叩かれたり殴られたり引き摺られたり投げ飛ばされたり水に沈められたり色々あったけど(これでも私は成績優秀、品行方正で生徒会役員だったりする優等生でした)、たいてい先生の勘違いか、そうでなければ単なる連帯責任。先生を侮る理由になりこそすれ、敬う理由になることなんてなかった。逆に「この先生のおかげで成長したなあ」と思える先生は体罰なんてしなかった人ばかりだったな。そういう先生のお説教には手を出さずとも有無を言わさない説得力があった。「信頼できる先生からの体罰なら身に染みるのかも」とも思うんだけど、信頼できる先生って体罰しないんだよね。ということで、少なくとも私の経験から考えれば「体罰=短気で能力のない先生が駄々をこねている」という解釈が一番しっくりくる。個人的には「学校での体罰が役に立った」なんて人が本当にいるのか疑問に思ってるくらいなんだけど……学校で体罰うけて成長した人、いる?
結局、馬鹿を野放しにするのがまずいんだろうか。
梅田さんはやはり、エリート主義なのかもしれないなあ、と思った。
要するに、梅田さんは馬鹿にでも分かるように説明し、馬鹿な大衆のレベルの底上げをする
ことが目的なのではなく、頭の良い人たちとレベルの高い面白い議論がしたいのだろうと思う。
彼が啓蒙したいのは、見込みのある若者たちであって、馬鹿な大衆は単なる搾取の対象で
あるのかも知れない(それが悪いとは思わないが。確かにそちらの方が面白いし、楽しいから。
しかも自分の好きなことをやるということであって言論一致である。馬鹿の相手はイライラ
するし、徒労に終わる場合が多いし。そして、そういう商売で生きていくことを彼は目指して
いるのであろう。繰り返すが、商売は慈善事業ではないし、梅田さんは聖人ではないと思うので、
馬鹿な大衆のレベルの底上げをするという(多分)不愉快な仕事の義務は発生しない)
ただ、思うのは、多少ましになっているかも知れないが、リアルワールドの日本人は
自分が馬鹿にされるのを恐れて、あるいは、恥をかくのを恐れて、気軽に発言しない人が
が相変わらず多い。相変わらず日本人は恥を恐れる感覚が強いのは確かだと思う。
(だから、英語の上達が遅いという話もあったが)
その反動が(匿名性という)ネットに出てきている部分というのは確かにあるような気がする。
そしてそれには良い面もあれば悪い面もある(セガBBSがまさに動物園だったことを思い出す)
その反動とどう向き合うか。抑圧されていた恥知らずで馬鹿な日本人の本音とどう
つきあっていくのか。結局、日本におけるオープンなサービスにおいて、そこをどう
対応するかが一番問題なような気がする。
馬鹿の相手をしたくなければ、クローズドで、仲良しセミ文化人サロンとしてやって
いけばいいのでないか(もっとも、mixiがうまくいっているかは私はよく分からないけども)
馬鹿な大衆からは巻き上げたい、でも、レベルの高い議論がしたい、という話は
虫が良すぎるような気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20081021201413
わからんでもないけど
俺はどっちかといえば、社会に出てからチクリをしたりいない人の陰口を言ったりする人が増えた事の方がショックと言うかギャップと言うかだったな。
聖人君子じゃないから目上の人の悪口言わないわけじゃないけど、一緒に何かをする仲間や、チームの後輩みたいなのの欠点を言う時はそいつで笑う為に欠点言うんじゃなくて、どうにかしてやらないとみたいな、神妙な空気で言ってた。
でも、社会に出たらさっきまで談笑してた同期が席をはずしたらとたんにそいつの悪口とか
中良さそうだった先輩AとBがいて、たまたまAさんの車で移動した時Bさんをこきおろす話題とか聞かされたり。
そういうのが積み重なって、やる気失ったり仕事に全力出したくなくなったりした同期がもう6人ぐらい辞めた
仲がいい人達から辞めていった
俺はもう、陰口ばっかりな人らに辟易して話しかけるのやめてたら当然のようにハブられるようになってた
非コミュ始めた事で非コミュや非モテの気持ちもちょっとわかった気がする
552 名前:550[sage] 投稿日:2008/10/14(火) 15:00:53 ID:LImVJlD10
生と死の狭間に己を笑い恍惚として自ら忘るる
されば夜明けの嘆きを鐘に神曲の幕よいざ上がれ
黄金の兜の覇王は万里を征し愛馬と共に川底へ沈む
孤赤児は蚯蚓の血を母の乳とし三夜して腹より腐る
生命よこの賛歌を聞け笑い疲れた怨嗟を重ねて
生命よこの祈りを聞け怒りおののく喜びを枕に
百年の生は炎と剣の連環が幾重にも飾り立てよう
七日の生は闇と静寂に守られ無垢に光り輝くだろう
獣よ踊れ野を馳せよ唄い騒いで猛り駆けめぐれ
いまや如何なる鎖も檻も汝の前には朽ちた土塊
生と死の選択を己に課す命題として自ら問う
されば嘲笑の歓喜する渦に喜劇の幕よいざ上がれ
嵐の夜に吼え立てる犬は愚かな盗賊と果敢に戦う
温かい巣で親鳥を待つ雛は蛇の腹を寝床に安らぐ
せせらぎを聞く蛙の卵は子供が拾って踏みつぶす
獣よ踊れ野を馳せよ唄い騒いで猛り駆けめぐれ
いまや如何なる鎖も檻も汝の前には朽ちた土塊
姫は唄い、諸人を祝い、
そして地獄へ蹴り落した。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20081016204745
貧困が広まれば治安が悪化するのと同じなんだよ。貧乏になっても強盗を犯さない、そんなのは一部の人間だ、個人差だ、全員がそうな訳じゃない、そうやって自分は違うと思いたいのでしょうけども、どんな聖人であっても、時と場合によっては罪を犯すんだよ。
個人の問題だと思い込むのは、自分を律するという面で意味はあるけど、客観性を見失うと問題は見えてこないんだよ。
全男性が常にそういう状況にあると言っているのではなく、条件が重なったときにそうなり得るという話だ。そして、今のあなたは大丈夫でも条件が重なる可能性はありそうなったときには自分も罪を犯すのだと言うことは理解した方がいい。犯罪者もそうなる前は自分がそんなことをするとは思っていなかった。子供の頃は純真無垢だった。じわじわと道を踏み話していった人も居れば、急転落する人も居る。そうした事を踏まえた上で、満員電車という状況が引き金となりやすいというわけだ。貧困の世界で罪に走る人が多くなるように、雄が雌と異常接近を強いられる状況では痴漢にはしる人が多くなる。
それを免罪符として許してほしいとか、許すべきだとは一言も言っていない。個人の問題にしていたら本質を見失い全体として不幸だと言っているのだ。社会にとって有能な人物をそのような状況に追い込まないようにしていくべきだ。
d:id:hituzinosanpoさん、ブクマコメントありがとうございます。
内容わすれたんですけど(笑)。/「人格者」だから社会を よりよくすることに貢献したいと ねがうのではない。むしろ、だめなひと、欠点を かかえたひとだからこそ。/わるくなくて欠点のないひとが どこにいるのか?
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20080921014310
そうですよね。「頭が悪い」「頭がいたい」「死ねばいいのに」「差別クズ」、「半ば本気で死んで欲しい」、「国語の成績が悪そう」、「脳の失敗」、このくらいのネガタグはみんな平気でつけるものですよね。こんな口汚いネガタグをつけるような欠点をd:id:Romanceさんたちは抱えているにしても、それでも現場の人を「ただの実感論と近代化拒否感情の垂れ流し」と罵るくらいのことは許されて然るべきですよ。誰がこの人たちと同じくらい手が汚れていない人がいるというのでしょうか。そんな「聖人君子」でなければ人権を語ってはいけないとしたら、誰もホームレスのネタに絡めて社会を非難することはできなくなってしまうでしょう。それは言論の自由への脅威に他なりません。このくらいの悪口雑言を平気で口にできるようでなくては、ウェブ社会で発言する資格はない。批判する人たちは非現実的な「良識」とやらに甘えている以外の何者でもありません。
http://sinseihikikomori.sblo.jp/article/19771484.html
これ見て思い出したけど、俺も昔はばーちゃんにいじめられてた記憶がある。
姉と弟はばーちゃんの家(離れ)に入れてもらえるんだけど、俺だけ入れてもらえない。
母さんに聞くと「あんたは私に似てるから」みたいなこと言われた。
歳を取ってから意味がわかったな。
でも、ばーちゃんが倒れて寝たきりになってから、いろいろ世話したりしてた。
病院から帰ってきて家で寝たきりしてるときとか、ばーちゃんの周りで遊んだりしてたっけな。
そしたらなんかばーちゃんが喜んで、棚の中にお金入ってるからお小遣いとして使いな、って言ってくれたんよ。
もう、すっごい嬉しくて、何を買ったか覚えてないけどすっごい嬉しかった。
で、次の日ぐらいから金欲しさにばーちゃんの周りをうろうろしてたっけ。
今思うとすっごく恥ずかしい。俺のアイデンティティって全然変わってないのかも。
しばらくして、ばーちゃんは老人介護施設的なとこに入って、それからしばらくして亡くなった。
葬式の時はかあんまり悲しくなかったんだけど、母さんが号泣しているの見たら泣きそうになったな。
寝たきりになって一番世話してたのは母さんだったっけ。
ばーちゃんが「殺されるー!」って叫んでるのに風呂に入れてあげたとか。後になってばーちゃん感謝してたっけ。
結局、老人は聖人じゃないんだよね。間違いもするわけです。
というか一人の人間なんだよね。
世の中には悪い老人もいるだろうけど、その人は誰かにとって良いじーちゃんばーちゃんなんだと思う。
概要は以下
http://www.paradisearmy.com/doujin/pasok7_ken.htm
「賢者タイム」 とは、男性が 「オナニー」 を終えて (射精終了、いわゆる「抜いた後」)、それまでのめくるめく興奮のるつぼ、怒濤の感情の爆発から一転、冷静で沈着で脱力もした状態、魂の抜け殻のようになったその時間のことです。 「聖人タイム」、あるいは 「スーパー賢者タイム」「ハイパー賢者タイム」「賢者モード」「賢者状態」 などとも呼びます。
それまではオカズとなる 「18禁」 な H雑誌や動画、妄想などで、はちきれんばかりになった股間と脳みそが、「その瞬間」 からすうっと潮が引くかのように落ち着いて、若干の「やっちまった…」みたいな後悔をしつつ、出したものの処理をする数分間でしょうか。 とりわけ直後からの1分間はあらゆる煩悩が完全に浄化され、まるで悟りを開ききった仏様のような無欲無我の境地に達しているといっても過言ではありません。
それまで愛しくてたまらなかったエロ本や動画が急にどうでもよくなったり興味が失せたりするのもこの瞬間で、まぁ実際に相手のいるセックスならパートナーに配慮したりもしますし、雑誌や 「同人誌」 なんかは手元に残ったりもしますが、パソコンの動画や画像なんかは、「もうこれでやることはないだろう…消すか」なんて消したり、ネットサーフィンで掘り当てたサイトのブックマークをせずにブラウザを閉じたりします。 とりわけその動画や画像が過激で変態的でドロドロぐちょぐちょなものであればあるほど、事後はうっとうしく感じたり、時には嫌悪感すら覚えたりするものです。
特に三段目の部分。事後にファイルをわざわざ削除するという発想がよく分からない。それこそPC内のファイルは本やビデオテープ、DVDと違って物理的な実体を持たないんだから、ファイル自体を目に付かない場所に移動させておけば何の不都合も無いのに。何故わざわざ削除しようとするのだろうか?ファイルを削除するという事は、そのファイルが二度と手に入らないリスクを冒すことでもあり、将来再入手する際に前回と同等に近いコスト(時間的、金銭的)を支払う事を意味しているわけだが、そういう事すらもどうでも良くなるくらいに「悟りを開」いてしまうものなのか?
「賢者タイム」に共感する男性諸氏の意見を乞いたい。ちなみに俺も男。基本的に拾った画像、動画の類はよほど不快なもの(グロや極端にマニアックな嗜好のもの)以外は削除した覚えが無い。
正しいってのは確かにそうだろうね
しかし、そんな想像上の聖人君子からどれだけ自分が離れているのか
何をするべきかなんて常にやってられる人間はまずいない
常に出来ないなら、手の抜き方を知るってのは悪いことではない
ただし、常に手を抜いているんじゃなくて、必要なときにはちゃんと出来ることも重要だけど
最近読んだので納得できるものがあったので
もしこの文章を読んでる君が14歳だったら、まず最初に伝えたい事があるんだ。これはとても傲慢で自分勝手なのかもしれないけど、僕が君の歳のとき、こんな亊を言ってくれる大人が側に居たら、寄り道なんてすることはなかったかもと思って、今書いてるところなんだ。
君にはもの凄く一方的に移るかもしれないし、説教臭く聞こえるかもしれない。もしかするとピンと来ない話かもしれない。それでもどうか、最後まで読んでくれれば。
まず、最初に告白しておくと、僕は未だに人が怖い。だから今でも人付き合いはどちらかというと苦手なんだけど、それでも僕は人を信頼している。
君には変に聞こえるかもしれないね。でもこれは僕の偽らざる本当の気持ちだ。でも反対に君は内心、周りの人間を小馬鹿にしているかもしれない。
もっとハッキリ言えば、周りの人間を見下しているのかもしれない。そして世の中は下らないなんて、本気で思っているかもしれない。
確かに、ある意味ではそうなのかもしれない。
お世辞にもこの世は素晴らしいことばかり、なんて言える自信は僕にはないし、保証なんてする気はサラサラない。その言葉はある意味では真実だ。
でもちょっとそこで結論付けてしまうのは待った方がいい。
僕が小さかった頃は、自分の行動範囲でしか周りを見ることができなかった。
小さい頃はせいぜい歩いて10分が行動範囲だったし、自転車を乗れる様になってからは大体町内とか市内が行動範囲。それ以外を知るとなると、テレビとかで受動的に知るしかなかった。
当然ながら、会う人、話を聞ける人も物理的な制約に制限されてた。
でも今はどうだい?今は違う。君はある意味では恵まれている。ネットがあるからね。世の中は全然下らなくなんかない。
例えば、はてなとか覗いてみたら、凄い記事とかゴロゴロ転がっているし、ニコ動とかでも凄い動画はたくさんある。他にも凄いものを作っている人はいっぱいいる。
これを見て、読んで、聴いて。それでもまだ人は下らないなんて言うつもりかい?
こういうのを作ってる奴らが何も聖人君子であるとか、そういう事を言いたいわけじゃない。違うんだ。君と同じなんだよ。かつては君と同じ14歳だったんだ。
知らない人をあまり無闇に信用しないというのは、果たしていいことなのかな?そんなに人間ってどうしようもない生き物ものなんだろうか?
これが簡単に答えられる類のものではないのは重々承知している。しかし何にせよ、まだ早急に結論付けるのはあまりに早すぎるんじゃないかな。
君はもっと人を信頼していいと思うんだ。中にはどうしようもない奴だっているかもしれないけど、それでも世界は凄い奴がゴロゴロ転がっている。
君は親父とかの働いている所を見たことがあるだろうか。僕は一度もない。
僕の知ってる親父は、朴訥で、やたら子煩悩で、休みの時は必ず息子を連れて登山に行くような人だった。けど僕は親父が具体的な仕事の話をしているのを聞いた事がないし、働いている姿も見たことが無い。
有りがちな話だけど、子供のころは社会を知ることが無かったんだと思う。
社会と言えばそれは例えば、新聞の中に書いてあるような事だけだった。他の大人達の働く話なんて、全く聞く機会もなかった。
そういう意味で、なるべくして良く言えば純真に、悪く言えば物を知らずに育ったのかもしれない。
これが果たして僕にとって良い事だったかと考えると、必ずしもそういうわけじゃないんだ。むしろ、もっと知っておけばよかったって。
大人の世界を知っておいて悪いことなんてない。君もいずれは大人の世界に身を置くことになるんだからね。
学校の中だけが全てじゃないんだ。当たり前じゃないか、って君は思うかもしれない。でもこの事は体感する必要があるんだ。
学校の世界は、数ある内の一つの世界に過ぎない。そこに居場所を確保しようとするのは、決して悪い事だとは言わない。でも、のめり込みすぎてもいけない。
抽象的な物言いをすれば、過剰適応となるだろうか。学生時代の友は一生の財産にもなりうる。でも学校だけで君の人生が終わるわけじゃないんだ。その後も広大な世界が君を待ち受けている。
その事を決して忘れてはいけない。怖がらせるようですまない。そんな先の事なんて考えたくもないって思うかもしれないね。
でも政治家みたいにそういう事を先送りにしておくと、碌な結果にならない。じゃあどうすればいいのかって君は思うに違いない。
実際学校と社会はあまりにも遠い。これは僕達大人の責任でもある。
でもそんな風に不平を言ったって仕方がない。とりあえず僕はネットで大人の世界を知る事をお勧めする。世の中には色々な人が居ることが分かると思う。
僕が子供の頃と違って、ほとんどの人が何らかの形でネットを使っているし、そこでは色々なコンテンツが作られている。
例えば君はサラリーマンなんてどれも変わらないって思ってるかもしれないけど、普通のサラリーマンだって千差万別だ。
とにかく数えきれない程の職業に従事している人が居て、又数えきれない程の生き方がある。ちょっと探せば、すぐにそういうのは見つかるはずだ。
是非そういうのに触れて欲しい。職業だけじゃない。世の中に起きている色んな問題に首を突っ込んでみようよ。知らない世界を知るっていうのは、想像以上に面白いことなんだ。
別に今から就職活動を始めるとか、社会参画するとか、そういうスケールの大きい話じゃないんだ。
ただ、君がそうして触れた生き方は、君が真剣に将来を考えるようになると、多分凄い助けになるだろうから。
これは必ずしも必要ないのかもしれない。ある種の生き方には不要なのかもしれないけど、それでもやっぱりできれば、身につけて欲しいと思う。
君はもしかしたら、学校のテストでは高得点を取れるかもしれないし、それさえできれば問題無いって思ってるかもしれない。
それも大切だ、確かに。でもそれだけじゃ、自分の意見とかが言えない、そういう状態になってしまう。
自分の言葉を持つことは、大切な事だと思うんだ。極端な話、学校では、自分の言葉なんて持たなくても、やっていける。
でもそれは学校だけでの話だ。前にも言ったけど、学校の後にもそこに茫漠と人生って奴は横たわっているんだ。
そこでは自分の言葉が無ければ、自分がどんな人間か伝えるのに、苦労する。結構シビアな所なんだ。だから今の内に磨いておいた方がいい。
でも、どうすればいいかって言っても、自分の言葉というものはそんな直ぐに身につくものじゃない。長い研鑽の果てに身につくものだ。
こう聞くと何だかとても辛い事の様に思えるかもしれない。でも、そんなに複雑な事ではないんだ。これは今からの君の心がけの問題だ。
今から言う、二つの事に気をつければいい。それは、問いを立てて考えること。色んな言葉に触れる事。それだけだ。
何も難しいことじゃないけど、なかなかこれをしようとしない人って多いんだ。
中でも問いを立てる事は凄く大事だ。「どうしてこうなるんだ」と問いかけないと、自分の世界は広がらない。それを真摯に考える事だ。
中には考えても、なかなか自分の中に腑に落ちる答えが見つからない事だってあるかもしれない。でも、決してそこで歩みを止めちゃダメだ。
全ての問いに答えが見つかるなんて考えるのは馬鹿げている。学校のテストと違って、答えの見つからない事の方が多いんだから。それでも考えるのを止めないこと。
そうやって自分の中の問いを大切に扱う事。そして、色々な言葉に触れること。音楽でも、映画でも、漫画でも、本でも。そこに言葉は溢れている。
そこにある考えとか、思いとか、どんどん取り込む事だ。そういう事を続けていると、いつのまにか、自分の言葉で語る事ができるようになる。
これには時間がかかる、確かに。でもそうして自分の言葉を形作る事は、とっても愉しい事のはずだから。
ネットは広大だ。その意味を僕が肌を持って体感するのは、いわゆる普通のレールを踏み外して、ドロップアウトしてからの事。
それからPCに触れる時間も増えていったし、そういったブログに触れるのは必然だったのかもしれない。ともかくネットで色々な物に触れた。
そうして莫大な量の情報に触れる事で、自分の感覚とか、志向とかがどこに向いているのか、少しずつ分かってきたように思える。
必ずしも僕みたいなやり方で無くても構わないけど、そうして莫大な量の情報を得て、そうしてから、将来どうしようとか、これからどうすればいいのかなって考えるのも遅くないと思う。
君の周りの親が進学しろっていうのはそういう風に受け取って構わないと思う。決断は後回しにできるのなら、後回しにして、色んな事を知ろうとするのは、決して悪くない考えだと思う。
それから、面白そうっていう自分の感覚を決して見逃さない事。面白そうなんだけど、周りの目が気になって、中々やり始めるのを決められないかもしれないけど、自分の感覚の方がずっと大事。
誰々がどう言ってたからで自分のやる事を決めない事。自分はこれが面白いって思うから、これやってみるとかでいいんじゃないかな。とにかく、惰性に流されちゃダメだ。つまらないと思ったら止めてもいい。
真面目になりすぎなのもよくない。例えば好きな異性がやってたのを自分もやってみるとか、かっこ良さそうとか、モテそうなんて動機で何かを始めるというのでも全然構わない。フィーリングとかで決めちゃってもいいんだよ。そういう風に自分の感覚を大事にして、色んな事に触れてみるんだ。
当たり前だけど、14歳の君は二度と戻ってこない。ものごとを知らないって言うと、バカにされたりする事もあるかもしれないけど、決して悪い事ばかりじゃない。
そうした状態だと、初めて見る物事が全て鮮やかに見えるから。
そうして手に入れたものは、君が僕の歳になった頃には、大切な宝ものだと思えるようになっているはずだから。
どうかな?伝わっただろうか?伝わっていたらいいなあ。僕だって大人として、上手くやっているというわけでは決してないけど。
それでも、時々考えるんだ。もっと上手くやれていたらって。
僕はあっちこっちぶつかって大人になっていったけど、そんな不器用にやっていくよりも、君には上手くやって欲しいって思うから。
素敵な14歳の夏を。
http://bokukoui.exblog.jp/8754598/
東:池田信夫が、朝日紙上の自分(東)の言説について、「東があんなことを言うからネットで加藤が聖人に祭り上げられるんだ」などと批判したが、それはインテリの自意識過剰。自分が朝日に書くよりも先に、ネットで加藤は聖人化されていた。そのことを自分が報じただけ。
他に週刊誌とかでも似たようなこと書いてたけど。
俺の記憶では
↓
またオタク叩きが始まるお!
↓
↓
↓
トヨタぶったたくお!
↓
正社員暦あるし友達いたし先輩にソープ連れてってもらってたし出会い系でひっかけた女の子部屋に連れ込んでたしetc
↓
同情した俺に謝れ
↓
ものすごい勢いで沈静化
だったと思うんだがどうか。
【第二十 選将篇】
武王が呂尚にたずねた。
武王「すぐれた人物を選んで将に任命したいと思うのだが、人物を見極める方法を教えてほしい」
呂尚「外見だけで判断してはなりません。外見と中身の一致しない場合があります。世間の人々が軽蔑する相手でも、聖人だけはその真価を認めるのですが、 凡人にはそのあたりの機微はわかりません。深い洞察力があって、はじめて見抜くことが出来るのです」
武王「どうすれば見抜くことが出来るのか」
第五に、財貨を管理させてみて、どの程度清廉であるかを観察します。
第六に、女を近づけてみて、どの程度貞節であるかを確かめます。
第七に、困難な任務を与えてみて、どの程度勇気があるかを判断します。
第八に、酒を飲ませてみて、その酔い方を観察します。
組織内政治、ゴマすりばかりが上手な人物が出世することになれば、実務能力があり判断の優れた人物が無能な人間の指揮下に入ることになり、前線の混乱と敗北は避けられない
人が言うことには以前ほど注意を払わない。人の行動をただじっと見る
Yahoo!辞書 - 巧言(こうげん)令色鮮(すくな)し仁(じん)
[六韜][外見]世間の人々が軽蔑する相手、聖人だけ真価を認める
真の善人とは、十人のうち五人がけなし、五人がほめる人物。孔子
はてなブックマーク - コミュニケーション能力をウリにする人が醜悪な理由 - 分裂勘違い君劇場
巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)
ことばを巧みに操って人の気をそらさないように表面をとりつくろっているような人物には、
人としての最高の徳である仁に欠けている者が多い。
「巧言」は巧みなことばづかい。
「令色」は顔色をよくすること、
つまり見せかけをよくして表面をとりつくろうこと。
噂が怖いのは、聞き耳を立てその噂をかぎつけた人は、今度はそれを他人に言いふらすからです。
見出しのコトワザのいうように、
とくに他人の噂を伝えてくれる人や、
あなたのことを根ほり葉ほり聞きたがる人には、
気をつけなければなりません。
上海で下海!:「巧言令色鮮し仁」 - livedoor Blog(ブログ)
言葉巧みで顔つきもにこやかな人物にかぎって、
徳の少ないことが、おうおうにしてある。
うわべだけで人を判断してはならないことの戒め。
http://anond.hatelabo.jp/20110622150551
7 : ペスト・コントロール・オペレーター(長野県):10/07/27 16:27 ID:VXzEcToP
俺も人を信じないけど表面上は信頼してるように見せないと色々面倒だろ
コミュニケーションにおける最大の問題は、それが達成されたという幻想である。
The greatest problem in communication is the illusion that it has been accomplished.
George Bernard Shaw
[biz]中ぐらいの勝利で満足する者は、常に勝者でありつづけるだろう。
[人間(じんかん)距離][車間距離]人間関係には距離をおけ!
ももとお散歩 : 100パーセントの信頼? - livedoor Blog(ブログ)
失敗を気にしていては革新はできない。
十回のうち七回までが失敗だったということである。
[biz]中ぐらいの勝利で満足する者は、常に勝者でありつづけるだろう。
[ホトトギス][不如帰][時鳥][織田信長][豊臣秀吉][徳川家康][上司]
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
[権内][権外][分限自覚][エピクテートス]意志の力でどうにもならない物事
上司は思いつきでものを言う (集英社新書) : 橋本 治 : 本 : Amazon
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
私は他人の心を理解するだなんて超能力を持ち合わせてはいない。できるのは、他人の心を推測することだけ。
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
完全に自分の事をわかってもらえない、完全には相手の事がわからない
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちている
「人間の性は、本来、傲慢、卑劣、邪悪、矛盾であるが故に、私は人間を根本的に信用しない」
[人間関係]「僕は全く誰にも期待しない。だから幸せなのさ。」
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
人間の幸福は外部より受けて生ずるものにあらず ソクラテス - 名言から学ぶ幸せのヒント
倦怠を覚えさせる秘訣、それはすべてをあますことなく語ることなり。
頭まで登って、顔まで舐めだす奴がいる。 俺はそういう奴が大嫌いなんだ。
[人間(じんかん)距離][車間距離]人間関係には距離をおけ!
倦怠を覚えさせる秘訣、それはすべてをあますことなく語ることなり。
「なんとなく」を可視化し、「変えられるもの」に集中する - 点と点をつなぐためのメモ - connecting the dots
君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し
[biz]中ぐらいの勝利で満足する者は、常に勝者でありつづけるだろう。
多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ
すべてこの世は舞台、男も女もすべて役者に過ぎない。シェイクスピア
たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない。
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
「なぜ悩むんだね、人間は一生、他人の心などわかるはずもないし、人の死を本当に悲しむことなどできはしない。」
「あなたが奥さんを愛していたのは本当のことだ、それは、あなたの中にあるからだ。」
「でも、奥さんがあなたを愛していたかは、あなたの思いこみだけで、本当には分からない …ましてや、わかりあっていたなんて幻想に過ぎない。」
この世にいる訳がない。
ましてや人の事なんて、主人だろうが家族だろうが
たいして解るはずないもんね。
5~6割も解ったら上等でしょう。
膝の上に上がるから頭をなでてやったら、いい気になって肩まで登ってくるやつがいる。
それを放っておくと今度は頭まで登って、顔までなめ出すやつがいる。
おれはそういうやつが大嫌いなんだ
噂が怖いのは、聞き耳を立てその噂をかぎつけた人は、今度はそれを他人に言いふらすからです。
見出しのコトワザのいうように、
とくに他人の噂を伝えてくれる人や、
あなたのことを根ほり葉ほり聞きたがる人には、
気をつけなければなりません。
あれ程仲良くしていたのに・・と言う間柄の方々が、
どうしたの?と言う状態を目にして、
仲良くなっていく状況は段々と言う感じだったのに、
切れるのはこうも早いのか?!と言う状態を見て、
仲良くなりすぎて一体だと勘違いしたのだろうね。
だから相手の垣根の中にもどかどか土足で入り込んだのかも。そしたら土足で!と怒られた。
怒るのは当たり前なんだけど、その剣幕に驚いて反撃したりして、そして終わり。そんな状況かな。
身内はそんな状態で喧嘩しても、身内だから付き合って行かなくてはいけない。
友人なら、終わり。
http://www.asks.jp/users/mechag/187345.html
チャーチルの『第二次世界大戦回顧録』のなかにこんなことが書いてある。
日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。
しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。
無理を承知で要求してみると、今度は、笑みを浮かべていた日本人はまったく別の顔になって、
「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話の分からない人だ。ことここにいたっては、刺し違えるしかない」といって突っかかってくる。
「信じて打ち明けたら次の日みんなが知っていた!どひゃー!」なんてこともあるのではないでしょうか?
844 :可愛い奥様:2007/08/16(木) 16:48:00 ID:fnRtS9eLO
友達付き合いは腹六分が一番だね。
裏も清い人間なんてまずいない。
全て晒け出すと相手への尊敬はなくなるわ、秘密握られて怖いわ、ろくな事ない。
飲みの席で過去の心の傷(中絶)を告白した子(友達の友達で私にとっては知り合い程度)がいて、
その流れで友人が私に目配せで「あんたも最初の子流産した話しなさいよ」と訴えてきた時はぞっとした。
26の既女となった今、残っている友人は皆、距離をわきまえ尊敬出来る人。
友達は「大好き」でなく「好き」で十分。
「大嫌い」な部分がないことが重要。
中2の女子です。他人が信じられなくなりました。他人の心は読むことはできないと思います。 - Yahoo!知恵袋
自分の心も、表情とかにださない場合は他人にはわからないと思います。
私は心の中では最低な人間です。
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
少なくとも私は親兄弟に関しては相当の相互理解を持っているとは思いますが、
友人等の基本的には他人である人間に関して、親友と呼べる人間でもせいぜい6割の相互理解が関の山だと思います。
そして、一生かかっても100%の相互理解を得られる人間なんて存在しないでしょう。
それは恐らくは私だけではなく、ほとんど全ての人に言えることだと私は思います。
もちろん本人が理解し合っているつもりってのは除いてですよ。
[biz]中ぐらいの勝利で満足する者は、常に勝者でありつづけるだろう。
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
友達が
いて非常に迷惑だった。
☆ゴミの通院日記☆:波浪注意報 - livedoor Blog(ブログ)
私はあんたのことなんて知らない、お前が男とどうなろうがしったこっちゃない。
言いたいのに、いえない。
うざいからやめてくれない?
泣きながら電話するのやめてくれない?
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ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ (だいわ文庫) : 吉本 隆明 : 本 : Amazon