はてなキーワード: フィジカルとは
ちょっと話題になってるこの記事のことだけど。
http://anond.hatelabo.jp/20110725004759
元増田の論じ方だと「親」の存在がみな同質/同列化されて位置づけられているが、
20代でダウン症児を生んだ場合と40代でダウン症児を生んだ場合とでは同列には語れない。
あるいは「親」の職業はどうだろうか。
公務員、サラリーマン、自営業者とではそれぞれ経済的な安定性が違うだろう。
また「親」に障害がある場合はどうか。
障害を持つ「親」と持たない「親」とでその後のフィジカルな不安というのは大きいだろう。
このフィジカルな不安というのは一般的には経済的不安に転換可能である。
いずれにしても「親」の属性を同質/同列化して語ろうとするのは、
ダウン症児をも育てることが困難に思われる属性を持つ親を「劣性」だとみなし、
排除する考え方に他ならない。
弘前大学大学院理工学研究科の山田慧生(けい)さん(24)と指導教員の浅田秀樹准教授(42)=理論宇宙物理学=が、アインシュタインらが構築した一般相対性理論(一般相対論)の運動方程式を基に、三つの天体の軌道(位置の時間変化)を瞬時に導き出せる数式を、世界で初めて見つけた。研究成果をまとめた論文2本は2010年11月と今年1月、ノーベル賞級の論文が載る米国物理学会誌「フィジカルレビュー」に掲載された。同研究科が1日、発表した。
M1で英文ジャーナル2本かぁ、しかもPRL、いぃなぁ~~~いぃなぁ~~~いぃなぁ~~~~優秀でいぃなぁ~~~~、情報系なんて、査読付き国際国際会議メインで、トップの国際学会に通すのはPRLに通すのと同じかそれ以上に難しいし、分野にはよるが使っている数学も難しい物が多いのに、物理の人から見ると、何、この人、国際会議ばっかりで、英文ジャーナル一本も出してないじゃん、マトモな業績ないねって下に見られる。
だからって、ジャーナルに先に出してしまうと、二重投稿になるから著名な査読付き国際会議に出せなくなる。著名な査読付き国際会議に論文が通らないと、仲間内ではマトモな業績がないってことになる。
結局、よさそうな研究ほど、その年の著名な査読付き国際会議に出して、それに通った後でしかジャーナルに出せないので、ジャーナルにするのがどうしても遅れ気味になる。著名な査読付き国際会議に通らないと、通らないだけ遅くなる。
就職が理論物理に比べれば遥かにマシであるところが、唯一いいところか。
2chで見つけた解説がこれ。分野外の俺でも分かりやすかった。
61 名前: 名無しのひみつ [sage] 投稿日: 2011/02/02(水) 14:56:16 ID:UtBIDr6i
読んだ
そこで普通は方程式を (v/c)^2 の多項式の形に展開して、
これの高次の項は無視するという近似をして問題を解く
これを一般相対論の Post-Newtonian 近似という
物体の速度 v が c に比べてあまり速くない場合ならこれで十分
PN近似にも、(v/c)^2 の何次の項まで残すかでいろんな流儀があるが、
今回の研究は一番粗い「1次のPN近似」、つまり (v/c)^2 の1次の項まで
残して計算してみたと。
大発見というほどでもないが、今まで誰もやってなかったのは意外かな
これ、ふと頭をよぎった言葉。
ただいま、夢のある、そして業界を一悶着させそうな新しい事業の起ち上げに取り組んでいて、これまでの自分が培ってきたインターネット分野やテクノロジー分野を超えた、実業(リアルを扱う事業)に及ぶことをやらかそうとしています。
そうすると、これまでの自分の経験やノウハウが通用しないハードルがたくさん現れてくるわけで、人材はどうする、どんな人材を雇うあるいは参画してもらうのが最適か、場所はどうする、オペレーションはどうする、流通はどうする、お客様サポートはどうする、十分な資本はどこから調達してくる、などなど、これまでの小資本でなんとかやりくり出来てたソフトウェア開発のお仕事とはまるで畑違いの悩み事がわんさか。
(とはいえ、ネットやIT技術はこの事業をブーストさせるためには必須なので、それは自分のアドバンテージ。)
悩みもがいている、というよりは、キャッキャと遊んでいるかのように取り組んでいるので傍から見れば「なんじゃこいつ」と言われても仕方がないけど、実際はいろんな事が頭をよぎったりして、思わず当初とは違う方向性に進んでいる自分に気がついて方向修正したり。
最初の”Think Big”は、かのAppleのSteve Jobs御大が口にしてたワードだけど、その以下はそれに続けてスラスラと出てきた言葉。いつでも原点に戻れるように「これだけは忘れまい!」と心に留めておくべく、メモ。
● Think big, …大きくものを考えろ
● Act quick, …すぐに動け
● Start small, …小さく始めろ
● Enjoy all. …全てを楽しめ
●Think big,(大きくものを考えろ)
物事に取り組むにはまず、極大化された理想の状態を考えるべし。その姿が一番シンプルでわかりやすくて、誰でも納得するくらいの説得力が無ければ、そこからディテールを掘り下げていっても無駄。枝葉末節のことを考えるのは後でもOK。「神は細部に宿る」なんて言った人がいるらしいけれど、細部の苦労が報われて美しい姿になるためには、必ずその上位の考えが美しい必要がある。
●Act quick,(すぐに動け)
その行動が必要だと分かっているならばすぐに行動すればいい。「いや、よく考えをまとめてから…」という綺麗好きな人がいるが、考えることが目的ならまだしも、実現することが目的ならばさっさと初動に移せばいい。色々考える必要があるのは「わからないから」であって、そんな自分が考えて予想した結果を行動で確認する作業なんてナンセンス。逆に行動すれば解決できることまでウンウン考えていると、数少ない本当に考えるべき事ことまで埋もれてしまって重要度が麻痺してしまう。
●Start small,(小さく始めろ)
自信家ならばいきなり大きく始めて(上手くいけば)成功するだろうけど、事業とはイチかバチかのギャンブルではないのだから、理想は追求しつつも「成功させる」という目的を確実に達成させるため、なるべく最初はミニマムで始めるべき。自分は神ではないのだから、途中、全てあるいは一部において自分が当初考えていた予想が食い違っていたときのための、それを改めて軌道修正できる余力が必ず必要。
なにも説明する必要なし。
●Enjoy all.(全てを楽しめ)
面白いことばかりじゃない。(いや、本当は面白いことばっかりなんだけど)楽しい経験はまぁさておき、あっちこっちで動いていると反対意見も出るし、現実的な障害を見つけてしまったり、単に自分の利益だけを気にする人もいたり、気力体力的にも疲れてきたり、と。
それはどんなにメンタル・フィジカルに自信がある人であっても経験することでダメージはあるだろうけど、それもひっくるめて「すっげー楽しい経験をしてる。この体験を知らずに死んでられねえ(笑」くらい、ある意味自分という主人公をコントロールしている第三者の自分という視点で、全ての物語を楽しむことが最終的には良い結果につながるんじゃないかな、と。
http://blog.bresson.biz/2010/12/think-big-act-quick-start-small-try-hard-enjoy-all.html
30歳を間近に控えて、唐突に総合格闘技を始めてしまった。
まぁ、まず道場に行くわな。
するってーと、皆さんがいる。こいつらがまた、いい人たちなんだこれが。
道場全体にただようほのぼのオーラ。指導員のプロの方は流石の風格なんだけれども、
アマチュアクラスの人たちはほんとに奥ゆかしい。全力でチョーク極めた後に「大丈夫ですか?」とか
お互い気を使いあう間柄。まぁ、スパー中はガシガシやりあうけどな!
「みんなで強くなって楽しんで旨いビール飲もうぜ!」みたいな空気がたまらない。
ジュードーやってた時の「奥襟寄越せクソが!」「うっせぇ、背負うぞウド!」みたいな
あのキリキリした感じとは全く別で非常に楽しい。「あわよくば折れろ!」と思いながら変な角度で足払いを打ち込んでくる奴もいない。寝技戦は詰め将棋的要素が強く、スパー後の感想戦がやたら面白い。
もちろんおっさんなのでそこにはビールがつく。ちょううまいんだこれが。
ぶっちゃけてスポーツってものに最早いい感情は抱いてなかった。今でも高校部活は気が狂ってると思っている。
柔道推薦で高校に行くっていうことは「故障したらお払い箱」ってことで、
腰や膝辺りを壊してしまって無残に高校を去っていく同輩をたくさん見てきた。
競い合い精神を磨く、なんていうけど断言して私立の部活で精神なんか磨けない。
おまけに、ごく一部の大成した人間以外は名ーんにも残らない。大学まで行けて、就職まで出来た俺は
本当に幸運だったと思う。高校辺りでケガ→ドロップアウトの流れに乗ってしまった奴は
往々にして人生からもドロップアウトしていった。下手に体力と技術があるものだから、その後は本人にも他人にも
かなり悲惨なことになった例が多い。
それに引き換えて、ソーゴーはとても良い。
色んなバックボーンを持った人たちが、お互いに和気藹々と技術を交換しあう。
極真がローを教え、柔道が内股を教え、ボクサーはフックを教える。
皆一線級を退いた人たちだが、とても真摯に、何より楽しくシバき合える。
例えば、純粋極真空手の人VS純粋柔道の人だと8割方柔道が勝つ。
しかし、タックル切りを覚えた空手家相手だともうわからない。総合で一番戦績のいい柔術家だって
打撃ルールでは面白いほどカモにされる。(当たり前のことなんだが)
だから、みんな相手の技術と経歴に敬意を払うし、尊重しあえる。
いい年こいたオッサンが「だからさー、ゴゴプラータはさぁ」なんて真剣に討論出来るのが超楽しい。
柔道、空手、ボクシングなんでもそうだけど、基本的にモノを言うのはフィジカルだ。
しかし、柔術に関しては相当頭脳戦の要素があり、練習すればするほど強くなるのである。
断言するけど、30歳から始めても普通に強くなれる唯一のものが寝技、それも柔術式の寝技だと思う。(レスリングはちょっとフィジカル寄り)つまり、誰がやっても楽しいのだ。
そんなわけで、最近流行もしぼみつつある総合格闘技人口がまた伸びて欲しい。
“5秒ルール”
もしバルセロナがボールを失ってから5秒以内に奪い返せなかったら、彼らは少し下がってコンパクトな「10人の壁」をつくる。
先頭にいる選手(たいていはメッシ)と、いちばん後ろにいる選手(たとえばカルレス・プジョル)の間は、ほんの25~30メートルだ。
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/wfootball/2012/04/18/post_119/index3.php
クライフは最近、元イングランド代表監督で現在はオランダのFCトゥウェンテを率いるスティーブ・マクラーレンにこう語った。
「バルセロナがなぜあんなに早くボールを奪い返せるかわかるかい?
10メートル以上走らなくていいからさ。だってバルサは、10メートル以上のパスを出さないんだから」
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/wfootball/2012/04/18/post_119/index4.php
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あえて戦術をあかさず 森保一著「プロサッカー監督の仕事」を読む : りうりうさん日乗
プロサッカー監督の仕事 非カリスマ型マネジメントの極意 : 森保一 : 本 : Amazon
時事ドットコム:現実主義者、4年で3度目V=補強なくとも戦力育成-広島の森保監督・JリーグCS
加茂のゾーンプレスが、ボールの動きを無視してエリアも時間も関係なく、やみくもにプレスに行くのに対して、バクスターのそれはクォータープレス(1/4プレス)の別称を持ち、特定のエリアに入ってきたときに一気にプレスをかけてボールを狩る。
【育将・今西和男】松田浩「ディフェンスが、こんなにもおもしろいとは」 |集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|J Football
Amazon.co.jp: 正真正銘の守備の教科書 ゾーンディフェンス論: 松田浩: Book
岡田監督「ハエがたかるようにチャレンジ」 (1/2ページ) - サッカーW杯 - SANSPO.COM
Amazon.co.jp: 世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス〜イタリア人監督5人が日本代表の7試合を徹底分析〜 (COSMO BOOKS): 宮崎隆司: 本
http://blog.goo.ne.jp/boban_1979/e/ba39a7de58dd4e9985dd2486a488ef93
世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス~イタリア人監督5人が日本代表の7試合を徹底分析
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4774790400
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4774790400/
http://cast-a-spell.at.webry.info/201002/article_14.html
http://supportista.jp/2010/02/news16124016.html
http://blogs.yahoo.co.jp/henyoroseijin/59814772.html
http://d.hatena.ne.jp/hoshi-itsu/20100221/1266769992
http://blogs.yahoo.co.jp/henyoroseijin/59814772.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm9123604
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm709575
強いチームを作り上げるべく、サッキがベルルスコーニに依頼したことは、
選手として最盛期を迎え凄まじい輝きを放ちナポリに君臨する「ディエゴ・マラドーナ」の獲得だった。
だが、ナポリが手放すわけもなく獲得は叶わず、それならば彼を抑え込む戦術が必要だと作り上げた戦術。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AD
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9
http://footballlife.at.webry.info/200909/article_3.html
attacking phase - サッカーの戦術・技術、フィジカル・トレーニング、フットサル
http://blog.livedoor.jp/attacking/archives/50724271.html
http://www.fujix.co.jp/varietyfootball/archive/detail_01.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm9123604
02年の因縁再び?トルシエ氏「中村はベンチ」(サッカー) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2009/12/11/11.html
コンサドーレ札幌で監督をしていた時に忘れもしないことがありました。
残り時間10分くらいで0対1で負けている時、ベンチの前を通ったサイドバックの奴が、
ベンチの僕の顔を見て走っているんです。
「何でこいつ見てんのかな?」と思ったのですが、分かったんです。
「今、チームは負けていますけど、僕は監督に言われた役割はしっかりやってまっせ」とアピールしているんです。
「アホかつうねん。お前がどんだけ役割やっても、チームが負けたら一緒やないか」と怒りが沸いてきました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091214-00000046-zdn_mkt-bus_all
僕は横浜F・マリノスの時に、
ミスターマリノスと言われるような奴がいてそれまでずっとレギュラーだったのですが、
それで1年終わった時、いろんなチームから移籍のオファーが来たんですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091214-00000046-zdn_mkt-bus_all
10日の出来事だ。味の素スタジアムのメーンスタンド下の駐車場に、日本代表・岡田武史監督(53)の怒声が響いた。
「何してんだ!」
東アジア選手権の中国―韓国戦の視察を終え、スタジアムから出てきた岡田監督は、運転手を務めた代表チームスタッフをどなりつけた。
http://weblog.hochi.co.jp/football365/2010/02/post-b961.html#more
Explorer | Science of Babies | National Geographic Channel
http://channel.nationalgeographic.com/series/explorer/3090/Overview
ヒトは他の動物と比べて、遥かに無防備で無力な状態で産まれてくる。それにも関わらず、そこから最初の一歩を踏み出すまでに、赤ちゃんは劇的な成長を遂げる。産まれる瞬間から二本足で立って歩き出すまでの約一年間、赤ちゃんに起きる様々な変化を、発達の経過に沿って検証した番組。
ヒトは一生の間におよそ6億回(一分間に10回として、一日で1440回。100歳まで約36,000日として計算した物と推測)の呼吸をする。その中で最も重要で、しかし最も危険な、初めての呼吸。母親のお腹の中に居たときには母体から酸素が供給されていたけれども、一度産まれてしまったら、そこから先は自分で酸素を供給しなければならない。ほんの数分酸素が断たれただけでも、ヒトの身体は回復不能な障害を受ける。産まれた瞬間の赤ちゃんの肺は、羊水で満たされ溺れている状態。だから、産まれて初めての呼吸は、通常の呼吸の10倍から15倍の労力が必要となる。肺胞の隅々まで空気をみたしてやらなければならないのだ。この最初の呼吸によって、肺の中の水は血流に吸収されていく。
産まれるまでは母親の体温で暖められていた身体も、自分のカロリーを消費して体温を保つように切り替えなければならない。その体制が整うまでの期間、充分に体が熱を作れるように、新生児は熱に変換しやすい褐色脂肪を豊富に蓄えて産まれてくる。冬眠中の熊のように。
赤ちゃんが、今現在の成熟度と大きさで生まれてくるようになったのは、今から約800万年ほど前。他の動物と比べると、ヒトの新生児の頭は(身体との対比で相対的に)大きい。赤ちゃんが産まれてくるタイミングは、母親の骨盤の広さと新生児の頭部の成長との兼ね合いで、ぎりぎりくぐりぬけられる大きさになったときである。真っ直ぐには出て来れず、一度頭を90度回転して骨盤をくぐり、さらにまた90度回転して出口の骨を避けるようにして生まれてくる。
ヒトの赤ちゃんはとても無防備な、無力な状態で産まれてくる。他の動物、例えばサルと比べても、自立するまでに長い時間がかかる。ヒトに最も近縁のチンパンジーでも六ヶ月くらいで歩き始めている。そのようにかなり未熟な状態で産まれてくるにも関わらず、ヒトの新生児も生まれながらにある種の動物的な本能を備えている。それは生存の為に重要な反射運動であり、またある種、進化を裏付けるような原始的な反応でもある。
まだ歩くこともできない生まれたての新生児は、抱き上げて支えながらかかとを地面につけてやると、両足を交互に繰り出し、まるで歩き方を知っているような反応を示す。でも、その反射は六週間後には消えてしまっている。ところが、不思議なことに、水の中ではその反応が蘇り、そうして反応を誘導してやると、それ以降は消えることがなくなる(番組では、透明な浴槽の中に赤ちゃんを抱きかかえて下半身をつけてやっていた)。
他によく知られている生まれながらの反射運動には、次のような反応がある。
これらは、どれも動物の生存本能に共通する原始的な反応といえる。
赤ちゃんの考えていることを知るのは難しい。しかし、赤ちゃんの認知力の一端を覗く、いくつかの方法がある。ある研究者は、赤ちゃんが何か違和感を覚えた時に、対象物を凝視する時間が長くなるという現象に目をつけた。この時間を計測することで、赤ちゃんが何に気付き何を認識しているのかを探ることができる。その研究者は、新生児が数を認識する(簡単な足し算引き算の)能力を持っていると考えている。行われた実験はこうだ。まず、一つだけ置かれている人形を赤ちゃんに見せる。そこをついたてで隠して人形を見えなくしてから、そのついたての裏にもう一体の人形が入っていく様子を見せる。そして、見えない位置からこっそりその人形を取り去った後で、ついたてをおろす。赤ちゃんから見れば、そこには二つ人形があるはずなのに、一つしか無いという状況。そのような矛盾がある場合、なにもトリックを使わない場合と比べて、人形を凝視する時間が長くなる。二つの人形を見せて、そのうちの一体がついたての後ろから出て行くところをみせたのに、ついたてをよけてみると人形が二体に残っているという引き算の矛盾にも、その反応が観察されることから、赤ちゃんは生まれながらに数の認識を持っているに違いないという話。
まだ自分で動くことのできない赤ちゃんにとって、飛び込んでくる外界の刺激はもっぱら光と音ということになる。聴覚は視覚よりも先に発達していて、お腹の中に居ても母親の声を聞き分けられるけれど、視覚は産まれてから外部の刺激を受けながら、徐々に発達していくもので、この段階ではまだぼんやりと対象物を捉えているにすぎない。
とはいえ、母体の中と比べて外界は刺激に溢れている。流れ込んでくる大量の情報を処理していく体勢を整えていく必要がある。ヒトの体には、約10億の脳細胞、神経細胞、ニューロンと呼ばれる情報処理に携わる細胞が存在する。これらが、外部から飛び込んでくる刺激を情報として捉え、ネットワークを構築していく。一つ一つのニューロンは、個別の電話機のようなもの。細胞間の情報は、シナプスと呼ばれるリンクを介してやりとりされる。最初は外界のあらゆる刺激がネットワークをフルに刺激していて、あちこちの電話機が絶え間なくなり続けているような混線状態。その中から、必要な連絡網だけが残るように、ニューロン同士が互いにリンクし合う相手を求めて競合している。この過程を可視化して映像に捉えた研究が紹介された。最初は筋繊維に複数のニューロンが繋がっているが、黄色と青色、色違いで染められた二つのニューロンがある筋繊維に連結しようとしている。最初はどちらも繋がっているように見えるが、この二つのニューロンは互いに競合し合って、最終的に一方の色に染められたニューロンだけが残るまでの過程が観察される。ニューロンネットワークが形成される様子が見て取れる。
未完成ながらも、ニューロンネットワークが成熟するに伴って、運動神経がやや発達してくる。頭を持ち上げたり、寝返りを打ったり、ものを掴んだりすることができるようになる。
野生の動物や鳥、昆虫などは、生まれながらに餌の捕まえ方や身の守り方を知っている。数を数えることさえ生得の本能だ。それが発揮できず、他者のケアが無ければ生きられない、ヒトの新生児は非常に未熟な状態と言える。そのような状態で産まれてくることは不利なことなのか、いやそうではない。生まれついての本能はそれ以上発展することがない。しかし、未完成な状態で産まれてくるヒトは、環境や経験から、より高次元の習性を構築することができる。これが学習する能力の特徴である。
学習して能力を獲得するのには適切な時期があり、その時期にきちんとした情報の入力とニューロンへの連結が行われないと、その能力は形成されない。使われない機能は失われていく。三ヶ月くらいの新生児は、各国の言語で微妙に異なるトーンを聞き分ける能力を持っているが、その後六ヶ月を過ぎてしまうと、一番身近な言語の発音を聞き取る能力だけが大きく発達していく(マルチリンガルに育てるためには、六ヶ月までにいろいろな言語を聞かせておけという理論の根拠はここにあるようだ)。
需要のない能力が失われていく話題に関連して。三ヶ月あたりで、目のレンズと視神経との連絡が完成する。この時期に、適度な情報が目を通して与えられることで視神経を構築する。ある赤ちゃんが片方の目のレンズに問題があることがわかった。このままだとその眼球からの情報入力がないために、ニューロンの連結に不備が生じてしまうということで、レンズの機能回復手術を行った。手術そのものは一時間ほどで無事に終わったが、その後の検査で、もう一方の健常な側の目に眼帯をした、なぜか。回復させた眼球を強制的に機能させ、視神経を発達させるため。
運動機能はさらに発達して、座ることができるようになる。つかまり立ちや、立ち上がるまでには至らなくても、ハイハイをして動き回れるようになり、行動範囲が広がる。ハイハイのスタイルには個性がでる。これは新生児それぞれの運動機能の発達状況は環境に依存するもので、成長に関してあまり重要ではない。この時期に最も重要な発達は、学習したことの再構築ができる柔軟性を得ること。自分から動き回れるようになって、取り巻く環境が劇的に変化する。外界からの刺激もさらに複雑なものになる。遭遇する危険も増える。座れるということは、バランスを崩して転ぶことができるということ。自分で動けるということは、溝に落ちたり、何かにぶつかったりできるということ。それなのに赤ちゃんには、届く/届かない、バランスが崩れる/保てるといった認識がまだ無いので、無鉄砲で失敗を繰り返すことになる。目標物以外に注意を払うことや、体バランスの取り方など、失敗の経験から、環境に適応していく脳の柔軟さが求められる。この時期の赤ちゃんの運動機能の発達を研究している様子の映像。何かを見つけてそれを取りにいくという動機で動き回るようになる。その間に溝などの障害があっても殆ど認知されていないで突き進む赤ちゃん。その過程で失敗を繰り返し、危険を回避するという学習の過程が認められる。
ニューロンネットワーク発達中の情報処理の取捨選択の別の例として、顔や表情の認識がある。ヒトやサルの顔写真を見せ、新生児の脳波の変化を測定することで、どのような違いを認識しているかを観察した。二ヶ月くらいまでは、人の顔のパーツの配置が乱れていても識別できない、三ヶ月くらいで、顔を顔として認識するようになる。この段階では、サルの顔写真一つ一つの個体の違いを区別している。しかし、六ヶ月くらいになると、サルの個体を区別しなくなっている。必要の無い情報処理の能力が失われている。代わりに、ヒトの表情の違い(喜怒哀楽)に敏感に反応するようになっている。
この時期の発達過程は、自閉症と関連づけて注目される。孤児をケアする施設で研究されている内容。一般的な家庭環境と比べて、この時期に人の表情に接する機会が少ないと、表情を識別する能力の発達に影響が出る。他者の感情を表情から読み取ることが難しいという自閉症の特徴に関わっているかもしれない。
運動機能の成熟、ニューロンネットワークの成熟、言語の獲得とそれに伴って起きる変化。
言語の獲得には多大なリソースを割くので、使われない能力はより顕著に消失していく。生後十二ヶ月で約40個の言葉を認識し、さらにその一ヶ月後には100個まで増えている。
ある新生児の言語獲得の記録。全ての部屋にマイクと天井から見下ろす魚眼カメラを設置して、起きている間の赤ちゃんの行動と言葉を発していくまでの過程を観察した映像。馴染みのあるモノや身近な者を通して、言葉やフレーズと対象物やイベントとをリンクさせようとする。新生児がある対象物を認識してBa、 buh、Dahといった発声をするようになる。それに対して親がDad、Ballなど、はっきりとした言葉でリピートしたり、Blue ballという形で発展させたり、あるいは動作や行動と組み合わせてフレーズで返したりする。フィジカルなイベントとソーシャルなイベントの関連づけが、言葉を学習していくプロセスである。
新生児が言葉を学習する過程を分析して、学習するロボットの開発に取り組む人たちの紹介。ロボットに「赤色」の「ボール」を取ってと指示するがロボットには対応できない。絶えず変化する状況にも対応できる学習する能力の柔軟性をいかに獲得させるかが鍵。
運動機能だけでなく、骨格も充分に発達して、肩幅も広がり、足も伸びて、筋力もついてくる時期。ここに至って、頭を持ち上げての二足歩行、つまり歩き始める準備が整う。
四本足で歩く動物はその移動の為にカロリー(消費カロリー全体の?/摂取カロリーの?)の約50%を消費する。その観点でみると、二足歩行は移動に関して非常にエネルギー効率が良い。さらに、両手をフリーにすること、より大きな容量の脳を支えることができるという利点もある。このような点に二足歩行の意味がある。
赤ちゃんすげえ。という完全に私的な興奮から、自分が理解した内容の備忘録としてここを利用させていただきました。理解のあやふやな箇所がたくさんあるので、誤った記述が含まれている可能性はかなり高いです。特に言語獲得のプロセスに関する部分は未消化だという自覚があります。何ヶ月〜何ヶ月というのは、整理のための大凡の目安として個人的に捕捉したもので、これを一般化して赤ちゃんの成長を評価するものではないです。水中で歩行する話だとか、数を数えられるよという映像は、ちょっと観察手法の正当性に注意が必要な気がしました。赤ちゃんのリアクションが周囲の観察者の期待に影響を受けていたりはしないだろうかと(昔、計算が出来る馬の話のトリックについて聞いたことがあるので)。
ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP 赤ちゃんの不思議
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/shop/detail.php?id=219
日本代表の岡田武史監督(53)が17日、東京・有楽町の日本外国特派員協会の昼食会に98年以来2度目の招待を受け、会見で来年6月のW杯南アフリカ大会での目標を「ベスト4」とする根拠を説明した。
まずフィジカルに関しては「パワーはかなわないけど、持久力では勝てる」と運動量でカバーできると断言。テクニックについても「民族として劣っているわけではない。日本人はボールを触っている時間が少ない」と練習量を増やすことで対抗できるとの見解を示した。また、メンタル面でも「武士道という強いものを持っている。闘争本能にスイッチが入っていないだけ」と強調した。
「個をレベルアップして組織での戦いもレベルアップすれば、(ベスト4は)十分に可能」と自信を見せる一方で、最後は「成功すれば日本人の自信を刺激できるかもしれない。失敗すれば、もっと不景気になるかも」と笑いを誘っていた。
精神論を持ち出すのは無能者の得意技である。これは旧日本陸軍において特に顕著であり、無能な指揮官が勝つための戦略戦術を放棄して精神論に走り、勝ち目のない戦争をはじめ、負け、兵卒たちを無駄死させた。
岡田武史はそうした日本的無能上官の遺伝子を色濃く受け継いでいるように見える。
現実的に考えて日本は実力で劣るため、だれが監督をやろうと圧倒的な不利をくつがえせないだろう。
だが、指揮官は絶対に精神論や希望的観測を戦略要素に加えてはいけない。このような人間が現場のトップにいるということ自体が害悪なのだ。
※なぜレイプって横文字にするんだろ?「強姦」という立派な日本語があるんだから。
「夜道を歩いてて見ず知らずの人間に襲われて強姦される」って例は日本で多いのだろうか?それより「友人・知人」「上司」「教師」みたいな信頼していた人と二人きり(あるいは女性一人に男性複数)になって、酒が入ったところで無理矢理・・・・というケースが一番多いような気がするんですが?女性は「強姦された」という事実を認めて、訴えたり問題化するよりも、「ここで大騒ぎすると自分が傷つく」「友人、知人、仕事仲間に『私は強姦された女』と知られることは死ぬより辛い・・」という判断があって、「酔っていたから仕方ない」「忘れよう」と無理に自分に思い込んで事実上の泣き寝入りをすることになるのでは?どんな職場でも立派な人間でも、酒が入ると豹変します。また集団心理であり得ないことをやってしまいます。実際、見ず知らずの男やその場だけの相手(飲み屋の店員や宅配便の兄ちゃんとか新聞勧誘員)に強姦されたら訴えるのは簡単です。警察もちゃんとプライバシーを尊重するでしょう。しかし、普段信頼している上司と飲みに行って深酒し、フィジカルに抵抗できない状態で強姦されるような例が始末に終えないのではないでしょうか。「男性がいる飲み会では酒を飲まない(or深酒しない)」「一次会で帰る」を励行するのが肝要と思います。
その本は未読のため、進化心理学的考察の信憑性について自分は判断できないので聞きたい。
その論著は生物学的に考察した結果、上に挙げた性質を男性が有しているとしているらしいけど、
それは男性全般にどの程度当てはめられるのか、そしてそれが性犯罪に繋がる度合いも聞きたいところ。
前提として性犯罪を実行しない男性の方が圧倒的に多いわけで、男性性の度合いはどの程度適応出来るのか
という事をぼやかすと、男性は皆性犯罪の素養があるよーという、実情とは異なった印象を与えかねません。
というかその後に
さて、「男は獣」がより効果的なのはどちらの性だろうか?これは明らかに男である。だって相手はフィジカルに圧倒的に強い「獣」ですよ?いざって時になったら「人」がかなう訳ないじゃん。従って、「男は獣」という警句は「獣」に対して ー 男は獣なので、人の世にとどまりたかったらがんばって人のふりをしておけ ー 向けられるべき物であって、「人」に対して言っても仕方ないものなのだ。
そりゃ女にだって自衛しろと言わなきゃならんのは当たり前。
と書いているわけで、男性全般を人ではなく獣呼ばわりしているわけで、
あなたの文章の論旨は男性は全員性犯罪者予備軍だということでいいのでしょーか。
と信じているので、仮定法だとかクジラ構文とか寝言言ってる阿呆に腹が立ったので書きなぐる。
レイプに関する進化心理学的考察を解説した「人はなぜレイプするのか(A Natural History of Rape)という本がある。レイプが適応的行動かどうかは意見の一致を見ないが(個人的には否定的)、男性の攻撃性の高さ、性的衝動の激しさ、そして物理的優位性に関しては間違いなく生物学的根拠がある。
生物学的根拠に乏しい社会的偏見(黒人は劣等人種である、女性は男性に比べ知能が劣っているとか云々)はたかだか数十年で大きく変わることがあるが、男女間の基本的な差は数百万年(ほ乳類進化を含めればもっと長い)の間人類が進化により獲得してきた物だ。いくら人間が環境に対して適応できるとはいえこの差を埋めるのは人為的進化以外にはあり得ない。ルドヴィコ療法なんてやったって遺伝子変わるわけないじゃん。何考えてんの?
さて、「男は獣」がより効果的なのはどちらの性だろうか?これは明らかに男である。だって相手はフィジカルに圧倒的に強い「獣」ですよ?いざって時になったら「人」がかなう訳ないじゃん。従って、「男は獣」という警句は「獣」に対して ー 男は獣なので、人の世にとどまりたかったらがんばって人のふりをしておけ ー 向けられるべき物であって、「人」に対して言っても仕方ないものなのだ。
そりゃ女にだって自衛しろと言わなきゃならんのは当たり前。著名な認知心理学者であるスティーブン・ピンカーはその著書「人間の本性を考える」の中のジェンダーに関する章で「人はなぜレイプするのか」を好意的に取り上げている。同じ節でピンカーは曾野綾子級の発言をポジティブに紹介している。例えば「車のキーをボンネットにおいといたら盗まれるに決まってる」とか「露出の高い服を着てうろつくな」「夜道女が一人で歩いても平気、なんてのは幻想で現実世界ではありえない」とか。しかしこれらの発言はアメリカの穏健派フェミニストなどが行った物なのだ。これはアメリカで先鋭的フェミニストがアカデミズムで幅を効かせているという政治的な理由が背景にあるようで、「レイプは社会的構築物であってセックスとは違う」とかの教えを信じ込んじゃってて男にあまりに無防備な女子学生に対して警告しているわけ。一周回って同じことを言っているみたいな。もちろん一周回っているかどうかに大きな差がある。
男も女もこの警句を唱え、子々孫々伝えていきましょう。「男は獣!」
実家の隣の家に、出戻ってからずっと“半引きこもり”状態の高齢なご婦人がいたりするので、
■高齢ひきこもり問題 http://anond.hatelabo.jp/20091124223559
こういう問題は人事ではナイ。
ただね?
思いっきり乱暴なぶっちゃけ方をすると、引きこもりってのは「心理的に不健全なコミュニティーが掛けて来る同調圧力の毒気に当てられて不適応を起こしている」だけの話だから。
自己イメージを改善する事で、精神毒への耐性を獲得してしまえば、大して心配することではなかったりする。
「素人がなに抜かす?!」
みたいなことを言われそうだけれど、
以前に“空気?読めないけどなにか?”↓
http://anond.hatelabo.jp/20090402142657
を書いたid:cambrianなんだがどうかしたか?
因みに、1コ上のトラバ“目には見えなくても、すぐそこにある危機 ”
http://d.hatena.ne.jp/cambrian/20091126/1259164213
↑これ書いたのもオイラね。トリップつけられないから本人証明なんか出来ないけどさ?
「役立たずだ無能だ不要だお前に何かできるはずはないいなくなれば良いのにどっかへ行っちゃえ消えてくれていいよetcetc」
みたいな無言のメッセージを、垂れ流しで浴びせかけられ続けたらおかしくもなろうって物さ。
実際問題として、元増田の「こころからののぞみ」ってのは、人間と言う生物の、至極真っ当な欲求だ。
何がしか理由をつけてそれを制限しようと思うのなら、自分だって身に覚えのない因縁付けられてドツキ廻されても構わないと言ってるのと一緒なんだが、ちゃんと分かってるか?>ALL
まぁ、そうは言ってもコミュニティーなんていうものは、しょせん他人の集合体でしかないから、他人が態度を改めてくれることなんか期待してみても、報われる事はまずありえない。だから、自分自身のメンタルを改善強化して、耐性をつけたほうが早くて確実だ。
5月の末に自己イメージのリライトに成功してから、長年悩まされ続けたメンタル&フィジカルのトラブルは欠片も出なくなったしな>オイラ。
誰も言わないなら、おいらが言ってあげよう。
誰に遠慮をする必要があるものか。
今は自信を持てなくても心配する必要は無い。
少しずつ自分の事を慈しめるようになっていければ、そう遠くない将来には、自分の能力と可能性を最大限に生かして、人生を楽しめるようになっていることだろう。
OK?
http://anond.hatelabo.jp/20090920071514
>傷病給付金
多分受けられないんです。理由は連続して休んでないから。(要件に三日以上連続というのがあるようなので)
休職はもっと休んでからじゃないとさせてあげられない、って言われたあと、
もう会社に所属してるのがしんどくなってしまいまして…。
でも、自分に割り振られた仕事もあるし、繁忙期で先輩方も忙しくしてるのわかってたんで、
一日休んで、一日行って、みたいな…。
結局有休消化も全部はできないまま今に至ってる感じです。
丁寧に教えてくれてありがとう。
休みたくても休めなかったからちょっと泣いた。休めたら違ったのかなと悲しくなってしまった。
でも、しかたがないとおもって諦めます。もう辞める手続きは終わってるので。
後ろを気にしてたら、本当に何もできなくなってしまいそう…。
ひとまず残り5営業日行けばいいだけだから頑張ります。
表面上だけでも円満に辞めれそうなので、それで良しと考えることにします。
やめたら失業手当、訓練校もしくはスクール、の流れで探してみようと思います。
本当にありがとう。
http://anond.hatelabo.jp/20090920022319
フィジカルの面も併発してるのかな、と。
PC見続ける仕事で目が疲れたり、ビジネスシューズがうまく合わなかったり、椅子と机の高さで苦労したりと、
いろいろと工夫はしてみたものの疲労がたまりやすい状態だったと思うので
ただ、一番の原因は、きっとメンタルなんだろうとは思います。鬱症状があるといわれてるので。
配属が決まったときから、一番合いそうにない部署だとは感じつつ、
いやなことがあっても無理に笑って仕事をしていたので
休める、って思って選んだ選択だから後悔はないけれども、
これから先どうしようかって言うのは悩みです。
専門的な知識や語学力を持たないので、何かしら身につけないと仕事が見つかりそうにないので、
どうにかしなくちゃというのが悩みです。
いい機会だと思って、ひとまずほかの業界でも使えそうな知識やスキルとか、
あるいは本当にやりたいことを探そうと思います。
ものつくってみたいという観点で就職活動したから、
目に見えるものづくりをはじめたりしようかな…
もしかしてメンタル系で病気にかかっていませんか?もしフィジカルな病気ならどうぞスルーしてください。
私は去年の九月に新卒から四年勤めた会社を辞めました。原因は、人間関係のもつれから私が適応障害にかかったことです。六月ごろから様子はおかしかったのですが、繁忙期の夏前に辞めるわけにはいかない!と思って九月末で辞めました。仕事を辞めた直後は、とにかく無職なのが不安で不安で手当たり次第に求人に応募しては落ちていました。落ちたことでまた自分が否定されたと思って鬱になるという悪循環にはまっていました。今思うと、様子がおかしかったときの判断はかなりの確立で間違ってたと思います。本来ならばおかしくなった六月に手を打てばひどくなることも無かったでしょうし、会社には休職を打診されたのに「ここから逃げなくては!」という思いだけで「とにかく辞めさせてください」って言ってしまった。まず休職してから、それから辞めるという選択肢もあったのに。職探しもなにかに取り付かれたようにしていたので、面談で上手く答えていなかったと思います。結論は、周囲がおかしいといっているときは、確かに私はおかしくなっている。だから休む。そうしたら回復する。
今は英語とセールスマーケティングの勉強をしに海外に留学しています。環境がすっかり変わったせいか、薬が無くても安定した精神状態に戻ったと思います。今なら自分に足りないところも、逆に無視していい周囲の声も判断することができます。この先私もまた仕事を探さなきゃいけないけど、でも何とかなるんじゃないかと思っています。甘いかな。でもそれだけの努力を、この休み時間にしているつもり。
少しでも参考になれば幸いです。
あなたの気持ちはわかるよ。
たぶん愛されたいし、愛したいっていう気持ちと、
体が満たされたいっていう気持ちの両方なんだろう。
動物が家にいるなら分かると思うけど、
さかりがつく時ってあるじゃない、あれと同じ一緒。
大人に近づいてきているんだよ。
でもね、セックスしたからって、寂しさや辛さがなくなるわけじゃない。
むしろ、ものすごく孤独を感じたり、砂を噛むようなやりきれなさを
味わうことだって十分にありうる。実際にあった。
心が伴っていない相手とすると、気持よくもないし、
相手と解り合うどころか、相手とさらに遠ざかることになる。
自分の身を粗末にしたと悔やむかもしれない。
そういうことを、まだ10代の子には知ってほしくない。
男遊びをする分にはいいと思う。
せめて大学生になって、周りの大人をきちんと見て、
自分が持て余さなくて済む男を探してからにした方がいい。
セックスはあなたが思っている以上に、
して良かったと思えるものではないです。
いや,まぁそういう主義主張でだから産まない・避妊し続けるというのなら理解できるんだけど中絶?うーんと思ったんだ。倫理的な問題は別にして。
男はぶっちゃけ「障害者だと面倒見切れない中絶しよう」の一言で一応足りるんだよね。それについていろいろ言われるかもしれないけどそういう主義ですと言ってしまえば。
中絶する女の方は,妊娠することで体の変化が起き,障害者だとわかるくらいにまで成長した子供を中絶するのにかなりの体力を使い(障害者だとわかるのが何週目からかは知らないけど染色体の異常はともかく身体異常や知能障害なんかは出産時まで分からなかったりもするんじゃないのかとか),手術歴として残り,その後も妊娠できなくなる可能性が飛躍的に高まるという単純にフィジカルな面でのリスクがかなりある。
んなわけなので障害者なら中絶するというくらいなら,最初から最後までずっと避妊し続けるか妊娠しないように気をつけるか,もしくは健常者でも障害者でも妊娠したとわかったらすぐに中絶するかってことをしてほしいなぁと思う。子供を作りませんというのなら分かるんだけど障害者なら中絶ってのはなぁ。男の人にはフィジカルなリスクはないから,言わぬが花なんじゃないかと思います。
追記:
三年前の俺、元気ですか。
元気なわけないよな。だから増田に書いたんだもんな。
そんな時期もありました。本当自分が死にぞこないとかね。思ってた。
ガキん時みたいに気分があがって、そのままふわふわと布団に潜り込める事なんて
一生ないっ、ていうかそんな感覚すら忘れてた。そうだよな。
だからそんな未来の俺から俺にお願い。
1年後じゃない、今休んどけ、今。
胃も十二指腸もやられて、フィジカルに動けなくなる前に。
意味もなく手が震えてたり、ちょっとした事で感情が噴出したりしてメンタルの自覚はあったのに
体動かなくて、だけど凹んで、誰にも助けられてる感覚なくて
地獄とまではいかなくても結構な修羅っぷりです。人前で無理やり笑い顔作っても自分は気づくんだよ。
その笑顔すらおかしいって。俺、お前にそんな目あわせたくないんだ。
だから休んでくれ。頼む。
その休暇は敗北の休暇じゃない。次戦う場所で勝利を収めるための戦略的退却だ。
ちなみにしばらく病院のお世話にはなったけど、無理しどおしてても今の俺はそこそこ楽です。
来月から職変わるけどね。2度目。今度は自分でも納得した転職。
でもあそこまでおかしくなった時間はやっぱり惜しいと思う。
だから本当にだめになる前に俺を大事にしてやってください。三年前の俺。
「男のひとってやっぱり女性の容姿を重視するよね。女のひとってもっと男性の内面とかをみてるもんなのにな。言ってみれば男のひとはフィジカルなものを重視して、女の人はメンタルなものを大事にするっていうのかな」
お前、だまされてるぞ。
女にとって男はイケメンであることが大前提なんだよ。そんなことはあえて言う必要の無いほど当然のことなんだよ。
そもそもキモメンに優しくされても、女は「気持ち悪い人」や「ストーカー」という感想しか抱かないのは最近の女の見てればわかるだろ?イケメンにしかときめかないのさ。
それに女ってのは自分を良く見せる、守るために自分でも知らず知らずの間にウソをつく生き物だって事を忘れないように。
以前女友達がこんなことを言った:「男のひとってやっぱり女性の容姿を重視するよね。女のひとってもっと男性の内面とかをみてるもんなのにな。言ってみれば男のひとはフィジカルなものを重視して、女の人はメンタルなものを大事にするっていうのかな」
とっさに、それじゃあ、男にもとめるもの上位に経済力やステータスがくることが説明できない…という違和を感じた瞬間ふと思った。
「メンタルなものっていうかソーシャルなものっていうべきじゃない?」
そう考えるといろいろしっくりくるような気がした。
一般に男の人にもとめられる「人間性」って、リーダーシップがあること、ユーモアのセンスがあること、まわりに対してきづかいができること、友達づきあいがいいこと、などなど、全部、集団や社会を前提として特に価値を発揮するものな気がするのです。
そして、この「ソーシャルなものが重視される」という捉え方だと、男性に対して経済力やステータスが求められがちなこととも整合的だ。
仮説:女のひとが男のひとにもとめるのは、社会的に意味のある機能をもち、社会的に価値をみとめられる、ソーシャルなものである。
そしてよく「やさしさ」と呼ばれるものは、その「ソーシャルな能力」が特に「私」に向かって発揮されることを指す、とか。
その女友達は「言われてみればそうかも」と納得していたけど、実際どの程度妥当するかはさだかではない。まあ「容姿、フィジカル/内面、メンタル」みたいな単純な二項対立を挙げられたときに反論するための暫定的な意見だけども。