2011-02-12

ホスニ・ムバラクが辞任。

政治家とは使い棄てられる道具でしかない。道具が道具であることを忘れて、勝手に動き出すと、最初のうちは手間が省けて楽であるからと、権力者である有権者達は喜ぶが、そのうち、自我を持った道具は道具であることを忘れて、主人であるかのように振舞いだす。

民主主義は、勘違いした道具を、血を流さずに替えられる仕組みである

エジプトのゴタゴタは、道具を替えるべき時に替えられなかった為に、グローバリゼーションによる貨幣価値の変動による悪い物価上昇で、政権打倒となってしまった。国際情勢を知らしめる程教育が十分ではなく、世界との関係を継続できる後継者を育てられなかったという点で、このような末路になるのは時間の問題であったが、後継者が育っていない以上、他に選択肢はないということで、寿命が尽きるまで、地位を保てる可能性の方が高かった。グローバリゼーションの後始末という形で、その時間が来てしまったのだけが、予想外であったのであろう。

後継者を育てる為に教育を整備し、競争を促進し、人材の層を厚くするというのは、国家組織を存続させ繁栄させるという目的においては正しいが、既得権益層の個人的な地位の安泰という点では正しくない。個人の利益国家社会利益とのどちらを優先するかという点で、ムバラクは凡人であったという事であろう。凡人にふさわしい末路である

政治家コロコロと変わると、政治を実行する行政が、道具である事を忘れて主人であるかのように振舞いだす。行政暴走を始めると、税金無駄遣いが常態化し、国家財政の規律が崩壊する。

政治家独裁させて、それを退陣させるという方向のほうが、取り替えが効く分だけ、良いのかもしれない。

政治家を変えても行政が変わらないというのが、民主主義先進国の宿痾であり、この問題の特効薬は、まだ見つかっていないのであった。

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