はてなキーワード: 自己評価とは
清潔感といったら服装とか臭い対策とか色々あるわけだが、それらを整えるにはまず金が必要だ
服買うにしても、臭い対策するにしても、髪切ったり肌の状態整えたりするにも金がそれなりにかかる
自分で髪を切る、安い服でもおかしく無い様な組み合わせ方を模索する、あとは手作りの化粧水とか作る人もいるわな
ただ金と手間だけでは大体上手く行かない
当たり前だが親しくない人は服装などについて遠慮の無い評価を聞かせてくれたりはしない
(変な髪型だなー)とか(だっせぇ服だなぁ)と思っていても、口に出したりはしない
そんな事を口に出す事にリスクはあってもメリットなんて全くない
だから「そがん格好で街に行くと!? せめてアイロンくらいかけんね!」って言ってくれる家族だったり、
「お前なにその髪型? 鳥の巣? スチールウール? まだ坊主の方がマシだろ。さっさ床屋いけよw」って言ってくれる友人だったりが必要なんだ
例えば六畳一間のアパートで一人暮らし、家族とは疎遠になってるか、既に死別、友人は一人も居ない、それどころか普段会話する相手すら居ない、みたいな人が清潔感を身につけるのって相当難しいと思うんよ
服のほつれとか染みとか着ている自分は気づきにくいし、自分の体臭さえもなかなか自覚できないものだ
他人の評価ばかりを気にしすぎるのは良くないが、かといって他人の評価という指標が一切無いのに清潔感を維持するってのはまず無理だ
ある人に対する他人の評価はその人が人間らしく振る舞う為の型なんだ
だから他人の評価っていう型をもってない人に「型にはまった服装や立ち振舞いをしてればいいんだよ。そうすれば清潔感なんてすぐ身につくよ」って言っちゃうのって凄く残酷な事だと思うんだよな
「何故か逃げ続けた先に破滅が待ってるとか思う人というか、そう願いたい人が多いみたいんだけど、」
俺も逃げグセがひどいアラフォーだが、確かに上記のように考える人多い。自分もそうだ、だった。
俺も公務員でコミュ障なんで十数年のキャリアがあるが仕事もろくにできないんで大きなお荷物状態。辞めるのも考えたけど、行き着く先がどうなるかわからんで怖かったから居座ることにした。
無能無能という心の声が毎日聞こえる状態で自己評価はどんどん下がっていくが、不思議と慣れてきた。
別に同期に友達というか友達はどこにもおらんし、恥も外聞もなくなってきたから無能公務員やっていこうと思う。
なんかわからけどそういう考えになってきたところでこのエントリ見て勇気出た。
ありがと。
今までなんとなく他人に対して劣等感とか、申し訳なさみたいなものを抱えながら生きてきたんだけど、いい加減それじゃまずいと思って。
1年前から日記を付けて原因を探ってたんだ。んで、ようやく致命的な思考の癖を見つけた。
どういうことかというと、
→ワイ『こういう仕様に変更になったんかな?』
→後で気付いた上司に怒られる
みたいな。
この場合上司に確認が出来ればいいんだけど、自分以外の人が間違えてるなんて微塵も思ってないから疑問にすら感じないんだ。
この現象を割とどこでもやらかす。ミスが増えて自己評価も下がる。エンドレス。
ワイが言われた事のあるワード第一位は『普通に考えればわかるでしょ』。
今まで関わってきた方々、本当に申し訳ありませんでした。
これからは出来る限り疑問に思えるように、少しの違和感も見逃さないようにより一層気を付けていきたいと思います。
これを最後まで読んでくれた人はありがとう。もしも『それおかしいぞ』とか、『それならこうすればいいぞ』みたいな意見があれば教えてください。
では。
5段階評価のやつだ。満足、やや満足、どちらともいえない、やや不満、不満の5つからどれかを選択すればよい。たったそれだけなのだ。おそらく悩まない人は数秒で済むだろう。けれども、私は1~2分程度かけてしまう。
例えば映画のアンケートだったしよう。その映画に私は感動した。おそらく多くの人はそれだったら、そこに躊躇いもなく5を付けるだろう。しかしながら、私は悩む。なぜなら、すべてのものには完璧はないからだ。おそらくもうすこし面白かったであろう余白を見つけてしまう。また、つまらない面も見つけてしまう。悪い癖だ。そしてまた、ここで私が文句なく5とつけてしまったら、作者は慢心してよりよい作品を作る意識をなくすのではないだろうか?(いやたった一票にそんな大した効力はないことは知っている)5に印をつける前にそのことを思案してしまい躊躇してしまう。
じゃあ、いっこさげて評価4ならどうか?評価4も5も高評価であり大して違わないではないか?と考えてもよいかもしれない。しかし、それは本心とは違うのだ。満足したのだから。満足したのにも関わらず、「やや満足」につけたらそれはなんだか失礼だなとも思うし、自分に嘘をつくことになる。
そもそも、完璧な作品などない。しかしながら、「満足」した理由はその完璧ではない面も含めて、私は満足してるのではないだろうか?つまり、完璧ではないが、満足にはその「不満」が必要なのだ。もし、その不満が無ければ、私は「満足」に至らないのだ。よく「悪い面」というのは、それを除去していくことによって、何かは解決されたり、改善されるというが本当にそうであろうか?なろう系の追放ものみたく、じつはその「不満」を追放してしまったら、その全体の満足は失ってしまうのではないだろうか?そしたら5を付けられるのだろうか?
しかし、それは完全に満足したと言えるのだろうか?つまり部分としては不満があるわけで、他の人間は、満足しなかった場合、その作品は不満ではあるのだ。私の自己評価は5ではあるが、しかしながら、私の中の赤の他人がそれに1をつける可能性がある。そしてそれに私は共感してしまう。
自己評価高くてうらやましい