はてなキーワード: きちがいとは
時に相当怒りを感じたときなどは、「なのに言えない」ことや、「一度飲み込んでしまったため、タイミングを逸し、今更言うわけもいかない」ことなどでさらにフラストレーションがたまり、悔し涙が出てきたり、壁を殴りつけたい気分になってくる。
あなたの文を読んでの印象は「うまく怒れない」どころか怒りまくってるなという感じ。
定期的に人に怒りをぶつけることが「怒るのが上手い」のであれば私は怒るのが下手だが、別にそんなことをせずに問題なく幸せに暮らしている。
あなたは「怒りを上手く表出出来ないのが問題」と思っているけど、実際は「常に怒りまくってるのが問題」なのではないだろうか。
結局ぶつける事が一度も出来ていないから、いくらその場を「忘れたり」「殴ったり」で誤魔化しても、ふっと思い出したりしてしまえば元の木阿弥。
出してみようと思ったが、うまいこと出せず、小出しになってしまい、しかも相手にイマイチ伝わらず、寧ろ余計フラストレーションが募った。
怒りが上手く伝わるというのはどういうことなんだろうか。自分のなかにちゃんと成功例のイメージがあって言ってるのだろうか。
正直言って私は自分の怒りも人の怒りも下らなく感じてしまう。真剣に怒ってる人を目の前にしても笑ってしまう。
笑ってしまうとますます怒るから無理に恐縮した態度を演じたりらするけど、正直言って怒りからは何も感じない。
逆にあなたはどうなんだろうか。人に怒りをぶつけられて、何か感銘を受けたりメッセージ性を受け取ったりしたことがあるだろうか?
ガウガウ怒っててうるさいから言うとおりにしよう、仕方ないなあ、くらいのものではないのか。
つまり怒りが上手く伝わるというのは相手に恐縮のポーズをさせるということか。
であれば、あなたの「怒りが伝わらない」というのは単に迫力が足りないのだ。もっと大きな声を出して歯を剥いて腕を振り回してものを壊せばいい。「わ!うるさ!」「わ!きちがい!」となって注意を引ける。それで怒りが伝わる。
あなたの「自分の精神的苦しみは人に怒りをぶつけられないせい」という考えは勘違い。そんなことせずに幸せに暮らしてる人の方が多い。
あなたは怒るのが下手どころか大変上手で、日常生活でそんなに怒り溜め込めるのは常に不満を見つけて怒ろうとする脳を作っているから。
また、あなたは親に抑圧されたせいでそういう人間になったと匂わせているけれどもそれもかなり怪しい。
というのは、親が言ったのは「自分の主張をきちんと説明せよ」ということであり、実際あなたは子供の頃も大人になった今も自分の思考を整理して説明することが出来ていない。
はてなブックマークは安易に毒親問題として「理解」と「寄り添い」を見せているけれども、彼等はなんの責任もとらないし注意深く本文を読んですらいないから真に受けてはいけない。
ピピーッ増田警察です!👮♂️👮♀️あなたは今優しい言葉を選んで諭した増田をきちがい扱いするという、意地悪をしました。意地悪な増田をするのはやめましょう。理解し合えないときも、優しくしあいましょう。お箸以前の話ですよ!
健常者ではない。
人並みに生まれられなかった。
普通に生まれたかったし、普通の感性で普通の思考回路で普通の脳みそだったらよかった。でも、違う。
お前はおかしい、と言われてきたし、自分はおかしいと自分でも思った。
障害者というレッテルを自分に貼るのは決して楽しい事ではない。でも、健常者だと思い込んで苦しむよりは、幾分マシだと思った。自分がそう生まれついたことを認め、受け入れ生きることが生きづらさの解消だろうと思った。
他人に障害者と理解されれば、幾分生きやすくなる。健常者じゃありえないような失敗をしても、障害者だからと納得してもらえる。失敗に納得してもらえないことはとても辛いものだ。自分でもなんでこんな失敗をするのかわからないのに、人に、なぜ失敗するのか、理解できない、おかしい、なぜ、なぜ、と言われてもどうにもできないからだ。健常者は、理解できないものに対して不寛容だ。だが、障害者だから仕方ない、という1つの理由を差し出せば、一応納得はしてくれる。
自分の苦手を理解して貰い、得意を理解して貰えれば、こんな人間でも役に立つ筈だ。そう信じたい。だから障害者だと名乗る。
納得してくれる人もいる、が、してくれない人もいる。
全然普通じゃん、障害者なわけない、甘え、との調子で障害者を名乗るのを許してくれない人だ。
自分もかつて、自分に対してそう思っていた。そりゃ、少しおかしいとは言っても、成績は普通だし、短期間なら普通を取り繕うこともできるようになったし、特別支援学級レベルではない。それに、今までずっと健常者だったんだから、障害者であることなんか認めたくない。やればできる筈、甘えているのだ。やればできる、みんなできているのだから。こうした考えを何年も持ちながら苦しんでいた。自分を疑うことは辛いことだ。
結局、健常者を貫くことはできなかったし、認めなければ生きていけなかった。
だから、障害者と名乗ることを許してもらえない時、再び昔と同じ問いを自分にぶつけなければならなくなるのが辛い。本当は健常者なんじゃないか、というのは希望の光のように思えるし、光が差し込むとついすがりたくなる。しかし、それにすがって生きてきた20年がどれほど辛かったことか。「本当は健常者なのではないか?」と問われるのは、切れると分かりきった細い蜘蛛の糸を垂らされるようなものだ。ついすがってしまうが、切れた時はより深い絶望に叩き落される。
健常者の方には、我々を理解するのはきっと無理だ。我々だって健常者を理解できないのだから。障害者と名乗る普通っぽい人に、そんな筈はないと詰め寄るのはやめてほしい。理解できないのは仕方ない。理解できないのなら、そうなんだ障害者なんだね、はいはい。で流して欲しい。医者だってそう言ってるんだから、そうなんだよ。それでいいじゃないか。
健常者に居場所のない我々が、障害者側に立つことぐらい許してくれ。どうせ、お前らは健常者と名乗ったら名乗ったで、あいつはおかしい、きちがいだ、と言うのだろ。目障りかもしれないが、どうか放っておいてくれ。違う人がいる、それを認めるのはそんなに難しことなのか?
毒親の話を読んで似た人がいて吐き出したくなって誰にも言えないからここに書く。
父親が妹を自分の顔に似ていると赤ん坊の頃から毛嫌いした。年子の長女の私の事は猫可愛がりし私の赤ん坊の頃はほとんど父親がかまっていたと聞いた。
物心つくと母は父親に甘える私に、お父さんは嫌いと言いなさい、じゃないとあんたの事嫌いになるよと言った。私は父親より母のことが好きだったので泣いてすがった。妹は構われずいつのまにか立っていたとのちに母は言った。
私は母の言う通り、あんたなんて嫌いと言いお父さんと呼ばなくなった。
父親は妹を泣かせて遊んだ。妹はこの世の終わりのような声で泣いた。泣き叫ぶ事を妹は中学生までやめることができなかった。母はそれを疎ましがって疎まれるのが怖くて私は声をあげて泣くことはなかった。
父親が妹をいじめて母と険悪になると私に母は産むんじゃなかったと言った。そう言われるのが怖くて私が父親に抗議する立場となった。そうすると母は父親の機嫌を損ねなくてすむから。
父親が妹を意味もなく小突いたり、私だけを甘やかそうとすることを口汚く罵りながら、して欲しいことがある時は甘えてコントロールすることが私の役割だった。いくら私が、お前なんか嫌い、きちがい、と言っても父親は私にだけ甘かった。
妹の泣き叫ぶ声を私も疎ましく感じていた。母に父親とあのこさえいなければと言われ真に受けていた。ある日泣く妹を母は玄関から閉め出した。私は母を、もういいでしょ、と説得してからでないと鍵をあけることができなかった。私はくずだった。
小学低学年になり、すかしっぺをくらわすふりをするという遊びが流行った。まだ嫌いと言いつつ自分にやさしい父親に甘ったれた感情が残っていた私は嫌がらせもこめてその遊びをとった。父親はニヤニヤと、してはいけない事だ、お母さんに嫌われるよ、と言った。母に嫌われることが何より嫌だった私は、ごめんなさいもうしません内緒にしてくださいと父親に謝った。父親は内緒にして欲しがったら乳首をなめてと言って私はした。
中学年になると妹はストレスで学校で問題をおこすようになった。家のお金や私の物を盗み、怒るとお姉ちゃんがと泣き叫ぶ。住宅密集地だったため丸聞こえで近所の人に挨拶をすると無視されるようになった。
大人に指図して生きているのがわかるのか私は先生に好かれない子供だった。授業中に睨むなと叱られ母に相談すると、あんたは大人を馬鹿にしていると言われた。
父方の祖父母にも生意気で可愛くないと言われいると母から聞いた。母方の祖母もあんたがなつかないから引っ越したと言われた。妹も私も味方の大人はいなかった。
中学生になると妹は荒れ似た家庭の友達の家に入り浸るようになった。親の寝室にはアダルドビデオの山があった。私はかまってくる男子に学生が拉致されて犯されるビデオを貸した。父親も発情した男子も馬鹿にしていた。その男子に好意をよせ胸を触らせてあげる女子などがいたが私が媚びないからそんな態度だと犯かすぞと言われた。ああ男はそうできるのかと肌身に感じた。
そんな中母が入院することになった。あまり帰ってこない妹と風呂場やトイレを間違えたふりしてあけようとしたり股関を見せてくる父親と過ごすことにノイローゼになった。
私は気が狂っていたんだと思うがお風呂の湯船に浸かり麺棒を股に刺した。自分で自分を守った気がした。食欲もなく母が退院すると私が病院につれていかれ栄養失調だと怒られた。
卒業間近に父に愛人ができ、借金でも虐待でも別れなかった母は離婚を決意した。
その頃にはもう妹は我慢の限界で父親に反抗し物を壊し私や母に殴りかかるようになっていた。当然だ。母の兄が妹をなだめようと受け止めなんてできやしないのに近づき、妹が暴れると妹を罵った。母にその日の夜、あの子らはいらないだろうと児相に預けるように言われたが断ったよと伝えられた。
小学生の時の帰り道けんかをして妹を泣かせてしまった。それを見た知らないおばさんが私を嫌な子だと非難すると、お姉ちゃんをいじめるなとこんな姉妹関係なのに怒ってくれるやさしい子なのを知らないくせに助ける気なんかないくせに妹を馬鹿にした。今でもあの親戚たちが死んだら笑うくらいには憎い。
妹は社交的で可愛く人好きのする人間になった。でもいまだに心に爆弾を抱えているし、私に対して愛憎の入り交じった感情をもっているのがわかる。
私は妹が好きだ。お姉ちゃんは好きだと言ってくれる妹に罪悪感が消えることはないと思う。