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はてなキーワード: 聖人とは

2009-11-02

一般的に言って、聖人はみな馬鹿

ここでいう聖人宗教的な意味でなく、「聖人君子のような」の聖人

前提:

  • 人は意識無意識的にかかわらず、自身及び自身の遺伝子のために動く。極稀に突然変異によりそうでない者も生じるかも知れないが、確率的に淘汰される。
  • 人は論理と感情によって行動する。このうち、感情については上の条件を満たすように構築される。また、論理は可能性とその確率期待値を示すが、行動選択を行うのは感情である。

考:

  • 賢明な人は、自身のため他者を利用するだろう。利用出来ないということは、利用するだけの脳がないということである。とりわけ、他者に利用され自身の不利を招く者は、馬鹿と言わざるを得ない。
  • 賢明な人は、馬鹿を利用するため意識的に馬鹿をおだて、親切を尽くすだろう。彼らはそれにより自身が投資した以上の見返りを得る。返礼に見合わぬほどの投資を行い身を削る者は、即ち馬鹿である。
  • 賢明な人は、自身の不利とそれによる重大な損失を避けるため最低限度の投資を周囲に行うだろう。馬鹿は過剰な投資を周囲に行い身を磨り減らすだろう。
  • 賢明な人は、その腹黒さとは裏腹に上記に示した投資により聖人と思われるだろう。賢明な人は、彼を讃える人々の愚かしい単純さに感謝し、嘲笑うだろう。そして賢明な人は繁栄する。
  • 馬鹿は、上記に示した投資により聖人と思われるだろうが、その投資に見合う利益は得られないだろう。最悪の馬鹿はその賞賛を無意識利益とみなし、自身がそれ以上の損失を被っている事実にも気づかず喜ぶだろう。幾分ましな馬鹿は自身の損失に気づき、苦悩するだろう。
  • 賢明な人は自身の腹黒さを受け入れ自身に都合がよいようにコントロールするだろう。馬鹿はそれに気がつかず、あるいは気がついて苦悩するだろう。

結:

  • ダーウィニズムは、その弱肉強食性ゆえ、腹黒い優秀作と愚かな失敗作しか生じない。
  • 愚かな失敗作が純白の優秀作となるためには、人類など滅びるべきである。
  • こんな腹黒い世界を守る価値は、実は存在しないんじゃないだろうか。

2009-10-20

うつで死のうと考えている人へ

死にたいですか、そうですか。

たぶん、自分のことをくだらない、無価値な、能力の低い、弱い人間だと思っているのでしょう。

違います。断じて、違います。

そう考えてしまうのは、あなたの脳が疲れているからなのです。

あなたに不幸もしくは辛いことが、“たまたま・運悪く”重なってしまったから疲れているだけなのです。

あなたがうつなのは、あなたが悪いわけでもなく、弱いわけでもなく、能力が低いわけでもなく、

たまたま“運が悪かった”だけなんです。

~~~

あなたが優しい人だと私は知っています。そりゃあ、聖人君子ではないのですから、機嫌の

悪い時、人を邪険に扱うこともあるかもしれません。それでも基本的にあなたは優しい。

人が不愉快にならないように、人が心地よくなるように、あなたはいつも気を使っている。

そんなあなたが、なぜ自分だけにはそんなにつらく当たるのですか?おかしいですよね。

人に与えている優しさの、ほんの十分の一でいいんです。自分に優しくしてくださいよ。

また、私はあなたが人を殴ることのできない人間だと知っています。殴ったとしても

後々まで後悔する、人を傷つけることにとても臆病なんです。

なのに、なぜ自分を傷つけるのですか?自分を殺すなんて何でそんなことができるんですか?

おかしいですよね。

なぜそんな、おかしな事ばかり考えるのか分かりますか?そう、脳が疲れているからなんです。

疲れているんだから、休ませましょう、栄養を与えましょう。そうすれば、じきに回復するんです。

あなたは忘れているかもしれませんが、あなたの周りの人はみんな、あなたのことを心配しています。

あなたが死んだら、周りの人が悲しむでしょう。

~~~

私は、あなたに助けられた人がいることを知っています。あなたは忘れているかもしれませんが、

あなたは今までに何度も「ありがとう」と言われたはずです。

だから、今度はあなたが助けられる番です。助けられることは、恥ずかしいことでもなく、

みっともないことでもない。あなたの能力が低いからでもない。運がたまたま悪かっただけ。

いままでに何人も人を助けてきたあなたは、正々堂々と助けを求めていいんです。

あなたにはその権利があるんです。

あなたは誰に助けを求めればいいか知っているはずです。周りの人に、専門家に、

聡明なあなたは、きっと上手に助けを求めるでしょう。

~~~

ここまで読んでくださってありがとうございます。私の苦しみを読んだくださったあなたに、

私は助けられました。心から、ありがとう。だから今度はあなたが助けられる番です。

それでもまだ、死のうと考えているあなたへ。あなたは私の恩人なんです。

だからどうか、大切にしてあげてください。

心から、お願いします。

~~~

以下、追記

■続きです

うつで死のうと考えている人へ その2 (http://anond.hatelabo.jp/20091021012746)

コメントしてくれた方々へ。ブクマしてくれた方々へ。

ありがとうございます。読んでくれてとてもうれしい。みなさんのコメントがとてもうれしい。

2009-10-18

女が高齢童貞敬遠する理由

女がと一般化するのは乱暴だけれども、

20代半ば以降の童貞男性を敬遠してしまう理由を、

27歳女が過去経験を踏まえ列挙する。

誤解のないように言っておくと、童貞というだけでその人の人格を否定することはもちろん、

恋愛関係になることを拒絶することはしない。

ただ、同じ条件で片方が童貞、片方が非童貞であるときに、

童貞に不利な評価が与えられるとした場合に、

その理由として思いつくものを挙げてみる。


1)その年齢まで童貞でいたことが男性的魅力の欠如を象徴している。

性的魅力の多寡は、経済力社会的地位のない20代前半までの間に、

いかに多くの女を責任を負うことなく抱くことができたか、ということで測れる。

25歳以降、結婚を考える年齢になり、

打算含みで恋愛関係になっても、それは本人の魅力とは関係ない。

女にとって、付き合う男の魅力の高さは自分自身の価値の高さを象徴するものであり、

いい年まで童貞でいた男を掴まされたということは、自身の魅力の低さを象徴するものである。

むしろ若い時期にもてていろいろな女を抱いた勲章もちの男が、

一生連れ添う相手として自分を選んだ、ということに優越意識を持つ。

2)童貞はがっつく。

いざ恋愛関係になると性急に肉体関係に至ろうとする。

自分の体だけ目当てなのかと思ってしまう。

女は基本的に男に保護されたい生き物なので、

女体に対する執着が先行する男が自分を本当に満たしてくれるのか、不安を感じる。

3)反対に、セックスに対して幻想を持ちすぎている。

「本当に好きな相手じゃなければ、責任を取る覚悟をもてなければ、抱くべきではない」とか言う聖人君子のような人も中にはいる。

正論であるが、25歳以降になって言う台詞ではなく、中高生レベルである。

セックスは、互いの存在確認の手段、コミュニケーションツールとして、必須のものである。

お互いに自己責任を取れる年齢になったら、

たとえ愛がなくても、相手に対する誠意として、セックスするものである。

セックスに対する過度の神聖視、抱いてもらえない女の辛さを理解できない浅慮、これが嫌われる一因になる。

2)3)から総合して要するにセックスに対するハードルが高すぎても低すぎても駄目で、

そこの調節の仕方が、童貞には分からない、というのが、付き合う上でのネックとなると思う。

何事も、年齢相応の経験を積んでおかないと不利になるということだ。

2009-10-01

はてブ謙虚になるべき3つの理由

うちにはまだ「目立つ力」は届いていないのだけど、何それ。

404BlogNotFound:公言は傲慢にするべき3つの理由

 勝間「断る力ッ!」

いや、状況によらない。

発言の大やけど、もとい公度が高ければ高いほど、より傲慢にするべきというのは、例外なき法則弾言、いや断言する。

っていうのが弾さんの言い草だけど、これ、悲しいけどはてブでは正反対なのよね。

傲慢は表現を簡潔にしすぎる

1. 傲慢は表現を簡潔にする

2. 傲慢は表現を簡潔にします

3. 傲慢は表現を簡潔にするはずです

4. こいつ、馬鹿なの?

5. 正論

6. 同意。

7. 俺が前々から考えていたことを言語化してくれた感じ。

 

この例を見れば分かる通り、同じ内容でも、傲慢度が上がるほど簡潔度もましている。

簡潔すぎて、元々持っていたはずの意味部分すらも削げ落ちている。

最後の三つに至ってはしおりでなければ、思考停止に等しい。


ブクマプライベート限定であった時代であれば、そこにおいてクソをミソにするだけの贅沢も許されよう。しかしこれだけブクマが溢れ、その理由付けが求められている時代、それは受け手の視界を汚す表現公然猥褻物陳列罪とでもいうべきものなのだ。


傲慢は強く速やかに訂正されない

確かにブクマ元が間違っていた場合において、それが速やかに修正されて、発言がより正しく広く伝わる、というのはよくある。

だが、更にそのブクマコメが誤っていた場合は?

他人の馬鹿発言のために己が100文字の何割かでも割こうとする聖人はそうそういない。

割いても「↓こいつ馬鹿か?」程度の中身ゼロ悪態がせいぜいだ。

あなたは、それにより傷つく。しかもそれによって公はより正しい意見を手に入れることが出来るというわけでもない。

そもそも傲慢なブクマに対しての反論は、基本的に効果がない。

修正を念頭においてオピニオンを表明するブクマカもまた稀なのだ。


傲慢はブクマカに研鑽を迫らない

だからブクマカは傷つかない。当然、発言前に自らの意見をより厳しく検証する行為とは無縁になっていく。

その上、はてなスターという良かった探し機能の存在が、"肯定"以外の他者からのメッセージを切り捨てる。

これで研鑽できると放言できるほうがどうかしてる。

結果、発言者の言動は、はてブ利用を通じてより無責任あまり成長しないような有様となる。


(あと、まぁ、ここらへんに「傲慢なブクマ」と「傲慢なつぶやき」は違うとかなんとか)

これ以上続けるとSAN値が下がるのでまとめる。

ブクマにおいては、

傲慢な発言もいいけど、せいぜいストレス解消と割り切って、まかり間違っても自分が百パーセント正しいなんて勘違いしないでよねっ。

「間違い」は叱られたり、ペケつけられたりで、はじめて生まれるモンじゃないんだからっ。学生時代とは違って。

そんじゃーね。

Masuda the Anonymous

2009-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20090929025214

それは「少数派」ではなくて「犯罪者

たしかに、犯罪歴のある人間は、わが国では少数派でしょうが

それを「少数派」と呼ぶのは、明らかに間違ってやしませんかね。

 

犯罪者は確かに言いますね。

「ハァ?お前、いっちょまえに俺を咎めてくれちゃってるけどさ、

お前はどーなん?一回も悪ぃことしたことねぇの?

ガキの頃の立ちションも?

車が来ない見晴らしの良い道路での信号無視も?

殴り合いのケンカも?

ああ?どうなンよコラ!?

んぁ!? それによー、他の奴はどーなんだよ。

何でアイツラは良くて俺に言うわけ!?」

みたいな。

 

自分を咎めて良いのは聖人君子だけで、

しかも自分が咎められるのは一番最後でなければ

「平等ではない」という主張。

 

きっと、子供のころから素行が悪かったせいで、

濡れ衣きせられたり、痛くない腹さぐられたり、

不当に自分だけ叱られた経験もあるんでしょうけど、

正直なところ

「当然の因果応報だろ?」

って感じです。

2009-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20090921035017

pixivデイリーランキングがすごい

でもまあ有名人っていうのはそういうもんだし、他人に聖人たれと望むのは総じて理不尽な話なのでこれでいいと思う

2009-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20090919230908

そもそも始めっから多数派=正しいじゃないでしょ。

聖人君子みたいな人は正しい行いをして民衆から尊敬されてるんだろうけどそんな人少数なわけだし。少数だからこそ民衆から尊敬されるわけだし。

2009-09-16

人に嫌われるって怖いことだと自覚した

オレはこれまでの人生、人に好かれていると自覚したことがない。

むしろ、知り合った10人のうち8人には嫌われ残り2人にはシカトされるような人間だ。

異性にモテるとかそういう話でなく、アンタたちのまわりにもよくいる、嫌われ者の一人だと思ってくれ。

子供のころは結構それが気になってしょうがなくて、人に嫌われないようにがんばっていたこともあった。

そうやって努力すれば、10人中8人という数字が少しましになって、10人中6人くらいにはなった。

だが結局どうしたってオレのことを嫌う人間はいた。

ということでオレはあきらめた。

人に好かれる努力なんぞしないことにした。

人に嫌われることを怖いと思わないことにした。

オレは人に嫌われることで何が一番いやだったかというと、人に嫌われることでオレ自身が不愉快な気分になることだ。

なので、それに慣れることにした。

どんなにがんばったってオレのことを嫌いな人間はいる。

ならば、最初から「おれは世界人類全員から嫌われている」ということにしてしまえば、いろいろと対処の方法が変わってくると思った。

これが結構うまくいった。

オレの心はわりと平和になったんだ。

ここまで読んでくれた人。アンタいい人だな。

言いたいことはわかる。

だが、今日ここで言いたいことはそこじゃないんだ。スマンが最後まで付き合ってくれ。

実はここまでは前置き。本題はここからだ。

世の中インフルエンザ流行ってるよな。

亡くなった人も老若男女問わず出てきている。(気をつけてくれよな、みんな。)

そんなこんなでこえーなぁ、とか言ってたら、うちの職場にも感染者が出た。

感染したそいつのことをAと仮に呼ぼうか。

幸いAは軽症で助かった。

普通に熱が下がるまで自宅待機して、用心のためまわりにまき散らさないことが確認できてから職場に復帰した。

ほんとなら、そこでめでたしめでたしで終わる話なんだ。

だが、残念なことにAはオレに勝るとも劣らない嫌われ者だった。

新卒入社2年目の若者で、すでに主任になってる出世頭。

出世頭だから嫌われてるのか、ヤなやつだから出世したのが早かったのかはわからんが、おおむねAの評判は良くない。

ちなみにオレもAのことは好かん。同族嫌悪だろうな。

んで、とある機会に同僚Bと話してて、Aのことが話題になった。

自然とカゲ口になった。

まあしょうがないわな。

そうやってガス抜きしねぇと、ヤな奴に対してヤな態度が出ちまうからな。

そういう態度は、まあ大人としては避けたほうが賢明だ。

そしたらそいつが衝撃的な一言を放ちやがったのよ。

B「この間、インフルエンザで人死んだよな」

オレ「やばいよなー、持病もなくて年も若かったよな」

B「なんでその人はインフルエンザで死んで、Aは助かったんだ?」

オレ「( ゚д゚)」

全身の血が凍ったかと思ったね。

いやだってさ、オレだって聖人君子じゃねぇから、いや世界有数の嫌われ者だから、人を嫌うことも珍しくないわけだ。

んでもさ、どんだけヤな奴だろうとも、リアルに死んでくれとはそうそう思わないわけだ。

もちろん、いるぜ。

死んだほうがいい人間

もしかしたらオレがそうなのかもしれんけど。

でもそれって、こいつムカツクとか嫌われるとかそんなレベル超越してんじゃん。

そう思っていたんだよ。だけどさ。

嫌われるってそういうことなのかって愕然としたね。

よくネットとかで「死ね」とか書いてあんじゃん。

ガキだと「死ね」とか「殺す」とか平気で口にすんじゃん。

空気を吸うように、日常当たり前のようにその手の言葉を向けられて内心ションボリしつつもヘラヘラ笑ってたオレは驚いた。

あれマジなのかよと。

オレは嫌われ者だから、もちろんBからも嫌われてる。

会社から一歩外に出ればだな、すれちがいそうになるとUターンされたり、目をそらされたり、声をかけるまで気づかなかったふりをされるぐらいに嫌われてる。

まあしょうがねぇ。

だけど、Bよ。

お前、オレも死んでくれと思ってるのかよ。

この文章読んだだけだと、単にBがオレやAよりもヤな奴だという結論に達するかもしれない。

でも違うんだ。

Bはおもしれーことも言うし、仕事もよくできるし、良識もそれなりにある。

Bはオレのこと嫌いでも、オレはBのことそんなに嫌いじゃないんだ。

Aだってほんとヤなやつなんだけど、とりあえず反社会的な悪さをするわけじゃない。

死んだときに、10人が10人「ああよかった」と思う人間ではないはずなんだよ。

いやもうAとBがどれだけヤなやつかイイやつかなんてのは関係ない。

つまりだ。

嫌われること=死んでしまえと思われること

という等式がオレの心の中で出来ちまってものすげー恐怖したわけだ。

なんせ、オレは世界中人間から嫌われてるんだからな。

世界中の人から「死ね」とか思われたら、神様でもポックリいきそうじゃないか?

また人に嫌われるのが怖くなっちまいそうで、それが怖い。

恐怖が怖いみたいな感じでヘンだが。

まあ、ナイフで一寸刻みにしたいというような能動的な殺意を向けられたわけじゃねぇんで、がんばって「死んでしまえ」と思われることに慣れるほかねぇんだろうな。

2009-07-07

THE END OF EVANGELION」の感想集

上のエントリは,「EOEが公開された頃は今ほどインターネットが普及しておらず,情報が欲しい人や感想を言いたい人はNIFTY-Serveなどのパソコン通信で細々と交流していた」という話。この話を読んで「そういえば当時パソコン通信上でさかんに議論されてた『ラストシーン解釈』をまとめたものがあったはず」と思ってディスクサルベージしてみた。分量が多いので二回に分けて投下してみる。

当時から「観ると語りたくなる映画」だったんだなあとか,昔も今もみんな同じようなことしてるなあとか,いろいろ懐かしい。

  首を絞められながらシンジの頬に手を添えたアスカ。
このまま終わったら、アスカはただの聖人になってしまいます。(^^;

  アスカだって、問題のあるリアル人間なのです。(アニメの中だけど。)
それ描く為に製作者は、イメージ的には顔を「殺してやる」の時のまんまにして、
アスカ側からのシンジとの不一致を出すための行為として、「気持ち悪い」の悪口
を言わせたのでは無いでしょうか。
ここで「バカシンジ」だったら悪口に聞こえないし。
またこれは観客に向かって庵野監督が言ってるのかなとも思いました。
庵野氏はかつてEVAファンに失望しているようなことを言ってましたし、
アニメから現実に戻れということも言ってたと思います。それが実写で
観客をうつしたり、「現実は夢の終わり」などと言っていることに表れている
ように思います。ラストセリフ駄目押しかなと・・・。
シンジが“男のくせに泣いている”ことに対する非難
あるいは、監督自身の制作後感を語っているようにも思いました。
大きな期待をかけられ、やりたいことは膨らみ、当初の完成予定は遅れ、
賞賛と非難が入り交じる中、ファンの期待を(たぶん)裏切らない形で作品を
完結させた・・・。それは「疲れた」を通り越して「気持ち悪い」こと
だったのかもしれない。
 「きもちわるい」アスカにとっては、感覚的なものじゃなく、生理的にただ気持ち
悪かっただけかもしんないしんですよね。
シンジ綾波はあれでいいかもしれないけど、彼女性格から
して、今までの数々の屈辱を背負ってこれからまだ生きていく
ってことは「気持ち悪い」そのものじゃないかなぁ…。
えっと、アスカシンジに「加持さんはもういないんだよー(うろおぼえ)」と
言われてあ然とした後で風呂のシーンになって、湯船の水面を見つめながら

「ミサトやばかシンジの使ったお湯なんかに誰が入るもんか…
 ミサトやばかシンジの使った洗濯機なんか誰が使うもんか…
 ミサトやばかシンジの……・・・」

で、

『気持ち悪い』

で、「ミサトもいや!シンジもいや!ファーストはもっといや!!…」と
爆発したように思います、あぁ、うろおぼえなんすけど、すいません。

あと、ここのシーンって「DEATH編」の中でもテレビにはない
新作のとこだったような気もしてます、あぁ、
なんせうろおぼえなんで許して下さい、あぁ。

んで、そういうとこに、この『気持ち悪い』というセリフが使われていたことに、
そのなんだあれです、あたくし的には興味あるです。
最後のセリフのフックとして使ってるのかしら、とかとか。
 つまり、あれだけ首を絞められても死ねない、という
 アスカの、自分自身に対する言葉かな、と思っています。

 「生命の実」も取り込んだ、って事なのかな?
アスカの「キモチわるい」は、シリアスすぎる雰囲気になるのがイヤさの、テレ
かくし半分だと思います(^^)。
ラストアスカ台詞ですが、案外、怪我のショック症状で本当に気持ちが
悪かったんじゃないかなぐらいに思っています。アスカがまともな性格なら
ともかく、シンジと同じくらい壊れているアスカにいわれても、オタクのオ
タク批判のようなもので、まともに受け取る必要はないと思っていますから
これから二人が“アダムとイブ”として生きていかなければならないことに対する
嫌悪感
この映画が凄いところは、(中略)その後の砂浜のシーンでシンジが、
結局アスカに投げつけられる言葉「気持ち悪い。」が、
がんばったからと言ってそんなにほいほいうまく行くものじゃない、
現実は甘くない、という点を突きつけていた点にあるとおもいます。
 最後のシーンについて僕は、シンジに叩き付けられた現実世界
ではないかと思います。
 倒れているアスカの光を失った目、シンジの頬に触れた手とちぐ
はぐな「気持ち悪い」という言葉アスカシンジに対し「気持ち
悪い」って言うのは結構普通だけど、ちょっとおかしいなと思いま
した。以前にキス騒動で似たようなことがあったけど、今回は首を
絞められてる最中だし........。

 ここで僕は自分と他人の境界がわからないLCL世界(原始
地球の海に酷似した世界。海に象徴される)から、他人との境界が
はっきりし互いに気持ちを理解し合うのができない世界(海に対し陸、
すなわち二人がいた浜)に戻ったら、アスカはあの戦闘で気がふれて
しまっていたのではないかと思いました。(心を失ってしまった?)
シンジは共に歩いて行こうと思っていた女性が以前の姿を失っていて、
人形の様になっていた。彼女のことを考えいっそのこと殺そうと考える
シンジ。しかしできない。
 アスカが包帯をしているのを見ると、あれはあの出来事の直後では
ないですよね。(戦闘以前、戦闘中は頭に包帯をしてなかった。)
となると、あれは後日、もしくは後に起こってくることの提示だと
思うんですがどうでしょうか。
 もしこうなると、アスカは最も嫌っていた心のない人形自分が
なってしまったというかなり皮肉な結果になってしまいますが.......。
まごころを君に..... シンジアスカへ対するものだったのだろうか。
結局ある意味テレビと同じ。
つまり、自分じゃ最後を書けない、だからそれなりのを書いて
皆さんそれなりに満足(または不満)
というところですかね。
22話で精神的に侵食されたアスカは、25話で今度は肉体的に侵食
されてしまったわけですね。
こう考えると、なんとなくラストシーンアスカ言葉も納得がいく。
「気持ち悪い」というのは、世に存在する「男」に対する嫌悪感が発せさせ
た、ごく自然言葉だったのでしょう。
あれは(監督の考えている)アニメファンに対する痛烈な嘲りだと感じました。

世界の全てを破壊し飲み込んだ初号機とシンジには、同時にその世界に
対する全能の力も与えられました。世界をどうするかは、全てシンジに
まかされました。全てを虚無へと帰すことも、虚構の世界を構築して再び
そこへ逃げ込むことも、つらい現実世界へと歩き出していくことも、
すべて、彼が心を決めるだけで可能となるのです。

そして同時にそれは、観客一人一人に突きつけられた選択でもありました。
これはシンジの選択であるだけでなく、あなたたち自身の選択でもあるのだと。
画面に現れた、実写シーンや春の映画の観客たち、パソ通上での繰り返される
監督の悪口などは、そのメッセージじゃないかと思いました。

当然、答えは観客の数だけあります。

その中の一つの可能性をえがいてみせたのが、#26のBパートだったん
じゃないでしょうか。あれは「それでもエヴァ依存しようとする人々」を
象徴しているのではないかと。

あれはある意味、多くのファンが予想し望んでいた結末でした。
世界が変化し、その中に二人だけ生き残ったアダムとイブ。
しかも、ご丁寧にもアスカにはレイの象徴である包帯と眼帯まで
まいてあります。

しかし、そこにあるのは、おぞましいレイ死体。血の色の海。
シンジ殺意アスカの蔑みの表情。と、監督は甘い幻想を徹底的に
打ち砕いていきます。

そして、とどめにアスカがあの台詞をいうのです。
 他者が存在する世界に戻ってきたシンジは、自分の選択に絶対の自信が持てなかっ
たんでしょう。
 あそこでアスカの首を絞めきれたら、シンジ自分世界も終わらせていたと思う。
でも、できなかった。甘い希望にすがりついたんだよね。で、自分の弱さに泣く。オ
イオイ泣く。
 なにかわけのわかんないことで泣かれたら、きもちわるいよね。絶対、きもちわる
い。
 あそこでシンジを無条件に受け入れるアスカだったら、他者として成立しないと思
う。
 帰ってきたシンジは、体を再構成したアスカを弐号機のエントリープラグか
ら引っ張り出し手当てをしたが、彼女植物人間状態のままであった。
 シンジは、毎日みんなの十字架を作りながらアスカ意識を取り戻すのを
待っていた。
 いっこうに意識の戻らないアスカを横に、途方に暮れるシンジは、ふと水面
を見ると綾波の姿が、衝動的にアスカの首を締めるが、彼女の手が彼の頬に触
れた。彼は、意識を取り戻した喜びと彼女を殺そうとした自分に涙した。
 意識を取り戻したアスカは、生理的不快感と、自分を見殺しにしたシンジ
が目の前にいることに対し「気持ち悪い」といった。
 
 物語としてはこんな感じかなと思います。
  多数の人間犠牲にすることによって現実を取り戻した。
 自分の為した罪を背負い生きることを選んだ。
  飛び立つことは美しく、気持ちのいいこと。
  醜いかもしれないが「気持ち悪い」かもしれないが、
 本当の快楽とは、地に足を付け
 他人の首を締め続けることによってしか得られないのか?
    この言葉はもっと前向きに捉えて良いのでは?
    アスカと言えば「唯我独尊」な状態だったわけですが、彼女シンジを見て
    「気持ち悪い」と言うのは、それは彼女が本気で他人を受け入れようとし始め
    たからこそだと思います。

    他人を自分の心の領域に踏み込ませることは勇気のいることでしょうし、気持
    ちの悪いことでしょうが、それを彼女が始めたからこそ、「気持ち悪い」とい
    う言葉も出てきたのでしょう。

    ある意味彼女シンジ以上にATフィールドの強い人間であったかもしれな
    い、その彼女が(サードインパクトによって強制的に取り払われるのではなく
    て)自らの意志で心の壁を開放しようとしていることが重要なことのように思
    えます。
シンジアスカを求め続け
アスカシンジを拒み続けた。
最後にシンジアスカを殺そうとした。
なぜだ?
でも出来なかった。殺せなかった
そして、やはり最後までアスカシンジを拒んだ。
それが現実なのだ。
けど、首絞められて、そいつがいきなり泣き出したら
「気持ち悪い」
というか、そういう似た様なことを思うだろうね、やっぱり。
  私はこのI need youのテーマをアンビバレンツと理解した。
 人間の行動は大半がこのアンビバレンツの要素をおおかれすくなかれ含んでいる。
 合いと憎しみ,冷たさと優しさ,強さと弱さ。恐怖と怒り。悲しみと喜び,希望
 と絶望,これらはみな表裏一体で切り離す事は出来ない。
  シンジアスカの行動と言葉はこのアンビバレンツを象徴しているのではなかろう
 か。私にはそう思えた。
  シンジの嗚咽はこのアンビバレンツの悲しみを,そしてアスカ言葉はこのアン
 ビバレッンツに対する嫌悪をそれぞれ象徴していたのではないだろうか。
 アンビバレンツに苦しみながらシンジアスカも生きてゆくのだ。
 さて、シンジが他人との共存を選んで現実世界に帰ってきてアスカと砂浜
に寝てる訳ですが、ミサトの墓標があった事からいくらか時間の経過があった
様です。
 アスカが怪我をして包帯を巻いているのはアスカATフィールドを失わなか
ったからLCLにならなかった様です。(レイの迎えが来てない)プラグスー
ツを着ている事からも説明出来ると思います。きっとあんな状態でも弐号機が
守ってくれたんでしょう。(ここは希望的観測)
 そして戻ってきたシンジが弐号機のエントリープラグを探し出しアスカを助
け出します。包帯等はきっとエントリープラグに備え付けてあるはずです。
 そして砂浜、、、。

 しかしアスカ自我崩壊状態。「生きる意志」を無くしてます。半ば絶望気
味のシンジ。 そこにレイが現れ、そして消える。シンジは何かを悟りそして
危険な賭に出ます。ここからが僕の新解釈なんですが、、、
 
 アスカの「生きる意志」を試すために彼女の首に手をかけます。そしてシン
ジの願いは叶い、アスカシンジの頬にふれ、シンジに「生きる意志」を示し
ます。
 喜びに泣き崩れるシンジ。そして最後のセリフアスカが元に戻った事を表
してると考えたいです。
なんか、ラストの泣き虫シンジアスカセリフマイナスなショックを受けている
ファンが多いようですが、ボクにはそれが良く理解できない。どう見てもラストのシ
ンジはうれし(はずかし)泣きだと思うし、アスカセリフも前向きなモノだったと
解釈しました。
 砂浜でアスカは無表情で寝ている訳ですがあれは再び精神崩壊にあった状態
だと思います。やはり弐号機のなかでの復活はサントラタイトルにもある「
偽りの、再生」です。弐号機(母親)を失ったので元の状態に戻ったのと、エ
ヴァシリーズによる陵辱によるところも大きいでしょう。

 そんなアスカシンジは見つけます。シンジを受け入れないアスカ。
ここにシンジの成長があります。ここでアスカに「目を覚ましてよ」とか「僕
を一人にしないで」とか声をかけたら303号病室の時と一緒です。成長の跡
が感じられ無かったでしょう。彼は首を絞めるという行為でアスカ自身に存在
の是非を問いました。 
 しかし、何故首を絞めたのか? 首を絞めるという行為はアスカにとって特
別な意味があります。母親との事のトラウマであり、それが頭にあった為にシ
ンジとの抗論の時、彼に首を絞められたとき抵抗できませんでした。(そう見
えた)
 首を絞められた事に抵抗する行為は母親トラウマを乗り越えた事も表しま
す。シンジがここまで考えたとは思えないのでこっちは結果論ですが。 

 シンジアスカの首を絞めた真意は確信には到りませんが、結果としてシン
ジの成長と同時にアスカの生きるという意志表示、トラウマの克服、などアス
カの補完も表したシーンに思えます。あらためて考えるとこのシーンはすごく
前向きなシーンです。
アスカが「気持ち悪い」と言ったときの目は、心底嫌いなものを見る
ときの目に見えるんですがどう思いますか。
  だがそれは、おぞましい虚偽に統合=補完されない真実へ至るユイ一の可能性
 でもある。互いをさらにバラバラにしようと「噛み合う」者同士の断面が、なぜ
 か一致し「噛み合う」という皮肉意図せざる結果こそが、コミニュケーション
 の「奇跡的」な本質なのである。(だからG.バタイユのような思想家はそのよう
 なコミュニケーションを「聖なる」ものと形容する。)

  これは「コミュニケーション癒し」、あるいは「他者を傷つけるな(あるい
 は、他人を傷つけない限り何をしてもよい)」という価値観に対する、やはり根
 底的な批判である。――「希望」に向けてシンジは言う。「それでもいいんだ」

  ラストシーン「I need you.」はその明確な寓意である。 ――補完という「夢
 は現実の中に」意図せざる形である。互いをさらにバラバラに引き裂こうとして
 いる二人(アスカを絞殺しようとするシンジシンジを「気持ち悪い」と拒絶す
 るアスカ)の間には明確なコミュニケーションが成り立っていた。
  それは、「自分の横にいる人と普通につき合う」ことができている者なら、も
 っと上手にしているのとまったく同じことだ。われわれが自他を分断するべく振
 るうに決まっている暴力を、相手(あるいは自分)が死なない程度に、和らげて振
 るうこと。逆に言えば、もうすでに暴力が和らげられてしまっているからこそ、
 われわれは今ここで生きているとも言える。
  われわれは日常の中では分断の暴力を、「人の気持ちを些細に傷つける」ような
 隠微な形で振るい、致命傷への短絡が「結果的に」「意図に反して」回避されてい
 たりもする。些末な暴力遍在状態の中で、われわれはなぜか、「まだ生きてる」
 のである。
監督「君たち…、気持ちいいの?」
監督「おれは見てて、気持ち悪いと思うゾ。」
                  終劇
「気持ち悪い?つわりじゃないの?
 ちゃんと病院行って検査してもらった方がいいよ。
 サードインパクトベビー誕生!」

 ・・・・・・・なーんてね。
結局エヴァ劇場版って、エヴァという永遠に終わりそうもない物語を、
完璧に終わらせることだけが目的だったような気がします。その意味ラストの気持ち悪いというのもエヴァ完璧に終わらせる為の台詞とし
ては最高の決め台詞だったかもしれません。
あれは劇中の「気持ちいいの?」に呼応するものだと思います。
そうでないと「気持ちいいの?」という言葉の出現が唐突すぎると思います。
なぜアスカの首を絞めなければならないかはわからなかったが最後一緒にいたの
がアスカで最後の台詞があの台詞だったのも現実の厳しさをあらわしていて非常
にリアリティがあって良かった。あれが綾波でもミサトさんでも母さんでもシン
ジを受け入れてしまうだろうから、あの台詞にはならなかっただろうし、やっぱ
り最後はアスカしかなかったんだろうな
 あれほど激しく、直接ぶつかりあった2人って、あの話の中にいるかな。
 そんな風に思います。
 これからが、大変なんだよ、と。
 あらためてひとに触れるわけで、それが初めてなんだから、
 「…気持ち悪い…」というのは、仕方ないんじゃないかな、と。
 まずはそれでいい、それからどうするかなんだっていうこと、かな。

 シンジの髪に、頬に触れたアスカの手が、痛々しいけど、やさしかった。
ヒゲメガネが,ふられたみやむー嫌がらせしてるだけ。
  で、アスカ最後の言葉が「ありがとう。」でもなく、
 「バカシンジ」でもなく、
 ましてや、「あんたなんかに殺されてやるもんか」でもなかった。
  「気持ち悪い」。誰に言った言葉自分に?シンジに?それとも観ている
 俺にか?
 最後までアスカシンジはわかりあえなかったんだね。
 そして、唐突におわる物語。何だったんだ?気持ち悪いよ、ほんとに。
 
  「現実を見ろ。」言いたかったことはこれか。
 やっぱり大きなお世話だと思うよ。映画ぐらい現実をわすれていい気分で
 いたかったよ。その証拠に明日は休日出勤だ。とほほ。
 最後のセリフ「気持ち悪い」は「けして〔アダム&イブ〕は、みんなが
 思っている程に仲むつまじいモノではない」と言う意味かと(^^;)
 「とってもきもちいいこと」。身体の、心の境界線がなくなること、とけあう
こと…から、もどることをえらんだ、そして生きることを選んだシンジ。
 「…気持ち悪い…」は、アスカシンジへの嫌悪言葉、としてではなく、シ
ンジが、「とってもきもちいい」世界から、とけあう世界からもどってきたのだ、
ということをしめす、そこが、「生きる世界」なんだということをしめす、サイ
ンのセリフではないでしょうか。
 他人に触れる。それはわからない存在、「気持ち悪い」。でも、アスカのあの
手は、シンジを拒んではいないから。
 進んでいけると思う。もっといっぱいお互いをさわっていくとおもう。ずっと
「気持ち悪い」かもしれないけれど。それでも手をのばしつづけることをやめな
いだろう。生きていくから、シンジアスカを殺さなかったのだから。
拒絶も離別で辛い思いをしても人として生きたかった。
だから、人として戻ってきた、アスカを連れて。
人として生きるのに、1番いっしょにいてほしかった(1番好きだった)
のが、アスカだったのでしょう。

しかし、アスカの魂は戻ってこなかった。
人としていっしょに生きることすら拒絶された。
だから、シンジアスカの首を絞めた。

だけど、アスカは戻ってきてくれてた。
最後の「気持ち悪い」というセリフも

「心の壁を作ってくれた = 人として生きてくれた」

という意味があったと考えます。
あの、ラストアスカ台詞が「よかった」と言えるのは、
そこにどんな意味が込められているからなのでしょう。
僕は、何という救いのないエンディングだ・・・と思ってしまった。
教えてくださーい。
 ただ、ラストアスカの首を絞めようとしたシンジの頬をアスカがなでる。アスカ
が生きていることが判りシンジは涙を流す。何故かは判らない。独りでない、という
ことかもしれない。最後の「気持ち悪い」の一言が「アスカアスカである」ことを
物語っているのことに救われた気はする。
 私はシンジアスカの中に入ろうとしたのだと思います。
 しかしアスカATフィールドはそれを拒む。されどアスカシンジの頬を
 撫でることで、わずかながらの意志表示を示す。それにシンジは涙するも、
 アスカはそれに対して一言。「気持ち悪い」と。
 アスカが、シンジ罵倒し、拒絶し、否定する、その言動の端々から、アスカシンジに対する強烈なまでの「想い(愛・・・はやめとこ(^^;)」がにじみ出
ているような気がして、なんだかジーンと来るのです(←ヤバイかも(笑))。
そう思えば、物議を醸しだしているあのラストにも、一筋の光明が射し込んで見
えるから不思議なものですね~(←確実にヤバイかも(T-T))。
なんだか、見終わった後で妙にさめている自分を感じてます。
アスカの最後のシーン、最後の言葉、それがそのまま感想のひと、
結構いたりして……
  あれが二人の愛情表現だったらすっごく恐い・・・。アスカは「一緒に死んで
ちょうだい」ってことで母親に首を絞められた事があるみたいだから、自分を愛
してくれる者が首絞めてくれるのは気持ち良いことなのかとか、思ったりもして。
まさに命懸けのSMだな。
  って、ことは初号機が3号機(バルディエル)の首絞めたのも愛情表現(シンジ
×トウジ)な訳で、首が落ちたカヲルなんかはもう、最高に愛されてたのかな。

  で、ラストアスカの首を絞めるシンジが鳴咽し、アスカが「気持ち悪い」の
は、そういう歪んだ愛情表現を憂いての事なのかなぁと。
 ラストの「気持ち悪い」は、私の場合は
「アンタなんかに触られて汚らわしくて気持ち悪い」と「首締められて気持ち
悪い」程度しか思い付きませんでした。
深手を負った状態で気絶していたのに首まで締められたら当然、気持ち悪くなる
アスカの最後のセリフは、自分自身に対してなのかと思うの
ですが...アスカが嫌いなシンジの頬を優しくなでている行為(矛盾し
た行為)がそう思わせたのですが...
 うまく言えないけれど,とても嬉しかった。あのラストシンジアスカ
も,そしておそらく庵野監督も「こっちの世界」(ってどこ?(^^;))に還っ
てきたと思いました。それが無性に嬉しかった。
最後のアスカセリフで、シンジアスカ人間として認めあえるんじゃない
かな?という気になりました。少なくともこれまでとは一つ違ったステージに
進めたのでは?と思います。すごく暗ーい感じで終わったけど、大団円ではあ
ると思います。
 もっと救いのある,後味のいいエンディングを作ろうと思えば作れたと思い
ます。それでもああいう終わり方を選んだところに,わたしは庵野監督なり
の「誠実さ」と「正直さ」を感じました。わたしの「よかった」はそういう意
味です。(でも「好き」にはなれません(笑)
ラストで描かれた少しの「前進」、その程度の変化ならば、
ちょっと心の持ち方を変えるだけで十分な気がするのです。
あんな経験をした後で、普通なら生きていてくれてよかったって、レイが
生きてた時のように泣いてるところだと思うのですが、どうしてほんとに
首を絞めたんでしょうね。
僕は、ニーチェが言ったように、この世はただ繰り返す、楽しいことも苦しいことも
含めて。でもそれを勇気を持って受け入れることが、人間の生きる道なんだっていう
ことを言いたかったのかなって思いました。

2009-07-01

貴方いい人なんだから、次があるよ!」などと言われましても。

 

3年ほど付き合ってた彼女と先日別れた。

それまでは『彼女いない歴=年齢』を、20ウン年こじらせた結果の初恋愛だったんで、そりゃショックも大きかったさ。

 

んで。失恋して。

貴方いい人なんだから、次があるよ!」

などと、いろんな人が慰めてくれたワケですが。

(いい人っていうのは、性格的な意味合いね。わたしゃ見た目はあまり宜しくない。)

 

いや。

うん。

そうなんだろうけどさ。

 

自分でも、自分をすげぇ根性曲がってる性悪だとは思わない。

だけど当然、聖人ほど出来た人物でもない。

自ら言うのもなんだけど「極々普通善良な市民レベル

 

ぶっちゃけ、このレベルでの性格がいい人っていうのは……

それこそ街中で石なげたらぶつかるくらい、普通にそこら辺にいるわけよ。

コレ、全然ウリにならない。

 

性格がいいっていうのは、あくまで基本条件なんだよなぁ。

それ以外の魅力を、プラスアルファで加えていかにゃ~この先どうにもならんのだろうけど。

元々がベテラン非モテだった自分には、一体どこから手を付けて行けばいいのやら皆目見当が付かない。

2009-06-29

http://anond.hatelabo.jp/20090629130551

うーん、一昔前の方が「親=聖人君子であるべき」的価値観が多かったと思うけどな。

へー、そうか。俺の感覚が少し古いままなのかな。

最近その風潮が弱まってるなら、それはそれでいいけど。

2009-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20090528184408

Yes!

お前に分からせるために書いてるんだよ。

俺、お前のこと大嫌いだからさ。

ふざけんなよ。調子乗ってんじゃねーぞ。

いつも聖人ぶって偉そうに当然のごとく上から話しやがって。

2009-05-22

ミスった

今まで言葉がきつい先輩にどやされていた後輩。その間にボクが入ることになり、客先に参画したのだった。

次第に柔らかくなっていく先輩と後輩。

しかし今日ボクは後輩を抱えた状態でミスをした。

しかも体調が悪くて無愛想だった。

言い訳だ。分かっている。だが止め得ぬ愚痴が零れることは已む無いのでどうか許してほしい。

ミスった今日。急に後輩が失望したような態度になった。

(よほど期待していたのか?)

だが後輩だって3年目。人に寄りかかってわがままいうもんじゃないだろ。

聖人君子でも求めたか。

くそ

自分のふがいなさがくやしい。

2009-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20090520020718

http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-023.htm

 

その昔、聖天子として聞こえの高かった堯が、

華の地方に巡幸されたときのことである。

その地の関守役人がうやうやしく堯の前にまかりいで、

挨拶を申し上げた。

 

「おお聖人さまよ。謹んで聖人さまの将来をお祝し致します。

 まずはあなた様の御寿命の幾久しくあられますように。」

 

「いやいや。」

 

堯は思慮深げに微笑みをたたえながら答えた。

 

「わしは寿命を望もうなどとは思わぬものじゃ。」

 

「ならばあなた様の御富のますます豊かにあられますように。」

 

「いやいや、わしは富を増やそうなどと夢考えてはおらぬのじゃ。」

 

「なればあなた様の男の御子たちが、

 いよいよ数多くあられますように。」

 

「いやいや、それもわしの望まぬことじゃ。」

「はてさて。」

 

関守役人はいぶかしげに堯の顔をうちみやりながら訊きかえした。

 

寿命と富と男子の多いことは、

 誰でもの望むことでござりましょうに、

 あなた様だけがそれをお望みなさらぬとは、

 なんとしたことでござりましょう。」

 

「さればさ、男子が多くあれば、

 中には不出来の者も出てきおって、かえって心配の種になる。

 富めば富むで余計の仕事が増えようし、

 寿ければ、辱を残さねばならぬような羽目に

 遭うことも多くなろうというものじゃ(寿ければ則ち辱多し)。

 この三事、いずれも我が身の徳を養うには

 無用のものといわねばならぬわい。」

 

それを聞く関守役人の目にはありありと失望・軽侮のいろが現れた。

彼は堯に聞こえよがしにこう呟いた。

 

「ちぇっ、やくたいもない。堯は聖人と聞き及んでいたのに、

 今の言い草じゃ、たかだか君子くらいの値打ちしかない男と知れた。

 子供が多くともそれぞれに分相応の仕事を授けてやれば、

 何の心配もあるまいし、

 富が殖えたら殖えたで人に分け与えてやるならば、何の面倒もあるまいに。

 本当の聖人というものは、鶉のように棲み処を選ばず、

 ひなどりのように無心で食らい、鳥の飛んで跡なきがごと

 自由自在であるべきもの、世間がまともであれば、

 皆人とともにその昌えを楽しむがよし、

 まともでなければ、我が身の徳を修めて隠遁するもよし、

 千年もの長生きをして世間がいやになったその時は、

 仙人となってかの白雲にうちのり上帝の郷に遊ぶもよい。

 病・老・死の三患に煩わされることなく、身は常に殃なしとすれば、

 寿くともなんで辱の多いことがあろうものか。」

 

こう言い捨てて関守は踵をかえした。

見事に虚をつかれた形の堯は、ハッと気を取りなおして後を追いかけ、

 

「待たれい。今しばしお手前の話を承わろうではないか。」

 

と声をかけたが、かの人は、

 

「えい、うるさいわえ。」

 

と一喝したまま後を振り返りもせずに、どこともなく姿を消した。

2009-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20090507220910

自分は誰からも求められない。求められることはない。」という現実

それ、現実じゃない。実際には、人はデフォルトで他人に多少の興味は持ってる。知り合ってうまくコミュニケーションすればかなり興味を持ってくれる。

ただし、「たいていの場合、自分より自分に関心を持つ人間はいない」。これが現実

この、「そもそもたいていの人は自分自分ほどの興味を持たない」という認識から出発すればむしろ気は楽。

で、それは仕方のないことだけれど、じゃあ、どうすればそういう人たちから関心を持ってもらえるのか、承認してもらえるのかを考えて行動してくのが建設的。

自分以上に自分のことを愛してほしいと願っても、相手が聖人でもない限りまず成就しないので、これを普通の人々に対して熱望するのは破滅への道まっしぐら

2009-05-01

http://anond.hatelabo.jp/20090430154116

苦労せず与えられた地位から下を見、自分では大した事をしていないにも拘らず偉そうに見栄を張る。

俺は、聖人とまでは行かないが決して人を見下したり等はしない。

 いや、充分見下してるだろ。女子高校生的に考えて。

2009-04-30

死死死

おかしい。どうして皆はこんなにも楽しそうなんだ。どうして俺よりも充実した生活を送っているんだ。衣、食、住、学業趣味、娯楽・・・。全ての面で俺は劣っているではないか。

それだけならまだいい。どうして皆はこんなにも俺の事を蔑み馬鹿にするのだろうか。苦労せず与えられた地位から下を見、自分では大した事をしていないにも拘らず偉そうに見栄を張る。馬鹿馬鹿しい。それに連鎖して俺の人脈が、財産が、全てが無くなるのも悔しい。殺してしまいたい。皆殺しにしてしまいたい。犯罪はしないけどもさ。今までの怒り、この方法か自傷でしか解消できない。

何故だ。

俺は、聖人とまでは行かないが決して人を見下したり等はしない。生きるのに必須である衣に関わる貧困に喘ぐ人達の苦労に対しても少しでも力になればと募金をしてるし、食に関わる屠殺においても日々罪のない命を殺している事に罪悪感とありがたみを感じているし、住に関してもただ屋根があり物置があり寝床があるだけで既に満足している。

なのに何故だ。どうして皆は俺に対してこんなにも危害を加える?

性善説――人が人に対して必ず善であるという説。俺はこれには当てはまらないだろう。この殺意が根拠だ。そして、それらの原因である皆、こいつらにも性善説は当てはまらない。前述した俺に危害を加える事が根拠だ。これで性善説は俺の中で完全に否定された。

殺してしまいたい。常識のない奴らは皆居なくなればいい。そして、僅かな希望でしかないが消去法で残った人々が俺の中の性善説をいつか肯定に証明してくれる事を信じたい。

http://anond.hatelabo.jp/20090429214409

2009-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20090425141330

仕事上のコミュニケーション力に絞って考えてみたよ。

会社内の業務上でのコミュニケーションって、上司、同僚、部下、とあるけど、分けて考えていくよ。

上司とのコミュニケーション

上司のオーダーに対して期待以上の成果を挙げれば評価が上がる。

その為には上司が求めているものがなんなのか、的確に把握しなければならない。

ここでよく間違えるのは上司が正解を持っていて、正解を持っていけば評価されると考えること。

まずは上司も正解なんかわからずに仕事をオーダーしている、

なんとなくこんな成果に繋がるといいなあ、と思っている場合がほとんどだと認識すること。

なので、正解に繋がる仕事よりも正解に至る過程や仮説を複数提示するのがコミュニケーションポイント

また、いいタイミングを見極めて仕事の途中でチェックやアドバイスをもらうのもいい。

流れでいうと、

仕事を受ける→複数の仮説を立てて、提案をまとめる→上司にチェックを受け、アドバイスをもらう

アドバイスを含んで提案を絞り精度を上げる→上司にチェックを受け、アドバイスをもらう

→さらに精度を上げて仕事完成

こんなイメージか。

リア充の人はコミュニケーション力が高く、上司をうまく使う。言いたい事を言わせる。

言われたこともうまく受け止める。いわれてないことも「空気を呼んで察知」して、仕事に反映する。

なので出来上がった成果も上司に認められやすくなる。

上司タイプを見分けるのも重要。細かくチェックしたがる人には細かく見せる。

結果だけもってこいという人にはここぞという時だけチェックを受ける。

部下である事をわきまえ、上司にとって価値のある部下となるべくフォロワーシップを発揮すること。

同僚とのコミュニケーション仕事につながりがある場合)

まずお互いに領域を決めておくこと。

一緒にアイデア出しをするのか、分担するのか、などなど。

上司と違って同僚にはポジションパワーがないので、かえって難しい。

公平になるように配慮しなければならない。決してライバル視したり競争相手だと見ないこと。

うまく得意なことが違っていれば補い合うことが出来るけど、

苦手なことが同じだったりすると、辛い。でも協力してやるしかない。

同僚と一緒に仕事をする時はどんな相手でもリスペクトして、よいところをみる事をお勧めする。

ダメなところを見つけて優越感に浸っていてもいい仕事には繋がらない。

仕事の成果が出るようにすることが大切。

昼ごはんを食べる、飲みに行くなどのコミュニケーションも良い。

そのときは、相手の話を聞くことが最も重要

自慢話でも愚痴でも、何でも聞こう。自分の話をするよりもまず聞くこと。その為にはどんどん質問しよう。

そして、聞いたことから相手がどんな仕事の仕方がすきなのかを想定して

自分仕事と相手の仕事を分けていく。

相手が使えないやつでも文句はいわない。補って支えて一緒に成果を出せばよい。

こういうところは不思議なもので大抵上にいる人間にはわかるものだから、

必要以上にオレオレアピールをしなくてもよい。

さりげなく質問されたら意見を言うなどの立ち居地でデキルやつかどうかはわかるもの。

同僚(仕事のつながりが薄い場合)

とにかく顔をつないでおく。

いつどこで一緒に仕事をするかわからないので、無関心ではいない事を示すこと。

宴会イベントにはこまめに出席。ここでもポイントは人の話しを聞くこと。

自分の顔を売る事よりも人の顔をおぼえておくことのほうが価値がある。

部下、後輩とのコミュニケーション

とにかく関心を持つこと。放置しない。構ってやる。助けてやる。

出来の悪いところには目をつぶり、いいところをのばす。

話を聞いてやる。勘違いしてるな、と思ったら軽く諭す。

本気でだめなやつなら上司が何とかするので、さりげなく上司に報告しておくのもよい。

まとめ

ということで、会社内のコミュニケーションとは案外シンプルなもの。

職位による力関係も明確で、やらなければならないことも決まってる。

勘違いしないでもらいたいのだが、会社に正直で誠実な奇麗事の人間関係を求めないこと。

会社聖人の集うところではない。ごった煮である。

ごった煮の中で、自分の役割はなんなのかを見極めるのも重要

肉なのか大根なのかにんじんなのか。はたまた薬味のねぎなのか。

これだけのコミュニケーション力があってもそこそこにも出世しないとしたら、

仕事上での能力が不足しているか、よっぽど会社がだめかどっちかなんじゃないかな。

ちなみに、能力がなくてもコミュニケーション力があるとマネージメント系では生きていけると思うよ。

番外・リア充の人たちはコミュニケーション力が高い

努力してたり自然に出来たりいろいろだけど、リア充コミュニケーション力が高いよ。

個人的にはプライベートでは非コミュ・非リア充で構わないと思っているけれど、

仕事の上でだけは多少の努力をして会社というコミュニティで充実して過ごせるといいよなと思う。

仕事拘束時間ってそれなりに長いし、一般的に大企業なら転職するより勤め上げて退職金もらったほうが

生涯年収も多いからね。

2009-04-02

誕生日の前はうつ

…というのを高校のころから続けているわけだが。

毎年誕生日の前の数日、生まれてきたことが本当に辛くなるようで、

毎年この時期1度は空元気が切れてはスイッチが入ったように朝までぐずっている。

自分にはFランでも大卒の弟1(家業の跡取り)と今国立院生の弟2がいる。

幼いころ仕事の忙しい父とは滅多に遊んでもらえず、母親中心の育児を受けていた。

厳しく、そして本人は三女で下に長男という構成の姉弟関係に生まれた母には長子の気持ちなど理解できない部分が多いようで、

どちらかといえば男男女の一番上の父ならそれなりのシンパシーを感じられるのは父だが

母が嫁いだ時点ですでに病んでいた叔父(後述)の病理を一切説明していなかったらしい等が後ろめたかったのか

聞くべき愚痴すらもまだ小学校の高学年くらいだった娘に父は丸投げしていた。

わたしは母にとって「娘」で有り「弟たちの姉」で有り「家族愚痴などを話す為の夫」だった。

流石に耐えきれなくなった時、父に「お父さんが聞けばいいことまでわたしが聞いている」と泣いたら

「娘一人なんだから聞いてあげなさい」と返されてわたしは一体何なのか解らなくなった。

母が怖かった。

集団生活が怖かった。

鬱屈していた。

無気力だった。

多分行き遅れて居候し続けていた大叔母や

精神を病んで居て入退院を繰り返し居候していた行動が予測できず恐ろしい叔父に

母は子供らを関わらせたくないと必死だったのは解らなくはないし、

子供らがならないようにしたいと思ってたのも解ってる。

人との関わり方も苦手で「苛められっ子」だったと自称するのは実に馬鹿げていてみじめなものだが

自分という人間カテゴライズされると「苛められっこ」だったのは否定できない。

苛められたとき、「こなくそ!」と反抗的になるのには幾つかパターンがあって、

わかりやすいのは反抗を反抗で示すパターンでだと思う。

ならわたしの場合はどうだったのかといえば

「苛められるならならば自ら「苛められっこ」になってやる」

といった後ろ向きな反抗をしていた。

反抗することで更にいじめられるよりも、

いじめられっ子というポジションを維持することで何とか自分を保っていた。

他人との関わり合いが凄く苦手で、苛められっこを演じることで

「疎ましがられる者」というポジションを得て、それからどうかしようという余力が無かった。

居場所がないことより「疎ましい存在」という位置づけでも居場所を得たかったんだといまだとそう思う。

今となってはそのころに演じすぎた「苛められっ子」の意識が抜けきれず、

「どれが一体自分なのか」「自分は一体どういう人間だったのか」それがほとんど思い出せないし、どうしたらいいのか解らない。

母には「一番上でしょう」と言われ

父には「お母さんの話を聞いてやれ」と言われ

弟たちには軽蔑され

学校ではただでさえ少ない友達にも話せる内容でもなく

教師にはただただ失望感を覚え

学校という施設は地獄のようで

それでも休ませて貰えることはなく

泣くことも一人でしか出来ず

笑うのも叫ぶのも億劫

自意識だけは過剰なのに何も出来ない自分も感じていた。

社会からドロップアウトしてうつを患いパニック障害も併発し

大学では付きまといに遭いストレスで通えなくなり

最終学歴高卒になってしまったコンプレックスの塊の自分

親は多分何も期待してないというのはもう何年も前から自覚していて、

おまけに不倫ばかりをし続けた挙句50近くまで居候し続け、結局死ぬまで独身だった大叔母のことや

長女だということもあって追い出しがかかってこのところ結婚しろ結婚しろとうるさい。

結婚はしたい気もする。でも相手はいない。

仮に夫になるかもしれない人が出来たとしても、こんな自分を受け入れてもらう自信がない。

自分に自信がない。

せめて自分子供(いつできるのか・作るのかどうかは解らないが)が出来たなら一番上の子に

「お兄ちゃんだから」「お姉ちゃんでしょ」というような言葉は言わないようにしたい。

それが元で歪ませたり折らせたりするのが厭だ。

ここまで書いてきてこんな自分よりも大変な人など幾らでも居るだろうに

自分が可哀想」というのか「自分が辛く感じている」と思うことが厭で仕方ない。

そう思うことすら、優越感の表れなんだろうか。

自分が何をしたくて何ができてどう考えてるのかどうしたいのかどうすればいいのかわからない。

とりあえず発作を鎮める薬は飲んで今はちょっとだけ楽になってはいる。

よくこういうことを言うとさ自分がそこから出る努力しろとか環境を変える努力をしろとか

それ系のことを言われるんだけど、そういう努力する気力すら沸かせる事が出来ないのが一番つらいのに、

そういうことを言う人はいとも簡単にぽっと言ってしまうけど、無責任言葉だなぁと感じるよ。

だから人と話しているときにそういうことを言わないようにしてる。

人様の悩みや苦しみなんかを聞いて聖人面してどうこういったり

人の言動を断罪するようなそういう資格なんて多分ないのだから

そういう行動をしている自分俯瞰しては自己嫌悪する、そういうのやだなぁ。

2009-02-16

それで、結局、ガンダムダブルオーはどんな話なんですか?

とりあえず放送は見ているという中学生の甥に聞かれたので、説明してみた。

 

ファーストシーズンでは、

ソレスタルビーイングのような存在は、果たして正義なのか」

という問いかけで始まり、

政治的なパワーバランスや、エネルギー問題、テロといった、

要素を織り交ぜ、「来るべき対話」という壮大なプランをチラつかせながら、進行した。

しかし、ソレスタルビーイングの軍事介入行動が、

最終的には、登場人物たちの「個人的な戦い」に矮小化されてしまい、

ソレスタルビーイングが、内部的にも外部的にも孤立化し、崩壊するという結末を迎えた。

 

セカンドシーズンでは、

アロウズという、明らかな悪役を配置することで、

新生ソレスタルビーイング存在意義を引き立たせている。

確かな悪役の登場によって、ソレスタルビーイングは内部的にも外部的にも

孤立するということがなくなった。

 

そういうわけで、

1st で「個人的な戦い」の末に瓦解したソレスタルビーイングが、

2nd では、登場人物たちがそれぞれの「個人的な事情」を超越し、物語のフィナーレを迎える話・・・

なのかと思ったら、やはり、「個人的な事情」が優先されてしまうらしい。

これは一話ごとに山場をつくらないといけない制作の都合なんだろうか。

ミスター・ブシドーは、ストーリー的にいらない子

 

視点を変えて、主人公としての刹那を見ていくと、

2nd では回を重ねるごとに聖人化していく様子が面白い。

1st は「刹那が“ガンダム”になれなかった話」

2nd は「刹那が“ガンダム”になる話」

と捉えることもできる。

もう刹那は確認するように「俺が“ガンダム”だ」と言う必要はない。

そんなこんなで、

2nd で聖人化してしまった刹那が 1st のときにいた「悩める勇者」の位置に収まったのが沙慈、

「悩める勇者」の位置に収まった沙慈が 1st のときにいた「傍観者」の位置に収まったのがマリナ・イスマイール

となっている。

 

1st で色濃かったイオリア計画は、2nd ではイノベイターたちの影に隠れていてしまっているが、

今後、物語の中で回収されるはずである。

というか、 2nd では、ガンダムダブルオーセントラルクエスチョンである「イオリア計画の行方」を意図的に隠しているように見える。

 

というわけで、今後は、「聖人化する刹那」と「隠されたイオリア計画の行方」という俯瞰視点で、

放送を見ていくと面白いと思う。

 

(後述)

ブコメを見ながら、

ミスター・ブシドーの人気に不本意ながら嫉妬してたわけだが、(べ、別にマスラオでトランザムして耐えられず吐血するブシドー様イカスっ!なんて思ってないんだからね!)

「姫様一期もテレビ見てただけなのに」

については補記したい。

マリナ・イスマイールは 1st では、一国の王女として立ち回ろうと努力し、

打ち砕かれるのであって、「傍観者」ではなかったのですよ。

2nd では、打ち砕かれた状態から始まっているだけあって、

消極的に非暴力の道を選び、

まきこまれるだけの「傍観者」の位置に収まっているのであります。

一瞬、「超時空亡国王女」になりかけたけど。

あれ、なんだったんだろうね?

2009-01-25

不満をバネにする

昨日も友達と話してたんだけど、聖人でもない限り誰でも殺したいくらい嫌いな人の一人や二人はいるんだよね。

どうせそういった怒りの火種はなくならない。殺すわけにはいかないし、逃げたら逃げたでその先でまた嫌な人が現れたりしてね。

嫌な上司報復できないくやしさをバネに、俺はこれまでキャリアアップしようと努力してきた。

.

ところが、先日何気ない会話の流れでその話をしたら、「マイナスの感情で努力しても幸せになれないよ」と言われた。

俺のやってきたことは間違ってたんだろうかと、その日は考え込んでしまった。

http://anond.hatelabo.jp/20090125013240

>そのときに自分価値観が揺るがない誰にでも説明できるものにしておかないと、すり合わせがうまくいかなず

そんな風な恋愛なんて聞いたことないが

価値観が揺るがない聖人君子にならんと恋愛ができない?

ありえない

ついでに言えば自分運命の人だと思っても相手は違うということもある

大いにある

悲しいことだが

2009-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20090123155434

それを言われたからといってそういう文句を発することができるんですか?と。別に聖人君子になれとは言わないが、あなた方にもそういう面で拠ってたつものがあるんじゃないか?と。

2009-01-09

イスラエルがかわいそうになってきたよ

機械化した軍隊市民が住む街を責め立てている国にかわいそうもへったくれもないもんだが。かつて「エイリアン2」を見た女子大生が「エイリアンマザーがかわいそう」って言ったらしいわ。

ちょっとばかし昔の、ほんのひとときの中東和平時代のイスラエルを知っているので、少し落ち着いたら何か書こうと思っていたのだが、勧善懲悪ブログが目にはいって泣けてきたわ。イスラエルパレスチナ問題の難しいところは、中東和平時代、イスラエルの穏健派が国内世論を説き伏せて宥和政策をとったにもかかわらず、暴力が無くならなかったってことにある。穏健派は国内に対する面目丸つぶれ。そのうち、穏健派が頼っていたラビンが、こともあろうにイスラエル人に暗殺されてしまった。ラビン戦争の英雄でイスラエル人から尊敬されていたから「ラビンが言うなら、譲歩するか」と言っていた対パレスチナ強行派を抑えられなくなった。イスラエルの穏健派としては、なんとしてもパレスチナ側の英雄アラファトパレスチナを軟着陸させてもらいたかったが、アラファトパレスチナを穏健化出来ないまま黄泉路に発ってしまった。

ところで、他国から終わらない暴力国民にふるわれ続けたらどうする。

長く続く相互暴力ってのは、話し合いで終わらせるのが難しい。どちらも「俺の親父は奴らに殺された」「私の子供はあいつらに殺された」なんて国民を山ほど抱えている。どちらも、相手から理不尽暴力を受けていると思っている。終わらせるなら、双方が歯を食いしばって怒りを飲み込むしかない。両方を満足させるなんて出来ない。両方を泣き寝入りさせることができるだけだ。

結局、中東和平は水に流れた。両国トップの思惑ははずれて、パレスチナ側の憎悪を抑えることが出来なかった。それでパレスチナを責められるかというと、俺はそんなに潔白な人間じゃねーよ。たいていの小競り合いは些細なことがきっかけだったろうし。ただ言えるのは、パレスチナは無垢で無力な被害者なんかじゃなく、暴力をふるう当事者の立場を降りなかったってこと。

http://d.hatena.ne.jp/m_debugger/20090108/1231411955

物事を簡単に断じることのできる頭の悪い奴にとって、戦争なんて簡単なことだ。そいつが嫌いな方が悪い。パレスチナロケット弾攻撃を加えたのが引き金になったとしても、「そんなのカンケーネー」で終わり。こいつのブログ読んでると、パレスチナ聖人君子の集まりみたいだな。イスラエルに撃ち込まれたロケット弾ってのは、あれは空から勝手に降ってきた天変地異かなにかなのか?

ハマス政治指導者のひとりであるニザール・ラヤンは、7人の子どもを含む家族もろともイスラエル軍に殺された。政治家暗殺されても政治は傷つかないというのは素敵なアイディアだ。このアイディア採用すれば、ジャーナリストが殺されても言論の自由は不滅です。

本当に、頭の悪い奴はうらやましい。こんな歪曲、おれだったら恥ずかしくて赤面モノだ。ハマス政治の柱の一つは戦闘だろうが、同志が死ねば殉教者になり、かつ国外からの支持を取り付けられる。政治の中でも憎悪と戦闘をあおる種類は特殊なんだよ。ジャーナリストを対外武装対決を叫ぶ政治組織の比喩に使うって、どんな神経だ?

記事を読んでいくと、「イスラムと非イスラムといった文明間対立」というフレーズが出てきてびっくり。文明国際法を守ろうとする近代文明)と非文明国際法スルーする未開)との戦いだと思ってたよ。

えーっと、パレスチナをこれほど高潔に持ち上げる奴が居るとは、思いも付かなかった。ハマスに殺されたイスラエル人の命はスルーなんだな。てか、こいつも本当はバカでも偏ってるわけでもないんだろうけど。単にイスラエル人の方がたくさん死んだらハマス憎しになるんだろうな。

イスラエル軍にとっては救急車も攻撃対象だ。「ハマス活動家が寄れば"テロ施設"とみなされる」のではなく、無差別攻撃正当化するためにハマス存在言い訳にしているだけなのである。

意味のない言葉遊びだなぁ、おい。ハマスって、軍事施設に絞った攻撃をしていたか?ハマスのはよい無差別攻撃イスラエルのは悪い無差別攻撃か?

「和平」はニュースピーク。オスロ合意というのは、イスラエルの入植地建設承認し、ファタハに金権力を独占させて「占領軍への協力者」(エドワード・サイード)にするためのもので、実態は「一片のチーズのように、穴だらけでほとんど中身のないもの」(イツハク・ラビン)だった。

ここから続くAll or nothing論法もすさまじいな。「完全譲歩しなかったイスラエルが悪人。パレスチナ/ハマスの言うことは全部聞け。段階的譲歩も許さない。結果として起きるすべての災厄はイスラエル責任がある」。どこのスポークスマンなんだお前は。

そろそろ寝るわ。最初に書いたが、長い時間継続している紛争の当事者に完全な正義も完全な悪もいない。イスラエルに居るおれの友達は、西岸地域の近くに家を買ったが、ようやく歩くようになった娘を抱いて国境付近を眺めながら「彼らには、もっと自治を与えるべきだと思うんだ」と言っていた。ハマスだって教義に乗っ取り市民の救済や児童の教育を行っている。パレスチナに無辜の市民が居ることを以てパレスチナ被害者と呼ぶならば、イスラエルに無辜の市民が居ることも見ろ。

なんにせよ早く戦闘が終わることを祈っている。この紛争は当事者だけじゃ絶対に終わらせられない。仲介者が必要だ。サルコジにその手腕があるかどうかはわからないが、この際、彼が粘り強く双方と交渉を続け、双方に銃を置かせることに成功することを祈るばかりだ。

2009-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20081230194013

元増田だけど、またお返事を。

id:fuji_hajime

障害者天使のような心を持って健常者と同じようなことができるようになるまでがんばらなくちゃならん的な一見すると差別に見えない差別感情持ってるんだろうな、コイツ

単純に人間は誰しも向上心を持ち努力しなきゃいけない、とは思ってる。

(さすがに鬱の人に向かって努力しろとは言わないが)

障害者天使云々は思った事もない。

たとえば24時間テレビでやってそうな、健常者にとっても難易度の高いチャレンジ障害者が挑んで感動、素晴らしい!みたいのは、

そりゃ単純にすごいとは思うが、どーでもいい。

俺は単純に、人はメシを食わなきゃ生きてけない。だから、どうやって何でメシを食うのか?を問題の根本に置いてる。

だから、妹が障害者になる前から、就職の足がかりになりそうなことをしてなかったから、

少しでもスキルアップになればと、うちで雇えないかとは考えていた。

障害者になってからは、親がいるうちは親がメシを食わせてくれるかもしれないけど、親が死んだらどうするの?

そして、親が死ぬまで仕事を覚えずに介護され続ける人生を送るのか?となると、

それより出来る範囲でスキルアップして、たとえ小銭でも稼げるようになった方がいいと思う。

id:klon

もとニートだったってあたりがかなり厳しいと感じる。うちも障害者たくさん抱えてるが、最終的には本人のやる気次第なんだよね。

妹に確認したら、HP作る気があるみたいだったから安心した。

うまいこと彼女のやる気を育ててあげたい。

id:DameKinoko

この「不安で追い詰められた感じ」はとてもよくわかる。幸い時間的な余裕はありそうなので美味しいものを食べてゆっくりと年を越して欲しいな

ありがとう

デパートで買ってきた奴だけど、うまいおせち食ったぜ!

id:hosigaokakirari

すごく良いお兄ちゃん。でも続きの「俺が妹の下の世話をするわけにもいかんだろう。」が腑に落ちなかったー。何で?

ありがとう

トイレの世話とかする必要が出てきたら、妹からしたら、いくら兄貴でも男に下半身触られるのイヤじゃね?

俺なら第三者にやってもらった方が気が楽ってこと。

id:ttkk

ニートだったのが悪いと言うより、障害基礎年金が少なすぎると思うんだけど、就業年齢前に障害負った人も同額だし

たしかに学生の時に障害負ったらそうだよな。

id:yasushiito

俺と一緒の病気かな?でも、俺原因わかってるもんな。ニートだろうが聖人君子だろうが、病気はなるときはなるし、意外と確率は高いよ。まずはニートという属性と切り離して考えないと。そして公的機関に相談だ。

ごめん、病名は伏せさせてくれ。

もしその病名で相談してる奴をネットで見かけたら、先輩としてアドバイスをもらえると助かる。

id:ckis

ちょっと兄ちゃんかっこよすぎ。余り肩に力入れないで。降ってくる時は誰も予想だにしてないって事、あったよ。妹がWebでもWebじゃなくても一人で魚が取れるようになるのを、妹も増田も良い相手に恵まれる事を祈る。

熱くなるとすぐ暴走するんで(汗)。

いろいろ、ありがとう。無理せず頑張ってくよ。

障害者は養わなければならないか?

http://d.hatena.ne.jp/ngsw/20081231

俺の読解力がないせいか、悪いがid:ngswが何をいいたいのかいまいち判らない。

障害者の姉を持っているそうで、俺にとって「障害者家族」の先輩だ。

姉貴さんもだが、id:ngswもいろいろ周囲の無理解や無遠慮、そして「差別」と闘ってきたんだと思う。

その先輩に対して、俺の今回のエントリ不快だったとしたら、それは申し訳ない。

(前のブクマへのレスでも謝罪させてもらった)

俺は妹から何かしらの機会を奪うつもりはない。

上にも書いたが、足が悪くなる前から、そもそも妹の就職がうまくいってないので、助けられればと思っていたし、

足が悪くなった今、パソコンスキル重要性はますます上がったわけだ。

現状体力的な問題もあるので、今すぐというわけにはいかないが、

妹もその意志があるので、彼女パソコンを使えるようになるよう、サポートしていく。

目標は在宅で、妹がデータ入力でもHP制作でも、仕事ができるようになることだ。

障害者は養わなければならないか?」というタイトルは反語として使っているのだろうが、

俺もNOと言っているわけだ。

>家族勝手責任を背負ってしまい、

これは多少当てはまってるかも知れないが、

>障害を持った人々を座敷牢的に自宅に閉じこめてしまうのだ。

まったくもって反対だ。

水泳の話、リアリティがあっていい。

「リアリティ」といっても、嘘だと思ってるわけではなくて、

障害者」という偏見にに惑わされずに、リスク管理を行っているという意味でだ。

妹もこれから世間の偏見の眼と闘うことになるだろうから、何かの時に俺が前へ出られるように、この話を覚えておきたい。

>また、もしも妹さんが働かないことを選択したからといって、元増田が養う必要もないのだ。障害者がどうこう、足のあるなしがどうこうではない問題だ。

妹にのたれ死ねと?

まあ親の遺産を食いつぶしていくのも人生だろう。食いつぶしたら終わりだが。

俺は最悪妹が働く意志をなくして俺を頼ってきたら、俺が食わせなきゃいけないと思っている。

それは妹の障害がどうこうじゃなく、彼女が俺の妹だからだ。

そういうもんじゃないのか、家族って?

「魚をあげるより、釣りの仕方を」って、ほんとにいい言葉ですね。(お返事)

http://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20081231/1230669464

>匿名ダイアリーは、鏡みたいなものだと思う。もし「元気玉」として機能したのなら、それはそういう反応を呼び起こす力を元の文章が備えていたんじゃないかなぁ。

ありがとう。後で読み返してみたら恥ずかしくなること間違いなしのエントリだろうけどw

年金については、国民年金払ってたから、そっちで大丈夫みたい。

両親とも俺の仕事には理解してるし、ネットもちょこちょこ使ってるから妹がパソコン仕事するのは大歓迎だった。

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