はてブの話。基本的に、先にエントリーを読むべきだと思ってる。それは思考の体操として。まずエントリーを読んで自分なりの感想を考えてからブコメを見るようにしてる。そうしないと人気ブコメに考えを引きずられてしまうかもしれないから。多数派意見に流されるマンにはなりたくないし、人気ブコメと自分の意見が食い違った時にアレコレ考えるのは単純に面白い。
が、困るのは互助会ブログのエントリー。何となくタイトルにひかれてエントリーをクリックすると恐ろしくレベルの低い記事。もしやと思ってブコメを見ると案の定「○○さん面白い♪」「参考になります!」等のコメントが並んでいる。しょーもないブログのアクセス数に貢献してしまったという不愉快な気持ちはどうやりすごすべきか。
どうか皆様に穏やかな便意が訪れますように。。。
そもそもの話、タダ売りじゃないんだよ。
絵本自体の広告にもなるし、公開しているサイトからの報酬も出るし、いい人としての名声や名誉も得られるって営業活動なんだよ。
https://togetter.com/li/1072023
嘘松案件かもしれないので「完全にうつむいて横向いてる娘と自分と夫の写真」を確認したいんだけど?
URL知りたい。
とても面白かったし泣いたし、心に未だに余韻が深く刻みこまれてる。
けどなんかモヤモヤした。多分そのもやもやは…ああいう強烈なロマンティックラブが好きな監督への同族嫌悪。
どんなに隔たりがあっても、自分と相手の強い結びつきは絶対で、それもただの恋愛関係ではなくて、相手の存在が自分の存在に意味を与えてくれるような、そういう惹かれ合い。主人公達の最初のモノローグのように、自分にはそういう相手がいる、その誰かを探している。ってさ。
そういう相手がいるのが羨ましい、というかそういうふうに言ってる内は「自分は彼にとってオンリーワンの自分なんだ」って思っていられるから、羨ましい。
だってそういう相手欲しいじゃないですか。無条件に惹かれ合ってられるなんて素敵すぎるじゃないですか。
でも現実の世界で男女のいろんな出来事を見聞きして経験してきちゃうと、そんなんねーよ!って思っちゃうし、そんな夢見て恋愛してられないと思っちゃう。夢見て恋愛して上手くいく人もいるけど少数。
昨年の秋に6週で流産してしまったから、また妊娠できたのはすごく嬉しい。流産したときと違って順調に育ってくれているのも嬉しい。
ただ、順調ゆえにつわりが始まってつらい。つわりってすごい大変なのね。子供産んだ人みんなこれ経験してるの?お母さんってすごいな。
朝から晩までとにかく気持ち悪い。夜更かしした明け方にお腹が空いたときみたいな気持ち悪さ。二日酔いでお腹の中のもの全部出したのに、それでもムカムカして吐き気がおさまらないときみたいな気持ち悪さ。
朝は気持ち悪くて目が覚めて、通勤電車の人込みで気持ち悪くなって、仕事してても頭の中の3分の2くらいが「気持ち悪い」に占められてて、夜は気持ち悪くて寝れない。でも、これだけ気持ち悪くてもまだ吐いたことはないから、自分のつわりはきっと軽い方なんだと思う。
今のところ通勤が一番地獄。職場は都内で、自宅から40分くらい電車に乗ってるんだけどまず座れない。マタニティマークを着けていれば違うのかな。(まだ母子手帳をもらってないから持ってないんだ)。都内じゃ他人のカバンに何がついてるかなんて誰も気にしないから、着けて具合悪そうにしていてもお腹が大きくない限り譲ってはもらえないかな。みんな早起きしたり激務で疲れた後に勝ち取った座席だから、座って寝たいよね。気持ちはすごくわかる。
わかるけど私のつわりはおさまってくれないから、あまりにもつらいときは途中で降りて、落ち着くまで駅のベンチで座って休み、また乗るのを繰り返してる。何本も電車が過ぎていくのを眺めながら、もし自分がこのまま無事に出産出来たら、マタニティマークを付けている人には席を譲ろうって思ったよ。
前回流産してるから今回も不安で、初期流産の確率が減る12週までは職場にも言わないつもりでいる。そうなると、このつわりの一番つらい時期に最悪な体調のなか今まで通り仕事をしないといけない。つわりが始まってから明らかに自分の仕事が遅くなっていて、すごく焦る。直属の上司にだけは言った方がいいのかな。他の部署も巻き込んでるプロジェクトに遅れが出たりしたら困るから、はたから見てダメそうだったらタスクを調整してもらわないといけないしな。申し訳ないな。
妊婦ってもっと幸せいっぱいなのかと思ってた。流産とか通勤とか仕事とか不安なことばっかりで、全然脳内お花畑になれない。つわりつらい。
ブクマが2〜30つくと、「オレって文才あるな〜」と思ったものだ。
嫁にも自慢した。
「オレが書いた文章に、こんなにたくさんの人が釣られている」と。
書き終えたエントリーを、私に見せてくれた。
それを読んで私は「ここは変えた方がいいよ、その方が釣れるって」と、釣り指南をした。
すると嫁が言った。
「別にそんなこと思ってないし」
そんなこと思ってない・・・?
釣るために書いてるんだから。
「思ってないこと書いて、楽しいの?」
「私は、思ってることを上手く言い表せたらいいや。スッキリする」
小学三年の時からの腐れ縁で、中学高校と一緒で、クラスは離れたりしたもののいつも何かの縁で自分の近くにいた。委員会が一緒だったり、名前の順が近いため集会では隣にいたり、なぜか文化祭では二人が司会に選ばれたり。
私と彼は似てるんだと思う。
彼は自己中心的で、合理主義、冷酷無比だと自分を評しているが、まあその通りだと思う。しかしその実、人一倍繊細である。自分に自信がなく自己肯定感が低いため愛されたいという願望が強い。自分に良い所なんてひとつもないと本気で思ってしまうほど自信がないのだ。でもその自信のなさを隠して不遜に振る舞ってしまうくらいにはプライドが高い。
そんな矛盾を抱えている。
私と彼は似ている。似ているからこそ、話していてとても心地よい。相手の考えていることが自分の考えていることと一緒なのが分かるから。自分に一番馴染んだ他人、という感じがする。
でも似すぎているからこそ恋愛対象にはならない。自分を鏡写しにしたような存在と一生恋人として付き合っていくのはなかなかきつい。
彼は私に対して主に優しくない。わたしが失敗すれば容赦なくからかい、
バカにする。容姿についてもいじり倒す。でも彼からいくらひどいことを言われようと、なぜか怒りは感じないのだ。怒るどころか、妙に嬉しくなる。こんな風に自分にあけすけにものを言える人なんて君だけなんだからな、という気持ちになる。
私も彼に対して同じようなテンションでものを言う。素の自分でいられる。
今更気を遣う必要もないとお互いに了承し合っているのだ。
でも困ったとき寂しい時に側にいてくれたのはいつも彼だった。失恋した時、決定的なミスをしてしまったとき、一人で眠れない夜を過ごすとき。彼と他愛もない長電話をすることによってどれほど心が救われたか。そんな風に私の心を治療できるのは彼だけだ。
こんなに仲が良いなら付き合ってしまえば楽なんだと思う。その方が物事は簡単に行く。でも恋愛対象として見るのは決して無理なのだ、そこが難しい。
こんな風にいつまでも敵であり味方であり戦友であり、親友であるような、二人にしか分からない何かで繋がっていたい。切実にそう願ってしまう。