返信ありがとう。
内心の意識や、それがさりげなく発露してしまうことはしょうがないと思うんだよね。自分の立ち位置にプライド持つのは当然のことだもの。
それでも意図的な誹謗中傷はやっぱり傷つくね。言われて傷つくし、言ってる側も心根が歪んでいくと思うし良いことないと思う。
IT関係の技術的な話題は門外漢なのでわからないけど、興味深い話も多いし楽しくここで遊んでいるよ。これからも見るつもり。
慰めめくれてありがとう
また、A子の夢を見てしまった。逐一日記に書いているのでわかるのだが、今年に入ってもう6回目だ。中学を卒業した後に会ったのは、成人式の時と地元の飲み屋で偶然会った時の2回だけなのに、夢の中でも空想の中でも、彼女の輪郭ははっきりしていて、色も鮮やかなままだ。少し垂れた目と厚めの唇で、いたずらっぽく笑うあの顔が、今でもまぶたに焼き付いている。
中学2年の時、2泊3日の修学旅行があり、夜の男子部屋では定番の「誰が好き?」トークが繰り広げられていた。最初はみんなお互い探り合うような空気だったが、段々と気持ちが高揚していき、「誰にも言うなよ?」という前置きのあとにぽつぽつと女子の名前が出始めた。幸運にもライバルは現れず、話を振られた俺はその場のテンションに任せ、口外禁止を条件にA子の名前を言った。いくら普段からいい加減な連中とはいえ、口約束はある程度は守られるだろうと思っていた。しかし、その場で出た情報は全て、翌日の夕方にはクラスのほとんどが知るところとなっていた。
自由行動が終わったあとの旅館で顔を合わせた何人かの女子にひやかされ、バツの悪い思いをしたが、その場ですぐに何か行動を起こすわけにもいかず、悶々とこっ恥ずかしい気持ちを抱えて行動していた。その晩の夕食は大広間で食べるすき焼きだった。忙しそうに器を持って歩き回る仲居さんを目で追っていると、7,8人ほどの同級生を挟んだ向こうにA子がいた。やっと表情が読み取れるくらいの距離だった。俺の視線に気付いたA子は、すぐにこちらを見て、一瞬の間を置いたあと、少しだけ笑った。心臓が止まりそうになって、すぐ目を逸らした。座卓に目を落とすと、家では絶対に出ない高そうな牛肉が鍋の中に並んでいた。紅潮した顔を誤魔化すようにかきこんだが、どんな味だったかは全く覚えていない。金閣よりも龍安寺よりも、いたずらっぽい笑顔が俺の1番の思い出になった。
大学生の時の彼女と結婚して今年で9年になり、再来月には2人目の子どもが生まれる。広くはないがマイホームも去年購入した。今の生活に確かな幸せを感じているし、かっこいいクルマが欲しい以外は何の不満もない。仕事は大して楽しくはないが、まぁこんなもんだろうと思っている。でもたまに、夢に出てくるA子に心をかき乱される。顔を見れた嬉しさの一方、目覚めてしまったことにひどく落胆する。旦那失格だと自分でも思う。向こうにも向こうの家庭がある。でも、会いたい。あの笑顔をまた見たい。と思ってしまう。
何かの行動を起こさずにいられなかった俺は、彼女が今住んでいる自治体の名前をググり、10,000円ふるさと納税した。来月には米が届く予定だ。
飲食店店員だとなぜヤフコメ爆サイを使わなければいけないのか全然わからない。勿論そんな差別意識はないし、そもそもそんなに周りに利用者多いと思わないけど。知らないだけかもしれないが。
感覚で分かってできるんならそれが一番だろうし、彼の仰ることは最もだと思う。
彼のようなトップランナーにはもう走ってもらえらば良いのであって
黒人嫌いの警官がいるのは構わない。中には白人やアジア人など特定の人種を嫌う警官だっているだろう。
そういった警官個人の思想が警官の仕事として反映されてしまわないようなルール作りこそ必要。
当然これは警察組織に限った話ではなく、交通機関や役所などの公共機関やコンビニなど小さな小売店にしてもそう。
あなた達が埼玉県民をバカにするのはなんとも思わない。個人個人の感情だから好きにすればいい。
ただし埼玉県民だから山手線の利用は避けてねって言われたら黙ってはいられない。それは制度的差別だから。
残念ながらアメリカにおける黒人差別は制度的差別が残っているんだろう。旅行で訪れたことしかない埼玉県民では受け取りきれない事情が遠い海の向こうには計り知れないほどあるのだ。
それを正すために「全ての差別」を撤廃しようとするのは果たして効率が良いことだろうか?
上手く動作する機械を作るために全てのネジが正しく製造されるのを待つより、いくらかエラーが発生するのは認めて正しく仕上がったネジだけで上手に動作する機械を作ったほうが手っ取り早いだろう。
差別に抗う姿勢を間違ったものとは言いたくないが、イエスやブッダもなし得なかった偉業を果たしてどのようにして実現するつもりなのか。
端的で鋭いご指摘痛み入るわ
こ、これだーー!!!!ありがとうございます!!小児性愛の話でしたね…記憶が見た目に引っ張られてました…
学歴はあるかもしれないが人と交流図る能力が致命的にかけているからそう思うんじゃないかな。
だから、高学歴でも低学歴でも周りがズレているように感じるんだよ。
正直にいうけど、あなたは地元でも京大でも浮いた存在なんじゃないかな。能力が足りていないかなって思う。
今までは学歴(学力)の差があるゆえに、という言い訳が出来ていたけど、京大の中でさえそうならそれも使えないものね。
辛いと思うけど自分が低学歴以下の能力しかないことと向き合うべきだと思う。見下していた人達が当たり前のようにできることが、あなたには出来ない。それは人として劣っているからだよ。
認めるところからはじめよう
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/qiita.com/ko-flavor/items/e7a60bc897965943e0a0
ソフトウェアに適しているドキュメントは設計書ではなく仕様書だ。
なぜソフトウェアに設計書という場違いな概念を持ち込んでしまったのだろう?
ましてエクセルで書くなんて。
ソフトウェア構造はプログラミング言語以上に表現に適した記法はない。
プログラミング言語以外のソフトウェアの構造を表す記法には例えばUMLなどがある。
しかしUMLは概要を表現する(モデリングする)にはいいかもしれないが、設計をしっかりと表現するには無理がありすぎるのだ。
エクセルを使い、一般的にもなっておらず規格化もされていないオレオレ記法で設計を表現しようとするなんて、さらに無理がありすぎる。
エクセルで設計を書いているという現場では、きっとエクセルでの「設計書作成」という本来すべき設計とは程遠いブルーカラー的仕事にばかり力をいれ、まともな設計もされていないのではないか。
それに設計書作成に注力するあまり、まともな仕様書など書かれていないのであろう。
仕様に基づいて書かれたソースコードが設計を表現する。ソースコードが設計書なのだ。
これがソフトウェアに適したやり方であり、だからこそ仕様がしっかりと実装されているかどうかを読み解けないようなソースコードはクソと言えるのだ。