はてなキーワード: 不純異性交遊とは
近年の日本社会はエロスをタブー視しすぎですよホント。ろくでなし子事件もおかしいです。まんこデータ配った人逮捕して誰得ですか?
実在児童に関する児童ポルノ法改正はまだ分かりますよ。性犯罪抑止に効果があるかは別として、被害者がいますから。
けど、わいせつ物陳列罪って何やのん?意味わからんでホンマ。法学者の中でも疑問視する声が根強いねんて。ええ加減考え直したらどうなん?
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学校教育でも「風紀を乱す」という謎の理由で短すぎるスカートを禁じる伝統がある。なんで短くしたらあかんの?
年頃の男性器の射幸心を煽ると学業がおろそかになるから?w健全な青少年の育成を阻害するから?
知識と価値観が未熟なのに「不純異性交遊」に及ぶのがまずいって?ぶっちゃけこじつけだよなw
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まあ青少年のうちは百歩譲って分からんでもないけどさ。なんで社会一般にエロスがタブー視されてんだ?意味わからんよ?誰かkwsk。
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西洋ではキリスト教の戒律の関係で性がタブー視されてきた歴史がある。西洋では基本的にみんなが宗教を信じていて、日本人からすれば「また神の話してる」状態。
無宗教は「どこの馬の骨かも分からん奴」と見なされる風潮がある。そして、宗教の大半がキリスト教である。
ニーチェは100年以上前に「神は死んだ」と言ったが、未だにキリスト教は根強い。どこ行っても金太郎飴のようにキリスト教。
そのキリスト教が「えっちなのはいけないと思います」と言っているから、fuckなどの語は「卑猥」とされ多くの州で法規制がなされている。
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まあそれらもそれらでツッコミ所満載なのだが、日本も日本でどうよ?
君達も知っているように、もともと日本は性にオープンだった。夜這いに盆踊りックス最高。なのにどうしてこうなった。
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海外の人達のFAQに「日本ってHENTAIでKENZENな国だろ?なのに何故草食系が多いんだ?」というものがある。
理由はカンタン。日本文化には「ハレ」と「ケ」の両極性がある。「ハレ」がhentaiで「ケ」が草食系なのだ。
そんな文化背景があるため、「大人しそうな顔して変態」という日本人のイメージはだいたいあってる。
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だいたいあってるのだが、ここ数十年は少し事情が違ってきた。ずいぶんと性が抑圧されるようになり、性が弱体化した。
従来日本人の性の奔放さつまり「ハレ」には、日本人の規範意識の強さを同調圧力でさらにガッチガチに固めたような「ケ」を中和する役割があった。
そのバランスが近年は崩れてきて、「ケ」ばかりが前面に現れ、「ハレ」が弱体化してしまっておる。
それが少子化や性交渉頻度の国際比較データにもモロに出ている。また、日本の成人男性の4割がEDという専門家の見解もある。
勃起不全なんて昔は還暦まぢかのオジーサンがなる病気だったのに、今の日本では20代のEDも珍しくないという有様で、他国には類をみない。
ちなみにオナ禁については、海外でも宗教的理由や科学的理由から盛んで、Nofapという大きなWebサイトもあるくらいだが、
そこを見れば、性への後ろめたさからオナ禁に走るのはやはり日本特有だということがよく分かる。
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そもそもエロスとは生殖本能という獣性の美化でね(ちなみにグルメは食という残虐性の美化である)、その化粧がはがれてきただけとも言えるんだけどね。
いかにHENTAIが生命の本能であろうとも人間は美を好むから、醜悪なエロスには真顔になり「猥褻」と言ってのける。
日本人は特に自主的な規範意識が強いから、規範や常識から外れると下品とみなす傾向が強い。現に、外国人はエロスを分かってない、
下品だといったことを平気で言う日本人は多い。だけどそれは、日本では非常識だから化粧で美化できないというだけなんだよね。
その美化できる範囲がどんどん狭まって、それに調子づいてモラリストや規制派が元気になっているのが今の日本というわけだ。
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エロスとは所詮は化粧による美化であり、文化相対的なものにすぎない。この観点は、性を固定観念から解放する上で重要である。
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日本はもうそろそろいい加減潮時とちゃいまっか?日本でのエロスのタブー視は、宗教的・科学的根拠の何もない有害無益なシロモノなのだから、
もうちょっとゆるめてもええんとちゃうん?そりゃ何でもありというわけにはいかんかもしれまへんけど、ちょっとくらいゆるめてもらうわけにはいけへんやろか?
なあ?あんたもそう思うやろ?
社会とは本能を抑えつける存在である。本能とは食欲、性欲、睡眠欲の3つと言われている。このうち食欲と睡眠欲はどれだけ抑圧しても問題ない(本当は問題だが)が性欲は問題だ。セックスしないと子どもが生まれない。子どもが生まれないと社会が崩壊する。
性欲を抑圧しつつ、子どもを産ませるにはどうしたらいいか。その矛盾を何とかするために為政者は色々と理屈を付けてきた。曰く「夫婦の営み」。曰く「男は家族を持って一人前」。曰く「家庭を支えるのが女の幸せ」。このようにセックスは子どもを作り家庭を作るためだけの手段と位置づけた。セックス自体を楽しむなど言語道断であり、家庭の枠の外のセックスは不倫、不純異性交遊として糾弾される対象となる。
この論理もついに無理が出てきたのが現代の少子化だと思う。社会とセックスの深刻な矛盾。この矛盾を解消するには社会が滅びるしかないのかもしれない。
コンセプト上できないという話と、現状できないという話は別物だし、じゃぁ、グレーだからやっていいか?といわれると、親からの要望みたいな話で持っていかれることもある。
ほとんどの自治体の青少年育成条例では18歳未満の人間が18歳未満の人間とセックスしても罰しないことになってる
http://paro2day.blog122.fc2.com/blog-entry-77.html
相手が13歳未満だったら強姦罪で捕まえることもできるけど、13歳以上ならどうあがいても無理
http://q.hatena.ne.jp/1122713044
一応、今でも不純異性交遊という名目をつければ家裁に送ることはできるけど、家庭裁判所は不純異性行為に対して審判しないという決定をくだした
それ以来、警察は不純異性交遊に関しては及び腰になってるし、それに関しては送致しないという決定を下している
ここまで来てるのにコンセプト上は可能と主張するのは無理があるだろw
平成23年の犯罪白書が公開されたらしいのだけど、報道には「少年院出所後の再犯」なる用語が。
統計における「再犯」なので、刑法56条の定義する再犯のように狭くとらえるものでもないだろうが、
しかし、少年院には、犯罪少年や触法少年以外にも虞犯少年が入所する。
虞犯少年(ぐはんしょうねん)とは、一定の不良行状(虞犯事由)があって、かつ、その性格又は環境に照らして、罪を犯し又は触法行為をするおそれ(虞犯性(ぐはんせい))がある少年(少年法3条1項3号)をいう。
虞犯少年は、犯罪をしたとは限らない。具体的には、家出や不良交友、不純異性交遊などが虞犯少年に含まれる。
どんなに広義にとらえても初めての犯行が含まれる「再犯」の定義はないだろう。
またマスコミの誤解しやすい報道なのかと思って法務省のサイトを見に行ったのだが、今年の犯罪白書は残念ながらまだネットには公開されてないらしい。
法務省は省庁の中でも相当に用語の細かいところ気にするので(冤罪に対する考えなどが象徴的)、たぶん犯罪白書なりの定義があると思うのだが。
再犯者(前に刑法犯又は道路交通法違反を除く特別法犯により検挙されたことがあり,再び検挙された者をいう。以下この項において同じ。)
虞犯少年で少年院行く人なんて少数だからあまり考慮に入れなくて良いと判断したとか、判例上要件が厳しいから犯罪を犯した者と同視してもかまわないと判断したとかも考えられるが、合理的でない考えはちょっと気持ち悪い。
その辺無視しても、昨今注目を浴びている「再犯」というキーワードを使いたかったということだろうか。
そもそも犯罪少年でありかつ少年院出所者の統計だったとか、マスコミの伝言ゲームのせいだったとかなら脱力する。適当な用語がなかったってのもありそうだ。
記事によると、少年院を出院した18~19歳が、25歳までに刑事処分を受けた場合を再犯と表現してるが、だいたい5年なのは刑法56条の再犯の定義に準じているようにも見える。考え過ぎか。
なんだか不正確な情報から間違える人の典型になった気分だが、ネット公開後に見てみたい。さすがに買う気はない。
なお、朝日は、わざわざ「非行や犯罪で少年院に入った少年が、再び罪を犯してしまう割合はどのくらいか」と冒頭に書いてた。少年法では、犯罪行為、触法行為及び虞犯を併せて非行というので、なんだかこれもわかりにくい表現だが、少年院出所者には、犯罪に当たる行為をした者以外もいると言うことを注意してるならなかなか短い中でがんばってるのかもしれない。「再び罪を犯してしまう」が微妙になるが。
かつての高度成長期までの日本では情報が無く、各地域地域で男と女が結ばれてた。
多少不細工でも住んでいるコミュニティで男女がほぼ均等に結ばれて、あぶれるのはごく僅かだった。
80年代以降は情報が発達し、持てるものと持てないものの格差が広がった。
6割の女性は全男性中3割のイケメンの間でグルグルと回されてるだけ(タコ足化)しているのだという。
つまり彼氏が居ない女はしばらく待っていれば、今の交際相手に飽きたイケメン(=ヤリチン)がすぐ回ってくるわけで、ブサメンを相手にする理由が無い。
6割の女性は3割のイケメンの間で巡回し、あぶれた7割の男性の間で残り4割の女性とイケメンのおこぼれを奪い合う、現代はそんな哀しい状況なのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20091031223018
を受けて。
増田は携帯電話のことしか書いていないが、それは理由の7割くらいなのではないか。ザックリ言って。
そこで私は残り3割を考えてみようと思う。
残り3割のうち2割は「コンビニの普及」なのではないか?
なぜコンビニの普及と若年者のセックスと関係があるのか、疑問に思うかも知れない。
つまりこういうことだ。
「コンビニが普及したことによって、コンドームを匿名性の高い状況で手に入れられるようになった」
80年代以前にもセックスをする若年者はいた。しかしそれは、常に妊娠と隣り合わせだった。
少し頭を使えればそういうリスクの高いものに手を出さないのは当然と言える。
そしてもう1割の理由。それは「専業主婦が減り、共働きが増えた」ということではないだろうか。
あるアンケートでは、「初めてセックスした場所」のダントツ1位は「彼氏の部屋」なのである。「ラブホテル」ではなく。
80年代以前にそれが可能であるケースは、今ほど多くなかったのかも知れない。
ここで私は、別の論点を提示しようと思う。
ここまで上がっている「携帯電話」「コンビニ(匿名コンドーム購入)の普及」「共働き世帯の増加」は、すべて「本当はセックスしたいが、障害があってムリ」というところに帰結してしまう。
しかしここに抜け落ちているように見える点がひとつある。それは「モラルの変化」だ。
80年代にはすでに死語になっていたものの、「不純異性交遊」という言葉があって、結婚を前提としない男女交際はダメというモラルがあったのだ。
これが性の解放とともに変化した、という点を、先に挙げた3つの点に加えるべきなのではないか? という論点。
これに対し私は「違うのではないか」という論を展開したいと思う。
つまり、80年代以前になぜそういうモラルがあったのか、と言えば「セックスできない環境を正当化するため」(=負け惜しみ論)ではないのだろうか。
逆に90年代以降モラルが変化し、「人はセックス(を始めたとした異性交遊)によって成長するので、それを経ていないものは人間的に幼稚」(=経験による能力上昇論)というモラルが誕生したが、それさえ「セックスしている自分を正当化」するための方便なのではないか。
私の考えを言えば、できる奴は始めからできるしできない奴は何度やってもできない。もし経験により交流能力が上昇するなら、異性間よりもはるかに付き合いの多い同性間において、交流下手がいるわけがないのだ。
つまりセックスは能力上昇のきっかけではなく、結果に過ぎない。セックスをたくさんしている者は、セックスをたくさんすることによって能力を手に入れたのではなく、始めから能力が高いからセックスをたくさんすることができたのだ。
セックスをできないものは、経験をしないことで能力が低いからセックスができないのではなく、始めから能力が低いからセックスができないのだ。
「経験がない男はこれだからダメねー」というのは順序が逆なのだ。「(始めから)ダメな男だから(今後も)経験なんてできないよねー」となるのが正しいのではないか。
いや、ここでは私は現代の新モラル論=経験能力上昇論を否定したいわけではない。そういう部分もなくはないが、今回語る主旨ではない。
私が提示したいのは、「モラルというのは状況に先立って存在するものではなく、状況を受けて後から(自己正当化のために)作り出されるのではないか」ということだ。
マルクスが下部構造(科学の発達とかその時の社会システムとか)によって上部構造(人間の意識のありよう)が規定されると語った(だから人間の意識は「虚偽意識=イデオロギー」なのだ)ように、モラルというのは携帯電話とかそういうものによって規定される上部構造なのではないか。
そういう話なのである。
追記:ご指摘を受けて一部訂正