はてなキーワード: 黙祷とは
震災以降の針路が少し間違ってると思わないか?
一致団結の幻想に縛られているような気がする。
日本って、本当は1つでは捉えられないはずだよね。
「直接被災者と非被災者」がまずそうだが、それ以外にも「経営者と労働者」や「都会住みと地方住み」「中年と若年」などの2者間で利害対立があるから、一致団結には限界があるはずなのに、それが無理矢理になされている気がする。
その結果、経営者のように力の強い方が常に主体になって、一致団結する方向を決めてる。
しーんとする会場。
よくあるシーンだ。
そしてボクはゆっくりと目をあけて周囲を見る。
たまに同じようなことを考えているのか目を開けている奴がいる。
今日の午後も見つからないように薄目を開けていた女の子と目があった。
「キミも目を開けるのが好きなの?」
「唖……唖……」
どうやら耳が悪いようだった。
通勤途中。
日本国旗が掲げられ、黒い布…
…はっ…
弔旗が掲げられていた、
震災の時はアリバイ作りの為に黙祷と寄付金を出したような弊社。
偉い人が一目散に逃げ出したもので。
弔旗を掲げたくらいで賛美するようじゃ、ネトウヨ…レイシスト扱いされるかもしれませんけど、
こういうことができるような企業だからあの会社の業績好調で社員の評判もいいんじゃないのか。
なんとなくだけどそう思った。
震災から3年経ったが、特にどうということはない。というか震災当時ですら特にどうということはなかったのだ。
あの一連の震災は、私がそうであるように、多くの人にとっては実質的にほとんど関係ない出来事だったとおもう。
関係ないので節電も募金もしないし、ボランティアにも行かないし黙祷もしない。
こういう現実はものごとの側面として確かにあると思うが、しかし、このような発言はそう表立って出来るものでもない。
全体主義者だとかにぶっ叩かれるからである。これがうざくて仕方がない。
そういう輩はだいたい「あなたがそうではないだけで、当事者である人もいる」「目には見えないだけであなたも関係ないわけではない」などとのたまう。
私は当事者ではないし、まわりまわって関係しているのだとしても実感できるものがまったく無い。
震災の日が来るたびに「決して忘れてはならない」キャンペーンが盛んであるが、過半数である非当事者をどうこうすることは出来ない。
つまり何が言いたいかというと、あとからなんとなく雰囲気を察して一緒に騒いでいるだけの「にわか当事者」がぎゃんぎゃんいうのがやかましくて仕方がない、やめてくれということだ。
とくに知人に被害者がいるわけでもないのにドヤ黙祷ツイートをしたり、大変目障りである。
本気で被害者に救いの手を差し伸べたいなら、yahooで検索などしていないで募金箱に1000円つっこんでこい。
つい昨日まで震災のことなんてすっかり忘れてたのに、ぐっとくるツイートを泣けるBGMにのせた動画みてウルッときたとかそんなんだろ。
3月11日になった。
ツイッターとか見ると、震災関連のツイート、リツイートがいっぱいだ。
「忘れないで」とか、3年前の今日がどうのとか。
そんなの言われなくても忘れない。
関西方面はどうだかわからないけど、関東以北、実際にあの揺れを体験し、そして、その後の惨状を報道で、あるいは実際に見て、体験した人たちが忘れられるわけがない。
それよりも忘れちゃいけないことがある。
実際、みんな忘れかけてる。
枝野は「ただちに影響はありません」と言い続け、テレビでも事故の詳細は語られず。
SPEEDIのデータは公開されず、ストロンチウムは重いから飛びませんと言い、メルトダウンもしてませんと言い。
数え上げればキリがない。
もちろんデマもたくさんあった。
情報が錯綜し、心配する人たちが放射脳なんて言葉で煽られたりもした。
でも、時間がたってみれば結局かなりのことが本当だった。
そして、収束してないのに終息宣言。
震災のことは言われなくても忘れない。
忘れそうになっても、マスコミが胡散臭い偽善番組も含め、きちんと報道してくれる。
本当に忘れてはならないのは、国民を護ろうとしなかったあのときの国の対応だ。
情報を隠し、誤魔化し、言い繕い。
今だってなんらかわってない。オリンピック誘致のために安倍は世界に向けて大嘘をつく。
僕は絶対に忘れない。
こういう国だ。いざとなったら平気で国民を見殺しにする国だ。
この国はこんなことをした。
絶対に忘れない。
要は周りに流されてるだけでしょ
人の死を悼んでやるべきだと言うのなら、毎日悼んでやる必要がある
死者が2万人を超えた?それがどうかしたの
歴史上で理想的な死を迎えられなかった人間は、現在の世界人口を遥かに超えるだろうが
昔の話をするな?じゃあ、ここ1年で死んだ人間の数を調べてみろよ
そこから2万人を引けよ
右に倣えで祈りを捧げるなんてのは、薄ら寒いんだよ
「身内に近いほど優先するのは当然だろうが」と言うか?
それなら、自分自身の為に祈っていろよ
キシェエエエエエエエエエエエエエエエエ
そしてこれを嬉々としてアップするnanapiもキシェエエエエエエエエエエエエエエエエエ
震災から一年がたちました。これから日本はどうなっていくのでしょうか?悲しみにくれ続けるしかないでしょうか?
なにも破壊は「終わり」だけを意味するものではありません。逆に創造のはじまりだと考えることもできます。地震、そして津波は既存のフレームワークを壊すという人間ではとてもなしえないような役割を果たしました。今は(原発の問題があって完全ではないにせよ)まっさらな創造の可能性が広がっています。ただ単に復興するだけではなく、復興以上の前よりいい未来都市を作ることも可能でしょう。
もちろん被災者が必要な犠牲だったとは思いません。それぞれに言葉にできないような感情があると思います。純粋な被災者でない私にはそれを語る資格はないので深く言及することは避けますが。
しかし、黙祷をささげるだけで死者の魂や悲しみがいえるわけでもないと思います。
きっと今の日本に必要なのは視点の変更、つまり「辛い状況だからがんばろう」から「新たな可能性が開けているんだからがんばろう」ということではないでしょうか?テレビで放映されるような「苦難のドラマ」ではなく、これからの「未来」を一歩一歩作り上げていく必要があるのです。
自然災害が今も昔もこれだけ多い国で発展し続けてきたのですから、これからも(政治の迷走などを含め震災以外の問題も多いですが)日本が発展すると信じています。
リンクを貼るのも嫌なんだが。
ttp://datsugenfem.web.fc2.com/
ttp://sayonara-nukes.org/2012/01/0311fukushima_/
なるほど反原発というのはさぞかし高尚なものなのであろう。土地を汚し、人同士を分断し、健康を害す、そんな諸悪の根源を許しますかと問われれば、私だって許さない。そのことは認めよう。
だがそれを、あの日、この場所で、怒号を持って声高に宣うのであれば、私はそれを支持したくないし、それに賛同する方々を、私は支持したくない。
目を背けているわけではない。あなた方が声を枯らして、遥々遠方よりおいでなさっても、あなた方が叫ぶ以上の現実が私の日常である。
私は2012年3月11日を平穏無事に過ごしたいし、2時46分には心静かに黙祷したい。
考えを異にする人もいるだろう。当然だ。だから「私達」とは言わない。私個人の考えでしかない。だが、たとえ故意でないとしても、向けられている目が善意だけでないことを私は感じているし、それが大勢であれば、1人1人の意見など無力だ。
止めろとは言わない。言ってしまえば、それは罵声を罵声で返すことに他ならない。
私はあなた方の崇高なる主張を聞いた。毎日嫌というほど目にした。
今回の事とは関係ないかもしれないが、「フクシマ」とわざわざ蔑む人を支持したくない。
私は、怒号を持って説伏しようとする人を支持したくない。
だからこれは、ただの意見でしかない。お願いでもなんでもない。
世迷い事と思われるのもあるだろうし、どう思われようがあなた方の自由であり、それを私は強制できない。