「不純異性交遊」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 不純異性交遊とは

2016-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20160617230337

教育法って矛盾してね?

教育を受ける権利校則違反で退学に出来る権利が混在している

生徒は教育を受ける権利が有るが、学校側は不純異性交遊で退学にできる

2016-06-16

不純異性交遊禁止セックス妊娠

性教育避妊を徹底周知→セックス妊娠

少子化を解消したいのなら産むことができる人にばんばん産んでもらえばいいじゃない。

2014-11-23

エロスタブー視はもうそろそろ、卒業しよう

近年の日本社会エロスタブー視しすぎですよホントろくでなし子事件おかしいです。まんこデータ配った人逮捕して誰得ですか?

実在児童に関する児童ポルノ法改正はまだ分かりますよ。性犯罪抑止に効果があるかは別として、被害者がいますから

けど、わいせつ物陳列罪って何やのん意味わからんでホンマ。法学者の中でも疑問視する声が根強いねんて。ええ加減考え直したらどうなん?

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わいせつ頒布等の罪 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%84%E3%81%9B%E3%81%A4%E7%89%A9%E9%A0%92%E5%B8%83%E7%AD%89%E3%81%AE%E7%BD%AA

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学校教育でも「風紀を乱す」という謎の理由で短すぎるスカートを禁じる伝統がある。なんで短くしたらあかんの?

年頃の男性器の射幸心を煽ると学業がおろそかになるから?w健全青少年の育成を阻害するから

知識と価値観が未熟なのに「不純異性交遊」に及ぶのがまずいって?ぶっちゃけこじつけだよなw

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まあ青少年のうちは百歩譲って分からんでもないけどさ。なんで社会一般エロスタブー視されてんだ?意味わからんよ?誰かkwsk

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西洋ではキリスト教戒律関係で性がタブー視されてきた歴史がある。西洋では基本的にみんなが宗教を信じていて、日本人からすれば「また神の話してる」状態。

無宗教は「どこの馬の骨かも分からん奴」と見なされる風潮がある。そして、宗教の大半がキリスト教である

ニーチェは100年以上前に「神は死んだ」と言ったが、未だにキリスト教は根強い。どこ行っても金太郎飴のようにキリスト教

そのキリスト教が「えっちなのはいけないと思います」と言っているから、fuckなどの語は「卑猥」とされ多くの州で法規制がなされている。

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仏教圏でも同様に性をタブー視する風潮は根強い。

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まあそれらもそれらでツッコミ所満載なのだが、日本日本でどうよ?

君達も知っているように、もともと日本は性にオープンだった。夜這い盆踊りックス最高。なのにどうしてこうなった

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海外人達FAQに「日本ってHENTAIでKENZENな国だろ?なのに何故草食系が多いんだ?」というものがある。

理由カンタン日本文化には「ハレ」と「ケ」の両極性がある。「ハレ」がhentaiで「ケ」が草食系なのだ

そんな文化背景があるため、「大人しそうな顔して変態」という日本人イメージはだいたいあってる。

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だいたいあってるのだが、ここ数十年は少し事情が違ってきた。ずいぶんと性が抑圧されるようになり、性が弱体化した。

従来日本人の性の奔放さつまり「ハレ」には、日本人規範意識の強さを同調圧力さらにガッチガチに固めたような「ケ」を中和する役割があった。

そのバランスが近年は崩れてきて、「ケ」ばかりが前面に現れ、「ハレ」が弱体化してしまっておる。

それが少子化性交渉頻度の国際比較データにもモロに出ている。また、日本の成人男性の4割がEDという専門家見解もある。

勃起不全なんて昔は還暦まぢかのオジーサンがなる病気だったのに、今の日本では20代EDも珍しくないという有様で、他国には類をみない。

ちなみにオナ禁については、海外でも宗教的理由科学理由から盛んで、Nofapという大きなWebサイトもあるくらいだが、

そこを見れば、性への後ろめたさからオナ禁に走るのはやはり日本特有だということがよく分かる。

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そもそもエロスとは生殖本能という獣性の美化でね(ちなみにグルメは食という残虐性の美化である)、その化粧がはがれてきただけとも言えるんだけどね。

いかにHENTAI生命本能であろうとも人間は美を好むから、醜悪なエロスには真顔になり「猥褻」と言ってのける。

日本人特に自主的規範意識が強いから規範常識から外れると下品とみなす傾向が強い。現に、外国人エロスを分かってない、

下品だといったことを平気で言う日本人は多い。だけどそれは、日本では非常識から化粧で美化できないというだけなんだよね。

その美化できる範囲がどんどん狭まって、それに調子づいてモラリスト規制派が元気になっているのが今の日本というわけだ。

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エロスとは所詮は化粧による美化であり、文化相対的ものにすぎない。この観点は、性を固定観念から解放する上で重要である

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日本はもうそろそろいい加減潮時とちゃいまっか?日本でのエロスタブー視は、宗教的科学的根拠の何もない有害無益なシロモノなのだから

もうちょっとゆるめてもええんとちゃうん?そりゃ何でもありというわけにはいかんかもしれまへんけど、ちょっとくらいゆるめてもらうわけにはいけへんやろか?

なあ?あんたもそう思うやろ?

2012-10-19

社会セックス少子化

社会とは本能を抑えつける存在である本能とは食欲、性欲、睡眠欲の3つと言われている。このうち食欲と睡眠欲はどれだけ抑圧しても問題ない(本当は問題だが)が性欲は問題だ。セックスしないと子どもが生まれない。子どもが生まれないと社会崩壊する。

性欲を抑圧しつつ、子どもを産ませるにはどうしたらいいか。その矛盾を何とかするために為政者は色々と理屈を付けてきた。曰く「夫婦の営み」。曰く「男は家族を持って一人前」。曰く「家庭を支えるのが女の幸せ」。このようにセックス子どもを作り家庭を作るためだけの手段と位置づけた。セックス自体を楽しむなど言語道断であり、家庭の枠の外のセックス不倫不純異性交遊として糾弾される対象となる。

この論理もついに無理が出てきたのが現代少子化だと思う。社会セックスの深刻な矛盾。この矛盾を解消するには社会が滅びるしかないのかもしれない。

2012-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20120620160253

コンセプト上できないという話と、現状できないという話は別物だし、じゃぁ、グレーだからやっていいか?といわれると、親から要望みたいな話で持っていかれることもある。

ほとんどの自治体青少年育成条例では18歳未満の人間が18歳未満の人間セックスしても罰しないことになってる

http://paro2day.blog122.fc2.com/blog-entry-77.html

青少年健全育成条例淫行条例 都道府県比較

から法律上、警察逮捕できないし、動くこともできない

相手が13歳未満だったら強姦罪で捕まえることもできるけど、13歳以上ならどうあがいても無理

http://q.hatena.ne.jp/1122713044

一応、今でも不純異性交遊という名目をつければ家裁に送ることはできるけど、家庭裁判所は不純異性行為に対して審判しないという決定をくだした

それ以来、警察不純異性交遊に関しては及び腰になってるし、それに関しては送致しないという決定を下している

そして、青少年育成条例で18歳未満に対する免責規定ができた

ここまで来てるのにコンセプト上は可能と主張するのは無理があるだろw

2011-11-11

はじめてでも再犯平成23年犯罪白書報道

平成23年犯罪白書が公開されたらしいのだけど、報道には「少年院出所後の再犯」なる用語が。

統計における「再犯」なので、刑法56条の定義する再犯のように狭くとらえるものでもないだろうが、

しかし、少年院には、犯罪少年触法少年以外にも虞犯少年が入所する。

虞犯少年(ぐはんしょうねん)とは、一定の不良行状(虞犯事由)があって、かつ、その性格又は環境に照らして、罪を犯し又は触法行為をするおそれ(虞犯性(ぐはんせい))がある少年少年法3条1項3号)をいう。

虞犯少年は、犯罪をしたとは限らない。具体的には、家出や不良交友、不純異性交遊などが虞犯少年に含まれる。

そうするとさすがに「再犯」という表現おかしくないか

どんなに広義にとらえても初めての犯行が含まれる「再犯」の定義はないだろう。

またマスコミの誤解しやすい報道なのかと思って法務省サイトを見に行ったのだが、今年の犯罪白書は残念ながらまだネットには公開されてないらしい。

法務省は省庁の中でも相当に用語の細かいところ気にするので(冤罪に対する考えなどが象徴的)、たぶん犯罪白書なりの定義があると思うのだが。

なお、去年の犯罪白書(今年と間違えて見てた)では、再犯者を

再犯者(前に刑法犯又は道路交通法違反を除く特別法犯により検挙されたことがあり,再び検挙された者をいう。以下この項において同じ。)

ととらえ、さらに、再非行少年を分けている。

非行少年(前に道路交通法違反を除く非行により検挙補導)されたことがあり,再び検挙された少年

 

本当に法務省再犯という表現をしたのなら、どうしてだろう?

虞犯少年少年院行く人なんて少数だからまり考慮に入れなくて良いと判断したとか、判例上要件が厳しいか犯罪を犯した者と同視してもかまわないと判断したとかも考えられるが、合理的でない考えはちょっと気持ち悪い。

その辺無視しても、昨今注目を浴びている「再犯」というキーワードを使いたかったということだろうか。

そもそも犯罪少年でありかつ少年院出所者の統計だったとか、マスコミ伝言ゲームのせいだったとかなら脱力する。適当な用語がなかったってのもありそうだ。

記事によると、少年院を出院した18~19歳が、25歳までに刑事処分を受けた場合再犯表現してるが、だいたい5年なのは刑法56条の再犯定義に準じているようにも見える。考え過ぎか。

 

なんだか不正確な情報から間違える人の典型になった気分だが、ネット公開後に見てみたい。さすがに買う気はない。

 

なお、朝日は、わざわざ「非行犯罪少年院に入った少年が、再び罪を犯してしまう割合はどのくらいか」と冒頭に書いてた。少年法では、犯罪行為、触法行為及び虞犯を併せて非行というので、なんだかこれもわかりにくい表現だが、少年院出所者には、犯罪に当たる行為をした者以外もいると言うことを注意してるならなかなか短い中でがんばってるのかもしれない。「再び罪を犯してしまう」が微妙になるが。

2010-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20100331051519

減少してるのは、性道徳観の変化にもよるかも知れん。

不純異性交遊」なんて最近は聞かなくなったしな。

わいせつ」とされた物にしても、最近は局部さえ露出してなければいいって感じだしな。

セクハラとかストーカーとかは、厳しくなってたりするけど、全体としては緩くなってんじゃないの。

だから、法規制で引き締めろって話にもなる。

2010-03-19

宮台真二の不純異性交遊マニュアルという本に書かれていたよ。

かつての高度成長期までの日本では情報が無く、各地域地域男と女が結ばれてた。

多少不細工でも住んでいるコミュニティで男女がほぼ均等に結ばれて、あぶれるのはごく僅かだった。

80年代以降は情報が発達し、持てるものと持てないものの格差が広がった。

中国のように男女の人口格差が激しいわけでもない。

6割の女性は全男性中3割のイケメンの間でグルグルと回されてるだけ(タコ足化)しているのだという。

つまり彼氏が居ない女はしばらく待っていれば、今の交際相手に飽きたイケメン(=ヤリチン)がすぐ回ってくるわけで、ブサメンを相手にする理由が無い。

6割の女性は3割のイケメンの間で巡回し、あぶれた7割の男性の間で残り4割の女性イケメンのおこぼれを奪い合う、現代はそんな哀しい状況なのだ。

2009-11-01

どうして80年代以前の若者セックスをしなかったのか

http://anond.hatelabo.jp/20091031223018

を受けて。

増田携帯電話のことしか書いていないが、それは理由の7割くらいなのではないか。ザックリ言って。

そこで私は残り3割を考えてみようと思う。

残り3割のうち2割は「コンビニの普及」なのではないか?

なぜコンビニの普及と若年者のセックスと関係があるのか、疑問に思うかも知れない。

つまりこういうことだ。

コンビニが普及したことによって、コンドーム匿名性の高い状況で手に入れられるようになった」

80年代以前にもセックスをする若年者はいた。しかしそれは、常に妊娠と隣り合わせだった。

少し頭を使えればそういうリスクの高いものに手を出さないのは当然と言える。

そしてもう1割の理由。それは「専業主婦が減り、共働きが増えた」ということではないだろうか。

あるアンケートでは、「初めてセックスした場所」のダントツ1位は「彼氏の部屋」なのである。「ラブホテル」ではなく。

80年代以前にそれが可能であるケースは、今ほど多くなかったのかも知れない。

ここで私は、別の論点を提示しようと思う。

ここまで上がっている「携帯電話」「コンビニ匿名コンドーム購入)の普及」「共働き世帯の増加」は、すべて「本当はセックスしたいが、障害があってムリ」というところに帰結してしまう。

かしここに抜け落ちているように見える点がひとつある。それは「モラルの変化」だ。

80年代にはすでに死語になっていたものの、「不純異性交遊」という言葉があって、結婚を前提としない男女交際はダメというモラルがあったのだ。

これが性の解放とともに変化した、という点を、先に挙げた3つの点に加えるべきなのではないか? という論点。

これに対し私は「違うのではないか」という論を展開したいと思う。

ここで私が挙げる仮説は「モラル負け惜しみ説」とでも言おう。

つまり、80年代以前になぜそういうモラルがあったのか、と言えば「セックスできない環境正当化するため」(=負け惜しみ論)ではないのだろうか。

逆に90年代以降モラルが変化し、「人はセックス(を始めたとした異性交遊)によって成長するので、それを経ていないものは人間的に幼稚」(=経験による能力上昇論)というモラル誕生したが、それさえ「セックスしている自分正当化」するための方便なのではないか。

私の考えを言えば、できる奴は始めからできるしできない奴は何度やってもできない。もし経験により交流能力が上昇するなら、異性間よりもはるかに付き合いの多い同性間において、交流下手がいるわけがないのだ。

つまりセックス能力上昇のきっかけではなく、結果に過ぎない。セックスをたくさんしている者は、セックスをたくさんすることによって能力を手に入れたのではなく、始めから能力が高いからセックスをたくさんすることができたのだ。

セックスをできないものは、経験をしないことで能力が低いからセックスができないのではなく、始めから能力が低いからセックスができないのだ。

経験がない男はこれだからダメねー」というのは順序が逆なのだ。「(始めから)ダメな男だから(今後も)経験なんてできないよねー」となるのが正しいのではないか。

いや、ここでは私は現代の新モラル論=経験能力上昇論を否定したいわけではない。そういう部分もなくはないが、今回語る主旨ではない。

私が提示したいのは、「モラルというのは状況に先立って存在するものではなく、状況を受けて後から(自己正当化のために)作り出されるのではないか」ということだ。

マルクスが下部構造科学の発達とかその時の社会システムとか)によって上部構造人間意識のありよう)が規定されると語った(だから人間意識は「虚偽意識イデオロギー」なのだ)ように、モラルというのは携帯電話とかそういうものによって規定される上部構造なのではないか。

そういう話なのである。

追記:ご指摘を受けて一部訂正

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