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はてなキーワード: 拡張とは

2010-08-21

皆さんはホメオパシー起源を誤解しています

これ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/24208162

ブコメがひどいですね。リストに挙げられた故人の名誉のために少しお話をさせていただく必要があるようです。

ホメオパシー電波医者が編み出した電波理論だと思われていますが、それは違います。提唱された当初は、当時の先端医療の延長線上に立てられた有意義な仮説であり、当時の標準医療よりましなものでさえありました。その当時の信奉者は、必ずしもおかしなものを妄信していた非開明的な人物であるとは言えません。

今のように、ベルリンの壁分子0.6個(平均値)しか残らないまでに薄めたものを教室会社に噴霧すれば非コミュのお前らもいじめられなくなるなどというオカルトではなかったのです。(ベルリンウォールのレメディは、人間関係修復、いじめや鬱対策、戦死者やテロ被害者浄霊などに効果があります。)

ホメオパシーワクチン拡張理論

症状を引き起こす物質を薄めて体内に入れることで症状に対抗するという理屈

何かに似ていると思いませんか?

非常に薄めた菌を植えて抵抗力を獲得する、ワクチンですね。

エドワード・ジェンナーが種痘の接種に成功したのは1796年、発表は1798年。それ以前から天然痘の接種は行われていましたが、なにせ病人の膿をそのまま植えるので、結構発病して死にました。薄めて接種することで危険性を下げ、うまく効果だけを得る方式を編み出したのがジェンナーなのですね。

一方ホメオパシーの始祖であるドイツ医師サミュエルハーネマンが類似の法則を初めて世に問うたのは1796年(医学誌にエッセーを発表。これをホメオパシーと名付けたのは1807年?で、体系付けて理論書にまとめるのは1810年)。この時点では薄めることを条件としていないようですが、1800年には希釈したベラドンナを用いた記録が確認できます。

はい。ワクチンとごく初期の同種療法は、同時代の似通った発想なのです。

ハーネマンは希釈という手法をおそらくはワクチン研究から取り入れ、薬草でも同様に毒性を下げて薬効を得られるのではないかと考えたのでしょう。当時の最先端医療勉強し、さらに拡張して薬草の効果にまで敷衍できないかと考えたのではないでしょうか。毒を薄めて薬にする薬草は結構多いですしね。結果的には同種療法の考え方は誤っていたものの、当時おかしくはない着想であり、悪くない医学上の仮説であったと言えます。

ハーネマンはアホではない。真摯な学究の徒でした。砒素中毒に関するまっとうな専門書を書き残してもいます。だからこそ砒素水銀を処方していた当時の医療を嫌って独自の療法に走ったのであり、先端医療から希釈という発想を取り入れる聡明さも持ち合わせていました。

ふと思い付いてキナ皮を飲んでみたらマラリア類似の症状になったことから同種療法を考え付いたという逸話が有名ですが、ここに薄める手続きはありませんよね。そこは他人の先端研究を意欲的に取り入れた部分です。

ホメオパシーがまったく新しいオリジナルの着想だと言いたいホメオパス元ネタを隠蔽したためにここがミッシングリンクになっているのです。もっとも、ハーネマン自身もそうだったのかもしれません。そのまま採用するのが癪で、薄めれば薄めるほど有効などという蛇足を加えたのかもしれません。

同種療法が伝染病に効いた!

同種療法はハーネマンの元でほそぼそと試されていたのですが、これが世間の知るところとなったのは、1800年の猩紅熱の流行です。若草物語で三女のベスが死の淵をさまよう病気ですね。この時、上で述べた通り、希釈したベラドンナを使用しています。

ワクチンまでも開発されたご時世ではありましたが、標準医療としては依然、瀉血と(動物の血の)輸血が行われていました。そんなもん、ぴんぴんしてても死んでまうわ。

のちにナイチンゲールが語った通り、害のある行為よりは意味のない行為の方がましです。なので、同種療法は標準医療より生存率を高めました!

おめでとうございます。最先端医療である同種療法の有効性が確かめられました。

ホメオパシーの零落と再興

かくて華々しい実績を引っさげてデビューした同種療法はやがてホメオパシーと名を変え、1830年代までは標準医療に追われながらも果敢に戦っていたようです。が、1828年頃には、ハーネマンが次々思い付く新理論についていけないホメオパスも現れていました。ホメオパシーはもはやまったく医学上の一仮説ではなくなってしまっており、理論を信じて従ってきた者とどこまでもハーネマンに付く者という形でホメオパス同士の内部抗争が始まりました。

1830年からのコレラ流行で英仏が水際作戦に失敗したため近代医療への不信が高まったことがホメオパシー最後の味方となりました。ハーネマンは若い妻を娶り、パリ社交界に招かれさえもして、幸せ晩年を送ります。

しかし、それが最後の輝き。所詮は誤った仮説であったので、医療の目覚しい進展に伴い取り残されてしまいました。お疲れ様でした。役目を果たし終えた仮説に用はありません。誤謬でしかなかったホメオパシーは、そのままマイナー代替療法の一種に零落していったのでしょう。

ですが、第一次世界大戦戦後の暗い世相の中、ホメオパシーは再び胎動を始めるのでした……。ハーネマンの遺稿(と称するもの)が1920年に刊行されるほどに。

お知らせ

このエントリはあくまで当方の史観を示す読み物です。

http://anond.hatelabo.jp/20100821082052

惜しい!

貨幣とは工業製品に対して支払われるべきものだからだ。

ここでいう工業製品とは何かしらの資源を使って造られたもののことであり、資源とは人類にとって限り有る地球資源のことだ。

資源はほとんど無限にある人間精神活動に対して有限である。

故に精神活動を原料としいくらでも生産可能な書籍などとは違い無闇やたらと資源を大量使用されては困るのだ。

そこでそういうった粗製濫造を防ぐために導入させた制度貨幣経済である。

という論理、「資源が有限なものに対してのみ、貨幣が支払われるのが正しい」という論理に到達しておきながら

他方、スポーツ選手のギャラや弁護士への相談費用インストラクターへの代金など

明らかに地球資源の活用とはなんの関係性も見出せないような事柄にも貨幣は使用されている、これはなぜだろうか。

これは貨幣経済が発達しその目的拡張した結果である。

この結論に至ってしまうのは実に惜しい。

「なぜだろうか」の答えは、スポーツ選手の才能や弁護士インストラクター時間もまた、有限資源だから」だ。

イチローダルビッシュ地球上に唯一無二の存在だ。その意味で彼らの才能は「有限の資源」なのだ

弁護士インストラクターにしても、その人数自体は沢山いるかもしれないが、「彼らが持つ時間(可処分時間)」は有限なわけだ。

となると、弁護士相談費用インストラクターへの代金もまた、有限の資源を占有する代償といえるわけだ。

貨幣は、原理的に排他的に占有可能なものにのみ、支払われるべきである」とする意見は新しくはないのだが、

  1. 多数の参照を求められる情報にはそれだけの価値がある(価値があるからこそ、参照される)→よって、高価格がつけられるべきである
  2. 同一なものが多数存在すると希少性を失う→よって、価格が下落すべきである

という、「情報価格の矛盾」を是非解決して欲しいものだと思う。

投票義経済??

電子出版の事を考えていたらなんか色々と夢想したのでメモ

ここで言及されている各分野とその用語には著しい知識の欠如、誤認等があるでご注意ください。

一般的に書籍は有料であり、貨幣を対価として支払わなければ入手することはできない。

しかし巷には図書館というものが存在し、ほとんどの書籍無料で一定の期間手に入れることが可能である。

つまり情報をタダで入手することができるというわけだ。

弱者のための社会インフラとしてこのようになっているのだが、根底にあるのは情報無料であるべきということだ。

それを裏付けるようにインターネットでは多くのものが無料ロハである。

電子出版など情報を売って対価を得ようとする向きもこのほどはあるようだが、由々しきことである。

貨幣とは工業製品に対して支払われるべきものだからだ。

ここでいう工業製品とは何かしらの資源を使って造られたもののことであり、資源とは人類にとって限り有る地球資源のことだ。

資源はほとんど無限にある人間精神活動に対して有限である。

故に精神活動を原料としいくらでも生産可能な書籍などとは違い無闇やたらと資源を大量使用されては困るのだ。

そこでそういうった粗製濫造を防ぐために導入させた制度貨幣経済である。

貨幣バロメーターとすることにで人々の人気が高く必要とされている製品とそうではない不人気、不必要な製品を区別できるようになったのだ。

こうして誰もが欲しがるような素晴らしい製品には資源がより多く消費され、

誰も欲しがることのない欠陥製品には無駄資源が極力投入されないというように限り有る資源が有効活用されるようになった。

現在のところ資源完璧リサイクル方法は見つかっておらず際限なく使用していればいずれ枯渇する危険があるからだ。

この貨幣経済の成り立ちについては世界各地でそれぞれ別個に起こったものなのだが、

これはどのような人類社会にあっても無限には存在しない資源をどのように民意を反映しつつ利用していくかを模索し突き詰めた結果であると考えられる。

このように、貨幣を使用するというのは資源の活用方法についての投票行為なのである。

人と人とが接触することによって無限に生まれる情報やそれを記録する活動に対しては、それらがいくら大量に

生産されたとしても材料となる素材がほぼ無限存在しているため一向に構わず、貨幣による投票を必要としない、つまり無料であるべきなのだ。

現代の市場では書籍に対して価格が設定されているが、これは紙資源の分配、活用使途への投票であり、中身の情報はタダである。

これはインターネットに記載された情報のほとんどや市井の会話を盗み聞きしてもそこに支払い義務が発生しないことからも容易に理解できるであろう。

他方、スポーツ選手のギャラや弁護士への相談費用インストラクターへの代金など

明らかに地球資源の活用とはなんの関係性も見出せないような事柄にも貨幣は使用されている、これはなぜだろうか。

これは貨幣経済が発達しその目的拡張した結果である。

現代の政治では多くの民主主義を謳う国家議会制が導入されている、これは国の意思決定について直接国民が判断を下すのではなく、

国民投票によって信任を得た一部の人間がいわば代理で国家を運営する制度である。

同様に、経済活動についても現代ではそのほとんどが直接の投票ではなく、自らの票を能力の高い人物、組織に付託し権利を移譲する間接的な投票行為が多くを占めている。

先程のギャラや相談費用などは全てこれに該当するというわけだ。

こうしたように人類社会のなかで相対的に影響力が大きく能力が担保されている人物が多くの投票権を得ることでシステムの信頼性が向上しているといえる。

人ひとりの平等を貫き有用な社会活動を通しての投票権利移譲を認めなかった社会主義では資源運用指針が実際の需要とは大きく違ったものとなり失敗してしまった。

この社会主義破綻を見てもわかると思うが発達した貨幣経済では貨幣の役割は限り有る資源の使い道を決めるだけに留まらず人類全体の意思決定にまで及んでいる。

これは統一された価値基準である貨幣が本来可視化の難しい相対的な人間の意志や欲望をうまく数値化し社会的評価などをも内包せしめた複雑な投票活動を可能にしたからである。

人間の意思を矢印に見立てるとそれまでおのおのバラバラの方向を指していたように見えた矢印が

貨幣という媒体を得たことによって大まかにではあるが、複数個の矢印により構成されたグループの指す向きや全体の指し示している方向が見えるようになったのだ。

貨幣経済とは、いうなれば人類目標たるを示してくれる投票制度であり、期せずして出来上がった人類最良のシステムである。

2010-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20100816161625

じゃあどこに作ればよかったの?

当時羽田拡張技術的に無理があったでしょ

ほかに受け入れOKだった土地ってあるの?

2010-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20100812180642

どのレベルの応用かよくわかんないけど、拡張ユークリッドの互除法で逆元を求められるって話につながるんじゃないの

2010-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20100727134442

付き合うのも馬鹿馬鹿しいんだが。

基本、優秀な人間を集めてビジネスを興す

これは、何処から出て来るんだよ。w

拡張しよう」と言うのだから、そもそもビジネスは既に始まってる。

なんで、人を集めないと始められない話に固執してるんだ。

しかも、そこで見切り発車する奴は向いてないって、そりゃそうだ、そういう定義ならな。


人や資源が集まらないなら、今まで通りの業務をすれば良い。

それでチャンスを逃して、次の機会まで動けなくなるかもしれないが、今のビジネスが潰れる訳じゃないだろ。


別に、創業メンバーで出来るまで仕事をして、そのまま年老いて事業を引き継ぐことなく死んでもいいんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20100726104348

優秀な人間が集まらないことがわかっているのに、優秀な人間を必要とする商売をしようとする人間は商売人には向かないよ。

大元からみていて、なんか全体的に違和感があるんだよな。

もともと3人で回る商売を始めたとする。

これは創業者によるエキスパートシステムで、創業者は「自分の考え」で商売しているから、その範囲で賄える商売であるうちは何の問題もない。

問題はそれを拡張するときに発生する。

「他人」が中に組み込まれるとき、どういう風に生まれ変わるか想定できない人は、「管理者・経営者」に向かない。

エキスパートのみを求め、あくまで個人の集団でいくのか、エキスパートが指揮する精鋭部隊を幾つか作るのか、そもそも業務を単なる作業にしてしまうのか。

それはビジネスビジョン相談の話で、どれが良いとか悪いとかではない。


やりがい」という物だって、職人的なやりがい普通に存在しえる。

それを「体のいい道具だww」と笑うのは、なんというか自分の商売を笑っているようなもので、それならそれで良いのではないかとも思えてしまう。

客も従業員も商売さえも、単に記号であり、それを躍らせるのが「やりがい」だと言っている様なものだしね。

そういう価値観も「あり」だとは思う。

2010-07-25

プログラミングを身に付けるには

http://anond.hatelabo.jp/20100725025127

"どうすればいいか"を教わって、プログラミングが身につく人は多くありません。"なにをやりたいのか"を自分で生み出せないと、詰まってしまうし、なにより楽しくありません。

やりたいことがあれば手段は後からついてきます。これは物作り全般に言えることです特に学び始めにおいてモチベーションを維持し勢いをつけるのに大事なのは"やりたいことがあるか"、もっと具体的に言うなら"作りたいものは何か"です。これがないと始まりません。それがどうしてもないなら、そういう状況に自分を追い込むのも有効です仕事でどうしてもやり遂げなければならない状況に追い込まれれば人間 0 からでも身につきます。実際自分がそうでした。

とかく、プログラミングというのは手段さえ知れば、あとはだれがやっても同じ結果が出る生産業だと誤解されがちです。そういう認識で学ぼうとしても楽しくありませんし、本質を掴みにくいので応用が利かなく上達しにくいです

本質は絵や音楽と同じです言語を覚えるということは道具の使い方を覚えることでしかありません。音楽理論や絵筆の使い方を知っているだけで、すぐに素晴らしい音楽や絵ができるでしょうか。殆どの人がそうは思わないはずですプログラミングもそれと同じです。作りたいものがある人が圧倒的に強いのです

また、やりたい分野によって向いている言語は違います

んー、ここまで読んでも「やりたいことはないけどとりあえず勉強したい」というなら、すぐに動くものをつくりやすい言語お勧めかなあ。

Google App EnginePython をやるとか。 Python のいいところは、明快で作法にあまり迷わなくていいところです自分がまったく言語やったことない知り合いにすすめるとしたらこれ。

レガシーではないちゃんとした JavaScript (http://www.crockford.com/javascript/ この辺にあるような) もいいですブラウザですぐ動きますし、 Firefox 環境なら本格的なデバッガまでありますJavaScript は非常に誤解の多い言語ですが、悪いものではありません。 お手軽にグラフィカルなものを扱える、結果がわかりやすいので初心者向けです。それでいて、拡張性が高く、プログラミングに必要な概念ロジック殆ど再現できる底力も秘めています

Perlレガシー作法がいまだに見受けられる (Perl って CGI のことでしょ的な解説が未だにある) のですが、初めから strict に慣れて、 CPAN にあるようなスタイルを参考にして、初めから OOP に突っ走るなら今からやってもいい言語ですCPAN 等のリソース豊富さとコミュニティの広さが強いです。ただ、懐の広さ、できることの多さゆえに初心者向きではないところもあります

PHPお勧めしません。理由は適当検索してください。 PHP5 でかなり良くなりましたが、逆に言えば 4 と 5 では別言語と言っても良いほどです。古い考え方と新しいスタイルがごったになりすぎていて、かつて同じような状況にあった Perl に比べても、洗練されたスタイルを学びにくいと思います。また、ロジック面白さに感動するような部分が PHP にはちょっと足りないです

MMORPG やそのエミュレーターの中には、 Lua を使って AIマクロイベントスクリプトなどを組めるものがあります。すぐに結果が出て自分の役に立つものが作れるので、既にその手のゲーム趣味ならお勧めです。こうした用途では、自分の望む世界を構築するために嫌でも物事をモデル化して考えるので、自然OOP 的な考え方やデザインパターンが身につきます

VB は簡単に GUI アプリケーションが作れるのでやる人が多いですが、癖が強いし応用がききにくいのでお勧めしません。また、公開されているソースコードが少ないことも学ぶには不便です

Ruby はそれほどやりこんでないのでコメントはしないでおきますが、悪くはないと思います

C++ は何をすればいいのか?を聞いてる人にはすすめにくいです。作りたいものが明確にあり、ロジックを見つけることで応用が利く人ならほっといても覚えるでしょう。自分は、必要に迫られて身につきましたが・・・

個人的には、作りたいものがあってそれにマッチしてるなら、関数型言語最初にやったっていいと思います。一度ロジックを掴み取る能力がついてしまえば、第二第三の言語は猛スピードで身につくので。

人に見せて使わせてレスポンスをもらうことが大事

作ったものを公開して、人に見せたり使わせたりして、レスポンスを得るというのはモチベーションの維持や上達に非常に有効です。むしろ、早く上達したいなら必須と言ってもよいですプログラミング場合はこれがおざなりにされがちです

絵を上達したいなら、 pixiv を薦められますよね。今下手かどうかは関係ない。上手くなりたい人が沢山投稿してる。歌が上手くなりたいなら、人前で歌う事は避けられない。ニコニコ動画などで公開してる人がいるよね。人の作品をみると刺激をうける。これはすごいパワーだってのはわかると思う。

プログラミングだって全く同じです。なのに、プログラミングは引きこもって一人で勉強する人が多すぎる。絵や歌は公開しても人に害を与えないけど、プログラミングバグセキュリティホールがあったら人に害をあたえるかもしれない、といった印象が強いのかもしれません。

それでも、もっとコミュニティに参加したり、作ったものを公開することが学び始めのうちから重視されていいのは事実。そういった面から考えると、バグセキュリティホールが出来にくく、安全で、危険な動作がしようもない実行環境があり、加えて Web に公開しやすい言語が学びはじめに向いています

こちらも参考にしてみて下さい

http://d.hatena.ne.jp/Hamachiya2/20090721

http://d.hatena.ne.jp/Hamachiya2/20080131

学校に行く必用があるのか

学校に行けば一人で学ぶよりは後押しや出会いがあるかもしれませんが、”やりたいこと””必用なこと””作りたいもの”が無い限り、殆どの人は身につきません。

また、残念なことに講師にも大変当たり外れが多いです自分専門学校にいったことはありませんが、講師の知り合いがいるのでよく学生さんの話を聞きます。結局の所、しっかり身につく人は、家に帰っても色々作りたいものを作って公開したり、著名なプログラマ達のブログを読みまくったり、フォーラムに出入りしたり、ML に入ってたり、 twitter で刺激的な知り合いをつくるとかしていて、そういうところでめっちゃ差がつきます

学校に行くなとまでは言いませんが、学校いかないで身に付ける人は本当に多いし、学校いって身につかない人も本当に多いということは考えて下さい。

26日追記

ブクマ増えてた!ありがとう

元増田さんがどの言語をやれば・・という方だったので仕方なくこのような書き方になってしまいましたが、作りたいものが既にある人はあまり”どの言語をやるか”には拘らなくてよいと思います

そんなことよりも、今必用で/気軽に/すぐ結果がわかることをやるのが、始めてのプログラミングには大事。だから本当は、どの言語をやるかよりも何を作りたいのかを先に見つけてほしい。

目の前の意外なところにプログラミングは生かせます。できるだけ身近な、すぐ効果がわかるところからとりかかった方がプログラミングの楽しさにはやく気付けるはず。

みたいな導入口でもいいんだ。

例えば C++ でのプログラミング初心者が 0 からやるのは難しいだろうけど、既存アプリケーションプラグインなら開発のためのテンプレート目的に近い作例があってコードも短いからそれを改造するところから始められる。需要があるから楽しいよ。

目の前に実用的な目標があるってのが大事

2010-07-17

HDD増設→パーティション移動・移行方法(WINDOWS XP)

現在HDD1個に2つのパーティーションを切り、

[C:Program][D:Data]という名前を付けており、OSはC側に、データはD側に入っており、データ領域のD:Dataを新HDDに移動させたい場合

(CドライブOS側の移動方法は不明)

【α-HDD増設】

α-1/ SATAHDDを買ってくる。

α-2/ HDDデータケーブル・電源ケーブルマザーボードと繋ぐ。

    →ケーブルはマザーボード購入時に付いている。なければ購入。

α-3/ 起動中にBIOS画面を出し、HDD認識しているかチェック。

α-4/ OSを起動し、[マイコンピュータ]を右クリック→[管理]

    で、[コンピュータ管理]画面を出す。 ([スタート]ボタンからも可能)

α-5/ [コンピュータ管理]画面。

    記憶域→ディスク管理

α-6/ 今繋いだHDD右クリックフォーマット

α-7/ よくわからないが、種類は[プライマリ]でいいようだ。

α-8/ 長くて6時間程度でフォーマット(初期化)終了。

    ドライブレター(CとかDとか)は自動でつけられる。ここでは仮にH:とつけられたとする。

【β-パーティション移動】

β-1/ Partition Wizard Home Edition (freeware)

    をDLし、インストールする。

    参考: http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090815_partitionwizard/

β-2/ Partition Wizard起動。

    現在パーティションに、以下の操作を加える。

    ・今取り付けたHDDの領域を[Delete]し、Unallocatedの状態にする。

     →α-8でせっかく初期化したのに、とも思うが、それとは別かもしれない。

      論理フォーマット(ローレベルフォーマット)とディスクフォーマットは違う・・・筈。

      でも、もしかしたら、α4~α8までの作業は必要ないのかもしれない。

    ・前のHDDのD:Data領域を[コピー]し、今取り付けたHDDペーストする設定にする。

    ・左上の[Apply]ボタンで開始。その前に常駐ソフトは終了させたほうがいいらしいが、

     消さなくても問題はなかった。

【γ-ドライブレター変更】

γ-1/ 念のため、現状できちんと起動するかチェック。この時点では単に新しいHDDに、旧HDD内のDパーティションを新HDDコピーしたにすぎず、旧HDDのDパーティションは残っているので、

何の問題もなく起動する筈。 ついでに新HDDにきちんとコピーできたかチェック。

γ-2/ [コンピュータ管理]画面を出し、[ディスク管理]で、現在HDDにある、D:DataのドライブレターをD以外(Iなど)に変更する。

 →この時、同時に新HDDパーティションをDにしたいところだが、残念ながら一度に1つのドライブレターしか変更できない。

γ-3/ 再起動する。この時、旧HDDexeファイルのあるアプリケーションプログラムは起動しない。

    よって、この方法はOSの入っているCドライブには使えないことになる。

    →しかし、CD起動などの方法があるのかもしれない。

γ-4/ [コンピュータ管理]画面を出し、[ディスク管理]で、新HDDにある、H:DataのドライブレターをDに変更する。

    →新HDDパーティションがD:Dataとなる。

γ-5/ 再起動する。D:Data内のexeファイルがきちんと実行されたか、Dドライブデータを置いていた場合、Cドライブアプリからきちんと読めたかどうかチェックする。

【σ-旧HDDパーティション削除、パーティション拡張

σ-1/ Partition Wizard起動。旧HDDのかつてDパーティションだった領域は、現在I:Dataとなっている。

    →右クリックパーティションDeleteする。

σ-2/ Deleteした領域がUnallocatedになっているので、Cパーティションの領域の端を引っ張り拡張、旧HDDいっぱいに拡張する。

σ-3/ Applyを押してパーティション変更を確定。

σ-4/ 再起動をかけ、デスクトップなど若干レイアウトが崩れた部分を手で修復。

2010-07-11

http://anond.hatelabo.jp/20100711015057

JavaScriptメインで使えるよ。

実行速度は遅いけど、代わりに手軽さがあるし。

サーバで使うにはレガシーASPを使う。

.NETにもあるが、Microsoft拡張版で・・・使ったことはない。

クライアントでもブラウザ以外で、スクリプトホストってやつで実行できるし、JavaScriptが使えれば結構なんでもできる。

2010-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20100705190940

親父の願いがこもっているね。

これを拡張していったら、最強のDQNネームは、

じゅげむじゅげむ……かな?

誰かつけないかな? >新米増田パパ

そもそも、字数制限とかあるのだろうか?

2010-06-20

仕事について

なぜこんなに自分仕事しているのか考えてみた。

端から見たら、だからどうした?という内容だから

読み飛ばしてくれて結構だ。

考えて出た結論は、

会社が儲かっていない

・だが会社の仲間が好き

・そして自分がいるのはどう考えても不採算部門

だからだ。

不採算部門とはいえ、成長性は非常に高い分野ではあるので、

自分たちの食いぶちぐらいは確保したい→いずれは会社利益に貢献できるぐらいに

拡張していきたいと考えている。

労働基準法の基準を超えて、自分がアホみたいに働いているのは間違っているとは思うし、

ニート海外就職日記で書いてあることもまっとうだと思うし、

自分の実力ならいつでも転職できるぐらいの自信はあるが、

それよりなにより、今いる会社を失うことが最も寂しいことだと思っている。

だから俺はしばらく働き続けてみる。

2010-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20100610135032

スパルタでは、10代の頃には同じ兵役についた逞しい若者恋人アッー!なことをたくさんして尻穴を拡張して性欲を発散するとともに、市民としての連帯感を高めていたのですから、30歳で嫁をもらっても全く問題ありません。スパルタのおっさんにしてみれば、逆に嫁などよりも紅顔の美青年をもっとよこせといいたかったに違いありません。

2010-05-25

2chのスレッドをみていてワケの分からない書き込みがあった

VIPで下らないスレROMっていたのだがあるレスを読んで、全く意味がわからなかったので貼る。

581 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/05/23(日) 08:22:51.91 ID:auKzRreCP

ラノベも読むし、ジョイスチョーサーも読むよ。

ラノべだけしか読まない/読めないのは人生損してんぞ

585 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/05/23(日) 11:05:24.06 ID:pEo8pd5l0

››583

581の理屈

1)「人生にはAもあるけどBもあるぜ」と云う点で無限拡張できる。

2)AもBもコストがかからないかのように書かれているけれど、

 実際には経済リソース時間リソースも消費される。

3)人生時間は有限である。

4)1から3を考えると「AとB(およびそれに続くC以降の全て)」を

 すべて受け取るような人生人間存在しない。

581の理屈で比べられるのは

ラノベを1冊を読み1冊分の空き時間をもっている人」と

ラノベを1冊とラノベ以外の小説を一冊読んでいる人」だけだよ。

でも、実際には「ラノベを1冊を読み、映画を一本見ている人」や

ラノベを1冊を読み日曜料理を楽しんでいる人」なども居るわけだ。

ラノベを1冊を読み友達と遊びに行く人」にたいして

ラノベを1冊とラノベ以外の小説を一冊読んだほうが得だ」とはならんだろ?

だから「偽」だよ。

586 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/05/23(日) 11:24:20.96 ID:PgkqV32L0

››585

多分前者の大半はラノべ2冊読んでるからあまり間違ってはないと思うよ

まあ小説じゃなくても趣味が広がる事はいいだろうけど

588 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/05/23(日) 11:46:23.37 ID:pEo8pd5l0

››586

その「趣味が広がる事は良いこと」ってのが、そもそも偽なんだよ。

人生時間は、有限。そこの処は、もうどうしようもないんだよ。

数学的に見たら趣味が広がりきるって云うのは、

ほとんど無趣味と同じ状態になるでしょう?

だから現実的には、「趣味が広がる事」は必ずしも善じゃないんだ。

589 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/05/23(日) 11:54:53.49 ID:PgkqV32L0

数学的に見る必要なくね?

まあ俺は日曜日にこんなところで人生時間とやらを無意味にすごしてますけど

591 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/05/23(日) 11:59:06.98 ID:pEo8pd5l0

››589

元々の発言、586が現実的な前提のない理念的な

(つまり数学的な)発言だから、仕方ないんだよ。

そう、普通現実的な人間は、そこまで趣味を増やさないし

雨の日曜日2chでぐだぐだしてたりするから

趣味を増やすのは必ずしも善じゃない」とか言わないで済む。

この意見に否定をしたいとか肯定したいとかではなく、そもそも言っていることが分からない。

普通ラノベだけじゃ損をしている、小説も読んだ方がいいというなら、ラノベより小説のほうが質がいいものが多いんだとか

ラノベ小説価値は同等だとか、たくさんのものを読んだ方がいいんだとかそういう話になると思い込んでいただけに、

どういう視点からみるとこういう意見を理解出来るのかがよくわからない。

正直に言えば混乱していて何がわからないのかもうわからないのでダレか教えて欲しい。

2010-05-18

相変わらず

Chrome Gestureとかのマウスジェスチャ系の拡張は、Chrome拡張機能画面じゃ全然効かない

いつまでこの不具合を放っておくつもりなんだろね

最大の欠点じゃないか

2010-05-17

有料はなしで

はてなブックマークで、タグをつけてないブックマーク一覧を表示するにはどうすりゃいいの?

Firefox拡張はてなブックマークとかだと、タグつけてないブックマーク最近のでない限り絶対表示できないよね

あれすっごい欠陥だと思うんだけど

2010-05-04

音楽の目覚め

ずっと、音楽はカッコつけのやるものだと思ってた。

 

「こんなスタイリッシュ音楽聴いてる俺、カッコイイだろ」というファッション感覚のアピールだったり、

ギター弾く姿を見せ付けてあわよくば女にモテようとか考えてる、

嫌味でスカした連中だけが嗜むものだと思ってた。

 

間違ってた。

私は音楽に目覚めた。

身体が音楽を求める感覚を知った。

音楽が耳から流れ込み、体中を巡り、内臓を震わせ、毛細血管を拡張させ、

体温は上がり、肌は上気し、筋肉が疼き、たまらなく嬉しく、気持ちよく、

いつまでもこのまま外側からも内側からも音楽に充たされていたいような、

とにかく、ひたすらに、胸がいっぱいになる感覚

 

知人に音楽の話を振りまくった。

どんなの聴いてますか!いいのありますか!教えて!教えて!

YouTubeでめちゃくちゃに音楽を漁った。

どうして今までこんなすばらしいものが理解できなかったんだろう。

興味はどこまでも広がっていった。

無知で無感動だった長い時間を埋めたくて、ひたすら夢中だった。

 

私は20歳。周りも同年代が多い。

音楽の話を振ってみて初めて、周りにバンド経験者が意外と多かったことを知った。

彼らは中学音楽に目覚め、高校まで音楽活動に熱中し、

しかし今となってはその熱も落ち着き、音楽で食っていくのは無理があるだろう、

そろそろ現実を見ないとな、結婚だってしたいし、定職につくのは必須だな…と、

見事に大人になっていた。

 

私が何も知らないうちに燃え上がり、そしてさっさと大人になってしまっていた同年代たちの中で、

私の情熱だけが痛々しく空回っている。

落ち着いて将来のための準備をすべき時なのに、

目覚めたばかりの感覚が身体の中を、出口を求めて暴れている。

 

苦しい。何故今なんだろう。

私はきっとGWの間に必ず楽器屋へ行く。

2010-05-01

Appleは善良な企業

http://jp.techcrunch.com/archives/20100430joe-hewitt-web-development/

アンチMSは聞くけど、アンチAppleは聞かない

MSは囲い込み戦略を、その決して洗練されていないソフトウェア品質から叩かれることがあるけど、

確かに、独自技術特許で固めることはしていなかったように思う。

現に、Ajaxテクノロジーは、基礎をIEの独自拡張から始め、firefoxなど他のブラウザの実装に発展してきた。

Adobe Flashも同じくユーザーに何一つ強制はしていない。

そして事実上今日の一般的なミドルウェアとして使われている。

そのFlashプラットホームを、Appleは否定しているものの、

では、代替となりえる技術Appleが開発して W3C標準化を求めるかというと

そんなことはしていない(HTML5Appleが推進していたのかどうかは知らないけど)

ただ、ネットをもっとオープンで誰もが自由に使えるものにしようとしている気がした。

Mecabがこれから iPhoneプラットホームで使えなくなる(広義)という話を聞いて

珍しくApple非難が一般デベロッパ・一般ユーザーからも出てきたな、と思ったところではたと気づいた。

iPod移行、Apple には Google よりもクリーンイメージ自分の中にあったのだ、と。

では Appleは善良な企業か、Google のように「悪いことはしない」という企業哲学に基づいた経営なのかというと

それは分からない。

Apple は善良な企業なんだろうか

2010-04-23

Twitterは良すぎるのかしら?

From Creating Passionate Users

By Kathy Sierra

2007年3月

私はTwitterが怖い。これだけ人気があるサービスだけれど、私は少なくとも三つの問題点を見て取れる: 1)Twitter心理学にいう「間欠的不規則報酬」のほとんど完璧な実例である。これはスロットマシンが人を惹きつける仕組みと同じ。 2)Twitterを使うことで得られる強力な「人とつながっている感覚」は、脳を騙して「何か有意義な社会的交流を行っている」と思わせてしまいうる。その一方で、脳の別の(古い)部分では、そこに人間の生存にとって重大な何かが欠けていると「分かっている」 3)Twitterは「常時マルチタスク状態」の問題を悪化させる要因の一つであるーーもしかしたら他のものよりもっと強力かもしれない。Twitterをしながら(もちろん、emailでもチャットでも同じ)、深く考え込んだり、フローの状態に入ったりすることはできない。

[注意: 私はこの問題について本当に少数派みたいで...ほとんど100人中99人がTwitterを支持している状態だから、たぶん私が間違っているのでしょうね(でもとりあえず書いてみるけど)。それと、この記事の大部分は、関係するテーマについて私が書いた様々な記事を混ぜ合わせて作ったものです]

この三点についてもっと詳しく見てみましょう:

1) Twitterスロットマシン

スキナー発見の中でも最も重要なものの一つは、間欠的に強化された行動は(継続的に強化されたものとの対比において)、最も消えにくいということだ。言い換えると、間欠的な報酬予測可能な報酬より優れているのだ。これは大抵の動物トレーニングの基礎となっていて……人間にも応用が効く。スロットマシンがあんなに人の心に訴えるのはそのためで、別に中毒にならずともこのことに気がつくことはできる。

Time誌のマルチタスクに関する記事より:

テクノ心理学者パトリシア・ウォレスは〔中略〕Emailがーー十代の子供のみならず成人に対してもーー持つ魅力の一部はスロットマシンの持つ魅力に似たものだと主張している。「間欠的変動強化を受けているのです」とウォレスは説明する。「毎回報酬をもらえるのか、またどれくらい頻繁にもらえるのかがはっきりと分からないがゆえに、ハンドルを引き続けるのです」

2) 人とつながっているという感覚

多くの人にとってTwitterの最大のメリットは、他の人とよりつながっていると感じられることにあるようだ。カーソン・システムズのリサは、Twitterを擁護するテラ・ハントの記事へのコメントの中で、これを次のように表現している。

Twitterは友達の感情地理的な場所、動作を記録することによって〔中略〕このギャップを生めてくれる。まるで私たちが本当にそこにいるみたいにね。このおかげで『本当に』つながっているって感じになるの」

これは本当に良いことなのだろうか?

おそらく、答えはイエスなのでしょう。たぶん、ほとんどの人にとっては。けれど、「人とつながっているということは常に良いことだ」という反射的な回答は批判的に検討してみる価値はあると思う。UCSFの神経生物学者であるThomas Lewisさんは、「注意しないと、たとえ実際はそうでない場合であっても、人は脳の一部を騙してーーはるか昔より人の生存にとって不可欠なものであるーー本当の社会的交流を行っていると思わせてしまう」と主張している。これは不快な(しかし無意識の)認知的不合致、つまり脳が必要だと思っているものを取っているのだけど、「科学的に完全に分かっているわけではないけど、おそらく嗅いで感じられる何か」を満たすには足りないという状態につながる。彼はこれをTwitterについて言ったわけじゃないけど……Conference on World Affairsで彼の講演を聞いた時には、emailやチャット、さらにはテレビにまで言及していた(脳は「人々」を見ていると認識して、社会的関係を持っているに違いないと考える(GOOD)、けどそこには何かが欠けているとも気がついている(BAD))

Lewis先生はとても多くの研究を引いていたけど、私はそれを書きとめなかったので、このことは割引いて聞いてもらってもいい。加えて、私は彼がemailやチャットについて述べたことをTwitter拡張していることにも注意。けれど、Lewis先生が言うことには、私たちがこのようになる理由の一部は、私達の脳が体の身振りや顔の表情や声の調子などを解釈する先天的能力を発達させていて、こういう情報チャンネルを予期していることにあるのだという。だから、社会的交流があるように見えているけれども、この先天的な、昔ながらの脳の機能の一部が働いていない状態になると、ストレスを感じるのだ。

繰り返すけれど、だからといってそれに見合う価値がないというわけじゃない。これは遠くに離れた家族や友達とつながっているには非常に有益なものだ。私が言いたいのは単に、これが一部の人々に「私はつながっている」という誤った感覚を与えていて、現実のつながりを犠牲にさせているかもしれないと問うてみる価値があるということだけ。

隣の人とコーヒーを飲むのは、千のTwitterの投稿より脳に多くを与えてくれるかもしれない。

これと同じような議論はずっとなされてきたし、テレビにだって同じことはいわれているけど、それだからこの話が間違っているということにはならない(孤立したカナダ人の村にケーブルがようやく開通すると、集団のIQが下がってしまったという研究がある...とルイス先生は講演のなかで述べていた。私はこの研究への引用ウェブで見つけることができなかったけど)

皮肉なことに、Twitterのようなサービスは同時に、仲間の輪の中に入っていないのではないかという心配を一部の人たちに植え付けて、「つながっていない」という感覚を起こさせる。「常に更新している」ことの重要性を高めることで、十分頻繁にtwitterをチェックしたり投稿したりしていない人たちの「何かが欠けている」という感覚を増幅させてしまうのだ。

3) Twitterは最も(厄介に)継続的な注意散漫状態を作り出すものである

前の私の記事より:

最悪なことに、この押し寄せる投稿は、私たちのほとんどを最も幸せにしてくれる「あること」から引き離してしまうということだ...つまり、フローの状態にいることから。フローの状態に入るには深く考え込み、意識を集中させる必要があるけど、この種のコンテキストを切り替えるものはそのどちらも妨げてしまう。フローの状態では知識やスキルを意欲的に使う必要がある。これはマルチタスクで(食べながらや、テレビを見ながらなど)できるような頭を使わない仕事とは全然違う。フローでいるには、ある程度の時間を使って知識とスキルを脳のRAMにロードする必要がある。そして、それが大きいものであれ小さいものであれ、より多くの邪魔が入るにつれて、ますますフローの状態にはたどり着き難くなる。

しかも、フローの状態に入れなくなるというだけではない。およそ何かについて熟達するということもなくなってしまい、エキスパートにもなれなくなってしまうのだ。脳科学者に尋ねてみれば、エキスパートとなるのに重要なのは天才かどうかではなく、物事に集中できるか否かなのだと教えてくれるだろう。

情報過多という現象に対する反動はもう見えている。Web2.0 VC はかなりの額を、情報を整理(されたままに)する サービス約束する会社に注いでいるみたい。43 Foldersがトップ100のブログに入っているのにはそれ相応の理由があって、それは単にMerlin Mannがカッコいいというだけではないの ; )

たくさんの人がこのことについて語っている。でも、たぶんLinda Stone以上に雄弁な人はいないと思うけど:

継続的な注意散漫状態とは、半端な注意を払うということーーそれも絶え間なくね。これはネットワークライブノードでいたいという欲求に基づく行動だ。別の言葉で言えば、私たちは人とつながりたいし、つながれた状態でいたいの。どんな時でも、チャンスを見逃さないように効率的に目を見張らせようとし、最も良いチャンスや行動や関係のために最適化しようとしている。忙しくすること、つながっているということは、すなわち生きているということ、他者から認識されること、そしてなにがしかの存在となるということなの。

絶え間なく部分的な注意を払うのは、何一つとして見落とさないため。常時つきっぱなしで、どこへでも、いつでも、どんな場所でも働くもので、人為的に作出された慢性的な危機感もこれに含まれる。この人為的で慢性的な危機感というのは、マルチタスクというより、継続的な注意散漫状態に典型的に見られるものよ。

要点:

Twitterを使うことにメリットがあると思う? もちろん。Teraはこのメリットを本当によくまとめている(その全てがメリットであるとは考えない人もいるけれど、その人たちもテラの主張には賛成の立場に立っているのであって、大事なのはその部分)

人々がTwitter責任を持って使えると考えているの? しっかりコントロールしつつ、twitterを使うことで注意散漫になりすぎたり、(タブロイドニュースTVアメリカでこれほどまでに広まった原因たる)覗き見のたぐいを避けて?

当然、そう思っている。

私が言いたいのは、ごまかしを避けて、「常に注意をそそぎつづける」というウサギ穴にどれだけ深く入り込みたいと思っているのかを判断してみるべきだというだけ。

私はTwitterターゲットではなかったーー生まれながらの独り者なのよ。私はそこまでつながりあっていたいとは思わない。そして、ミステリーを残しておくという美学が大好きなの。それだけ多くの人たちについて、そんなにも多くを知りたいとは思わないし、人々にそんなに私のことを知ってもらいたいとも思わないの..それが日常のことであれその他のことであれね。だから、これは私がマイノリティたるゆえんで、私のTwitterに対する恐怖は、私独自のーーねじくれてあまり一般的でないーー個人的な性格に由来するものなの。


本文書は原文著作権表示にしたがい、Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 2.5 Licenseのもとで利用できる。なお、訳者著作権は全て放棄する。

2010-04-13

本棚CDラック以外は、すべてルミナスラックにしよう

拡張、縮小思いのまま。こんなに便利な棚があるなら若干値が張っても統一した方がいい。

ルミナスじゃなくて輸入家具にも全く同じコンセプトのものはあるけど、こっちの方が安い。

時代はルミナス

親戚が死んだ。

酒を飲んだ後で風呂で倒れたらしい。

老人は酒を飲んだあとには風呂に入らないように。

風呂にはいると血管が拡張して心臓に負担がかかるようだ。

2010-04-12

コミュニケーション力の向上が孤独感を深める

誰かと意思疎通が可能になればなるほど、その人の中に、自分とは違う異質なものを見ることになるのだと思う。

それはつまり、わたしとあなたが違う存在であることを圧倒的に指し示す事実であって、その隔たりがある限り、わたしはその人ではなく、つまりは一個人としての孤独を感じる事になる。

犬や猫、イルカや牛、馬などの動物に対して人がどうして愛情を抱けるのか、どうして好きになることが出来るのか。

この前考えたのだけれど、おそらくはその動物の中にわたしと同じレベルで対峙可能な自意識を感じ取っていないからだと思う。

それらの動物との共有の言語による切り取られた形としてのコミュニケーションが取れないから、そこに同一レベルのあなたを見ることなく、むしろ私の一部として愛すことができるのだろう。

人は、孤独を嫌って、わからないことを知りたいと願って、どんどんわたしと他者の境界を目立たせているような気がする。

だから、闇雲にコミュニケーション力の向上ばかりを図っても、共有できないあなたが周りに増えていくばかりで、わたしはとても辛くなると思う。

私たちは、コミュニケーション能力に磨きをかけるのと共に、もっとわたしの範囲を広げることも念頭に置くべきなんじゃないかな。

断固として受け入れられないあなたが存在していてもいいのだけれど、その存在現実にあることを認識すること、受容することを意識すると、わたしの拡張に広がるような気がする。

みんながみんな、広ぉいわたしを内に宿して生活できたらどうなるんだろう。

今よりも素敵になるのだろうか。幸せを感じられるのだろうか。安らかな日々が送れるのかな。

わからないことはいつだってたくさんある。もうこれ以上わからなくたって大多数の人にとってはどうでもいいこともたくさんある。

けれど、それを知りたいと思ってしまうこと、そしてその結果、ますます個人を浮かせてしまう人の本能のような傾向について考えるとき、私は無性にどうしようもない気持ちになる。

どうして人間ってこうなんだろう。

足掻いて足掻いて、必死になってもがいているのに、ちっとも満たされない。完璧な、あるいは完全な存在になることができない。

もちろん、身勝手妄想なのだけれども、すんとさみしいような気持ちにならないわけにはいかなかったりする。

けれどもけれども、そんな人間が私は結構好きだったりするわけなのです。

本当に好きだったりするわけなのです。

2010-04-10

普天間基地移設問題で抑えとく要点

個人的メモ

なんか異常にブクマ付きまくってるけど、あくまでも俺個人の脳内解釈されている「普天間基地移設問題」なので、その辺を踏まえた上で再利用してくださいな。

米軍沖縄から離れられない

中国日本にとってもアメリカにとっても仮想敵国であり、沖縄はその最前線に位置している。そしてその仮想敵国は軍事独裁国家で、しかも軍拡真っ最中空母を建造中で、艦載機の大量調達も計画進行中。特に台湾有事の際には即応できる位置に戦力を張り付かせておかなければならない。グアムからだと最短でも数日かかるが、沖縄からだと数時間で到達できる。

よって、他県(鹿児島以北)に分散させるといった提案はアメリカは聞く耳を持たない。グアム全面移転なんてのはアメリカ台湾を見捨てろと言うも同然で論外。

アメリカは終始2006年日米合意案の履行を求めている

大臣を含む政府関係者が何度か渡米しているが、従来案以外の提案は全て門前払いを食らわされている。残り2ヶ月弱。

タイムリミットは今年5月

アメリカ予算成立スケジュールの都合上、それまでに日米間で合意に達しないと普天間使用継続がほぼ自動的に決定してしまう(アメリカ側に変更する気は今のところ無い)。そうなれば今後10~20年は普天間基地は存続し続ける事になる。そもそも普天間移設は米軍機の住宅地への墜落事故などに端を発しており、本来の目的普天間近隣の危険性を除去することだった。仮に従来案を粛々と進めていれば2014年には普天間は返還されていたはずなので、このままリミットを過ぎたら「従来案を進めていた方がよっぽどマシだった」という結末になる。

アメリカは移設先の住民の了解を得なければ協議に応じないと日本に通告している

日本政府に「アメリカが断ったから」という言い訳の余地を与えないための予防線と思われる。実際、アメリカは現時点で実務者協議にも応じていない。

基地受け入れを表明している自治体は皆無

「○○にしようかな」と観測気球地元自治体が猛反発のコンボを延々と繰り返してる。

基地移設は2014年までに完了させると協定に明記されている

移設先の自治体との折衝や移設工事その他諸々を逆算すると、スケジュール的には既にケツに火がついてる状態。鳩山が当初「年内(2009年末まで)」と言っていたのはそれが理由。国際協定の遵守義務は憲法にも明記されている(98条2項)ので、履行不可能となれば責任問題は不可避。履行可能な案を反故にした上でとなればなおさら。

従来案(辺野古案)は沖縄県民も承諾している(していた)

しかし鳩山が「最低でも県外」を連呼してしまったため、今更従来案へは戻すに戻せない状態に陥っている。受け入れを表明していた辺野古も現政権に対する不信感MAX状態。

徳之島案をアメリカは承諾しない

自民党政権時代にも検討はされたが速攻でアメリカは拒んでいる。最大の要因は狭すぎる点。拡張工事するにも環境アセスメントやらで2014年までに間に合わない。

鳩山は従来案と同等かそれ以上の案を持っていると言い張っている

それが事実なら三月末時点ですんなり決まっていたはずなんだけどね。

鳩山は五月末までに移設先、アメリカ共に合意を取り付けると明言している

今年2月5日衆院予算委員会ではっきり言ってる。

こないだの沖縄県知事選名護市長選で民主党基地反対派の候補である稲嶺進氏を支援し当選させている

しかし今はそれが基地問題の最大の障害となってしまっている。もしかしたら民主党内でも基地容認派の当選を見越していたのかも知れない(そうなれば従来案の履行の言い訳が立つ)。

自民党が13年かかった作業を鳩山政権は残り2ヶ月弱で全てやり終えなければならない

政権発足から何一つ進展してない。未だに「ゼロベース」状態。

追加

鳩山の「腹案」って何よ?

徳之島案。ただしアメリカはこれを受け入れないだろう。

どうして受け入れないのか?

徳之島案」というのはぶっちゃけ辺野古海兵隊を運ぶヘリを200km離れた所に置け、という事だから。有事はもちろん、訓練の時も往復400km飛ばなきゃならなくなる。米軍は80km以内を条件に提示しているが、普天間からその半径内に基地が作れるような県外の島は無い。

また前述の通りアメリカ地元の合意を取り付ける事を協議入りの条件に提示しているが、徳之島はこないだの町議選で基地容認派候補が全滅した。

2010-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20100331212801

あ、ほんとだ、と思って調べちゃった(chromefirefoxで)んだけど、これ、左が180px、右が550px指定してあって、そのへんCSS的には問題ない(たぶん)

違いは、左の最初の方で「-」の連続がセパレーションに使われてる所。chromeは途中改行するけど、firefoxは途中改行せずに拡張する。

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