はてなキーワード: 自己肯定感とは
これは、アダルトチルドレンとか機能不全家庭育ちとか、自己肯定感希薄で、自立とか自活とかする気のない、いけてない女に当てはまるやつだから。
たぶんほとんどの、まぁまぁ大事に育てられた娘さんって感じの女は悪い男嫌いだから。
いけてない女ほど声がでかいから、悪い男の方になびいちゃうみたいなのネットにはびこってるけどね。
いけてない女が自分間違ってないよね?って確認作業してて、そこに声でかいだけのいけてない女が集まってるからあたかもマジョリティみたいになってるがノイジーマイノリティだからしかとしてくれ。
そこそこの家庭でまぁまぁ大事に育てられた娘さんはネットで女論男論かまさないし、ふつうに優しくて働きものの男が好きだよ。
そうじゃない女は地雷だしそう言う女にモテたってなんの得もないよ。
仮想敵みたいな女、男のことは無視して実際に触れる距離にいる異性を見て話して自分で判断しないと、ネットガーエックスガーみたいなこといいながら死ぬぞ。
昨日コンビニでレジ並んでて、前のおじーちゃんがタバコ買ってたんだけど、財布から現金出そうとしてチャリーンって小銭落としたのよ
結構音響いたしまあ拾うだろって思ってたら結局最後まで拾わずに立ち去ろうとしたから、
俺は慌ててレジ前真下に落ちてた100円玉を拾って追いかけて肩叩いて声かけて返したのよ
そんで俺もレジすませてコンビニ出てまた帰途についたんだけど、
その帰り道でなんかすげー気持ちよかったのよね
対価を求めずにささやかな善をなしたみたいな自己肯定感がふつふつとわいてきて、
まあ普通じゃねえのって思うかもだけど、俺って基本ケチで余計なことしねーに不機嫌な時間のほうが多いし、
ボランティアとかやる人の気持ちがちょっとわかったかもーみたいな
他人のためだけってんじゃなくて、自分もそれで気持ちよくなるところがあるんだなって
だからやってる人間は必ずしもギブだけじゃなくて無形のテイクを得てるんだなって
https://anond.hatelabo.jp/20230925112807
この度は残念な結果におなりになりましたが、未来はまだまだ続きますので前向きにお進み下さい
その上で感想をば
増田嬢はお相手との性行為に拒否感を抱いておられましたが、会話はお楽しみ頂いていたように見受けられます。
本当に、性行為、嫌でした??
失礼ながらも確認させて頂いたのは、もしかして、先入観から忌避していたのではないかと考えた次第です。
そもそも接触も嫌なお相手であれば、やはり未来はございません。
頭を撫でられるのはどうでしょう? または、お相手の二の腕とかさわれますか?
この辺りはひとつのハードルになります。頭を撫でられるのは恋人またはその候補以外からやられると、強い拒否感を抱きます。逆に言えば、全然平気ならまだ未来はわかりません。
ハグは如何です?
もう、とても親密な関係でない限り異性とハグなどとてもとても出来ません。例えば、一緒に結婚生活をするなかで、行ってきます・お帰りなさいのハグとか、お相手の方とはできませんか??
個人の見解ですがハグできるお相手なら、多分、その先の性行為もその相手と出来てしまいます。
この先の行為、キスやぺッティング、オーラルなどはそれぞれのハードルがございます。しかしながら、行為それだけで見れば、「ハグができるか?」というのがひとつの分岐点になるかと思います。
その上でひとつ、インターネット上の知らない他人だからできるひどい提案ですが、もしも「ハグはできるかも」とお思いでしたら……
もちろん、その前に一回はハグをしてみて、嫌な気持ちがした、寒気がした、気色悪い、思わず投げたくなったなど思わなければ、ではありますが。
増田嬢の書き込みを読んでおりますと、自己肯定感の低さとそれに伴うお相手の過小評価を感じられます。
もしかしたら。できるかもしれませんし、案外、良いものかもしれません。
お試し頂いてみても良いのではないでしょうか??
なお、もしもお試しいただく際は、「途中で辞めたくなった際に絶対に中断してもらう事」を強く念を押しておく事を推奨いたします
私はコレを怠ったために、「もしかして同性とも性行為できるのでは?」と試した結果、とても嫌な思いをしました。(なお、自分が異性愛者だと再確認できました)
子が最近つたい歩きをするようになり、家で見るのも大変なので
気晴らしにあちこち子育てサロンや支援センターに連れていくようになった
ありがたいことに我が子は、人見知りもせず愛想が良い方らしく
他のお母さん方にも遠慮無く向かっていく
私自身はといえば、否定的な親の元で育ったためか自己肯定感が低く、
他者と関わるのが怖いので(回避性パーソナリティ障害?)
初めは子育てサロンに行くことをとても躊躇していた
しかし我が子が他の人に可愛がられているのを見ると、
自分までこの世界に受け入れられたような、少し救われたような気がして
今はいろんな人に我が子を見てほしいと思っている
しかし、これは子どもに依存してしまっているのだろうか?とふと思う
自分だけでは得られないことを子どもを通じて得ようとしているのだろうか?
多少親バカになるのは当然だとは思うけれど…