はてなキーワード: 漢字とは
ワイは書字障害/書字表出障害があって、母国語ですらギリだけど、特別に困ったことは無いで。それはPCであらゆることを行う時代に生まれたからやね
(増田だって、みんな手書きで書いちゃいないし、書けない漢字も使ってるでしょ)
強いて言えば、学生時代はノートを取ること・提出することを放棄していて、ワイはめっちゃ顰蹙を買ってたで
ワイの時代にはノートを取って提出しないと、3の評価をつけるアレな教師とかもおったので内申死んでたで
もし、子どもが、書くスピードが極端に遅くて、ノートを取れていないなら、黒板の写真を撮ったり、PCやタブレットを使ってノートを取ることを学校に申請してあげると良いかもね
ワイは、外資にいた(いる)・グローバル対応するのに全然出来んやで。音とスペルが違うからぜんぜん単語が覚えられん
基本的に仕事では下々の者は話すことよりも書くことが主だし、学校でも英語でレポートを書かないといけないこともある
だから、書字障害/書字表出障害用の英語(特に単語)の対策をしてあげると仕事や学校でだいぶ楽になると思うで
英語に対応できる人がいない時はDeepLに頼って返答するけど、やっぱ片言だと伝わるか双方で不安になる
それにいくらネイティブじゃないと言っても限度はあると思う(無能なのに日本人ってだけで何カ国もできる通貨の弱い国の人よりも給与を貰ってすまンゴ)
あと、今時の若者はみんな英語ができるので、どんな仕事に就こうとも、マジで英語は必須。ワイもいつまで仕事あるのやらって思うし、
ここでいう言語化能力は、ライティングの技術ではなく、モヤっとした抽象的な感情や思いを不恰好でも自分の言葉で表現すること
自分が何を考えていて、何に困っていて、具体的にどんな助けが必要なのか?それを不恰好でもいいから、言葉で相手に伝えることができるようになることが、
自分の困りごとを言葉で表現できないと、調べ物もできないし、誰か(行政/医者/身近な人)に助けを求めることもできないんだね
これは運に恵まれていないと致命傷になるかもよ
とりあえず、言葉で感情や考えを表現するには、ある程度の単語力は必要そう。視聴覚障害者は単語を覚えることが難しく、それに伴って言語化が得意でないケースがあるので
ただ、この能力はライティング技術や話術とは別個のスキルなので、読書家である必要はない(例えば、出光の創業者は弱視で本を読まなかったそうだし)
あと、なにより重要なことは、専門家である言語聴覚士などに相談することだよね(専門家に相談する選択肢が元増田ない時点で雑釣りなんだね)
癌という漢字はあったけど今と同じ使われ方はしてなかった。
オランダ(肉も卵も乳製品も摂取)の医学書から日本にがんが伝わり、出島周辺では当てはまる人がいたらしい。
開国し食の西洋化と西洋医学の導入が進むと「不可思議なことに」がん患者が日本にも現れ始め、そこに癌の漢字を当てた。
江戸時代でも徳川家康や伊達政宗のように腹部に岩ができ、皮膚や目が黄色くなったり、激痛を起こして死ぬ人はいたらしいが癌と診断された人はいなかったので別の病気だと考えられる。
9歳になるのだが、どういうわけか漢字を覚えられない。
読めることは読めるのだが、例えば骨という感じの四角いところを左右逆に書いてしまう。
あと球技が極端に苦手で、ボール投げができないことから発達障害ではないかと思っている。
しかし数学がどうやら得意らしく、学年でも上から数えたほうが早いと担任が言っていた。
うーむ。どういう方向に育てるべきだろうか。
おまいら㌧クス。ディスガイアっていうのな。
とりあえず漢字ドリルと公文やらせるわ。ボール投げは動きを分解して教えようと思う。
追記2
長渕剛「オラッショ!セイ!」
自分のミスも原因なのだが、周りの無理解と、どうやって説明するかで頭おかしくなっとる
イライラして、漢字変換が違うとか、音声認識が違うとかでスマホにブチキレてしまう
増田はどうかわからないけど、こうした主張は保守や右派と呼ばれるような人が論じてくることが多い。
しかし私が思うには、こうした日本や日本語を大切に思う勢力こそ、日本語の柔軟さや強かさに気づけていないのではないか。
なぜ彼らは、カタカナ語やカタカナ表記もまた日本語の範疇と考えられないのだろうか。
漢字という表意文字があり、ひらがなとカタカナという役割を分けうる表音文字がある。
アラビア数字もアルファベットにも馴染むし、縦書きでも横書きでも表記しうる。
こんな強い書き言葉は滅多にないだろう。
日本という国が(保守派だったら日本という美しい国が、と書いてもいいところなのかもしれない)、
長い時間をかけて色々な文化を吸収し、それでも、たとえば匈奴や烏丸のように歴史の中で無くなってしまわず、国際社会の中で存在している。
長い時代をかけて日本語表記は例えばセルや魔人ブウみたいにいろんなものを吸収して強かに生き残ってきた。
これに自覚できず、そしてこれを誇りに思えないで、どうして保守を名乗れようか。
勘違いしないで欲しいが、ロジカルライティングやその教育が不要だと言いたいわけではない。
むしろよく使う業界なので、教育できるならやってもらった方が良いと考えている。だが、
(1)言語は文化と密接に関わっているため、他国の教育がそのまま適用できるとは限らない
(2)日本語で必須となる漢字教育などカリキュラム量に大きな差がある
(3)その中での「初等教育の一例」を理由として、文章力の低下の原因とするのは無理がある
と言いたいんだ。そういう帰結をするのなら、小さい頃からロジカルライティングをやっているはずのアメリカで