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2015-11-14

アニメシンデレラガールズ」はEDH《大祖始》だったのかもしれない

アニメアイドルマスター シンデレラガールズ」が最終回を迎えてから、約半月が経過した。

作品のもの感想視聴者それぞれに思うところがあり、また既に多数の感想記事が上げられていることから割愛するとして。

《溶鉄の尖峰、ヴァラクート》アニメとしての『ビビッドレッド・オペレーション』(http://wasasula.hatenablog.com/entry/2014/06/29/012233)という記事があった。こちらをリスペクトし、今回はシンデレラガールズとはどういうデッキなのか、について迫りたいと思う。

シンデレラガールズ原作にあたるゲームは、いわゆる普通フォーマットゲームではない。現在スターライトステージ稼働中はいえ、アニメ制作段階では、アニメ原作と呼べるものソーシャルゲームのみであった。

ゲーム内の登場人物100人を軽く超えている。とてもじゃないが、通常の60枚構築ではゲームの、その中のキャラクターの魅力を表現できない。その上、構築にあたってデッキビルダーは「特定カードデッキに入れること」を要求された。

そこで発想の転換が行われた。アニメシンデレラガールズ」はスタンダードデッキではなく、統率者戦、EDHのデッキとして構築する。

EDHとは、伝説クリーチャー1枚を統率者として指定し、統率者が持つ色の99枚ちょうどのハイランダーデッキを構築する多人数戦用のフォーマットである

大切になるのが統率者選びだが、入れたいカード、入れなくてはいけないカードが5色に散らばっていた時点で選択肢は狭まっていた。5色の伝説クリーチャー、《大祖始》。

Progenitus / 大祖始 (白)(白)(青)(青)(黒)(黒)(赤)(赤)(緑)(緑)

伝説クリーチャーハイドラ(Hydra) アバター(Avatar)

プロテクション(すべて)

大祖始がいずれかの領域からいずれかの墓地に置かれる場合、代わりに大祖始を公開しそれをオーナーライブラリーに加えた上で切り直す。

10/10

後は、強いカードを片っ端から入れていくだけだった。幸い、資金は潤沢にあり、必要カードは全て手に入った。

三色アドバンテージの塊、《残酷根本原理》。

《歓楽の神、ゼナゴス》と《化膿獣》による一撃必殺。

美しく高い性能を誇る、《悪斬の天使》。

軽量アーティファクトとそれを支える《求道者テゼレット》。

玄武岩モノリス》《ブライトハース指輪》による無限マナ、そして《ゴブリン大砲》。

赤と青、相反する二色により生み出される速攻持ちの無限トークン

強いカードだけで組まれ100枚。

アニメ第一話、デッキを用意してゲームを始める直前の統率者顔合わせ……その時提示した《大祖始》を見て、対戦相手……つまりは我々視聴者は、「とんでもないデッキがくる」と覚悟をした。

アニメシンデレラガールズ」とはつまり、以下の様なデッキだった。

統率者:大祖始

クリーチャー

タルモゴイフ

悪斬の天使

鏡割りのキキジ

帝国徴募

やっかい

士気溢れる微集兵

修復の天使

シルヴォクののけ者、メリー

台所の嫌がらせ

残忍なレッドキャップ

包囲サイ

無限に廻るものウラモグ

壊死のウーズ

石鍛冶の神秘

歓楽の神、ゼナゴス

荒廃鋼の巨像

化膿獣

ボガーダンのヘルカイト

シヴのヘルカイト

ボロスの反攻者

瞬唱の魔道士

山賊の頭、伍堂

最後トロールスラー

ラッカワーム

テラストド

ワームとぐろエンジン

聖別されたスフィンクス

飢餓の声、ヴォリンクレックス

プレインズウォーカー

精神を刻む者、ジェイス

求道者テゼレット

野生語りのガラク

遍歴の騎士、エルズペス

ヴェールリリア

呪文

Mana Crypt

太陽指輪

魔力の櫃

玄武岩モノリス

ブライトハース指輪

ダークスティールの鋳塊

殴打頭蓋

稲妻すね当て

梅澤の十手

寺院の鐘

危険な櫃

師範占い独楽

頭蓋骨絞め

demonic Tutor

吸血の教示者

忌むべき者のかがり火

苦悶触手

ぶどう

苦花

ティムールの隆盛

残酷根本原理

歯と爪

force of will

arcane denial

mana drain

サイクロンの裂け目

至高の評決

神の怒り

塵への帰結

汚損破

スフィンクスの啓示

出産の殻

意外な授かり物

青の太陽の頂点

時を越えた探索

精神力

全知

渦まく知識

生体融合外骨格

自然要求

剣を鍬に

四肢切断

流刑への道

実物提示教育

騙し討ち

欠片の双子

ファイレクシアの闘技場

土地

Tundra

Underground Sea

Badlands

Taiga

Savannah

Scrubland

Volcanic Island

Bayou

Plateau

Tropical Island

神聖なる泉

湿った墓

血の墓所

踏み鳴らされる地

寺院の庭

神無き祭殿

蒸気孔

草むした墓

聖なる鋳造

繁殖

2015-05-04

俺、親鸞共感しまくり。

 生まれてきて、大人になって、暮らしを営んでいることに幸あれと本当に思う。碌でもない出来事が日々石ころのように転がっていて、それを道から除けるか、避けて通るか、人それぞれなんだけど、なんというかその、道があることが愛おしい。僕らはみんな生きている。生きているからすごいんだ。

 世を苦行だと捉えるのが一般的仏教根本原理だ。聖なき衆生が業のもとに救いなく永久に続く苦行を生きる煩悩の有様を目に見える世界だとする。解脱とはメタ世界への移行でその業の世界から脱出意味してそれを神聖視するわけだけど、そもそもの動機は業からの逃避な訳で。ものを食って、うんこしてる身で。要は、苦行してるお坊さん方は、世の中から逃げたくて逃げたくて仕方がなかった。だから糞下流には混じり合わず、己の世界の内でしんどいことをやり続ければ報われる、というのが原始仏教。こいつらくだらねぇな、つきあってられねぇな、なんて、分かりやすエリート意識

 しかし、苦しい世だからこそ、そこに生きることが尊いのではないか。そこで泥水をすすり、愛欲に溺れ、駆け引きを駆使しながら己と子を護り、肉を喰らって、眠りと朝日保障する。おい、ねえ、すごくない?俺できないし。というのを愚直に見つめた男がいる。それが親鸞だ。

 教義としてのオリジナリティ法然にあるのかもしれないが、親鸞事実、泥水をすすりセックスをし、酒を飲み肉を喰らいながら、そんな俺が信じてるよ、と阿弥陀の救いを説いた。私が知る、あなたたちをこそ救わずして、何が仏か、と。

 ここからは俺の独自解釈。かつて僧という「形」のために頭を剃った愚行を「愚禿」と表わし、今現に業を一身に背負うこと=菩薩行を積んでいる目の前の人々をこそ、哀れまず慈しまず尊んで、己より行を達した者とし、敢えて同じことをした。世は、かき集めた金をつぎ込んで寺を建て、加持祈祷をさせれば徳=得の時代。そのような儀式、「計らい」は要はショートカットであり邪であるとし、業に直面しながら苦しみ生きることこそ解脱の道であり尊い行いだと、己の身をそこに投じた上で彼は知って、そして説いた。

 生きよ、生きよ、生きよ。あなたたちは尊い。何が何でも生きて生き抜く中で、だからこそ届く念がある=救いがある。「南無阿弥陀仏」とは、何者をも超越した阿弥陀仏帰依いたします、という意味だけど、きっと多分なんでもよくて、怒られるかもだけどアーメンでもきっと全然良かった。念仏なんて要するにお題目しかない。生きよ、あなたたちは間違っていないと、そのためになんか支えが要るならとりあえず南無阿弥陀仏っていっとけ、それを親鸞は言いたかったのだと俺は思う。


 結果いろいろあったんだけどね。親鸞だって所詮エリートだ。パンピーとは頭の出来が違うし、思想の落としどころも多分違う。阿弥陀の前に人は平等まではいいけど、衆を集めて暴力的人権運動が起こせまでは多分思ってなかったろうし。いやまあ、どうなんだろうそこのところはまだ腑に落ちてないんだけれども。

 ああ、酔っぱらって書いてるから面倒くさくなってきた。誰か、増田にも真宗門徒いんだろ。西でも東でもいいや、門外漢のお説に捕捉してくれ。

2014-11-04

女性枠ってあれなんなんだよって感じ。

 能力のある女性が働くのは分かるんだけど。

 女性を働かせるために枠を作るってのが理解できないな。

 あれってつまり、女受けをよくして、「男女平等アピール」したいだけやろ?それ逆に男女差別じゃねって感じる。

  

 男女平等っていうのが根本原理らしいんだけど、だったら競争で勝ち取るってのになぜならないのって。野球で女枠なんて作ったら興ざめじゃね?それじゃ年代別に60歳を一人はスタメンに入れなきゃだめとかにするわけ?つまんねーよそんなゲーム

 やっぱ最高の能力のぶつかり合いじゃないとつまらない、おててつないではつまらない。能力のある女性能力あるのを示せばいいじゃん。

 差別を盾に調子のりすぎやろ。

2013-08-03

麻生発言の批判者は、批判対象が何かを理解していないのでは、という話。

http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html

上記講演での麻生太郎氏の発言の一部が批判されている件について。

問題になった発言を以下に引用する。以下「例の発言」という。

憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」

客観的事実

1.麻生氏が例の発言を含む講演をしたこと

2.例の発言が批判的にマスコミに採り上げられたこと

3.麻生氏が、例の発言は「誤解を招いた」として撤回したこと

4.麻生発言が、外国マスコミにも批判的に採り上げられたこと



批判

1.麻生氏は、国民が気づかないうちに憲法改正をすることを奨励しているから、問題である

2.麻生氏は、残虐な行為をした政党であるナチス手法称揚しているから、問題である

3.麻生氏は、国民が気づかないうちに憲法改正すべきという主張をしている、あるいは、ナチス手法称揚している、というような批判されるべき主張をしているものと捉えられかねないような発言をしたから、問題である

4.麻生氏は、ナチスを肯定的文脈で引用たから、問題である

5.麻生氏は、外国から強く非難されても仕方ないような発言をしたから、問題である



批判1と2は、麻生氏の「真意」を問題にしている。しかし、麻生氏は批判1や2にあるような意図ではなく、誤解であったとしているため、これらの批判は的を射ていないことになる。このことは、たとえ批判者が「いや、あの文脈でああいう発言をしたということは批判1や2にあるような意図があったに違いない。」と主張しようが、「批判1や2にあるような意図があったとしか読めない。」と主張しようが変わらない。発言の「真意」は本人のみが決めることだからである

批判3は、麻生氏の発言の「外観」を問題にしている。前記した、「批判1や2にあるような意図があったとしか読めない。」と主張する者は、批判3を行わなければならない。

そして、批判3を行う者は、例えば「例の発言をした麻生氏に政治家としての適格性はない」という主張をする際には、「なぜなら、政治家は発言を慎重に行うべきであって、あのような批判されるべき主張をしていると捉えられかねない発言を不用意にすることは政治家としてあってはならないかである。」などと続けなければならない。もしも、「なぜなら、あのような批判されるべき主張は憲法の意義・重要性やナチスのしたことへの無理解を露呈しているかである。」と続けるのならば、それは批判1や2にコミットしていることになり、論理矛盾を引き起こす。

批判4は、主にドイツマスコミが行なっているものであるナチスは、その政策内容の残虐性・人権侵害性だけでなく、政権掌握に至るまでのやり方も人権侵害を伴うものだった。そうしたナチスのやり方を肯定することは、それがいかなる文脈の中であっても、ジョークであっても、許されることはない、という前提に立つものである

批判5は、例の発言の内容とは全く独立しているものである。どんな発言であれ、どんな文脈であれ、どんな真意であれ、それが「国際人権感覚」の観点からして批判されるようなものであれば、それ自体が批判されるべきである、というものである。この批判をするためには、「なぜ外国から批判されるような発言をすれば、それがたとえ誤解であろうとなんであろうと、批判されなければならないのか」という問に答えなければならない。




http://nabeteru.seesaa.net/article/370956778.html

上記URL先のブログでは、「ナチスの手口を学んで国民が知らない間に憲法を変えてしまうやり方に共感を覚えているのである。」として、批判1を行っている。その際、批判1を行うにあたって、例の発言を含む講演内容全体から麻生氏の「真意」を推測している。そして、その推測に基づいて麻生氏の思想内容を断定し、その思想が問題である、と批判しているのである

しかし、批判1が的を射ていないことは既に述べた通りである


http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20130803/1375502413

上記URL先のブログでは、「問題は、『ナチスは悪い中身の政治をしたけども、その方法論は見事だった。180度かわるような大転換をやってのけてしまったのだから』という認識麻生が持っていることなのだ。」としている。これは、批判2である。批判2も的を射ていないことは既に述べた。

もっとも、このブログでは、「『ナチズムの中身はダメだが、手口は学ぶところがある』と麻生が思っていると解釈すれば」として、留保をつけている。

そして、この解釈自体は論理的に成り立ちうるものである(説得的かどうかは読者が決めることだが)。したがって、例の発言についてこういう解釈をすることは全く問題はないし、その解釈が正しいことを仮定した上で、発言を批判することは、正当なものである

ただし、あくまで解釈である以上、麻生氏の政治家としての適格性を主張内容に基いて論難することは矛盾をきたす。麻生氏の主張内容(=真意)は、本人と神しか知らないのである



麻生氏の批判者は、批判1,2をしないように気をつけなければならない。批判3〜5は十分に成り立つ。

いずれにせよ、重要なのは、発言がどうこうとか一政治家の適格性がどうこうとかいう話ではなく、「憲法とは何か/何のためにあるか」「憲法改正はどのように進めるべきか」というような面倒くさいが避けては通れない議題について、基本的人権概念権力分立原理等、近代憲法立脚する根本原理に基づいた建設的な議論をしていくことである政局論議に堕してはならないと思う。

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