2018-05-24

ずるい生き方をしてきた。今までの自分を振り返るとそう思うが、同時に仕方なかったんだ、と言い訳したくもなるのだ。

生きていることを許されたかったのだ。

幼い頃から自分無能さをよく知っていた。姉や兄には人に誇れるような長所が沢山あるのに、自分にはそういったものが何もなかった。学校勉強比較的得意だった。だから旧帝大卒の肩書を手に入れることに執着し、浪人して受験勉強した。無事合格はできて、やっと自己肯定できるだろうか、なんて考えたが、現役で兄が受かってるのだから結局自分は得意分野さえ半端な無能だ、という気持ちに落ち着いてしまった。

両親に私の長所って何、ときいたときに返ってきた答えはいだって自分の望む回答からずれていた。そんなこと気にしなくていいんだよ、とか、天真爛漫なところ、とか。気になって苦しいからきいているのに。天真爛漫だったころの私なんて小さい頃の私の記憶でしょ。小さい頃は誰にでも甘えたがったけれど、無能ゆえに他人からまれまれるのが怖くて、人と距離を置きがちになってしまったんだ。そんなことぐらい、母親だって普段の私の話をきけば知ってたはずなのに。どうして昔の自分の話したり的外れな励ましをしたりしたんだ。「今」の自分を、親さえ認めてくれなかったら誰が認めて許してくれるんだよ。それも自分無能で話もつまらないせいだとわかるから消えたい気持ちでいっぱいだった。人に心を開こうと努力もしたし今だってしているけれど、きっと深く関われば私の醜さを軽蔑するんだと思ってしまう。

折り合いをつけながら人と関わる努力をすることを重要視するようになったから今までの自分をずるいと思う。自分だけじゃなくて誰もが何かしらの辛さを抱えていて、大多数は周囲の人と関わりあって生きている。関わることを避けて楽なほうへばかりむかう自分卑怯だ。だけど、人と関わろうと努力しているとき、やはり愚図で足を引っ張る自分は人との接触に向いてないと感じるのだ。私はずるい生き方をつづけるべきだろうか。

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