真っ先に禁止されるのはお前やんけ
オセロはどうなんだろう
シールを貼ると逆に性的強調されてエロくなる問題は、ジェンダーレス水着を参考にすれば解決だよね。
まさに。
男の人たちは
…とか息巻いてたけど。
侵襲的ではあるよね
しゃっぶってくれて構わんよ
女がうっすら好かれてるんじゃないよ
好人物がうっすら好かれるわけ
日本男はキモいホモソ思想差別心善悪の区別がつかない馬鹿げた思考能力を身につけて育つからわざわざ嫌われる存在になってるだけやん
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俺は資産としては中流層ながら両親ともにそこそこ高学歴の家であり、
勉強の大切さ、ウソをつかないこと、ルールを守ること、本をよく読むこと、
そういうことの大切さを教えられながら昆虫と戯れる生活を満喫していた。
父は仕事で忙しくほとんど家を空けていたが、母は専業主婦としてずっと家にいて、俺と姉の世話に追われていた。
今思えば、母も当時の女性としては高学歴の地域の名門大学の学士持ち、いろいろ思うところはあったのかもしれない。
小学生だった俺にはそんな母の人生の背景も分からず、説教されては「うっせえババア」などと言い放ってぶたれる、そういう生活を送っていたわけだが。
トランスジェンダーがテレビに出てきて、「おかわいそう」の文脈で報じていたとき。
うちの母はそれを見ながら「どうせ妊娠できないくせにねー」と冷たく軽蔑するように言い放ったのをすごく覚えている。
明るくて教育熱心で家事に熱心に邁進する、主婦らしい主婦だった母が、自分に言い聞かせるように冷淡に言い放った一言、ずっと覚えている。
きっと母も、女性は結婚し妊娠・出産する、という当時の常識に、思うところがあったのだろう。
これが役割だからと割り切って俺ら子供を育てながら、「女だから」であきらめた未来があったのだろう。
そんな女に架される強固な枷も知らずに、キラキラした部分だけしか知らないくせに、「女になりた~い」などと言い放つ、
軽佻浮薄なトランスジェンダーとやらに内心「女のことを何も知らないくせに」と憤っていたんだろうな。
東京の喧騒が静まりかけた夜、都知事選の熱気も冷めやらぬ中、私は取材を受けていた。窓の外では、選挙ポスターの残骸が風に揺れている。その光景を見ながら、私の中で一つの思いが膨らんでいった。
選挙。それは民主主義の心臓部だ。しかし、今回の都知事選を見ていると、その心臓が危うい鼓動を刻んでいるように感じた。有権者たちは、もはや政策を選んでいない。彼らが選んでいるのは、「自分と同じ部族」なのだ。
想像してほしい。あなたが投票所に立っている。目の前には候補者たちの顔が並んでいる。あなたは誰に投票するだろうか?かつては、「この人の政策が私の生活を良くしてくれる」と考えて投票したはずだ。しかし今は違う。「この人は私と同じだ」という感覚で投票する人が増えている。
まるで、政治が巨大な鏡になったかのようだ。有権者は自分の姿を映し出す鏡を探している。そして、その鏡に映る自分の姿が、たとえ歪んでいても、幼稚でも、それを受け入れようとしているのだ。
「自分のようなダメな奴が権力を握ったって、別にいいじゃないか」
人間は、不完全で、時に愚かな存在だ。だからこそ、私たちは常に成長を求めてきた。より良い自分になろうと努力してきた。しかし今、その努力を放棄しようとしている人々を目の当たりにして、私は戦慄を覚える。
そして、この現象は都知事選だけの問題ではない。国政の舞台でも、同じことが起きている。
安倍政権以降、国会は形骸化の一途を辿っている。重要な決定が、国民の代表者たちの議論を経ずに行われる。野党の声は無視され、強行採決が繰り返される。まるで、民主主義の劇場で、一人芝居が演じられているかのようだ。
そして、その劇場の観客席では、人々が無関心を装っている。「どうせ政治なんて…」という諦めの声が聞こえてくる。
しかし、それは危険な諦めだ。民主主義は、市民の参加なしには機能しない。それは、常に私たちに「より良い大人になれ」と要求する、厳しくも愛のある親のようなものだ。
他の政治体制は、市民に「考えるな、従え」と命じる。しかし民主主義だけは違う。「考えろ、議論しろ、そして決めろ」と私たちに求める。そう、民主主義は面倒くさい。だからこそ、嫌われやすい。
しかし、考えてほしい。私たちが今、この「面倒くさい」民主主義を手放したら、その先に待っているのは何だろうか?
暗い部屋で、一人、こんな思いを巡らせていると、急に寒気を覚えた。外は真夏の夜だというのに。
民主主義は今、深い眠りに落ちようとしている。そして、私たちはその眠りを誘う子守唄を、自ら口ずさんでいるのかもしれない。
こんな甘い言葉を、私たちはお互いにかけ合っている。しかし、その甘さの中に、民主主義を溶かす毒が隠されていることに、気づいている人はどれだけいるだろうか。
今、私たちに必要なのは、目覚めることだ。自分自身を、そして社会を、より良いものに変えようとする意志だ。それが、民主主義を救う唯一の道なのだから。