図書館には図書館が担うべき仕事ってものがあってそこを意図的に放棄したからツタヤ図書館は叩かれる対象になった訳で……
いつまで「若い女」なの?
8月遅くに夏休みをとって自室に戻ってから隣に人の気配を感じない
郵便受けのネームプレートがそのままのことを思えば引っ越したわけでもないようだ
静かなのはいいことだが何故だろう
自分は今まで理系大学で仕事も理系で、女性との接点があまりなかった。
あっても、それまでの経験不足からか、あまりうまく立ち回れなく、彼女もできなかった。
しかし、仕事上なりの都合で多少なり女の人と話すようになってから、苦手意識がなくなり、割りと普通に話せるようになった。
べつにザ・営業のおしゃべり上手でナンパ上手ってわけでは全然ないが、
普通に話すだけなら、楽しく話せるし、そして割りと見た目はいいらしい。
辞めた同僚の夢を2度ほど見た
1度目は以前と変わらず職場の人たちと話している同僚を見ている夢
ああ、突然辞めたけど別に普通だな、よかった、なんて夢の中で思っていた
辞めても頼れる関係なんだな、よかった、なんて夢の中で思っていた
それほど親しかったわけじゃないけど、元気にしててほしいと思う
Moment.js使うとか、あるいは「javascript strftime」で検索してヒットするなんかを使うとか
フィクションの「許されないよね」は、それが悪いことだと作者が認識していなかったために、作中で主人公が許されているような描き方になってるけど、今はもうその描き方したら不自然だから作中で何らかのフォローがないとダメだろって意味だよ。
暴力ヒロインも、倫理的に受け入れられないって人が増えたら使えないのと同じ。
盗んだバイクで走り出すのが青春の象徴じゃなくなるのも同じ。
記憶を蘇らせるきっかけは、RADWIMPSの「狭心症」という曲だ。
この眼が二つだけでよかったなぁ
僕は到底生きていけはしいないから
当時、僕は静岡に住んでいた。その時間、部活の練習中で、人生でほぼ経験したことのない長い揺れを感じ、部員みんなで身を守る体制になっていた。震度こそ震度4だったが、異常なことがよく分かった。
練習の合間にガラケーを開く度、「M7.9」「大津波警報」「既に津波は到達している」「原発電源損失」という文面が流れてくる。
その後の余震で静岡も頻繁に揺れていたこともあり、部活は中止になり、家で様子を見ることになった。
テレビを傍らに、まだ登録して一年足らずのTwitterに張り付いていた。まだ会ったことのない東京の友達の安否を確認していた。
人生で全く経験したことのない非常事態に終始緊張をしていた。いまこの瞬間に多くの人が死んでいっているという事実が信じられなかった。
そのような状況で、急に聴きたくなったのがRADWIMPSの「狭心症」だった。震災のおよそ一ヶ月前に公開され、なんて暗い曲なんだと思って聴いていた。
どれだけ かくかくしかじかと言われましても
下には下がいるって喜びゃいいの?
僕は僕の悲しみも憂いちゃいかんとさ
3月11日の、深すぎる絶望のなかで、糸を垂らしてきたのがこの曲だった。
余震こそ来るけど普通に暮らせる場所にいた僕に届いた。捉えきれない絶望を、この曲がフィルターとなって受け止める役割、やるべきこと(やってはいけないこと)を示してくれた。
とは言っても、様子を見守ること、変なチェンメは流さない、ツイッターのデマには気を付ける、このぐらいしか出来ることはなかった。
良い知らせなんてもう二度と入ってこないような世界になったと思った。
深い悲しみで数日間は動けなくなったが、月の後半には普通に近い生活を送っていた。
雨風は凌げ、計画停電もなく、食料も普通に手に入った。全然過酷な思いをしていたわけではないが、「狭心症」を聴く度に、あの日のことを鮮明に思い出す。
近場のスーパーで無添加の旨い白飯をリーズナブルに入手できるなら、炊飯器はいらないよ。蒸された芋も買ってくればよし。
テレビはほんとイラね、犬HK代で毎月外食できるもんね。ラジオのほうが、語りかけてくる感じがあるし、独り暮らし始めたリスナーてのもラジオ番組の想定内なので結構聴いていて嬉しい。
6000万円は大金といえば大金だが、無駄使い出来るほどの額でもないよね。
残りの4900万円は資産運用してその利益で細々と生活すればよかったのにね。
一応会社員、ではありますが、既にメンタルでやらかして休んでいるので、ほぼ無職のような暮らしをしております。
こんな私にも学生時代からの友人というものがございます。主にTwitterなんかにみんなの近況が書かれていて、たまに見るだけでもおもしろいものです。
この頃、結婚するもの、出産するもの、目立ちました。あぁ、これが所謂「来るぞ…」と警戒されていたものですね。そう、「焦り」。
タイムラインに流れる「嫁の飯!」「息子の寝顔(はぁと)」分かりやすい画像を避けてもときおりポエムは突き刺さってくるし、なんかもう心穏やかでいられんな、と。
ほんの少しの「申し訳ない」という感情をもちつつ、友人のアカウントを着々とミュートしていくことにした。
「あなたのように社会的に望ましく定型的に発達して人生を歩んでいる人たちの何気ない一言がこの世に悪を産まないため、わたしはあなたを拒絶する。」
A.はい
なんか気分が重いタップだった。
働き、金を得て、異性から求められ、安定したくらしの見通しをたて、家族、義理の家族、ゆくゆくは子供、家系図に記録されうる人間との関係性を構築する能力と覚悟、そしてそうした「一人前」として社会に向かう覚悟。
こんなボリューミーなもんを持たされる時期なのか、と、僕は家にこもり布団で丸くなって怯えて過ごしています。