昔好きだった人に久しぶりに会って、会いたかったー!明日もまた会おうねってキスする夢を見たのが今朝
日中忙しく過ごしたのに、尾を引くどころか胸の痛みが酷くなっている
早く明日になって夢をぶち壊してほしい
私は結構溜め込んでしまうタイプだから、言いたくて言えなかったことをずっと心の奥底に押し込めてきている。
家族は私の話を聞いてくれない。
自分の悩みばかり聞いて欲しがり、私が話すとすぐに自分の話に切り替えてしまう。
最近、少しでも楽にならなければと思うようになった。だから、ここに吐き出す。読みにくいところもあるかもしれなくて、不快になる方もいるかもしれないが、とにかく吐き出す。
元ガン患者と書いているが、治ったガン患者のことではない。亡くなったほうになる。
母は、ガンで亡くなった。
わかってから1年と半年ぐらいだった。その間、一番大変なのは本人。でも、私たち家族も大変だった。
毎日、職場では普通に振る舞わなければならない。症状が進めば進むほど精神的に苦しくて、何もしたくなかったけど世間ではそんなのは関係ない。
職場と病院、家を行き来するのだけで精一杯。衰弱していく母を見るのは、本人の前では明るくしていても辛かった。奇跡のようなことが起こることも祈っていた。
そして、そんな状況で以下のようなことが起きた。
1、余命があと僅かとなったときに、親戚が母に会いに来た。
仕事の後に病院行って、家では寝るだけの生活だったので散らかっているのをどうにかできるという精神状態ではなかった。何となく謝ってしまったけど、今でも心に引っかかっている。
2、母の兄に、「どうして母はそんな病気になったのか」と責められた。
怒鳴られはしなかったけど、傷ついた。
3、病院の看護師からの電話で、「母がもう家に帰れないかもしれないから、今のうちに帰りたいそうです」と、ドラマのワンシーンの中に出て来そうな感じで訴えられた。
看護師の言葉は、私の心をズタズタにした。え?と思われるかもしれないが、余命を聞かされていようが、私は心のどこかで諦めていなかったのだ。「もう帰れないかもしれないから」なんて言葉を言って欲しくなかった。それを聞いたときに、私の心がポッキリ折れた。こういう電話って、看護師個人が判断してかけるものなんだろうか?
ガン患者が一番大変です。そういうのはわかってます。でも、家族もそれぞれ日常を過ごさなければなりません。親戚は、私の知る限り、身近にガンとなった家族はいません。だから、きっとわからなかったのだと思います。
もし、親戚でガン患者になった人に家庭があったら。
家が散らかっていても、大変なんだねとそっとしておいてあげてくださいよ。そして、子どもを責めないで。
看護師さん。
母の気持ちを伝えてくれたことは感謝すべきですよね。でも、ごめんなさい。今でもあなたからの電話は思い出してしまうんです。
また、心が苦しくなったら書く。
企業の業務システムの開発で出てくる単語だが、最適化する際の基準が異なっている。
日本では事業部門ごとの最適化、部分最適がよく行われているらしい。
それ故に事業部門レベルでは効率的な業務を行っているが、全社レベルで見ると非効率的な仕組みになっていることが多い。
これを業務システムの更新時に全体最適化を施そうとすると事業部門の反発が起きることが多いらしい。
各事業部門において最適化され非常に効率的に進めていたものが、全体のために非効率的な方法に変更されることもあるからだ。
だからこそ、全体最適化はトップダウンで行わなければならない、みたいなことがIT Proに書かれていた。
この構図を一言でいうと、全体の最適化のために個別のものが割を食う、だろうか。
こう考えたとき、政治や経済、外交などでよく聞くものを連想した。
自由貿易と保護主義、ありていに言うとトランプ政権の経済政策とその批判だ。
保護主義を国家という個別に対する最適化と考えると、何となく先ほどの話に似ているようにも思える。
こう考えるとトランプ政権の保護主義も間違っていないようにも思える。
世界のために割を食うのを許容できないというのも納得できる。
今の37〜40歳ぐらいのベンチャーやらスタートアップやらWeb系やらの技術者の書くコードがやばい気がする。
それが外注とかフリーとかじゃなく、役職付いている人とか役員だったりする。
コピペしたり入り組んだ関数(メソッド)を書いたりとか・・・。
抽象的な考え方とか、参照透過性とか、100%適応できないまでにしても少し考えてかけないものなのだろうか・・・。
そういう基礎的な部分の技術をまとめた技術書籍がない(もしくは流行っていない)のも原因なのかな。
Javaのオブジェクト指向からRuby on Rails時代に移行していった時代に生きていた人たちなのかな?
色々と今まで学んできたことの基盤が崩れ一気にレガシー化した感覚が強く、新しいものに手を出したがるくせがあるんじゃないかと疑ってしまう。
新しい技術を学んでも、思考を変えずに使っていたら何も変わらねぇっすよ。ゴミを今の技術で再構築するだけ。
GRASPとかSOLID原則とか、できればDDDとか関数型の考えとかを勉強して欲しい・・・。
まあ別に上記知らなくても、構造化プログラミングとか、クラスとはなんぞやとか、関心事をなるべく分離していくようなコーディングとか・・・。そういうのが欲しいです。
リーダブルコードも局所的な事を書いている気がするし、もっと大局的な技術リテラシーを・・・。
てかコレが技術的負債かー。ちょっと直すだけでもすげーめんどくさいし、やる気全然起きないし、なんならリファクタしてから修正していきたい気持ちになる。。。
DB設計もなーーー、なんでNOT NULL制約付けないかなー。もちろんテストなんて書くわけもなく。
創業期なら頑張るって感じだけど、中規模になってきたベンチャーとかだと気合い入れて全て変えてやるぜぐらいのポジションで入らないと環境変わらないだろうし、いわいるプログラマーで入るなら面接時に匂いを察知して回避したほうが良い気がするお。まぁでも入社時のやる気なら変えれるのかな・・・。もはや業務量増えてマンネリ化した状態の今は全くやる気しねぇ。すべての開発を止めて、テストコードを書きながらリファクタしていく、ってならやる。
そしたら今後何か頼まれても工数減るので「いっすよやりますよー」といいやすいし「もっと短く出来ないの?」みたいな地味なストレスがなくなるのでまぁ色々ハッピーなんじゃないのかな。(てめえのゴミ直すのに工数かかるんだよといいたくなる)
的な、ゴミと一緒に働けねぇ、みたいな問題を解決するためにマイクロサービスで開発するのありかもね。ゴミレガシーはラップして、臭いものに蓋をしてまあ許せるインターフェースだけ公開して使わせて欲しい。(驚くほど上から目線)コードレビューですり合わせられるようなレベル感ではなく、でかいゴミ山があり、そいつがゴミ山を整理する気がないならそうするのが折衷案なんじゃないでしょうか。
「サービスを作ってきたコードだから感謝して」って実際その現場になるとあまり思えないものなんだな。サービスをスケールさせられないこの足元作ったやつまじ、考え直してもらわんと対して売上立たず終わるから期待持たせるだけだぞ、みたいな。これがクソ稼いでいるサービスとかだったら別なんだろうなぁ・・・。
頻繁に行くなら年間パスポートを購入した方がよさそうですわ。
昭和の長い期間にわたって陶磁器デザインで活躍された方でした。
スケッチブックが9冊遺されていて、内6冊の504ページに
残りの3冊はよくわかりませんわ。
「筆をとる仕事なら70歳をこえても手がふるえることなくできる」
という主旨のものがあって、
もうひとつの企画展として、瀬戸市の若手陶芸家の作品が展示されており、
二種類のモノトーンの人気動物が陶磁器の絵付けに向いていることを
痛感しました。
もう前向きに頑張れなくなってきた。
ADHDだって気づいて、心療内科予約して、自分なりに色々調べた。
これまでの生き辛さに理由がついて少し安心したけど、これからどう頑張っていけばいいのか分からなくなってきた。
タスク管理が出来ない、人の会話を集中して聞けない、報連相が出来ない。
新しい職場で慣れなくて鬱っぽくなってるだけだと思ってた。
ほんと、これからどうしよう…
ウヨサヨ言わなくなったら、次はこの手の人たちが台頭するだけだろうしなあ
会話の切れ目ごとに
「○×△」「うっひゃひゃひゃwwww」「○×△」「うっひゃひゃひゃwww」以下ループ。的な。
会話相手にこれをされると
こっちの話しつまんないけど適当に付き合ってるのかな?とか思っちゃうし
話しの内容に関係なく一定の切れ目ごとに同じテンションで「うっひゃひゃひゃwww」て
リアクション芸人でもあるまいに。
会社辞めてやりたいことやってる。めっちゃモチベーション高い。
20代より知識も能力(特に学習能力)も格段に上積みされてて最高。
睡眠と休息だけはしっかり取ってる。
まあ、以前の共産党や公明党が担っていたチェック政党の座でも狙ってるんじゃないの
それにしても、シャドウキャビネットじゃあないけど、自民党に次ぐ2番手の政党が欲しいなとは思う
流石に一党体制はなあ
彼女達はどうやっても男性に子供を預けるという不安を拭うことが不可能なのがはっきりした。
そしてその不安を問題視することなくありのままの自らを暴露し続けている。
つまり、保育は男性の仕事ではなく女性の仕事なのだと自ら宣言したのだ。
あろうことか自らフェミニストを名乗る身でありながらだ。
「移民を流入させそいつらに子育てさせ、自分は仕事で大活躍(笑)」
などというまやかしの思想で世間を騙そうとしたこともあったようだが結局その子育てする移民も女性なのがはっきりした。
自分たちは都合のいい所をつまみ食いして楽しめればそれでいいという最低最悪の人種だ。
ソフトウェアエンジニアリングの世界において、長い歴史を経て時代に取り残された遺物はレガシーと形容される。
レガシーシステムやレガシーコードなど、基本的に良くないものとされている。
これらの質が悪いところは、「今現在において稼働している」という純然たる事実が存在することである。
自身の技術力を高めることを怠り、もはや今の技術についていけなくなった人材を、ここではレガシー人材と呼びたい。
レガシーシステムと同様、今現在稼働している組織の一員として、彼らレガシー人材は存在する。
それは現在動作しているシステムを作り上げた実績、また、これまでに培ってきた時間によるものである。
調整力やマネジメント力といった測りにくいものとして表現されることもある。
実態は、ただ長く生きただけの動物が神秘性を帯びて見えるのと同じレベルのものでしかない。
実際に調整力やマネジメント力に優れた人材がいることは否定しない。
むしろそれは尊敬に値する人物であるし、得てしてそのような人物は自身の能力を高めることを忘れたりはしない。
ただ技術力が低いだけのことが、周囲にどういった悪影響をもたらすというのだろうか。
大きく分けて2つの問題があると考えているが、どちらも組織の士気を下げるという点で共通している。
1つは単純に技術力不足による問題。彼らが作り出すプロダクトは、時代にそぐわないか、あるいは品質が悪い。
そしてもう1つは、技術力においてレガシー人材に勝る人物が、彼らよりも低い評価を受けることである。
組織に加わるメンバーは、程度の違いこそあれ技術力を重視し、組織も彼らに技術力を求める。
しかし実際に見るのは、自身よりも技術力が低いにも関わらず、高い評価を得るレガシー人材である。
彼らが作り出すプロダクトは品質が悪く、そのくせ何故か評価だけは高い。
苦労して改修したシステムがレガシー人材によって汚染され、その上でレガシー人材が高い評価を得ている状況は、簡単にエンジニアの精神を歪ませる。
仕事に対する熱意はなくなり、技術への執着も忘れてしまいかねない。
しかしながら、今現在稼働しているシステムであるところのレガシー人材を、簡単に排斥することはできない。
我々はレガシー人材と折り合いを付ける術を学ばなくてはならない。
そしてそれには「あらゆる場に同席すること」が良策であると考える。
余計な会議に参加したくない。集中を途切れさせたくない。
エンジニアとしてこれは当然の発想であるが、これでは状況は悪化するばかりである。
退屈に耐え、感情を押し殺し、静かに自身の発言力を高めていく。
今年はそういう年にしたい。
そもそも現実の服のシワも流体で動いてるわけじゃないし
政治関係は、声が大きくて投稿量の多い人が多いだろうから実数は少ないのでは
あー、すげー書きにくいけど書くね。
わたしなんか嫌いな人間いるんだけどさー、気付いたら自分もその嫌いな人間と同じこと口走ってたのねー。
さいてーじゃーん。
あーすげーやだ。目の前から消えてくれないかなーと思ってるけど、ひともものも消えませんからね、いますよね明日も。
でもわかってるんだ。きっと自分と似てるからこんな嫌なんだろなって。
きっとね、これをうまく乗り越えれば、自分も一回り成長できる的な?そういうタイミングだとは思うの。
でもマジで嫌すぎてさ。
なんかさあ、その嫌な部分含めて自分じゃん。嫌な部分は、隠すことはできても、治すことできないんじゃね?って思ってる。だって自分だもの。
どうすりゃいいのかなあ。
対処法、なるべく距離を置くとかしか思いつかないけど、それじゃ同じじゃね?また同じ人出てきたら嫌いになってさあー。
しかも今まずいのは、自分の方がその嫌いな人間より立場が上なのよ。
あー、言っちゃった。あーあ。最低だわー。
わかんねーんだよーー自分でも。
相手の生きる目的が、自分と張り合うこと、いらだたせることになってきちゃってるんだよねー。
最低。もう嫌だ、もう関わりたくないんですけどー。