はてなキーワード: 小渕恵三とは
いや、メディアで見る程度の印象論なんだけど。
例えば、小泉純一郎が強かったのは、よくわかるんだよね。
政策の是非は別として、北朝鮮に乗り込んで拉致被害者連れて帰ってきたり、
郵政民営化すれば世の中良くなるような幻想ふりまいて圧勝したり、
他に、自分がリアルタイムでしっている人でいうと橋下龍太朗なんかは、なんだかんだいって、
アメリカの通商代表に「ハードネゴシエイタ―」と言われる程度の実力はある人だし、
ビジュアルとかたたずまいとかに、それなりに人気が出そうな要素はあった。
小渕恵三は、気さくさとか人柄とかが、だんだん知られるようになって、それなりに支持があったし。
過去の首相は、まあ、いろいろその後つくられた伝説とかあるんだろうが、
吉田茂、岸伸介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、中曽根康弘あたりは、
それなりの人物だったんだろうと思う。
一方、森喜朗なんかは、首相当時から失言で選挙に大敗したりしてたし、
鳩山、管あたりは、もう自壊しちゃった感じ。
村山富市なんかは、もう勢力争いの駒として
たまたまはまっちゃった感じだ。
まあ、案外、そこそこの総理大臣だったという気もするが。
筋を通すいい人っぽかったけど、
逆に「いい人」で筋を通しすぎちゃったんだろうなあとか思う。
で、安倍晋三だが、このままいけば、とりあえず株価を持ちなおさせて、安保政策を転換させて、
民主党時代の混乱を収束させて、それなりの長期政権を築いた、実績のある首相ということになるんだろうけど、
なんか、メディアに出演してちょっと都合悪いこと言われるとすぐキレる程度に器は小さいし
(あんなに、メディアで器の小ささを露呈する首相は過去にいなかったように思う。
過去の首相であれば適当にいなしていたような場面でキレている)
滑舌は悪いし、知性は感じないし、
かといって迫力もそんなに感じないし、そこまでビジュアルがいいって感じでもないし典型的ボンボンって感じだし。
それにしても、もうちょっと別の人いなかったのかなあ?という気もするし。
まだ、麻生太郎のほうが、人としての器はマシって印象があるが
葬場殿の儀というのは、どうも皇室の私的な行事ではなくて、国として見ても公的な行事のようですね。国事行為である大喪の礼、そして皇室の行事である葬場殿の儀、これを一連の行為として時間的にも連続性を持たせて場所も同じところで行うというのは、テレビに映し出されるのを見ている国民からもあるいは諸外国の代表からも当然一つのものとして映るわけです。かつて吉田総理の葬儀が国葬として行われた際に、カトリック教会で個人の宗教によって私的に葬儀を行って、そして一週間後に東京の武道館で宗教色を排除して国葬が行われています。
今度、こういう天皇の葬儀についても、憲法の政教分離を厳密に貫くべきでありますから、そういうような配慮をどうしてなさらなかったんですか。
○国務大臣(小渕恵三君) 吉田元首相の例をお挙げになられましたが、立派な方だと尊敬はいたしておりますが、天皇陛下におかれては憲法第一条に規定をされた我が国の象徴、国民統合の象徴でございますので、同じような考え方に存するものではない、このように考えております。
○吉川春子君 そうしますと、宗教色を排してやるというようなことではなくて全部一つとして、それは天皇の葬儀として連続して行われて、宗教色の盛り込まれているものも交互にあるわけですけれどもそういうものでやっても天皇の場合は差し支えないんだ、これが政府のお考えですか。
○国務大臣(小渕恵三君) 国民の間にいろんな御意見のあることも政府としては承知をしなければならない立場でございますので、種々検討いたしました結果、大喪の礼の御式は国の儀式として行われ、葬場殿の儀は皇室の行事として行われるもので、両儀は法的に明確に区別されるのみならず、実際上も大喪の礼御式においては開式を告げること、祭官は退席すること、鳥居は撤去すること、大真榊は撤去すること等とされており、両儀ははっきり区別をされた形で行われるということで大喪の礼委員会で決定いたした次第でございます。
○吉川春子君 大喪の礼もそれから葬場殿の儀も儀式の内容というのは旧皇室喪儀令で定められているものとほとんど違わないわけですね。こういうものを部分的に取り出してここだけは国事行為だといっても、憲法の政教分離の規定はクリアできないと思うんです。憲法二十条というのはまさにそういう儀式を行うこと自体を禁止しているわけです。
政府は、大喪の礼のみではなくて葬場殿の儀にも出席を要請して、節目節目には一同に起立を求める方針だと、こういうふうに言われています。これは宗教行事への参加ではないですか。
そこには、先ほども話がありましたけれども、神道の象徴である鳥居が建てられている。大真榊が置かれる。
広辞苑によると、鳥居というのは神域、神の領域を示すものであると言われています。これをくぐることは神社への崇敬の念を示すことになるわけです。榊は神のよりしろとして枝に白幣をつけて神霊の象徴として祭礼が行われるわけですね。
こういうような宗教儀式に総理が出席されるというのは、これはまさに憲法違反じゃないですか。
○政府委員(味村治君) 国事行為として行われます大喪の礼は、ただいま官房長官が申されましたとおり、皇室行事であります葬場殿の儀とははっきり区別をされているわけでございます。
国事行為たる大喪の礼は、祭官は退席し、鳥居を撤去し、大真榊は撤去されておりまして宗教色はないわけでございまして、国事行為たる大喪の礼が宗教儀式に該当ししたがって憲法二十条第三項によって国またはその機関が行うことを禁止されている宗教的活動に該当するという疑いは全くございません。まずそのことを申し上げておきます。
その前に葬場殿の儀が行われるわけでございまして、これは皇室の行事として行われるわけでございます。これにつきましてはいろいろ宗教的な色彩があるということは否定ができないわけでございます。しかしながら、そこに総理が総理たる資格で御出席になりましても、それは先ほど飯田委員との論議の中で申し上げたのと似たようなことになるわけでございますが、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であられます亡き昭和天皇に対する哀悼の意を表し、また、御遺族と申し上げるのは失礼かと思うんですが、御遺族であられます現天皇に対してお悔やみの意をあらわす、こういう意味でそういういろんな儀礼を尽くすというような意味で出席されるわけでございまして、特定の宗教を助長するとか援助するとかそういうようなことで出席されるわけでないということは、これは明らかなわけでございますから、したがって、内閣総理大臣が総理大臣としての資格で皇室行事たる葬場殿の儀に御出席になってもそれは憲法二十条三項の禁止する宗教的活動には該当しない、このように理解をしているわけでございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/114/1020/11402141020003c.html
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20110827#p1
首相候補がリフレ政策を表明したのは馬淵が初めてって書いてあるけど、俺の記憶が確かなら橋本が参院選負けた後の自民党総裁選で小渕や梶山静六が積極的な財政金融政策を掲げてたような気がする。昔だからネットで検索しても出てこないし、当時の新聞雑誌も持ってないから勘違いかもしれんが。あと小泉の時も亀井静香が総裁選に立候補して景気対策でいろいろ言ってたはず。総裁選でどういう公約だったかはともかく小渕政権時代に0金利にして長期国債買い切りオペを増やして財政出動するという政策が実行されたのは事実なわけだから20年ずっとリフレを採用する政権がなかったとか小泉だけ試みたってのは違うんじゃなかろうか。
物心ついてから先日祖父が亡くなるまで、人死にと縁のない人生だった。
自分は今20なので、わりと幸運なほうなんではないかと思う。
生き物というものは、どうやらいつか死ぬものらしい、と知ったのは幼稚園のときだった。
しかしニュースで死ぬのはいつも知らない人で、
「○○氏が亡くなりました」
というのも現実味の薄い話だった。
死んだ人ではじめて生前から知っていた人は、
小渕恵三だったか鈴木その子だったか…今調べたら、小渕さんだな。
しかしもちろん面識はない。
死んだ人ではじめて身近な人は、
中2の時に死んだ姉の小学校の同級生の父親だった。
しかしやはり面識のない人だったから、あの子のお父さんが…とは思ったけれど、実感は薄かった。
当たり前だけど、ああ、ほんとうに、避けてはくれないものなんだな、と感じた。
それからテレビで知っている人も身近な人の大切な人も、たくさん死んだけれど、
いつもそれは遠いはなしだった。自分の直接知っている人ではなかった。
本物の死体を見たこともなかった。
死はいつも伝聞だったし、フィクションだったし、イマジナルな何かで、
所詮形のあるものではなかった。
自分は本が好きなんだが、物語というのはやっぱり死をテーマにした話が多い。
セカチューのような話は好きではなかったけれど、
人が死ぬことで感動を煽ろうとするような話が多いというのは、
やっぱり死が言いようもなく重いことだからだと思っていた。
とりかえしがつかない。ひたすら暗くて、最悪のことのように感じた。
死に直面しないまま思春期を過ごしたから、想像ばかり膨らんで、死を過度に恐れていた。
父は開業医で、自分に跡を継いでほしかったようだが、医学部への進学は断固として拒否した。
単純に学力も足りていなかったのだけれど、人の死に触れ、責任を持つ仕事なんて考えられなかった。
両親は時々「ステる」という言葉を口にした。医療者の業界用語で「死ぬ」という意味だが、
あまりに軽くに口にするので、「もう慣れてしまって、普通のことなんだろうな」と思えて、その感覚も恐ろしかった。
死ぬことも、死なれることも、怖いことだった。
先ほど、すごいことを発見しました。それは、「政権が長期政権かどうかは、首相の学歴にズバリ、比例する傾向にある」ということです。この学歴問題を引き合いに出すのは「タブー」になっているのですが、歴代首相を論じる以上は首相の出身大学について語らないわけには行かないのです。
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安倍晋三 成蹊大法卒 会社員(+成蹊学園(小学校・中学校・高等学校))
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これを見て分かることは非常に多い。まず気が付くのは、宮澤喜一首相を最後に東大出身の首相がいない、ということです。ここ数代は、慶応と早大のたすきがけ的な形で続いています。
そして、一般的な「偏差値」が高い大学を出た政治家は首相になると「長期政権」になるということです。これは、上の履歴書をみると明らかです。
調べるまでは、まさかそんなことは、と思っていましたが、「政治家における学歴差別」は歴然として存在するのです。これで、なぜ安倍首相が不人気なのか、信望がないのかがよく分かりました。偏差値の高い大学出身の首相は、まわりに似たような学歴の政治家がたくさんいるワケです。そうすると「同窓会ネットワーク」の層が厚い。
同じ大学の仲間意識で皆が支え合うという意識があるわけです。これは、アメリカにおいても同様で、ブッシュ大統領はあれだけバカだと言われていますが、しっかりエスタブリッシュメント大学のイエールを卒業し、しかも、エリートクラブ出身です。それを考えると、安倍首相は哀れなくらいに学歴が低い。いや、学歴が低いといよりは、彼の場合には「受験を経験していない」のです。
受験を経験していないということは、「忍耐力がない」「修羅場の経験がない」という風に一般的に判断されます。しかも、安倍首相は小学校からのエスカレーターです。普通に受験して成蹊大学に入っているわけではない。これは非常にマイナス点です。
日本では、東大受験に成功することが最高のステータスシンボルであり、東大は一時期までは総理大臣を供給する大学でした。アメリカのジャパン・ハンドラーズの研究には「東大」の研究書もいくつもあるんです。東大は官僚制度と政治家にネットワークを持つ。これが日本の最大のパワーだったわけです。
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最も有名なのはチャルマーズ・ジョンソンが共著で加わっている以下の本。ハードカバー版しかない。表紙の「東大」という文字が笑えます。
An Empire of Schools: Japan's Universities and the Molding of a National Power Elite (Hardcover)
by Robert L. Cutts (Author), Chalmers Johnson (Introduction)
Table of Contents
Foreword
Preface
Ch. 1 If There Is a God, He Went to Todai
Ch. 2 First Principles: The Society
Ch. 3 First Principles: The Individual
Ch. 4 The Ivory Basement
Ch. 5 A Tale of Two Citizens
Ch. 6 The Leisure Class
Ch. 7 Who's on Top: The Women Elites
Ch. 8 Family: She's Got the Whole World in Her Hands
Ch. 9 Weapons
Ch. 10 Making It
Ch. 11 Fifty Ways to Lever the Governed
Ch. 12 Reform: No Exit
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同様に、早稲田大学は在野の精神で早大雄弁会を結成し、これも政治家供給源になってきました。慶応大学もどうように政財界に太いパイプがある。小泉前首相と綿貫国民新党党首の共通項はともに慶応出身というところです。意外なところで接点があって、それが情報交換のきっかけになったりする。
慶大出身の綿貫氏
そこに行くと、大変失礼なのですが、成蹊大学出身の有力政治家というのはほとんどいません。政治家の仲間がいないということは、つながるネットワークが少ない、ということ。安倍首相のネットワークは「安晋会」のようないかがわしい人たちの集まった後援会組織だったり、父親の晋太郎の時代からのサポートスタッフです。
安倍晋太郎は、病気で早くに亡くなっており、これを継ぐ形で晋三が政治家になっています。安倍家には、東大出身の寛信という三菱商事・中国支社のエリートビジネスマンもいましたが、なぜか彼ではなく、晋三に白羽の矢が立っている。
そうなると、何にも自分だけの基盤がないエスカレーター学歴の彼には、父の周辺の後援会に頼るしかなかった。そうなれば、晋三はいいなりです。広域ナントカ団だったり、地元の土建業者だったりがまとわりついてくる。それをさばくのは側近たる秘書なのでしょう。
こうなると、なぜ東大出身の寛信氏が後継者にならなかったのかが気になります。順当に東大出の晋太郎が総理大臣になっていれば、晋三が後継者になることはなかったのではないか、と強く思います。しかも、晋三氏には「南カリフォルニア大学」在学時の学歴詐称疑惑で騒がれたこともあります。結局、卒業はしていないということだったようです。民主党の代議士の学歴詐称を追及している段階で噴出した問題でした。
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上のリストに戻りますが、小学校卒業の田中角栄内閣は、やはり短命政権でした。しかし、彼は安倍首相と違い、たたき上げで、一級建築士の資格も持っていた。だから、それなりにポイントは高かったのだろうと思います。鈴木善幸首相もやっぱり短命政権。宇野宗佑首相も、羽田孜首相も・・・・。みんな“ポイント”が低かった。
これを法則化して理解した上で他の首相をみていくと、細川護煕首相、上智大学出身。細川政権は約一年しか続いていません。早大出身の海部政権は約三年続いています。この事実から、キリスト教大学である上智大学は、首相になる場合の「持ち点」が少し低い、ということになるでしょう。ちなみに政治家では野田聖子さんが上智出身です。村山元首相の明治大というのも微妙なところなのでしょう。
そこに行くと、面白いのは、故・三塚博さんと小渕優子さんです。三塚さんは、派閥の領袖も務めた大政治家です。彼は、東京獣医畜産専門学校(現日本大学生物資源科学部)を経て早稲田大学第一法学部へ学士入学し、1951年に卒業。在学中は雄弁会に所属しています。わざわざ早稲田に学士入学しています。これは雄弁会に入るためでしょう。雄弁会というのは、今は威光もかげってきましたが、それでも現内閣では山本金融大臣を初め出身者が多い。森元首相、竹下元首相も雄弁会ネットワークです。三塚さんは学士入学で早稲田に入って持ち点を上げようとしたわけです。残念ながら、その努力は報われませんでしたが、閣僚にはなっています。
同様に、早稲田大学に社会人になった後に入学したケースとしては、元首相の娘さんである小渕優子さんの例があります。彼女の場合は大学院です。小渕さんは、羽田首相と同じ、成城大学出身です。この大学は意外に政治家が多い。しかし首相になったのは羽田さんだけです。しかも短命政権でした。
そこで小渕さんは、女性なので雄弁会には入れないのですが、早稲田大学に政治家をやりながら入学するという「奇策」に打って出ました。これは凄い。さすがは政治家の娘です。政治感覚が鋭いなあと思います。成城大学では幾ら政治家として頑張っても総理大臣はなれない、と冷酷に判断したのでしょう。早稲田に入学したということは、早稲田出身の政治家のネットワークの末席に置いてもらえる可能性がある、ということです。それでもなかなか首相への道は厳しいでしょうが・・・・。なんだか応援したくなりますね。
そう考えると、小学校からのエスカレーターの安倍晋三という人が首相になっていることは、国際的な一大スキャンダルである可能性が高いのです。安倍首相が国際的に影が薄いのも早稲田や慶応のネットワークに入っていないからかもしれない。そう考えると、一応、外国の政治家の経歴を調査する情報機関の間では、東大、早稲田、慶応の当たりの大学は評価されている、という見方も出来そうです。これが安倍さんが慶応幼稚舎出身だったらもう少し違ったのかもしれないですね。
そのようにしながら、日本の政治家を出身大学別に持ち点でプロファイリングしていくのも面白いと思います。同じ慶応や早稲田でも、政経学部か文学部か(例:石橋湛山)、第一部(昼間)か第二部(夜間)かで大きく違うのでしょう。私の出身は早稲田の一.五部と言われた社学出身なので、政治家的には微妙なポジションでしょう。
こういう当たり前のことは差別になるといってタブー視されていますが、やはり安倍政権は坊ちゃん政権だったのです。周りに大学のネットワークがないから、変なおかしい団体が支援者として食っ付いてくるわけです。そう考えると、やはり安倍政権、長くないでしょう。
ここでどう考えるべきか判断に苦しむのは、ポスト安倍の麻生太郎外相の扱いです。学習院大学政経学部政治学科卒業とあります。その他、スタンフォード、ロンドン大学に留学しているようですが学位があるかどうかは分かりません。学習院というのはどういう扱いになるか。彼は皇族の血が入っていると同時に、カトリック教徒です。クリスチャン政治家では、大平首相がいますが、これは短命政権に終わりました。(病気だったからかもしれないですが)学習院出身の首相はいないので、これが持ち点が高いのか、低いのかは分からない。ただ成蹊大学出の安倍首相よりは間違いなく麻生外相の方が持ち点は高いはずです。
そこへいくと、同じように微妙なのが東大出身の谷垣禎一元財務大臣です。彼が首相になれば久々の東大出身総理となります。しかし、彼は消費税を上げたりして、短命政権になるでしょう。その後に、つまり消費税上げをやった後に、民主党政権が出来るかもしれない。
つまり、大蔵官僚が、自民党に責任をおっかぶせて自分たちは民主党政権をコントロールするという考え方です。官僚を統制しているのは一部にはアメリカです。今の官僚制度をコントロールできる角栄のような政治家がいないので、官僚制度も政治家同様、アメリカに目を向けて指示を仰いでいるんでしょうね。
そう考えると、安倍首相がやたらと左翼思想を批判したり、「美しい国」というようないかがわしいタイプの保守思想を喧伝したがるのも、東大学歴に対するコンプレックスなのかもしれないですね。安倍家、佐藤家には東大出身が多いですからね。東大といえば、左翼思想、丸山真男、というわけです。「家庭の事情」で教育改革をやられては非常に困るわけですが・・・・。
まあ、政治家の価値は学歴だけで決まるというわけではないでしょうが、実際に統計的に結果が出てしまっているのは隠せませんね。
巷では、週刊新潮のさくらパパ報道が話題になっている?ようですが、みなさん、おぼえていますか? えひめ丸事件(2001年2月10日)の時に、事件発生の報告を受けても森喜朗総理が賭けゴルフを続けていたことを。
当時、国民は森総理を強く批判していましたが、森喜朗総理は、議員辞職どころか、総理・総裁も辞職せず、謝罪さえもはっきりとせず、記者に向かって
「掛け金はチョコレート程度だ」
と言っていました。
しかも国民世論の批判が大きくなり、問題が広がったとたん、記者に説明していた事実をひるがえし、「賭けていない」と言い出し、開き直る始末。
当時、国民はみんな森総理に呆れ、事件をきっかけに低かった支持率がさらに下がったのでした。
こんな税金セレブが安倍晋三内閣総理大臣の自称後見人とは笑わせます。
いや、こんな税金セレブだからこそ安倍晋三内閣総理大臣の後見人なのかもしれません。
事実を報告し、問題となる事実部分については最終的に謝罪し、党の処分を受け入れる横峰氏。対して自由民主党の最高指導者だった方は、賭けゴルフを開き直り、側近はこぞってかばいあう。
対応の違いは明白でしょう。
ちなみに、えひめ丸事件当時、森総理に緊急事態の連絡対応責任があったダメダメな副官房副長官の名前は安倍晋三氏。現内閣総理大臣です。
副官房長官当時、安倍氏は森総理がゴルフを続けていた事実について国会でこう説明していました。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001815120010216007.htm
○松野(頼)委員
《略》
ちょっと腑に落ちないところがもう一つありまして、本当はこのとき、総理に連絡が入って、それでも総理はゴルフを続けられていたんじゃないかという新聞記事が実はありました。これについてちょっとお伺いしたいと思います。
《略》
情報を受けやすい場所にとどまったということでございます。
モノは言いようですね。この言い訳は会社に遅刻した時の言い訳に使え…るわけがありません。こんな説明で国民が納得すると思っているのだとしたら、国民も随分とナメられたものです。
<首相進退>ゴルフでかけたのは「チョコレート」釈明あいまい(毎日新聞)
「もう、(記者)クラブは閉鎖!」。森喜朗首相のかけゴルフが発覚した21日、定例会見を終えて執務室に向かう福田康夫官房長官は声を荒らげた。会見では森首相のゴルフに質問が集中した。森首相自身の釈明もあいまいで、首相を支える官邸スタッフもいら立ち、対応も迷走している。
森首相はこの日朝、「かけゴルフなんかするはずないでしょう」と否定した。しかし記者から「事務所もチョコレート(少額の金額)程度のものをやり取りすることもある、と説明しているが」とただされると、「一般的にはね」と言葉を濁した。
定例会見に臨んだ福田官房長官は「見たことないから、言いようがない」と断わった上で、現金ではなく、文字どおりチョコレートをやり取りするゴルフが一般的に行われているなどと説明した。「調査しないのか」と追及されると「いいんじゃないですか。チョコレートなんだから」。
「精算でゴルフ場をたつのが遅れたのではという話もあるが」と畳み掛けられると「失礼なことは言わないでください。そんなチョコレートくらいで。総理は人に対する心遣いがあり、心根のやさしい人ですよ」と語気を強めた。
自民党衆院議員の秘書によると、永田町では「握り」と呼ばれるかけゴルフの場合、「チョコレート」は1打あたりの金の単位の隠語として使われるのが一般的だ。ラフに打ち込んだ場合は「スズメ」、池に落とした時は「カメ」などと呼ばれて、加算される。この秘書は「チョコレートそのもののやり取りは、小さな子供を持つ親ならあり得るのかもしれないが、通常は考えられない。1打当たりのレートもかなり高いのではないか」と話している。
森首相の行動をめぐっては、地方政治のトップである知事からもさまざまな反応が出ている。
宮城県の浅野史郎知事は「批判するのは簡単なんだが」と前置きしながら、「危機管理は身近な話題。第1報が来てからの対応は非常に重要だと改めて感じた。反射神経の問題で他山の石と受け止めている。私はゴルフはやらないが、(趣味の)ジョギング中だったら、必要があれば文字通りそのまま駆け付ける」と語った。
高知県の橋本大二郎知事は「森首相に早い段階できちんとした情報がくれば、対応は違ったのでは。国民の多くが『何をしているんだ』と考える感情はよく分かる。早い段階で『申し訳なかった』と一言謝れば、多くの方は理解できたのではないか」と分析する。トップの資質については「どんな批判もきちんと受け止め、反論すべきは反論する。総理は知事と違って国民、県民の声を直接聞く機会がない。国民がどう感じているのか、情報収集は常に必要だ」と語る。
「私の立場で判断すれば、ただちに官邸に戻っていたと思う」というのは三重県の北川正恭知事。「現在は混乱期。混乱、ピンチをチャンスととらえ、実行することが必要と思う。実行できる、決断のできる人がトップに立った方がいい」と資質論を展開した。
埼玉県の土屋義彦知事(全国知事会会長)は、定例会見で「(自分が首相だったら)ゴルフ場に自衛隊のヘリの出動を要請して官邸に戻った」と語る。
定例会見で「森さんにはアイムソーリとしか言いようがない」とコメントした東京都の石原慎太郎知事。19日に羽田空港内で開いた都民との集会で「(森首相は)いつまでもつかなと思ったけれど、そんなこと言わずに、辞めるならさっさと辞めるつもりで、ぱっぱと他の良いことやりゃあ、いいじゃねえかな。そうすりゃ、支持率も上がるよ」と言った。
信濃毎日新聞 社説=森政権 これでは重責を担えない 2/18
政治は民意の上に成り立つ。最高責任者である森喜朗首相は、その自覚や緊張感を欠いた言動を続け、多くの人々の思いと離れたところにいる。次々と問題を噴出させる首相自身と政権に、国政のかじ取りをゆだねるのは難しい。
《略》
ここに至ってもなお、変わらない。高校実習船と米潜水艦の衝突事故の連絡があったにもかかわらず、ゴルフを続ける感覚は、国民の受けとめとは異なる。
政治と「カネ」の不明朗な関係は、不信を深める。政治家が最も戒めねばならない事柄である。ゴルフ場会員権を事実上、無償で譲り受けたり、利用しているのは、認識の低さを表す。
どちらの問題でも、率直な反省が聞かれない。政策の是非より前に、首相の資質に疑念が出るようではやり切れない。
与党、とりわけ森首相を担ぐ自民党の責任は重い。もともと、小渕恵三前首相が急病になった際に、一部幹部だけで後継に固めた不透明さを引きずる。
党内にもかねて、リーダーとしての適格性に対する批判があるのに、改めさせることができずにいる。所属派閥の幹部が協議して、首相にゴルフと宴会の自粛を求めるほどの事態だ。次の候補がいないから、そのまま任せるという理由であれば、政権政党としての役割のみならず、自民党そのものの責任能力が疑われるのは当然である。
《略》
大半の国民の信頼を失っている政権では乗り切れまい。政治を根本から立て直すために、首相と自民党が政権の行方について、厳しく判断する時である。
たしかに、前総理である小泉内閣の時にも、閣僚の失言は幾らかはあった。
ただ、たとえば森政権の場合は、そもそも党内選挙で決めた首相ではなかった(少なくとも…脳卒中に陥っていた故・小渕氏には、後継者と目した人間の名を告げることはできなかったはずなのだが)うえに、そもそも森喜朗という人自身が典型的な「脳味噌筋肉」で『失言の塊』のような人だったため、はっきり言って彼の任期中は、国民はウンザリしていたはずだ。そういう意味では、小渕恵三氏は「醜男」という見た目のハンデを、サービス精神やプライドに囚われない精神で克服していたわけで、国民にも「ブッチホン」などでも親しまれていた。今から思えば、つくづく惜しい人を亡くしたと感じる。
そこへ彗星のように浮上したのが、かの小泉純一郎。爽やかできりっとした外見とともに、熟慮・即断・ワンフレーズ好きといった政治スタイルは、「みのもんた」などと同様に、少なくともテレビの向こうのオバさま方ののハートを捉えるには十分だった。まぁ、任期最後のエルヴィス記念館での『エアギター』はおまけとしても、小泉という人はマスコミを巧みに翻弄し、かつ「使いこなした」宰相であったことは間違いない。
そういった人の後に出てきたという事を差し引いて考えてみても、安倍晋三氏は宰相としてはどちらかといえばそもそも「小粒」の類いであり、リーダーシップという点では随所に力不足とも取れる面が多々見られるのは否めない。個人的に、あるいはネットでの人気度としては圧倒的に、首相候補としては麻生太郎氏を推すものだが、一方で安倍氏に目を転じると、年齢の若さとかいったもの以前に「生きてきた中での“経験の浅さ”」というものが結果的に彼の言葉に深みを感じさせない重大な要素になっているのではないか、と自分は推測する。