5段階評価のやつだ。満足、やや満足、どちらともいえない、やや不満、不満の5つからどれかを選択すればよい。たったそれだけなのだ。おそらく悩まない人は数秒で済むだろう。けれども、私は1~2分程度かけてしまう。
例えば映画のアンケートだったしよう。その映画に私は感動した。おそらく多くの人はそれだったら、そこに躊躇いもなく5を付けるだろう。しかしながら、私は悩む。なぜなら、すべてのものには完璧はないからだ。おそらくもうすこし面白かったであろう余白を見つけてしまう。また、つまらない面も見つけてしまう。悪い癖だ。そしてまた、ここで私が文句なく5とつけてしまったら、作者は慢心してよりよい作品を作る意識をなくすのではないだろうか?(いやたった一票にそんな大した効力はないことは知っている)5に印をつける前にそのことを思案してしまい躊躇してしまう。
じゃあ、いっこさげて評価4ならどうか?評価4も5も高評価であり大して違わないではないか?と考えてもよいかもしれない。しかし、それは本心とは違うのだ。満足したのだから。満足したのにも関わらず、「やや満足」につけたらそれはなんだか失礼だなとも思うし、自分に嘘をつくことになる。
そもそも、完璧な作品などない。しかしながら、「満足」した理由はその完璧ではない面も含めて、私は満足してるのではないだろうか?つまり、完璧ではないが、満足にはその「不満」が必要なのだ。もし、その不満が無ければ、私は「満足」に至らないのだ。よく「悪い面」というのは、それを除去していくことによって、何かは解決されたり、改善されるというが本当にそうであろうか?なろう系の追放ものみたく、じつはその「不満」を追放してしまったら、その全体の満足は失ってしまうのではないだろうか?そしたら5を付けられるのだろうか?
しかし、それは完全に満足したと言えるのだろうか?つまり部分としては不満があるわけで、他の人間は、満足しなかった場合、その作品は不満ではあるのだ。私の自己評価は5ではあるが、しかしながら、私の中の赤の他人がそれに1をつける可能性がある。そしてそれに私は共感してしまう。