日本では江戸時代は薩摩藩とか長州藩とかいろいろなグループに分かれていてそれぞれ戦争したり貿易したりしていたのが、交通手段や通信手段が発達していく中で日本と言うひとつに国になっていって、こんどは日本と言う国が世界の他の国と戦争したり貿易していたりしたのだけれど、それが21世紀になっていよいよ世界がひとつになろうとしているだけです。
そして、グローバリゼーションによって何が起こるのかと言うと一物一価の経済法則が国境を超えて進展していくと言うことです。
コカコーラの値段は世界中どこでも同じになっていくということです。
同じスキルで同じ仕事をする人の給料はどこの国でも同じになって行きます。
そしてグローバリゼーションが我々日本人の給料にどう直撃するかと言うと、これもとても簡単なことで、途上国の労働者でも簡単に出来る仕事をしているひとの賃金がどんどん下がっていきます。
だって、僕が経営者だったら、同じ仕事をやってくれるなら月給30万円の日本人より、月給3万円のベトナム人を雇うもん♪
当たり前でしょ。
逆に、世界中どこにも代えのきかないスキルを持っているほんの一握りの人たち、例えば世界的な歌手とか作家とか、凄腕ヘッジファンド運用者とか、カリスマ経営者とか、天才プログラマとか、そんな本当に一握りの人たちが天文学的な報酬を受け取ることになるわけです。
なんせ、そんな人が活躍できるマーケットは一国だけに留まらず世界まるごとになるわけですからね。
結局のところ、グローバリゼーションは、先進国のほんの一握りのプロフェッショナルと途上国の単純労働者にはプラスに働き、先進国の大多数の単純労働者にはマイナスに働くわけです。
そんでもって世界全体では経済の効率がさらによくなるのでプラスです。
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51160882.html
http://anond.hatelabo.jp/20110219223913
http://anond.hatelabo.jp/20110221011623
例の居着いている人か・・・
答弁で嘘をつかないようにする為に、官僚は省庁の全力を挙げて答弁を作るのであり、政治主導と称して官僚に命令を下すだけで、報告は一切受けないという民主党は、答弁において、省庁のサポートを一切受けられないので、嘘をつく事になる。それは自業自得であり、嘘をついた人が社会的にどうなるかということは、幼稚園や小学校のレベルで学ぶ事である。政治的・道義的な責任を問われ、付き合いを打ち切られたり、組織から追い出されたりという制裁を受ける。
企業にも受け入れられず、自民党にも断られて、万年野党にしか行き場が無くなったサヨクや弁護士崩れは、そういう境遇をたっぷりと味わってきた筈なのに、未だに反省していないらしい。
騙されて一票を投じた国民が一番悪いのであるが、公約が嘘まみれで実現不能である事に気がつかないまでに、国家の状況に対して知識不足・関心不足となったのは、政治制度の欠陥が原因であろう。
現状の民選議員制度では、民選議員は地域の利権代表でしかなく、国政の担い手にはなりえない。地盤を私物化し、家業として議員の地位を世襲するようになっており、国政よりも次の選挙であり、地盤に利権とばら撒きを実現する為に与党にならなければならず、その為には、地盤の内外を問わず、嘘をついてでも一票を入れさせた方が勝ちという状態になっている。公約を毛鉤と評し、毛鉤に釣られる魚はバカと言い切った代議士が居たが、私物化した地盤を維持する事だけが目的と化している為に、勝ちすぎては公約を実現しなければならず、負けすぎては与党でなくなってしまうという事から、程ほどに勝って、できれば衆参を捻れさせて、公約が実現できないのは捻れ国会のせいです、次の選挙では衆参両院を押さえて、公約を実現したいと嘯くというのが、典型的な与党の行動パターンとなってきた。
実現可能な公約を並べる人が現れると、党勢は躍進し、衆参両院で過半数を取ってしまったり、衆議院で再可決が可能なほど勝ってしまう。公約を実現し始めるが、実現には時間がかかり、そのうち、選挙で勝った人が任期制限で次の人に職を譲らなければならなくなり、求心力を失い、公約は実現できなくなり、次の選挙で大敗する。ここまで、パターンとなっているのである。
実行力のあるリーダーを任期制限で失った政党は、実現可能な筈の公約を実現できず、政策実現能力を否定され、信任を失い、選挙で大敗するのである。
最初から実現不能な嘘まみれの公約が出てきたり、結果的に嘘になってしまうのは、地盤の私物化が原因であり、公約を党員集会等の公の場所で練り上げず、党中央が選挙前に適当にでっち上げる為である。私物化された地盤からまともに国政を担える人材が出てくる可能性は著しく低く、人材の層が薄い。まともに国政を担える人材がいない時は、党中央がでっち上げるだけなのだから、国家の状態について、詳しい情報を国民に周知する必要はないとなる。
国民に国家の状況を知らせるには、知らなければならないと自覚するほどの、切実な状況を作り出さなければならない。情報公開と称してwebを作っただけでは、誰も見に来ないのである。
地盤の私物化を無意味にする多選規制は、国政をまともにする為の最初の一歩であり、実現可能な公約を草の根の集会から練り上げ、任期制によって独裁化を避けながらも改革を継続できるような政治家の層の厚さを作り出すという、まともな国家への道は、遥かに遠いのである。
http://anond.hatelabo.jp/20110212205657
コミュニケーション能力が卓越してる人との会話って、絶望的につまらないんだよな
たぶん、相手も同じことを思ってるんだろうけど、
なんというか、コミュ力の高い人の会話がつまらくて付いていくのが嫌になる
なんでだろう?全体的な嘘っぽさ?虚飾がにじみ出てる感じ?
元増田も分かっていると思うが、「コミュ力が高い人」がつまらないわけではなく、「高いコミュ力を要する会話」がつまらないのだ。
つまり、少なくともビジネスコミュニケーションとは違ってそのものが目的であるようなコミュニケーションでは、「つまらない会話でも回していける能力」こそが「コミュ力」ということになる。当然、ここから導かれる答えは「つまらないコミュニケーションに挫ける奴は、非コミュ」ということである。
元増田は最期に
と訴えるが、これでは「つまらない会話でも回していける能力」、つまり「高いコミュ力」は身につかない。
そもそも、元増田にとって「楽しい会話」というのが与えられるもので創りだしていくものだという意識がない時点で非コミュ脱出など無理だ。
ホスニ・ムバラクが辞任。
政治家とは使い棄てられる道具でしかない。道具が道具であることを忘れて、勝手に動き出すと、最初のうちは手間が省けて楽であるからと、権力者である有権者達は喜ぶが、そのうち、自我を持った道具は道具であることを忘れて、主人であるかのように振舞いだす。
民主主義は、勘違いした道具を、血を流さずに替えられる仕組みである。
エジプトのゴタゴタは、道具を替えるべき時に替えられなかった為に、グローバリゼーションによる貨幣価値の変動による悪い物価上昇で、政権打倒となってしまった。国際情勢を知らしめる程教育が十分ではなく、世界との関係を継続できる後継者を育てられなかったという点で、このような末路になるのは時間の問題であったが、後継者が育っていない以上、他に選択肢はないということで、寿命が尽きるまで、地位を保てる可能性の方が高かった。グローバリゼーションの後始末という形で、その時間が来てしまったのだけが、予想外であったのであろう。
後継者を育てる為に教育を整備し、競争を促進し、人材の層を厚くするというのは、国家や組織を存続させ繁栄させるという目的においては正しいが、既得権益層の個人的な地位の安泰という点では正しくない。個人の利益と国家や社会の利益とのどちらを優先するかという点で、ムバラクは凡人であったという事であろう。凡人にふさわしい末路である。
政治家がコロコロと変わると、政治を実行する行政が、道具である事を忘れて主人であるかのように振舞いだす。行政が暴走を始めると、税金の無駄遣いが常態化し、国家財政の規律が崩壊する。
政治家に独裁させて、それを退陣させるという方向のほうが、取り替えが効く分だけ、良いのかもしれない。
政治家を変えても行政が変わらないというのが、民主主義先進国の宿痾であり、この問題の特効薬は、まだ見つかっていないのであった。
エヴァ、ハルヒ、化物語、とある魔術の禁書目録と、女の子はそれなりに多く出てるけど設定もストーリーもそれなりに練ってある。
http://anond.hatelabo.jp/20110212000738
こういうの読んでて思ったんだけど、男の非モテってのはつまり非コミュってことだよな
いわゆるコミュニケーション能力が足りない、といわざるをえない
コミュニケーション能力が卓越してる人との会話って、絶望的につまらないんだよな
たぶん、相手も同じことを思ってるんだろうけど、
なんというか、コミュ力の高い人の会話がつまらくて付いていくのが嫌になる
なんでだろう?全体的な嘘っぽさ?虚飾がにじみ出てる感じ?
会話も楽しい、話題も噛みあう
http://anond.hatelabo.jp/20110123114420 これの続き。
あのあと(といっても、カミングアウトしたその日)、友人のすすめもあって、好きな同性の人に謝りに行った。
その人は同性愛者じゃないし、どちらかといえば同性愛にすこし偏見があるほう。
だから、同性愛者であることと、好きであることは言わずに謝った。
もちろん、正直な気持ちを伝えて、分かってもらいたいとは思う。
けど、それ以上に、正直な気持ちを伝えて、はっきりと拒絶されてしまうことが怖かった。
もしかしたら、また友達の関係に戻れるかもしれないのに、気持ちを伝えたら、それが出来なくなるんじゃないかって。
それから3週間が経った。
試験期間も終わって、春休み。用事で大学に行くことがけっこうあって、ときどき友人にも会う。
友人は、カミングアウトしてからも、距離を置かずにいつもどおりに接してくれる。
表面では「いいんじゃない?」って言ってても、内心はそう思ってない人だっているから。
でも、友人はそうじゃなかった。
すごく救われたような気がした。
たった一人でも、分かってくれる友人がいる。
いままで、心のどこかで、「分かってくれない」とか、「相手が悪い」みたいなことを思っていた。
でも、今はそうじゃない。分かってくれる友人がいる。エスカレートして嫌がらせをしたのは間違いなく自分。
謝りに行ったときも、「半分くらいは許せるけど、残りはちょっと」って言われた。
仕方のないことだと思う。それだけしつこく嫌がらせしたのは確かだから。
好きな人と偶然会うときも、違和感とかぎこちなさみたいなものが、ちょっと減ったと思う。
いや、もしかすると、自分が少し落ち着いただけなのかもしれないけれど。
いまでも変わらない好きの気持ち。
けれど、それを無理矢理に押しつけることはもうしないつもり。
なくすわけじゃない。この気持ちは、ずっと大事にしていたい。
ぜんぶぜんぶ、大事なもの。
知らないこととか、知らない気持ちとか、いっぱい教えてくれた、大切な人。
また仲良くなるのは無理かもしれないけれど、それでも、いいかな。
いや、良くはないかもしれないけれど。でも、ダメなものはダメだから。
好きな人に謝りに行く前に、友人にこう言われた。
Facebook、みなさん使ってますか。僕はあんまり使ってません。
使ってみようと思ったときにスカイプからコンタクトをインポートしてみたんだけど、そしたら「知り合いかも?」欄が一度しか話したことのない外国人だらけになったのが煩わしくて、そのまま放置気味です。ちょっと遠目の友達からフレンド申請も来たんだけど、スルーしてます。ところでこの「知り合いかも?」欄、結構すごくないですか?「えっ俺検索してないよ?」って知り合いもちゃっかり載ってますよね。びっくり。プロフィールはもちろんだけど、たぶん検索履歴とか、コンタクトリストの照合とかもやってんのかな。あるいはメールアドレスもか。実際、知り合いの知り合いで2回会っただけの人とか出てきたからね。このレコメンド機能、ちょっと強力すぎ。ていうか怖い。だってだって、もしここにiPhoneのコンタクトリストとか入れちゃったりとかしたらヤバくないですか。仕事先の人とか、営業先の人とか、登録してた人全員追加されちゃいますよ。もちろんそっから仕事に繋げろよってのがFacebook的な発想なんだろうけど、そこにちょっとした気持ち悪さってなんとなくあって。
だって僕らって、現実世界でも「手を伸ばせば届く距離にいる人」と「ちょっと距離はあるけど頑張れば手の届く人」との関係って切り分けてるじゃないですか。そこの壁が全部溶けてしまうと、いいたいことも言えないこんな世の中じゃポイズンな世界になっちゃいません?もちろんプライバシー設定はあるんだろうけど、なーんか面倒だし、それならそもそもやんなくていいやってなっちゃう。
「知り合いだけど友達じゃない」って感覚、捨てちゃわないとだめなのかなあ。
役所に行って減免申請通るかどうか、ためしてからにしろよ。
誰にどうされたのか具体的に書いてもらわないと、他人には理解できないわな。