物心ついてから先日祖父が亡くなるまで、人死にと縁のない人生だった。
自分は今20なので、わりと幸運なほうなんではないかと思う。
生き物というものは、どうやらいつか死ぬものらしい、と知ったのは幼稚園のときだった。
しかしニュースで死ぬのはいつも知らない人で、
「○○氏が亡くなりました」
というのも現実味の薄い話だった。
死んだ人ではじめて生前から知っていた人は、
小渕恵三だったか鈴木その子だったか…今調べたら、小渕さんだな。
しかしもちろん面識はない。
死んだ人ではじめて身近な人は、
中2の時に死んだ姉の小学校の同級生の父親だった。
しかしやはり面識のない人だったから、あの子のお父さんが…とは思ったけれど、実感は薄かった。
当たり前だけど、ああ、ほんとうに、避けてはくれないものなんだな、と感じた。
それからテレビで知っている人も身近な人の大切な人も、たくさん死んだけれど、
いつもそれは遠いはなしだった。自分の直接知っている人ではなかった。
本物の死体を見たこともなかった。
死はいつも伝聞だったし、フィクションだったし、イマジナルな何かで、
所詮形のあるものではなかった。
自分は本が好きなんだが、物語というのはやっぱり死をテーマにした話が多い。
セカチューのような話は好きではなかったけれど、
人が死ぬことで感動を煽ろうとするような話が多いというのは、
やっぱり死が言いようもなく重いことだからだと思っていた。
とりかえしがつかない。ひたすら暗くて、最悪のことのように感じた。
死に直面しないまま思春期を過ごしたから、想像ばかり膨らんで、死を過度に恐れていた。
父は開業医で、自分に跡を継いでほしかったようだが、医学部への進学は断固として拒否した。
単純に学力も足りていなかったのだけれど、人の死に触れ、責任を持つ仕事なんて考えられなかった。
両親は時々「ステる」という言葉を口にした。医療者の業界用語で「死ぬ」という意味だが、
あまりに軽くに口にするので、「もう慣れてしまって、普通のことなんだろうな」と思えて、その感覚も恐ろしかった。
死ぬことも、死なれることも、怖いことだった。