2008-11-22

学校体罰うけて成長した人、いる?

体罰子供のためになるかならないか」みたいな議論を眺めていて思うんだけど、これ、「自分の受けた体罰自分のためになっているかどうか」って視点で考えてみたらどうだろう。「自分のためになったかどうか」は「いまの子供のためになるかどうか」なんかよりはるかに明確な答えを出せる問題だし、そこから議論を始めても良いんじゃないだろうか。「子供のころ体罰を受けてためになったか自分体罰する」なら一応筋は通るけど(個人的にはそれでも嫌だけど)、「子供のころ体罰を受けたか自分体罰する」じゃ危ない人の論理だよね。「ためになった」にしろ「ならなかった」にしろ、体罰日常茶飯事だった20代か30代以上の世代ならきっとみんな即答できるだろうと思うんだけど、どうかな。

私(1980年生♂)の場合特にためになったことはない気がする。強いて言えば「先生だって聖人君子じゃない」って学んだことが収穫だろうか。叩かれたり殴られたり引き摺られたり投げ飛ばされたり水に沈められたり色々あったけど(これでも私は成績優秀、品行方正で生徒会役員だったりする優等生でした)、たいてい先生勘違いか、そうでなければ単なる連帯責任先生を侮る理由になりこそすれ、敬う理由になることなんてなかった。逆に「この先生のおかげで成長したなあ」と思える先生体罰なんてしなかった人ばかりだったな。そういう先生のお説教には手を出さずとも有無を言わさない説得力があった。「信頼できる先生から体罰なら身に染みるのかも」とも思うんだけど、信頼できる先生って体罰しないんだよね。ということで、少なくとも私の経験から考えれば「体罰=短気で能力のない先生駄々をこねている」という解釈が一番しっくりくる。個人的には「学校での体罰が役に立った」なんて人が本当にいるのか疑問に思ってるくらいなんだけど……学校体罰うけて成長した人、いる?

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