はてなキーワード: 逆賊とは
実際そうだろ?
純朴な世間知らずの学生さんが左っぽいのにオルグされるなんていつものことだし、
国の未来なんて関係なく国のリソースを貪り食う企業体の連中だって反体制だろ
そういう教育体制のほうが管理統制しやすくてよしとしてる中央官僚さえ国体維持における逆賊だから反体制だろ
この国にこの国を真面目に憂うやつなんてもはや誰も居やしないんじゃないか?
親米保守なんてお笑いだし、独裁政権シンパのリベラリストなんてなんじゃそれってことになるし
ちょっと話が散らかったが国家不維持を是とする反体制勢力が体制を占める退廃国家において教育によって画一的にバカが再生産され続けることは本懐だろうという主旨でござる
お前達は経済優先を正しいものと信じて絶對服從をして、誠心誠意活動して來たのであろうが、
既に安倍総理の緊急事態宣言によってお前達は皆自宅で自粛せよと仰せられたのである。
此上お前達が飽くまでも外出したならば、それは要請に反抗することとなり逆賊とならなければならない。
正しいことをしてゐると信じてゐたのに、それが間違って居ったと知ったならば、
徒らに今迄の行がゝりや、義理上からいつまでも反抗的態度をとって、総理大臣にそむき奉り、
今からでも決して遲くはないから直ちに外出をやめて自宅にとどまる樣にせよ。
そうしたら今迄の罪も許されるのである。
天下布武を唱え、腹心であった飯島摂津守及び家臣団五人衆、すなわち中居弾正、木村内匠、稲垣五郎右衛門、香取金吾、草薙武蔵らの離反も、その強大な力により押し潰し、今や鳥を落とす勢いであった喜多川右府が、突如、京にて薨去されたとの噂が、日の本じゅうを駆け巡った。
ある者は流行病によるものと噂し、またある者は家臣による毒殺とも噂しあったが、果たしてその真相は、右府の生死も含めて杳として判らなかった。
マスメディアが十分に発達した現代とは違い、当時は、重大な事件は全て人々の口伝えに頼らざるをえない。戦国武将達は、不確かな状況の中で自らの去就を決めねばならず、その対応如何によって、ある家は栄え、ある家は滅びるといった悲喜劇が、絶えず繰り返されたのであった。
ところで、右府のもとには、二人の有力家臣がいた。木村内匠と滝沢左近である。
木村内匠については、飯島の乱において仲間の謀議を主君へ密告した功により取り立てられ、右府からの覚えもめでたく、非常に権勢を振るったことは、既に述べた。(https://anond.hatelabo.jp/20160119162624)
もう一人の重臣、滝沢左近は、元は一介の素浪人であったが、右府に仕官すると俄に頭角を現し、今や右府の最側近として大いに活躍していた。
さて、両者ともに、この悲報に接したのは、京から遠く離れた土地であった。
その時、木村内匠は、右府の命を受けて城攻めを行っていた。梅雨空の下、城の周囲に幾重にも堤を築き上げ、増水した川の水を中へ流し込む「水攻め」を行うこと約1ヶ月、もはや天守は湖の中の孤島と化していた。
「ってゆーかさぁ、もうそろそろ落ちるんじゃね?」
そんなある晩のこと、勝ち戦への楽観が広がりつつあった木村陣営に、突如、右府逝去の激震が走った。京からも離れていたため情報が錯綜し、いつしか町奉行である東山越前守により弑逆されたとの誤報にすり替わっていたのだった。
突然の悲報に接し、大声を上げて悲嘆する木村内匠に、その妻、静御前は冷徹な言葉を投げかけた。
「殿さま!今すぐ京へ引き返して、逆賊、越前守を討ち滅ぼし、御館様の無念を晴らすのです!」
「よく言うた。それでこそ我が妻よ!」
木村は電撃を受けたように飛び上がると、すぐさま敵方と講和を取りまとめ、全軍を京へ向けて引き返し始めた。
一方、滝沢左近は、遠く関東にてこの悲報に接した。ただし、右府の側近中の側近であったことが幸いし、在京の東山越前守から直接、正確な情報を書簡で受け取ることとなった。滝沢左近は、俄に活発化した敵勢と対峙しつつも、手堅く京へ軍勢を引き返した。
実際のところ、この時点では右府はまだ逝去してはいなかったが、今で言うところのクモ膜下出血により、ほぼ危篤状態であったらしいので、死へ向かいつつあったというのが真相であろう。だが、意識を失う直前、右府は「余の影武者を立てて、死を三年間、隠すように」との遺言を、側近の東山越前守へ伝えていたため、先のような虚実入り混じった噂話を生む結果となってしまったのだった。こうして、両者が接した情報の確度の違いが、やがて両家の命運を全く違うものにしてゆく。
まずは木村内匠であるが、弔い合戦のつもりで軍勢を摂津と山城の国境、山崎まで進めたところで、東山越前守の軍勢と対峙することとなった。
「やれ、賊軍ども、なにゆえ京へ攻め上った!御館様に楯突くものは、尽く成敗してくれる!」
木村内匠、答えて曰く、
「傍ら痛いわっ!お前こそ、御館様の亡き後、政を私しようとする賊軍であろう!」
「何をたわけたことを!ここに、御館様はおわすぞっ!」
銅鑼の合図とともに東山軍が左右に割れると、その間から見覚えのある輿が進み出てきた。そう、それは右府の豪奢な輿であった。
「やばっ!御館様!」
突然の状況に、木村軍は戦わずして敗走を始めた。更に間が悪いことに、関東より引き上げてきた滝沢軍が退路を断つ形になり、木村軍は徹底的に殲滅されることとなった。
ちなみに、東山越前守の機転によって引き出された輿であったが、その中には、既に意識のない主人が乗っていようとは、木村内匠は知る由もなかった。
こして敗退した木村内匠は、ひとり戦場より落ち延びると、ある禅寺でひっそりと出家して生き延びたという。一時は、かつて裏切った自分の主君であり、既に出家して名を改めていた飯島摂津守の元に、弟子として身を寄せていた時期もあったようであり、何とも皮肉な人生である。
明智光秀が山崎の戦いで敗れ、逃げる途中で落ち武者狩りに殺されたため、明智光秀が織田信長を殺した理由が永遠の謎となった。
どうすれば本能寺の変が謎にならずに済んだのか。
晩年側近などに本能寺の変について漏らしたらOK。ただし勝者が作る歴史だ。
御伽衆に加えられて本能寺の変について話す機会があるかもしれないが、逆賊として処刑されるかもしれない。
明智光秀は豊臣秀吉よりも年上のようなので長生きする必要がある。
お前が背負わないと言ったらいずれそうなるだろ
此上お前達が飽くまでも義父の面倒を見ないと見捨てたならば、それは
ない。
居ったと知ったならば、徒らに今迄の行がゝりや、義理
永久に受ける樣なことがあってはならない。
せよ。
そうしたら今迄の罪も許されるのである。