ホスニ・ムバラクが辞任。
政治家とは使い棄てられる道具でしかない。道具が道具であることを忘れて、勝手に動き出すと、最初のうちは手間が省けて楽であるからと、権力者である有権者達は喜ぶが、そのうち、自我を持った道具は道具であることを忘れて、主人であるかのように振舞いだす。
民主主義は、勘違いした道具を、血を流さずに替えられる仕組みである。
エジプトのゴタゴタは、道具を替えるべき時に替えられなかった為に、グローバリゼーションによる貨幣価値の変動による悪い物価上昇で、政権打倒となってしまった。国際情勢を知らしめる程教育が十分ではなく、世界との関係を継続できる後継者を育てられなかったという点で、このような末路になるのは時間の問題であったが、後継者が育っていない以上、他に選択肢はないということで、寿命が尽きるまで、地位を保てる可能性の方が高かった。グローバリゼーションの後始末という形で、その時間が来てしまったのだけが、予想外であったのであろう。
後継者を育てる為に教育を整備し、競争を促進し、人材の層を厚くするというのは、国家や組織を存続させ繁栄させるという目的においては正しいが、既得権益層の個人的な地位の安泰という点では正しくない。個人の利益と国家や社会の利益とのどちらを優先するかという点で、ムバラクは凡人であったという事であろう。凡人にふさわしい末路である。
政治家がコロコロと変わると、政治を実行する行政が、道具である事を忘れて主人であるかのように振舞いだす。行政が暴走を始めると、税金の無駄遣いが常態化し、国家財政の規律が崩壊する。
政治家に独裁させて、それを退陣させるという方向のほうが、取り替えが効く分だけ、良いのかもしれない。
政治家を変えても行政が変わらないというのが、民主主義先進国の宿痾であり、この問題の特効薬は、まだ見つかっていないのであった。