はてなキーワード: でっち上げとは
「神経質な奴は入札すんじゃねえぞ!」と書いた方がわかりやすいし
一貫性と言う点で美しくすらある。
ついでにいやあ、
「神経質」かどうかなんてのは曖昧かつ個々人の主観しか基準がないものであるから
それを読んでる人間の方で「俺は神経質かな?」なんて問いは機能しようがない。
用法を見ているとどうも、
品物の状態が悪いだとか経年劣化してるだとか言う場合の注意に使ってるようなので
そんなら「状態が良くないので美品をお求めの方にはご満足いただけないと思います。」と書けばいい。
ぐっと何を断りたいのかわかりやすくなったうえに無礼さもない。
アホのバリエーションで
「過度に状態を気になさる方は入札をお控えください。」なんてのもあるが
どれぐらいからが過度か、とのコンセンサスがない状態でこんなこと言っても何の機能もしようがない。
品物の状態でトラブルになるのは双方の感覚が違っているからである。
これも全く意味をなさない。
最初からクレームや返品を期して入札するのは詐欺師かゴネ屋であって
自覚的犯罪者以外の、
送られてきた品物に明らかな瑕疵を認めたときに仕方なくそれをするのであって
それより強く、
「いかなる結果になろうともクレームや返品をしません」という特約を要求しているのだとすれば
こんな条件はおそらく法に照らした瞬間に無効となる。
本気でその条件を飲むならば、品物のかわりに猫の死体が送られてきても異議を申し立てられない。
この文言は本当に、「何を言いたいのか」「何の約束を取り付けたいのか」一切不明なので
無意味なおまもりの呪文だと解釈して「トラブルのない気持ちのよい取引をしたいと願っております」
ネットオークション黎明期に利用者の多くが若年ナード層だった時代があって
その時にでっち上げられた酷い文がそのままテンプレートになってしまっているのだと思う。
使用者の多くは何も考えずにペーストしてるだけだと言うかもしれないが
こんな文言を重大な違和感も無くペーストできるのはやはり低能である。
大概にして欲しい。
答弁で嘘をつかないようにする為に、官僚は省庁の全力を挙げて答弁を作るのであり、政治主導と称して官僚に命令を下すだけで、報告は一切受けないという民主党は、答弁において、省庁のサポートを一切受けられないので、嘘をつく事になる。それは自業自得であり、嘘をついた人が社会的にどうなるかということは、幼稚園や小学校のレベルで学ぶ事である。政治的・道義的な責任を問われ、付き合いを打ち切られたり、組織から追い出されたりという制裁を受ける。
企業にも受け入れられず、自民党にも断られて、万年野党にしか行き場が無くなったサヨクや弁護士崩れは、そういう境遇をたっぷりと味わってきた筈なのに、未だに反省していないらしい。
騙されて一票を投じた国民が一番悪いのであるが、公約が嘘まみれで実現不能である事に気がつかないまでに、国家の状況に対して知識不足・関心不足となったのは、政治制度の欠陥が原因であろう。
現状の民選議員制度では、民選議員は地域の利権代表でしかなく、国政の担い手にはなりえない。地盤を私物化し、家業として議員の地位を世襲するようになっており、国政よりも次の選挙であり、地盤に利権とばら撒きを実現する為に与党にならなければならず、その為には、地盤の内外を問わず、嘘をついてでも一票を入れさせた方が勝ちという状態になっている。公約を毛鉤と評し、毛鉤に釣られる魚はバカと言い切った代議士が居たが、私物化した地盤を維持する事だけが目的と化している為に、勝ちすぎては公約を実現しなければならず、負けすぎては与党でなくなってしまうという事から、程ほどに勝って、できれば衆参を捻れさせて、公約が実現できないのは捻れ国会のせいです、次の選挙では衆参両院を押さえて、公約を実現したいと嘯くというのが、典型的な与党の行動パターンとなってきた。
実現可能な公約を並べる人が現れると、党勢は躍進し、衆参両院で過半数を取ってしまったり、衆議院で再可決が可能なほど勝ってしまう。公約を実現し始めるが、実現には時間がかかり、そのうち、選挙で勝った人が任期制限で次の人に職を譲らなければならなくなり、求心力を失い、公約は実現できなくなり、次の選挙で大敗する。ここまで、パターンとなっているのである。
実行力のあるリーダーを任期制限で失った政党は、実現可能な筈の公約を実現できず、政策実現能力を否定され、信任を失い、選挙で大敗するのである。
最初から実現不能な嘘まみれの公約が出てきたり、結果的に嘘になってしまうのは、地盤の私物化が原因であり、公約を党員集会等の公の場所で練り上げず、党中央が選挙前に適当にでっち上げる為である。私物化された地盤からまともに国政を担える人材が出てくる可能性は著しく低く、人材の層が薄い。まともに国政を担える人材がいない時は、党中央がでっち上げるだけなのだから、国家の状態について、詳しい情報を国民に周知する必要はないとなる。
国民に国家の状況を知らせるには、知らなければならないと自覚するほどの、切実な状況を作り出さなければならない。情報公開と称してwebを作っただけでは、誰も見に来ないのである。
地盤の私物化を無意味にする多選規制は、国政をまともにする為の最初の一歩であり、実現可能な公約を草の根の集会から練り上げ、任期制によって独裁化を避けながらも改革を継続できるような政治家の層の厚さを作り出すという、まともな国家への道は、遥かに遠いのである。
遺伝子が悪い、で満足すんのか?納得させるためにでっち上げるのか。ファシズムと変わらないじゃないか。
数年猛威を振るった「ただイケ」がパッと廃れたのは、
イケメンがどうとか贅沢言いながら恋愛に興じる人間が本気で減ってきて
「ただイケ」というネタが成立するための土台がぶっ飛んだから。
女側の指値がズルリと地すべりのように下がっても約定が増えないのは
それ以上に買い手がいなくなっていたから。
今度は非イケメンは退場していて買おうとしない。
つまり
本当は
男も
女も
約定を目指してないんだよね。
ここ15年ぐらいを眺めれば
もう「買えない理由」や「売れない理由」をでっち上げる必要も無くなったから
もういちいち言い訳は必要ない、
単に取引したくないんだ。
男に女は必要ないし、女に男は必要ない。
http://anond.hatelabo.jp/20110107214632
概ね賛同。
現在32歳、「超氷河期」と最初に呼ばれた世代で、報道や世間のムードに流されるままに「働けるだけありがたい」なんてくだらない考えから不本意な就職を決めてしまった結果大コケしたわたしからも一言。
大事なのは、企業を選ぶときにはあくまで自分の欲望に忠実に選ぶことであって、間違えても「自分を企業に合わせよう」なんて思ってはいけない。
この人のすすめている「うそ」は、自分の気持ちを偽れ、ということでは絶対にない。
「入りたいと思っている会社に対して、自分という人材をいかに立派に輝かしくプレゼンテージョンできるか」という能力を磨け、ということだ。
「0を1にするのはだめだが1を100にするのはあり」
本当にこの一言に尽きると思う。
0を1にしてうっかり何かの間違いで採用されてしまった場合、地獄を見る。
これは絶対にやってはいけないことだと思う。
3年生当時のわたしは、志望動機をつくるときにこの「0を1にする」をやっていた。
当時はITバブルが弾けたばかりだったが、依然として学生の関心は高かった。
わたしは面接のさい、まったく興味のないIT業界に対する興味をでっち上げ、もっともらしい理屈でガチガチに固めた。
どことは言わないが、名前を言えば驚かれるぐらいの難関企業だった。
どうせ無理だろうと思っていたが、人事のおっさんが酒でも飲みながら決めたのか、なぜかSEとして採用されてしまった。
そもそもなぜ受けに行ったのかも謎だった。
とにかく数多くの企業を回るべきだという気持ちだけでよく考えもせず動いていたように思う。
採用を知らせる電話がかかってきたとき、わたしは直感的に「この会社に就職してはいけない!」と思った。
志望動機を偽って受かっても、きっといいことはない、と、どこかで強く感じていた。
しかし、せっかくこんな立派な会社に採用されたんだし…と、わたしはそこへの就職を決めた。
親に迷惑をかけたくない、というのもあった。
泣こうがわめこうが4年が終わればわたしは大学から押し出される。
そのことを考えると、ぞっとした。
そうやって「0を1にする」ことで採用してくれた会社に4月から勤め始めた。
先輩たちはかわいがってくれた。
1年目の新人をこの仕事につけるのは明らかな人選ミスだ、と周囲の先輩たちは同情してくれた。
確かにそうだったようだ。
わたしはあっけなく潰れた。
上から能力を試されているのだ、というのもわかっていたのだが、上司を心の中で「くそったれ、死ね」と罵倒しながら、動かない身体を必死に引きずって出社していた。
辛かったが、一般的に見て驚くほど理不尽だというほどでもない。
誰しもこういう試練の時期を経て一人前になっていくはずだ。
けれどわたしには乗り越えられなかった。
「やってられるかこんなクソつまんねー仕事で心身ともにボロボロになるとかアホくさい」
これが本音であった。
ちなみにSEと言えばデスマーチであるが、あの会社にデスマーチと呼ぶべきものはたぶん存在していない。
働きやすさでいえばかなり恵まれた環境だった。
だからわたしはSEという仕事特有の過酷さに潰されたわけではない。
単にわたしの要領が悪かったのと、渋々選んだ仕事だったから、というだけのことだ。
それでもまだ、わたしは「0を1にする」ことの罪の大きさを十分には認識できていなかった。
社会とは、そうして渡っていくものだと思い込んでいた。
派遣で食いつなぎながら次々とブラック企業を受け続け、そのたびに志望動機をないところから作り上げて理論武装し、内定をもらったり落とされたりしながら、わたしは同じ過ちを繰り返そうとしていた。
そしてある日突然、わたしは派遣先に出勤することができなくなった。
身体がうまく動かせなくなったのだ。
それから少しずつ社会復帰しようと思い、学生の頃やっていた塾講師のバイトを始めた。
楽しくて仕方なかった。
加えて大分ほどではないにしてもコネが横行しているのも周知の事実だ。
超氷河期と言われるこのご時世に、そんな時間も金もかかりそうな夢を追いかけることは、贅沢なことなのだと思っていた。
それよりも、現実的に考えて手っ取り早く金がもらえて身分を保障してくれる勤め口を確保するべきなんだと思っていた。
それが、自分にとっても周囲にとっても、一番いいことだと思っていた。
でも違ったのだ。
たぶんわたしは、ついてはいけない嘘をついてしまっていたのだ。
「自分を大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」ということで、たぶん「先生になりたい」という欲望をそのまま放っておいたのがわたしにとって致命的に自分を貶めることだったのだ。
親に話したら猛反対された。
今から受けたって受かるわけがない、何年かかると思ってるんだ、それまで生活はどうするんだ。
早期退職した父親と専業主婦の母親。頼み込んだが、彼らのすねをかじることはもうできなかった。
以前勤めていた派遣先に事情を話し、ゆるい仕事場を紹介してもらって、働きながら受験勉強をすることにした。
身体は本当につらかった。
でも、社会人になってから、あんなに充実した気持ちで毎日を過ごしたのは初めてだった。
どちらかというと底辺のほうに近い高校で学力は低い。不良も多い。
高校名を名乗ると、相手を「ああw」とつい嘲笑させたりすることもある。
でもわたしは満足している。
ここにわたしは骨を埋めようと思っている。
モンペ対応など面倒なことも多々ある。しかし仕事そのものが苦になることはない。
同業者で父親のコネがあってSEから転向してきたという人がいるが、彼に言わせるとSEのほうが百倍楽なのだそうだ。
してみると、問題の根っこはやはり「向き不向き」なのだと思う。
わたしは、こんなに穏やかで楽しい毎日が来るとは、SEのころには夢にも思っていなかった。
とにかく食えればそれだけで幸せと思わなければいけないのだと思っていた。
でもそれは絶対違う。
「自分を大事にする」とは「自分の欲望を大事にする」「自分の直感を大事にする」ということだと思う。
就活における直感とは、幼い頃から漠然と積み上げてきた価値基準や趣味嗜好によるものだとわたしは思っている。
「この会社に就職してはいけない!」という直感は間違っていなかったし、今勤めている高校から採用の報せを受けたときにも「ここがわたしの居場所になる職場だ!」とわたしは強く感じた。理屈ではなかった。そしてその通りになっている。わたしの直感は、幼い頃の素朴な夢と根強くリンクしていると感じずにはいられない。そしてその通りに行動することがただひとつの正解だったのだと、今になって思う。
だから就活生には、難しく考えすぎず、直感的に「行きたい!」と思った会社を受ければいいんじゃない、と言いたい。
きっとその直感には自分でもわからない多くの判断基準が含まれており、きっとよく当たっている。
もちろん、受けて受かるかどうかわたしは知らない。
運良く採用されても「こんなはずじゃなかった」と思うことも出てくるはずだ。
愚痴りたくなることも山ほどあるだろう。
辞めたくなることもあるだろう。
けれどきっと、不幸は割合小さくて済む。
そして幸福は、きっと割合大きくなるはずだ。
「0を1にする」過ちさえ犯さなければ。
相変わらず、はてなは立場が違えば主張を全く変える、
この文脈を読めと言っているはてブで、はてなで文脈を無視して誹謗中傷されていた
女は産む機械のことが殆ど出ていないところに、はてなの病理がある。
このバカの集まりのはてなで、どれだけ女は産む機械が文脈を無視して
誹謗中傷されたと思ってるのか?
はてなのバカ共はすぐに立場を変えて誹謗中傷するから、文脈無視して言い出したら、
この件を出して、お前は文脈重視するのではなかったか?と言えばいい。
はてなブックマーク - 仙谷氏「専業主婦は病気」と問題発言か 本人は「記憶にない」と釈明 - MSN産経ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/policy/101227/plc1012271319010-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101227/plc1012271319010-n1.htm
仙石は専業主婦は病気とは言ってない!文脈を読めよ!と言ってるな。
なるほど。文脈を読んでから判断するのは、とても大事なことだ。
仰るとおり、文脈重視には何も異存はありませんが。
辞任を求めるとまで「問題」になった、女は産む機械「問題」については、
仙石は専業主婦は病気とは言ってない、文脈を読めと仰っている方々は、
どう思っているのでしょうか?
女は産む機械はテレビ新聞、海外のニュースも文脈無視して総叩きを
単に産経を叩きたいだけの集まりですか、それはすいませんでした、
まさか、女は産む機械と言ったな!と言ってた人たちが、
言ってるんでしょうか?まさか、そんなことはありませんよねぇ~。
なぜなら、文脈重視で今回の専業主婦の発言を考えているのでしょうから。
まさか、自分に都合のいい時だけ、文脈を無視しても構わない!とか
言ったりしてませんよねぇ~。
揚げ足取りを必死にしてましたが、その辻元とかには批判をしてましたか?
今回の専業主婦で文脈を読め!と仰っている御方々は。
そう言えば、
比較にならないですよ、女は産む機械でのマスコミ総バッシングに
比べますとね。
女は産む機械「問題」なので、
今回の専業主婦での文脈重視の御方々は、
文脈重視を言うなら、女は産む機械は文脈を読んだら
女は産む機械とは言ってなかったと言わないと信用できませんよね。
今さら、女は産む機械は文脈を読めば言ってなかったとか言っても、
信用されませんがね。
誰も見に来るはずもないブログを延々と更新するのにはちゃんと意味があった。
そのブログを始める更に1年程前、僕はある人と知り合った。
その人は僕には無いものをたくさん持っていたけれど、いつも僕を小馬鹿にして、でも僕は何も言えずただ心の中で悪態をつくだけだった。
けれどある日彼の言葉に相当に苛立ってしまって思わずちょっと口答えをしてしまった。
彼は僕の事を明らかに下に見ていたから、その時の僕の言葉に一瞬ひるんだけれど、何せ弁が立つ人だったから結局あっという間に言い負かされてしまった。
その上お前なんて生きる価値も無い、仕方なく友達のフリをしてやっていた、こちらはむしろ被害者だ、なんて事まで言われてしまった。
悔しくて悔しくてどうしようもなくて、帰ってからひとつブログを開設することにした。
その中では僕は僕じゃない全然別の人になる。華やかで人生の全てを祝福されているような男性になることにした。
そして僕のほうが彼よりずっと秀でているのだと遠まわしに書き続けてみた。
そうしたらすっきりするのだ。夜もちゃんと眠れるし、彼に言われたひどい言葉も許せるような気さえした。
僕はブログの中で、彼に似たその人物を不幸にすることにした。もちろん全部でっち上げだ。会社でこんなミスをして怒られたらしい、とか、奥さんが浮気したらしい、とか、大怪我をしたらしい、とか。
藁人形みたいだなぁなんて思って改めて自分の根暗さに苦笑いしたけれど、こんなストレス発散方法を見つけたらやめられるわけがなかった。
あの口喧嘩以来、今日までずっと彼と音信不通になっていたのだけれど、本当にふとした偶然から彼のブログを見つけてしまった。
やめておけばいいのに、僕は全部それを読んだ。かなり昔から書いていたらしく読み終わるのに5時間もかかってしまった。
過去から順に読み進めて、さっき全て読みきったのだけれど、変な汗が止まらない。
もちろん100%じゃない、起こってない事もある、でも起こっている事の方が圧倒的に多い。
僕がこんなにも冷や汗をかいている一番大きな理由は、彼の奥さんが死んだと書いてあったからだ。自殺だと書いてあった。そして僕は遡ること約半年前に、妄想ブログでそれを書いていた。僕のブログは本当に藁人形だったんだ。
手が汗ばんで気持ち悪い。それから今気づいたのだけれど、僕はどうやらずっと笑っているらしい。心臓がものすごく早く打っていて、これが怖さのせいか喜びのせいかよくわからない。
尖閣映像流出:ビデオは複数の管区でも閲覧可能と判明
ビデオ映像流出事件で、映像は第11管区海上保安本部以外の複数の管区でも閲覧できる状態にあったことが捜査関係者への取材で分かった。警視庁捜査1課の取り調べに映像投稿を認めた海上保安官(43)が所属する第5管区海上保安本部でも閲覧でき、保安官は容易に映像を入手できた可能性がある。捜査1課は、具体的な入手方法について追及する。
捜査関係者によると、映像は衝突事件が発生した9月、11管から海上保安庁本庁を経て、5管を含む複数の管区に渡っていたという。保安官は読売テレビの取材に「ほぼすべての海上保安官が見られる状況にあった」と話したとされるが、全管区には行き渡っていなかった模様だ。
海上保安庁はこれまで、11管の石垣海上保安部が那覇地検に提出した十数本の映像資料の一つと説明していた。このため内部調査の対象を11管の職員らに絞ってきた。だが複数管区に映像が拡散していたとすれば、国会などでの海保側の説明と異なることになる。
これってさ、情報管理体制がどうこう以前の問題として、そもそもあの映像を機密化する事自体が無理筋だったって事なんじゃないの?
元々が犯罪行為を記録した証拠品だろ?少なくとも裁判の過程で公開する事が前提の代物だろ?仮に国民が公開を求めたら極力応じなきゃならない性格の物だろ?そうでなければ、警察が存在しない証拠をでっち上げて逮捕とか可能になるわけだからさ。
今年の流行語はこれで決まりそうである。"Tea Party"は、選挙で使われすぎてガス抜きされているので、実績はあるが勢いが無い。
そして、ダブルアイリッシュにダッチサンドイッチは脱税手法に関する単語なので、風刺的に飲食店のメニューに取り込まれて話題になり易い。
アイルランドの企業間取り引きでは、法人税が2.4%にまで引き下げられるという事を利用して、多国籍企業の利益を、アイルランドに二つの法人をでっち上げて、企業間取り引きを装って利益移転を行って節税するのが、ダブルアイリッシュ。この利益を、EU内企業間とタックスヘイブンへの租税条約に例外事項があるオランダを通過させて、タックスヘイブンに飛ばして、法人税率を0%にするのが、ダッチサンドイッチである。
単純にタックスヘイブンに飛ばすと脱税になるが、こういった小細工を使う事で、合法的に節税が可能になる。
多国籍企業にとって、国家・国民は単なる市場でしかなく、共存共栄する為の関係は構築できないという事であろう。法人税が高いと苦情を言っているうちはまだマシで、税を支払う価値が無いと判断した時点で、企業は多国籍企業化して法人税を支払わなくなるのである。
凡人を何十人集めて会議をしても、良くて平凡な結論、普通は、メンツと私利私欲と無知無能をさらけ出したマヌケな結論しか出てこない。
民主主義は、独裁制や寡頭制が、最初は有能な人が始めても時が経てば老いて耄碌するし、後継者が有能であるとは限らず、凡人が凡人であることを自覚せずに権力を私し始めたときに、それを抑制し止めさせるには流血の革命を経なければならないという失敗を繰り返してたどり着いた結論である。
あらゆる情報を公開し、意見を広く求め、時間をかけて結論を醸成しなければ民主主義とは言えない。複雑怪奇な制度をつくり、専門家でなければわからないようにして大衆の目から隠し、専門家としての職業の安定を作り出しても、それで最大の利益を得るのは、
その制度の穴を突いて法人税を0%にするサービスを提供するような悪党とそれで税を支払わずに済ませる多国籍企業であり、
あーそれが一番手っ取り早いか(笑)。
ただ、任天堂の現行のハードウェアって「ファームウェアアップデート」の類が殆ど出来ないっぽいんだよね。
だからネット経由で「違法コピー物を起動しているかどうか」位しか把握できないと言われてる。当然、オフラインだったら検知のしようもない。
以前から思ってたんだけど、ソフトの違法コピー品は大量に出回ってるのに、どうしてマジコンの粗悪なコピー品は出回らないんだろう。俺が知らないだけで出回ってるんだろうか。
それっぽいガワをでっち上げて(あるいは「本物」のマジコンのガワをパクってきて)中に原価100円の基盤の切れ端を突っ込むだけで数千円の商品に化けるわけでしょ。中国人なら速攻で手を出してるビジネスな気がするんだけど。客も後ろ暗い事やってるのは分かってるからクレームの入れようが無いだろうし。
■ダウンタウン松本が大激怒「アホか! ボケ! 謝ってもらわんと終わらないんですよ!」
http://rocketnews24.com/?p=42620
「(アンケート調査で日本国民は)過半数以上が南京大虐殺は無かったと思ってる」
「(虐殺したやつらを祀った神社作って、政府高官が参拝に行くのは)なんでやねん」
「俺はもうたまらんねん!!」
「あれ(南京)がなかったとか、(被害者数を)でっち上げだとか言うんですよ」
「南京に関しては、謝ってもらわんと終わらないんですよ!!」
「僕はね、悔しいんですよ。腹立つんですよ(泣)」
(以下略)
どっちが悪いとか、一方的な被害者とかない。
戦争ってそんなもん。
ここにきて「10万人の殺人予備軍」という言葉がホットになっている
http://h.hatena.ne.jp/y_arim/9234096833783701106
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100731/1280595764
http://d.hatena.ne.jp/enjokosai/20100801/p1
まぁ、この言葉自体「一人歩きした言説」ってことで流れが出来つつありそうで。
だが、だからといって、30代後半とか40代の「あの日ヲタクだった人間」が味わった苦しみが幻になるわけではない。
ずいぶんあの日々が遠くなったせいか、「あの日々の苦痛とはなんだったのか」が風化しているし、下の世代に「あの苦しみは何だったのか」
が伝わっていないような気がしてならない。
ということで、思い浮かぶことを書き連ねてみる。
あくまで書きなぐった印象論ということで、正確性について勘弁のほどを。
(1)「あの部屋は犯罪者の部屋だ」
ビデオテープと雑誌で壁の四方を囲まれた、圧迫感のある狭い部屋が「犯罪者の部屋」だった。
かつてはネットも無ければDVDもない。ビデオテープと書籍の蓄積がすなわちヲタクとしての記憶の蓄積だった。
友人との口コミ越しに、あるいはイベントでの会話越しにこう聞こえてきた
「あの部屋は俺の部屋とそっくりだ。ああいう部屋にいる人間は犯罪者だとマスコミは言う」
実はあの事件が起こるまで、オタクという言葉は「アニメとか特撮とかホラーとかが好きな、身なりに構わないキモい奴」という意味での
後ろ指をさす言葉ではなかったはずだ。
おたくという言葉の由来は結構あれこれ議論の的になったりするが、あくまで自嘲句とか隣接ジャンルの人間からの当て擦りの言葉でしか
なかった。
だが、あの事件の後からいつの間にかテレビでオタクという言葉が当たり前のよう流布するようになった。そしてそれが、
「彼」をアーキタイプとした「アニメとか特撮とかホラーとかが好きな、身なりに構わないキモい奴」を後ろ指差すための差別語として
当たり前のように使われだしたのだ。
そして、当時のテレビニュース・バラエティ番組は無批判にその構図に乗っかった。
(3) 「彼は本当のマニアではない」
あの日々にテレビに出ていた文科系コメンテーターがよく発していた台詞だ。
(この言葉を吐いてあの時代を乗り切った一人が頭に浮かぶが、ほかの人も似たような発言をしていたので名前あえて出さない)
曰く、「本当のホラーマニアならそんな考え方はしない」とか、「映像を撮るのに凝っているならあんなカメラの使い方をしない」とか。
苦し紛れに、あるいは同類扱いを嫌って吐いたその言説は、つかの間の安心感を得られたとしても、結局は仲間同士をばらばらにする寒い言説だった。
これは今のテレビ番組につながるものである、というかあそこが原点といってもいいのではないだろうか。
連日連夜ニュース番組「報道番組」の美名の下ステレオタイプの映像イメージを垂れ流し、ワイドショーもバラエティ番組も「報道番組化」して
さらにステレオタイプを垂れ流す。
「犯罪者の部屋」「アニメとか特撮とかホラーとかが好きな、身なりに構わないキモい奴」をイメージ化して勝手に犯罪者像をでっち上げ、
したり顔のコメンテータが上っ面の現代の病巣とやらを解説する。
もはや手垢のついた手法が、あの当時は極めて有効だったのだ。
今までオタクなんて言葉を知らなかったおじ様・おば様方までが、「ああ、気持ちの悪い犯罪予備軍のことでしょ」なんてイメージで語ることが
可能となったのだ。
まぁ、何が言いたかったかというと、「10万人の殺人予備軍」という言葉が出てくるだけの時代背景があの時代にはあったということだ。
今の世の中を見ると信じられないが、かつては確かに「あの苦しみ」は存在していたのだ。