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はてなキーワード: 分田とは

2022-08-04

anond:20220804112927

分田舎の人には新しくコミュニティーを作るとか繋がりの和に入るって発想がないんだろうなと思う

まれ育った土地が全てだから新しい人や繋がりに飛び込んで行く感覚理解できてない

まれた時にはある程度集落での役割地位が固定されてるからだろうけど

anond:20220610104552

田舎には仕事がないから」っていうのは単に田舎に住みたくないか仕事という最強の言い訳を持ち出しているだけで、因果が逆なんだよ

リモート普及したってどうせそんなテレビで煽るほど住みゃしない

なぜなら現時点で十分田舎に仕事のある医者にしたって、「子供教育が」とか「今後のキャリアが」とか、そういう別の理由を持ち出して結局渋るわけだから

何もかも与えられて都会と同じにならない限り、地方移住なんて絵に描いた餅でしかない

石のスープみてえな話だな

2019-11-05

anond:20191105225242

日本江戸でも男女比偏ってたせいで女は離婚しても簡単再婚相手見つかる反面

一生独身の男も多かったというし

(まあその分田舎は女の方が多かったわけだが、田舎田舎夜這いあったりして)

2019-09-20

anond:20190919114227

田舎といってもピンキリ

東京都民からしたら、地方県庁所在地から3駅くらいの郊外でも十分田舎。

元増田が言わんとしている田舎は、もっと田舎な感じがする。

田舎ヤンキーやって子供パコパコ作ってるのも、金銭的には贅沢できないが十分幸せだと思うぞ。

田舎陰キャ地獄なのはたぶんそうだから勉強頑張って抜け出るしかない。

田舎と都会を相対的に見れるのは田舎者にしかできないし。

2019-07-25

移住って実際どうなの

なんか自然あふれる土地で一からやり直してみたいんだがどうなんだろうな。

あいま住んでる場所も十分田舎なんだが。体験でも行ってみて決めれば良いんかな。

ネットとか雑誌とかで情報集めても正直成功しか載ってない気がするし実際のところがわからない。

2018-08-07

ツイッターより:ちょっと困ってるのが、駅の階段の途中で手すりに寄りかかって電車待ちしている方。

うまく言えないんですけどちょっと日々困ってる事…

大変な人も居るんだなぁって知ってもらえたら嬉しいです。

 

私は杖を使わないですが足が不自由で、階段上り下り

は手すりがないとできないです。

 

ちょっと困ってるのが、駅の階段の途中で手すりに寄りかかって

電車待ちしている方。あらかじめそのスタイルだったら

反対側に回るんですけど、急に目の前で立ち止まられると

とても困ってしまます。横にスライドできないので立ち往生

です…

 

すみませんってひとこと声をかけるんですけど、

人をどかすってあまり気持ちいいことじゃないので…

 

分田舎のほうが多いんじゃないかなぁ…

あと、神社とかでもたまに見かけますが、階段の端に

座ってるのも同じように困ってしまます

 

 

エレベーターエスカレーターがあれば、そちらを使います

ない場所もあるので…

「手すり」が必要な人もいるよね!ってなんとなく思って

いただけたらありがたいです。

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https://pbs.twimg.com/media/Dj6Qgc7U0AARotI.jpg

 

https://twitter.com/you_capella/status/1026416663237808128/photo/1

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画像センシティブ/不適切判定されてて見られない可能性がある(この人はエロス絵も描く)

画像の中にテキストがあると目が見えない人に内容が伝わりにくいし(→ツイッター代替テキスト機能)、翻訳しづらいので

画像直リンクテキスト起こししてみるテスト

2017-07-25

子どもができない

基礎体温が下がった。生理が来るだろう。まただめだった。妊娠はしなかった。ずっと不妊治療をしていて、次は体外受精をすることになる。怖いな。調べてると全身麻酔するみたい。

子どもが減ってるこの時代子どもを欲しがってるのに、全然出来ない。ちゃんと卵子もできてるし、痛みで発狂しそうな検査も受けたけど問題なかった。夫の検査にも問題特にない。

なんでてきないのかわからない。タイミング法も、人工授精も、する度に、排卵確認をした後には子どもを持つ私自身の姿を想像してしまう。かき消してもかき消しても妄想は私の頭を占領する。

そして生理が来るたびに涙が出る。死んでしまいたくなるような悲しみが毎月襲う。努力が実る問題ではない。どんなに努力したって叶わない。診察で毎回股を拡げ、内視鏡を突っ込まれる。何度繰り返しされたって心がえぐられる。排卵前後にはしょっちゅう筋肉注射を打ち、毎日処方された薬を飲む。まだ見ぬ子供のためにそうしてるのだけど、毎日薬を飲む度に「子どもが出来ない」と言う事実を突きつけられている気がする。

子どもが出来たって障害を持った子どもがうまれるかもしれない。子どもを持ったって襲う苦悩はいくらでもあるだろう。そう考えていくと、子どもはいらないと思えて来る日もある。けれど、薬を飲む行為を前に私は子どもを欲しがる行動をしているのだと再確認させられる。矛盾していく心に疲れていく。

もっと忙しければ、悩むこともなく、文字通り心を亡くせるのだろう。でも私は平日に半日パートしかしてない。理由不妊治療のためだ。住んでいるこの田舎には不妊治療の出来る病院なんてなくて、遠くの街まで通う。その街だって世の中から見れば十分田なのだと思う。東京病院なら、夜遅くまで不妊治療を受けられるのかもしれない。フルで働いていても不妊治療を出来るのかもしれない。でもこの田舎ではそうはいかない。不妊治療をするなら仕事を諦めざるを得ない。先日男友達と会ったら「暇な時間何してるの」と聞かれた。不妊治療とも言えずに適当に答えた。子どもがいてバリバリに働く彼の奥さんと比べられ、蔑むような目で見られた。そう思った。私だって働きたい。お金も欲しい。不妊治療ってどんどんお金が飛んでいく。人工授精は2万いかいくらいだけど、毎回の診察で2000円強飛んでいって、交通費バカにならない。でも、そんなことよりも私は社会的地位が欲しいんだと思う。それなりの学歴だってあるし、資格だってある。スキルを生かして働きたい。私だって不妊治療をしたくてしてるわけじゃない。治療なんかせずに自然妊娠したい。なのに全然妊娠はしない。私より後に結婚した芸能人達が妊娠しただの出産しただのニュースで流れて来る。他人の話とは思えど、少し傷付く。女友達だってそうだ。新婚旅行でさっさと作れてしまった友人、2人目の出産を終えた同級生人生ステップを上がれずにどんどん置いていかれる。一方でこの歳になっても結婚しない友人には理解が出来ないと思い、どこかで見下している私を見つけ辟易する。他人がどうなったって私が妊娠するわけではないのに、関係がないことなのに、考えてしまう。理解はしているのに心が追いつかない。人と会うとその人の人生比較してしまうのが怖くて、そして、まだ子どもが出来ないのだと思われるのが怖くて、人に会いたくなくなった。実際私に対して友人がどう思っているかは知らないし、そんなことを思ったりしていないかもしれないけれど、他人と会うのが怖くなる。

不妊治療のことは特に人に伝えていなかった。親はそう言ったことに理解のない人たちで、相談をもしすれば、知り合い達に「娘がね、不妊治療してるらしいのよ」なんて、さも自分可哀想なのだと言わんばかりに母親は周りに言いふらすだろう。いつも相談相手は夫だった。でも毎回話を聞くのも辛いだろうなと思い、私はどんどん話さなくなっている気がする。本当に堪え切れなくなったときは話を聞いてもらう。夫は優しく話を聞いてくれる。けれど、先日、神社でお参りをする時に、子どもを授かるよう祈っているわけではないことに気がついてしまった。私はたまに行く神社では必ず子どもを授かるよう祈っていた。少し心のズレを感じてしまった。同じレベル子どもを欲しがって悩んで欲しいと心の底で思っていることに気がついてしまう。

誰かにもっともっと言えたなら、この孤独から抜け出せるのだろうか。私はいつになったら解放されるのだろう。いつまで不妊治療を続けるのだろう。子どもはたくさん欲しいと思ってた。大変だけどうるさいくらい賑やかな家庭に憧れてた。もう今は1人でもいいか子どもが欲しい。欲しい。子どもが欲しい。本能なのだと思う。子孫を残さなければと思う生物本能なのだと思う。本能に抗えている人は凄いと思う。私は本能に飲み込まれしまう。そして叶わずにいる。私は何のために生きているのだろうとすら思えて来る。歳をとってただただ死に近づく。毎日毎日歳をとっていく。いつになったら産めるのか。

2010-08-31

トカイとイナカとジャスコ

ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。

育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バス時間も早く、夕方差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。

電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。

みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。

高校卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日時間もかけて都会へと通った。

私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地最初下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半風呂がなく、トイレ玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。

トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。

都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。

あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。

山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。

田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。

大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景あなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだあなたたちはそれを知らない。

盆や正月田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかいから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野秋葉原新宿池袋渋谷原宿東京丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。

ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。

ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方サービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせち材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要いから、田舎人間はそれを喜ぶのだ。

そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。

どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想しかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイのものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。

「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想しかない。幻想しかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ


私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。




補記:母は東京イオンがないという

記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。

父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。

引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルド本屋ミスタードーナツもある。旧市街地門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。

バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。

父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙時間的距離は苦痛だったのだろう。

子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。

そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。

祖父母にとって東京得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。

たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京イオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列ショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。

あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウン生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。

私の住む東京千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内はいっても下町からここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。

それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。

成田に育った:http://anond.hatelabo.jp/20080929192856

 
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