はてなキーワード: 句点とは
"アニメ放送されるまで二次創作絵なんてひとつも流れてきませんでしたが。オタク界隈に身を置いてるわけじゃないんで。エコーチェンバーに陥ってるんじゃないですか。"
(追記2:ごめん後半は引用に含めるべきではなかった、最初の句点までが「本当にそうね」という話…)
これ本当にそうね…
アニメ化の力やっぱり強いなってくらいファンアートと二次創作(性的要素含む)増えたよね
ワイはお笑い垢だけどおすすめで普通に流れてくることが増えたよ
それで初めてはっきり原作過激派だってことに気づいてしまって(そういう主張はしてない)ワイはSNSを見ることをやめた……
ダンジョン飯に関しては二次創作はおろかファンアートも見たくない、無理
以前ブコメですら突然ライオス×マルシル二次創作カプコメ(微エロ)してる人を見てしまって、すぐ非表示にしてしまった
できたら専用垢でやってほしくはあるけどそれはこっちの都合だからね
でも嫌だよな~~~
ワイはこの増田を2人目にブクマした者(プライベートモード)なので
こうやって増田でちょっとつぶやいただけのことを皮肉ったり強く上から何か言ったりする相変わらずのブクマカが多くてごめんねってなってる
ごめんね
アニメ化以前から傾向に関わらず当該作品の創作をしてる人とかが大勢というほどではないにせよいて、pixiv等に作品を上げていたことは普通に知っている、ワイも一次創作するオタクだから…
だから正確にはきっと場所を限定しなければ「ひとつも」ではないんだけど、多分Xで描かれてシェアされて表に出て流れてくる量が圧倒的に増えたということだと思う
一般層や海外絵描き層にも視聴者が多いことでオタク界隈以外にも波及して、その勢いが増しているんじゃないのだろうかしらね…というかんじ
(”おすすめ”は原作や描きおろしの情報を求めて検索・閲覧等することで公式以外のものも流れてくるようになってるのではないか?
フォローしきれない知らない芸人・作家が撮った好きな芸人のいい写真やレポートが多数流れてくるのでおすすめ欄は重宝していたのだが、残念)
ところで文中でこのような感情は「こっちの都合」で、そんなこと「主張してない」ことも「SNS見るのはもうやめてる」ともはっきり書いているのに、増田の問題かなとか向いてないとか距離を取ったらとかDQN(!?)とか書いてる方は文章ちゃんと読んでくれていますか…
https://anond.hatelabo.jp/20240220212252
一応ね、ほとんど手を加えなくても
句点で区切るだけで読めるようにはなる。
言ってることがおかしいわけではない。
子供の頃、どうしても寝る前に1時間くらい、もう読んだ本なのにドラえもんとかの漫画を読まないと寝なかった。
親からは頭がおかしいんじゃないかと心配されたのか、殴って読むなとしつけられそうになった。
けど、静かに隠れて読むテクニックを磨いてたらついに1人で寝させてもらえなくなった。
しょうがないなあということで、ちょうどつまらないから小学校の授業で漫画を読むことにした。
あてられたら全部答えて、テストも全部100点だし良いでしょう?といって。
そうしたら「そんなに余裕があるなら掛け算もできないアホに専属教師になって教えてやれ」と担任に言われた。
さらに「そんな無茶苦茶な要求をされるならこんな授業には出てやらん」と言って、
ただ下手くそは下手くそ。 あと講談社からお墨付きで出版させてもらったのにガチの人から散々怒られて絶版になったの作者と同じようなことを言ってるのがおもろい。
前々から言われてたけど、暇空茜さん自身はコレコレ出たときの受け答えのヤバさと言い、生配信でも酔っ払いみたいに話が飛び飛びになるあたりガチでコミュニケーションは苦手なんだろね。
頭は良いけれどコミュニケーションが自然に取れない人って結構いる。
そのあたりをなるくんっていう外付けコミュニケーション能力補完装置が普段から清書してあげているのだとすればいい関係じゃあないか。
あと引用部分はおそらく書き終わりかつ徹夜のハイテンションだったんだろしらんけど。特別酷い部分を抜き出して批判するのは良くない。
昨今若い人の間で
「楽しみにしています。」
というような「。」が怒って見える、冷たく感じるという話があったが、わたしはそんなアホな、ただの句点やんけと思っていた
だが先日とある初めて話すフォロワーとDMでやりとりした時、相手方がずーっと句点を打っていて、妙にムズムズして気になった
なんというか淡々としてる、冷たく言い放ってるように見えた
事務連絡に近い話だったからそんなにテンション上げて言う話では無いのは理解してる
と思うが妙に気になって怖くなってしまった
句点の有無とかで機嫌を勝手に想像されてたまるかと思っていたのにこのザマだ
実はわたしも苦手なのかも知れない
恐らく「丁寧にしている」ことが「事務処理のように淡々としてる」ように思えるのかも知れない
深い意味はないとは思うが、それでもなんとなく、そっけなく感じるな…
。は難しい
もう少し明るい話題もすれば良かった、などと家に帰ってから気がつくのは俺の通常運転ではあるが、やはり後悔はするのだった。年末年始に読む小説の話などすべきだったのか。ただ、今日に関してはしっかりとした議題があらかじめあったので、それについて彼女が解決を模索するための鏡、対話という形の思考を積み重ねるための壁にはなれたのかもと自負している。もちろん俺でなくてもできることだろうが、役に立てたのかもしれないという満足感があるのだ。少しずつだが、虚心で向かい合え始めているというか、演出効果を計算して何かを隠したりとか、「ここでこれを言う!」みたいな狙いなど無しに話せているように思える。あなたのことを祈っている、など気持ち悪いだろうから何らかの特殊な伝え方が必要かと考えていたが、そんなことはなかった。素直で自然な行為だったんだから、素直に言えばいいのだ。素直で端的で押し付けのない好意、この方向で立つべき場所が見えそうな気がするが、今日も目が合わない彼女の瞳をずっと追っていたような俺は、自分が思う以上に愚かで欲深いので、どうなるかはまだわからない。今年は句点は打たないでおく
構ってもらおうと犬みたいな反応で即レスするとか、だいぶん前、いやそもそもの最初っからそうなんだがケアされているのは俺という現実。だから句点を打つとするならば俺が俺自身の足だけでしっかり立たないといけないわけだが、今までの人生において一度でもそんな芸当ができたことがあろうか。などと反語表現を繰り出しながらも脳の右上あたりで待っているのは彼女のレスポンスという有様。どんな時間を過ごそうが、どんな本を読もうが、彼女のことをどこかで思い浮かべて連絡するネタを探すというのが常態化しているのが不健全なのは間違いない。では今までの人生において一度でも健全であった時が以下略。結局は俺自身の問題で依存してるのは俺で情けなく弱いのは俺で、ケアしてもらおう精神を消し去ってちょうどいい距離感を保つには何が必要なのか、強さ健全さを手に入れるのは今更無理として、忘却か昇華か別の何かの慰めなのか