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2021-10-30

日本共産党最終応援演説書き起こし その1

日本共産党最終応援演説2020年10月30日午後7時~新宿駅西口)書き起こし その1

colabo代表 仁藤夢乃

https://youtu.be/PrTatSI2vBs?t=302

皆さんこんばんは。

私は虐待や性暴力被害に遭うなどした10代の少女たちを支える活動をしている仁藤夢乃です。

今日私は、東京12区から出馬している、そして東京の比例から出馬している

池内さおりさんをなんとしても国会に戻したい、その思いでここにきました。

池内さおりさんは、少女たちの性を商品化して搾取するJKビジネスアダルトビデオの出演共用の問題を、

国会で、この日本で初めて課題にして質問してくれた議員です。

本当にその姿を見た時に、私は心が震える思いでした。

なぜなら、それはこれだけ真正から女性に対する暴力性搾取問題

これまで国の問題として取り上げた議員はいなかったからです。

出会ってから6年間、池内さんは、私たち活動現場に何度も足を運んでくれました。

私たち夜の街で、このコロナ禍、ステイホームといわれても、家が安心して過ごせる場所ではない、

そしてこの新宿渋谷の街を彷徨っている、そういう少女たちに声をかけてつながる活動を続けてきました。

池内さおりさんも何度も何度も私たちと一緒に、夜の街を歩いて、

家に帰れない、居場所がない、今日食べるものがない、そういう少女たちの声を、一緒に聞いて、

一緒に彼女たちの人生を切り開く手伝いをしてもらいました。

このコロナ禍で本当に活動していると、貧困が広がりを実感しています

私たち新宿の夜の街で開催している少女のための無料カフェ

そこには、一晩で4,50人の10代の女の子たちが来るんですよ。

最近では、お菓子とかよりも、お米がほしい、カレールーがほしい、今日食べるもの、生きていくために必要もの

そういうものを求めて、たくさん持って帰りたいから、キャリーケースをひいてくる、そういう女の子たちが

これだけたくさんいる、こんなにコロナ禍で女性失業貧困問題になっているのに、

自公政権私たちしたことは、自助や共助を求めることです。

こんなときからこそみんなで耐えようとか、そんなメッセージはもうこりごりだ、

そもそも公助機能していないから、これだけの人が困っているのではないですか。それは政治の責任だと思います

私たちはこういう活動をしていると、児童相談所役所に行ったらいいじゃないと、よく言われます

でもそこで不適切対応をされることが本当に多い。

この前、所持金74円しかない女性生活保護申請に行ったら、

非常用の食品アルファ米を3つ渡されて、希望するような施設に入ることはできないからと言われてそれだけで帰されたんですよ。

そういうことが現実に起きてる。そういうときに私は池内さおりさんにすぐに連絡して、

いつも各地にいる共産党議員さんに一緒に同行してもらったり、課題解決するために動いてもらってきました。

10万円の特別給付金も、虐待を受けている人でも、世帯主ではなく直接少女たちが受け取れるように動いてもらいました。

からわたしは、全国各地で共産党議員さんが増えてほしい。

そういう想いで、今日ここに、みなさんに、選挙の前日、比例に、日本共産党と訴えたくて、ここに来ました。

ただ私も共産党に言いたいことがあります

ジェンダー平等を掲げているのに、なんで比例の順位男女平等じゃないのってことです。ね、そう思いますよね。

今回の総選挙ジェンダー平等が争点になったのは、紛れもなく、池内さおりさんが、この共産党にいて、

党の中でもこれが課題だということをまとめてくれたからだと、私は思ってます

ジェンダー平等を本気で掲げるなら、なんで池内さおりさんを比例1位にしなかったのって、本当に心から思ってますよ。

前回も池内さん比例3位、東京男性男性女性の順ですね。

その2人の男性大事議席、だけど池内さおりさんこそ、私たち女性にとってはもっと大事議席なんです。

前回そこが3位で落ちたんですよ。私、前回の選挙で、こんな風に本気で応援しませんでした。

そしたら池内さおりさんは落選した。それでどうなったかというと、

この4年間、性搾取問題少女たちの人権問題真正から取り上げる国会議員はいなくなりました。

から私たちこんなに苦しい、この現状を変えるために何としても池内さおりさんに国会に行っていただきたいんです。

まだまだ政治は男社会です。おじさんたちがおじさんのためにやってきたのがこの日本社会

これを変えるために、この共産党から池内さおりさんを何としても国会に送りたいと思います

正直、小選挙区では大激戦で当落線上にいると、だからこそ、比例の票をもっともっと多く集めて、

比例からでも池内さんを押し上げていけるように、みなさんぜひあと1票2票と、支援を広げて、

比例は共産党、そして東京12区池内さおりさんをなんとしても国会に戻していただきたいと思います

みんなで応援していきましょう。今日ありがとうございました

気候アクティビスト UKA

https://youtu.be/PrTatSI2vBs?t=695

こんばんは。気候変動アクティビストのUKAと申します。

気候変動アクティビストと呼ばれていますが、ごく普通仕事をしながら生活をしている社会人になります

ただ気候変動の問題をみなさんより、少し知るのが早かった人間だと思います

私が知った2年前には、気候変動のことを口にする人はほとんどいませんでした。

テレビでもやらなければ、家族ともなかなか話せない状況にありました。そしてこの認知はまだまだ低い状況です。

しか気候変動の危機タイムリミットが刻一刻と迫っています

日本はまだ気候変動アクティビストはほんの数十人しかいません。

けど、1億2000万人、むしろ78億人、もしかたらこからまれるすべての人たちの人生を背負っていると

いっても過言ではないかもしれません。なぜならCO2の大排出である日本政権

気候変動の対策をないがしろにしているからです。

私は昨日も夜中の3時近くまで活動の準備をしていました。余暇ほとんどを使って、寝る間も削って活動をしています

ただこんなことを知ってほしいわけではなく、それだけの事態だということを皆さんに知ってほしいです。

そして、私がこうして活動をできているように、普通の人たちにできることがたくさんあります

しろ私たちのような普通の人にしかできないことがたくさんあります

これまでも社会を変えてきたのは普通の人たちで、あきらめなかったごく少数の普通の人たちであると言われています

私たちは、小さいころから、人を楽しませることが好きでした。

大学卒業してから、大きなエンターテイメント系の大企業に勤めました。

そこで働いた5年間で分かったことは、今の行き過ぎた資本主義限界と歪みです。

そして社会を見て、周りを見渡たして、苦しんでいる人がたくさんいるということです。

人を楽しませたくて、社会に出た私にとって、とても耐えがたい事実でした。

そして腐敗した政治を知りました。

大切な人たちが幸せに生きる当たり前の権利を与えられていない現実を知りました。

さらに腐敗を加速させているのは、権力者でもなくて、無関心でいた過去の私でした

目を向けてこなかった自分が恥ずかしくて、これまで尽力してきた人たちをどれだけ踏みにじってきたのかと

苦しみました。けど唯一の希望はまだ間に合う可能性があるということです。

そして今からでも過ちをただすのは遅くないということです。

平和だと持っていた日本も、明るいと思っていた未来も、私たち必死に今、守ろうとしなければ守れません。

それをずっと守ろうとしてきてくれたのが、日本共産党です

今なら日本共産党という名前を掲げ、尽力してくれている政治家の方々が、本物の政治であることが私には理解できます

詳しいことが分からなくても、問題政策もよく分からないとしても、

ひとりの人として、ここにいる政治家の皆さんを見つめて耳を傾けてみてください。

理想でもなんでもなくて、当たり前の政治をしようとしているのが、日本共産党だと思います

あなたの大切な1票が、あなたとそしてあなたの大切な人たちの人生を大きく左右します。

どうか大切な1票を大切にしてください。ありがとうございました。


首都圏青年ユニオン 原田仁希

https://youtu.be/PrTatSI2vBs?t=988

みなさん、こんばんは。

ご紹介いただきました、首都圏青年ユニオンという労働組合活動しております原田にきと申します。

私は普段から労働相談を行っていますが、コロナの影響で労働相談が激増しました。

コロナウイルスで、シフトがなくなって、収入がなくなりました、働いている店舗が休業になったけれども、

会社が休業手当を出してくれない。収入がなくなって、もう生活できません。

こういった相談からは、多くの働く労働者たちの生活が苦しくなっている様子が、手に取るようにわかりました。

特にコロナの影響を受けて生活が困窮しているのは、非正規労働者のみなさんでした。

こういうときにいつもしわ寄せを食うのは、一番立場の弱い人たちなんですよ。

特に今回問題になったのは休業に追いやられたにもかかわらず、休業補償がなく、そのことで生活が苦しくなっている

そういう状況でした。

私たち労働組合として会社交渉し、なんとか休業補償を支払ってくれるよう求めて活動してきましたけれども、

給料を払える状況でない会社も多くありました。

こういう状況で、政治はなんで助けてくれないんですか。

私たち死ねといっているようなものだ。こういう声も多く聞きました

でも私たちあきらめませんでした。なんとか補償を得られないかと、厚生労働省に何度も要請を行いました。

そのとき私たちを助けてくれたのが、日本共産党議員の方々なんです。

議員の皆さんは、親身に話をきいてくれました。

そして非正規労働者でもパートアルバイトでも休業補償を得られるように、雇用調整助成金を拡充するように

訴えてくれました。シフト労働者が補償から漏れている、

このことについてシフト労働者でも休業補償を得られるように、休業補償支援給付金という制度運用改善を訴えてくれました

また、なぜかこの休業支援給付金という制度が、大企業非正規労働者だけ対象から外れているという問題があったのですけれども、

このことについても国会要請の場で、一緒に訴えてくれました。

そして結果として、そのすべてが実現されています

あの、政治仕事って、人々を助けることですよね。皆さん、

コロナの状況の中ではっきりしたことがありますよね。分かったことがありますよね。

これは、今の政権は助けてくれないってことです。

助けてくれる政治、助けてくれる国、助けてくれる社会、これを実現できるのは日本共産党だと僕は思います

既にわずかの勢力ながら私たちを助けてくれました。

日本共産党勢力はすごく弱いです。こんな共産党に入れても意味ないのではという人もいるかもしれませんが、

こんな共産党でもコロナ禍で、すでに多くの働く人々のために動いてくれました。先ほど言った、制度の実現もかなえてくれました。

こんな共産党議員もっともっと増えたらできることだったり実現することがもっともっと増えると思うんです。

私が実現する、その経験をしているので、自信をもって言えます

自公政権私たちを見捨てています。助けてくれません。老後のために2千万自分で貯蓄しろとか、

コロナ禍でも、三密避けて感染対策頑張ってくださいとか、CMばんばん流してますけど、

せっかく作られた休業補償支援金の制度について全然周知してくれてないんです。

いや、もっとちゃん仕事してくださいよ。

助けてくれる人がいないと、助けてって声も上げられないんですよ。

今そうなってないですよね。助けてっていっても助けてくれる人がいないから、声も上げられないんです。

皆さん、もう今の政権には退場してもらい、助けてくれる政治に変えませんか。

生活に少しでも不安や不満がある人は絶対共産党に入れた方がいいです。

ぜひ共産党に1票を入れて伸ばしてほしいです。絶対未来がよくなると思います

これまでの共産党の姿を身近にみて、そう確信しています

以上です。ありがとうございました。

2019-06-03

anond:20190603023325

思想信条の様々から嫌悪感とか忌避感ある人多いかもだけど、労基署より個人で入れそうな労組の方がめちゃくちゃ相談乗ってくれる

首都圏青年ユニオンとか、都道府県に必ず一つはある

あと、次にブラックに引っかかる前に、証拠をたくさん揃えておく癖をつけることを推奨する

大変だったな。まず休んで、ゆっくり考えよう

2012-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20120402224104

働いた分の給料を請求したいということ?

法テラス行ってもあんまり解決に至らないかもしれない。

自分も昔利用したが、行った意義を感じられなかった)


非正規雇用者対象のユニオン労働組合)に相談してみては?

関東なら首都圏青年ユニオンが有名かな。

そちらの方が親身になってくれるし、現実的に解決の道をたどれる気がする。

2008-04-30

39歳 全財産100円/細切れ雇用 食いつなぐ生活

 「恥ずかしながら、これが私の全財産でして」

 4月15日夜、東京飯田橋近くのNPO法人「自立生活サポートセンターもやい」。男性(39)は財布の中身を見せて、うなだれた。

 財布には小銭ばかりで100円ほど。前日に古本屋で本を売った400円の残りだ。飯田橋までの電車賃もぎりぎりだった。

 都内の電気工事会社の下請けで働くこの男性は、生活困窮者を支援する「もやい」に助けを求めていた。

 「いつお金が入りますか」

 「4月18日です」

 「いくらぐらい?」

 「たぶん、3万~4万円」

 「その額でいつまで」

 「次の給料日5月20日

 「それじゃあ、苦しいですねえ。どうしますか」

 「18日までしのげれば、アルバイトでなんとか……」

 1万円を工面してもらい、米5キロと缶詰5個をもらってしのぐことになった。両親は年金暮らしで頼れない。

 「本当にお恥ずかしい。仕事を探しながら働く繰り返しで、失業保険貯金もないものですから……」。何度も頭を下げてはお礼を言った。

 

 男性は99年、都内の私立大学卒業した。浪人留年を重ね、このとき30歳。就職氷河期まっただ中だった。

 派遣労働者として働きながら、就職活動を続けたが決まらない。派遣会社10社以上に登録し、契約が切れると清掃業務や建設作業などで食いつないだ。たまに採用されても契約社員扱い。細切れ雇用の全部は本人も思い出せない。

 そのうち面接で「どうして職をそんなに転々としているのか」と聞かれるようになった。これまで60社以上の面接を受けたが、正社員への壁は高くなるばかりだ。

 いまは工事で余った廃材の片づけなどをする仕事正社員希望したが、半年間の契約社員。日給1万円、翌月払いだ。3月下旬に入社し、3月は5日間働いた。

 ところが、4月18日給料日、3月分の給与明細を見てがくぜんとした。手取りはたったの2万1814円。健康保険料9456円、厚生年金保険料1万7995円、雇用保険料735円が天引きされていた。

 これでは家賃3万200円にも足りない。日雇い派遣大手のフルキャストを通じ、夜も仕事を始めた。

 午後5時に仕事が終わると、すぐ派遣先の倉庫へ。6時半から10時まで、ベルトコンベヤーに追われながら荷物の積み込み作業。時給は1千円。一晩で3500円にしかならない。

 くたくたでアパートに帰る。倉庫の仕事を始めた初日、1回430円の銭湯は高いのであきらめた。部屋は4畳半一間の風呂なし共同便所。布団はなく、2枚の毛布の間に入って眠る。2日続けたが、3日目に会社を休んだ。ダブルワークで疲れ切った。数少ない楽しみ携帯電話代1万1千円の支払期限で憂うつでもあった。翌日が、会社に昼の弁当代の3月分2千円を支払う日だったことも気分をめいらせた。

 翌朝。通勤途中、スーツ姿のサラリーマンたちが足早に彼を追い抜いていく。まもなく40歳になる。その数カ月後には、雇用契約更新時期がまたやってくる。

 「やっぱり、私のような人間では駄目なんです。ピシッとスーツを着て、ライフステージを踏んできましたって胸を張れないと、正社員にはなれない。そういう厚い壁を感じてしまいます」

 

 男性はたびたび、自分のことを「私のような人間」と呼んだ。まじめに働いても、30歳で大学を出たというだけで貧困から抜け出せない。広がる「ワーキングプア(働く貧困層)」。1年間働いても200万円以下しか収入がない人は、06年に1千万人を超えた。

福間大介)

職求め、坂道を転がる日々/32歳、脱・生活保護「やってみる」

 神奈川県内のハローワーク女性(32)が求人票を見始めて、もう3時間になる。

 「一般事務 18万円以上」。パソコンの画面には1度に20件の求人が表示される。55ページ目に入った。

 充血した目をしばたく。

 「資格持ってないと、全然だめみたい」

 高校卒業後、3年間は正社員だった。その後はバイト製造業派遣日雇い派遣へと。「坂道を転がるような日々」だった。昨年夏から生活保護を受けている。

 保護費は住宅扶助を合わせて約12万円。簿記パソコン資格がないと、選べる仕事の基本給は15万円程度。社会保険料税金を引くと手取り保護費を下回ってしまう。

 気を取り直して、5社分の求人票を持って窓口へ。職員から聞かれた。

 「経理の経験は?」

 「あります」

 「何年前?」

 「……9年くらい前」

 「ああ、それじゃだめよ」

 基本給20万円の事務職の求人には、履歴書を送ることもできなかった。

 

 高校を出て東京都内会計事務所に入った。実家から通勤2時間手取りは12万円ちょっと。気力も体力も尽き、3年でやめてバイト生活へ。居酒屋遊園地雑貨店……。転々とした。「ちゃんと仕事をしろ」という両親と口論が絶えなかった。「私だって必死で働いているのに」

 29歳の時、「仕切り直し」のつもりで、人材派遣会社日研総業に登録した。前年の04年に製造業への派遣が解禁され、求人誌には寮付きの仕事があふれていた。

 最初に行った宇都宮市キヤノンカメラ工場は、「長期」のはずが、減産を理由に3カ月で雇い止めになった。部品を組み合わせて2センチほどのモーターを作る仕事。寮費を引いて手取り約10万円。派遣仲間との間柄も良かった。「ここで1年働けたら、人生変わっていたかも」とつぶやく。

 派遣会社コラボレート(現プレミアライン)に変えた。横浜市内の松下電器産業工場携帯電話を組み立てた。寮費から冷蔵庫レンタル代まで引かれ、手取りは3万円以下。社会保険もなし。虫歯が悪化し、消費者金融借金して歯医者に行った。

 「先が見えないまま走っている感じだった」

 1年半で、派遣先は計4カ所。けがで働けなくなり、実家に戻った。その後もグッドウィルに登録して日雇い派遣。20日働いて収入は月7万円だった。両親との仲も悪いまま。うつ状態になった。

 

 昨年夏、家を出た。誰でも加入できる「首都圏青年ユニオン」を知り、相談に行った。書記長の河添誠さん(43)が笑顔で迎えた。「つらかったこれまでのことを、初めて人に話せた」

 付き添ってもらい、生活保護を申請した。以来、父母とは連絡をとっていない。

 彼女と一緒に実家のある神奈川県地方都市へ向かった。実家の手前で足が止まり、たとりつけなかった。実家を出る前は、帰宅せずネットカフェコンビニで夜を明かしたこともあった。「親が携帯電話してきたことは一度もない」。目が潤んだ。

 彼女アパートも訪ねた。6畳の和室、テーブル代わりの段ボールの上に「求職活動状況報告書」が載っていた。仕事を探した日数や面接の結果などを書き、毎月、市の生活保護担当者に提出する。

 これまで15社受けて、すべて落ちた。大抵は「転職が多い」が理由だった。「派遣という選択は人生最大の失敗」と自分でも思う。面接で何をアピールしていいかわからない。

 自信をつけるためにも資格が欲しい。雇用保険に入っていれば、国の教育訓練給付簿記検定や社会保険労務士資格を取る講座が受けられる。だが日雇い派遣だったため、1年間の雇用が条件の雇用保険には入れなかった。

 4月下旬、商工会議所簿記検定の受験を申し込んだ。3級の検定費2500円は河添さんに借りた。本屋立ち読みして勉強するつもりだ。

 「やるだけやってみる」

(諸麦美紀)

すべり台社会」――再起支える仕組みに穴

 野宿者や失業者の支援が中心だったNPO法人「自立生活サポートセンターもやい」だが、ここ数年は、働いている若者や働き盛りの家族持ちも駆け込んでくる。相談日の毎週火曜は電話が鳴り響き、面接ブースに列ができ、まるで救急病院だ。

 事務局長の湯浅誠さん(39)は「いまは、少し踏み外しただけでもすぐに貧困のどん底まで滑り落ち、なかなかはい上がれない」と語り、「すべり台社会」と呼ぶ。

 90年代の不況期以来、正社員職場パート派遣労働者に置き換えられ、いまや、労働者の3人に1人が低賃金で働く非正社員に。非正社員は、正社員を前提にした社会保険からもこぼれ落ちてしまうことが多い。

 たとえば、雇用保険は原則、週20時間以上働き、1年以上の雇用見込みがなければ入れない。加入できても、失業手当をもらうには原則、直近2年間のうち1年以上保険料を納めていることが条件だ。短期契約を繰り返す非正社員が、失業手当を得ながら再就職先を探すのは難しい。

 健康保険厚生年金に入るのも、雇用期間が2カ月以内だと原則として対象外で、労働時間正社員の「おおむね4分の3以上」が条件だ。社会保険料負担を避けるため。わざわざ適用外になるように非正社員労働時間を設定している企業も珍しくない。

 さらに最後のセーフティーネットである生活保護制度は、自治体財政難を背景に窓口で違法な申請拒否が横行。生活保護費以下の収入しかない人でも、申請さえ受け付けない例が後を絶たない。

 都留文科大の後藤道夫教授社会哲学)は「日本社会保障制度は『働いても食べていけない』状態を想定していない」と指摘する。これまでは、正社員であれば企業職業訓練をし、医療年金住宅保障の機能も担ってきた。「非正社員にとって、日本の福祉は『底抜け』状態にある。自己責任を問うだけの時期はもう過ぎており、具体的な対策を議論すべきだ」

福間大介、諸麦美紀)

 

日本、貧困率ワースト2

経済協力開発機構OECD)諸国の相対的貧困率ワースト10

国名相対的貧困率
米国13.7
日本13.5
アイルランド11.9
イタリア11.5
カナダ10.3
ポルトガル9.6
ニュージーランド9.5
イギリス8.7
オーストラリア8.6
ドイツ8.0

OECDの対日経審査報告書06年版から作成。貧困率は生産年齢人口の所得分布の中央値の半分に満たない人の割合(%)

2008年4月30日付 朝日新聞 朝刊)

 
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