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はてなキーワード: 現代思想とは

2011-04-14

ガチな事態における現代思想

震災からこちら、現代思想家の評判はおしなべてよろしくない。

有事には役に立たない」だとか

「土壇場では度胸も知恵もない」だとか

そんなことが今更だがばれてしまった。


だが本当のところはそんな程度ではなくて

そもそも平時から、いつだってあいつらは役になんか立っていないのだ。

社会の平穏と余剰を食っているうちはいくらでも霞の奥に隠れられるが

一時的にでもそういうものがぶっ飛んだときには実体が丸出しになる。


別に大災害が起きずとも

彼らが実社会タスクにかかわったところや、

実務能力を問われる場面に出て行ってしまったところを見たとき

「あれ?なんかただの馬鹿じゃないの?」

普通の人と変わらないし、不慣れなぶんただの無能じゃないの?」

と察知したことのある人も居るはずだ。


若い世代の思想家の親分は

さすがに自分達の商売や実像を自覚は出来てる歳だから

この震災以後の自分達の状況のマズさを理解している。

から子分がそれすら理解せずにモノポリーとか言ってりゃキレたくなるのは人情だ。



しかしそこからもう一段階ものの見方を変えた場合はどうか。

思想家達の立たされている今の状況は、遅かれ早かれ有り得た未来しかない。

これは往時の日本プロレスラーが、ガチ競技である総合格闘技に直面した時とよく似た状況だ。

だいたい、ファンとの距離が縮まったり消費者の持つ情報が増えたりすれば、

虚像は見破られて熱は冷めてしまう。

ネットで四六時中所感や行動を報告して関心を引かなければならず、

また観衆にそれをまとめられちゃったりする時代に、

従来通りの思想ごっこ続けようって方が無理なのだ。


そこでまだなんとか活路を探して「我々はガチ」と言い張り続けるのが親分の道で

あっさりと「いやいや、ガチリングで俺達に何か求めないでよw」と表明したのが子分Uの道。

後者日常に戻ればもちろん「俺は最強だ!」「誰でもかかって来いぶっ殺してやるよ!」と吼えるけれども

それがどういう意味なのか、どう消費してほしいのか、を暗黙かつ雄弁に示したのがモノポリーはなかったか


プロレスのその後の歴史に照らせば

一直線の衰亡を脱する可能性があるのは子分Uの道だけだ。

今回メタ目配せとしてスマートな所作を見せることが出来たのは彼だけなのだが

ガチと言い張る道しか見えない親分からは彼が一番憎く見える。

「別の子分はチャリティーやると言えたのにおまえは!」なんてズレたこと言ってる。


弁舌の徒がチャリティーやりだしてどうすんねんと。

それは新日やノアのプロレスラー総合のセコい大会のエキジビジョンに参戦するような迷走でしかない。

有事に臨んで日頃やってきたことと連続していない別の商売をやり始めちゃうのは

それまでやってきたことがお遊びだったと認めるに等しいうえ、

完全に転業する覚悟が無いならただの倒産フラグだ。


というわけで現代思想家という古い商売に洪水がぶっかかり

Uさんやそれに連なる後続の道以外はこれから滅びていくと決まったわけです

UさんもWWEになれるのかハッスルなっちゃうのかは未確定。

2011-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20110413110539

大雑把な論旨は

震災時~以降の対応がなってない!」なんだが

お前が言うなで終了だなこれw


というより東自身、震災後の行動のみっともなさについて

ツイッターだけでも相当失望されたり笑われたりしたようだから

そのストレスや言われたことを下に流してるだけじゃないのかこれ?

そんなやつがこれから何言ったって聞かれないよ。

あいつらはさ社会的責任考えない(中略) 

ってことを今回示しちゃったんだよ。そんなやつがこれから何言ったって

聞かれないよ。俺がそう言う。宇野と濱野の話は俺が聞かない。

俺が聞かない以上あいつらの話は社会に聞かれない。以上終了ですよ。ほんとに。

それでまた、頑張りますよ!とか俺信じないもの

今回みたいな出来事は二度とない。それで何もできなかった

 やつが、先行世代とか批判する権利は無いです。

坂上「震災で明らかになったのは圧倒的に専門家って強いですよね。原発専門家とか。

 そうじゃない東さんなり僕なり人文系人間はやっていくわけですよ。役割が違うじゃないですか」

東「そうだよ。でもそういうなかで、発言のポジションがなかったり、効力が発揮できなかったら批評家って

 無意味だって事でしょ。そういうなかでサバイブするんだとかあいつ言ってたんでしょ。

 俺が言いたいのはやってないじゃん、お前口だけじゃん。

東「僕は宇野くんは単純に責任取らないやつなんだなって思っただけです。単に言ってるだけなんだなって。」

俺もそうだけどジャーナリストじゃないし色んな事わかんないか

ツイートしたくない。でも一生懸命頑張って一応プレゼンで示すとかさ。

そういう必死さが全然ないんだもん。

今回の震災で明らかになったと思うわけ。

現代思想」とか「文藝」の連中は震災に対してなにもアピールできてないし知識人としての

役割を果たしてないとおれは思う。そういうことに対して『彼らは自分たちのグループに閉じてて

なにもできないんだ』って言ってた宇野もできてないじゃん。

そういう判断が宇野に戻ってくるでしょ。

東「じゃあさ、あいつ偉そうすぎない?いや俺に対してじゃないよ、いろんな人に対してすっげえ

 偉そうにしてたじゃんあいつ。じゃあ言うなよ。

 お前しょせんサブカル批評家じゃん。震災になったら黙っちゃってモノポリーやってるサブカル批評家じゃん。

 それでいいけどさ、言うなよ。それが世界の真理だろ。アホなのか?」

言ってただけなんだよ。それが今回の震災で現れたの。これは絶対反論できない。

ともあれ早稲田文学

 アクションを起こした市川くんは僕も含め多くの人間にバーって流してる、震災の三日目か四日後に。

 じゃあ宇野がなんかやったか?何にもやってないじゃん。それって結局、宇野くんはそういう奴ってこと。

 二次創作作家。簡単に言うと。バレちゃったそれが。」

これらってぜーんぶ、

東自身がはてなツイッターで言われたようなことだよね。

それを自分と同じような状況かつ自分より立場がまずい(と東が思ってる)奴探してきて叩くことで

糾弾から糾弾者への成り上がりを図ってると言うか。

自分の代わりの生贄を捧げるエクスキューズと言うか。



全体的にストレス行動にしか見えん。

2010-10-20

評論家 宇野常寛は劣化版 島田紳助である

評論家宇野常寛は論壇ヤンキーである。のほうが、合ってるかも。

俺はさ、現代思想とか文壇とかは、よくわからんが、ただ、彼らの行動を見ていると面白いんだよね。

で、「彼らのやっている事を、ああしてこうすればゲームにできるな」と思い、それを作ろうと思って、「ああプログラマどうしようかなあ」とか思いながら、仕事してたんた。

で、ふと思った。宇野センセと島田紳助の行動パターンって、似てるんだよね。


挑発的な口調と行動

・勝ち負けに対するこだわりが強い

・(仮想)敵が必要

・古いものを否定し、新しいものを性急に欲しがる

・やたらと群れたがる


ま、こんな感じ。

宇野センセのいっている事はよくわからん(というか興味が無い)が、行動パターンとしては、「勝てる相手にケンカ売って論破して勝利宣言」ってのが、多い気がする。

決断主義だっけ? でもさ、ゲームパラメーターで考えたら、そういうものよりも、「挑発」や「破壊」の能力の方が、はるかに大きいんだよね、センセは。

芸能界と違い、サブカルおたく村は、彼のような人物を受け入れるには狭すぎてもてあまし、宇野センセは、他の世界に行くには小さすぎる、という、微妙パワーバランスが、すごく面白い

彼程度の連中を飼いならせないギルドっちゅうのも、情けない気もするが。

2010-10-03

美少女処女で自爆

書きかけの小説が出てきた。

恋愛ゲームなどで攻略される側の少女ヒロイン。でも、プレイヤー攻略する側の男が、いつまでたっても来ない。なので、こちらから探しに行く、というものだった。姿を現さないプレイヤーを失踪人っぽくして、ミステリー風にするつもりだった、ような記憶が、ふわっとある。

はるか以前、「ときメモなどの恋愛ゲーム好きな人」のブログにはまっていた頃、書き始めた奴だった、と思う。

美少女ゲームとか、エロゲーとかが好きな人って、インテリが多い気がする。つうか、頭がいいプレイヤーと、そうでない人の差が激しい、というか。私が読んでいたブログは、インテリ男性が書いていたんだと思う。たぶん。大学サークルが、などとブログのどっかに書いてあったし。

現在レースゲームなどは、ドライブシュミレーターとして、自動車評論家からも高い評価を受けているものがあり、ゲームにもよりますが、ゲームが上手くなれば、実際の運転も上手くなる、そうです。クルマの事よくわかんないけど。

で。それでまあ、恋愛シュミレーションと銘打っているのに、ゲームプレイを重ねても、恋愛が上手くなるように、ちっとも思えない、というのが、書き始めた動機だったような……

ああ。思い出してきた。

コナン名探偵の方じゃなくて、ロバート・E・ハワードの方)みたいに、筋肉脳みそ男の主人公が、なあああんにも考えないで、あっちの女に手を出し、こっちの女に粉かけて、だったら、私も好きだ。ポテチ喰いながら「バッカでー」と笑いながらみる、みたいな。

美少女ゲームとかエロゲ好きな人って、頭がいいからか、例えば東浩紀について、どうのこうのと書いている人もいるんだけれどさ。

それゆえに、自分の中にある獣性、っていうのかな、そういうものが自分の中にある、ということから、目を背けている男が多いように見えて仕方がなかったんだ。その頃は。

の割には、「ヒロイン攻略する」というキモチ悪い言葉を平気で使うし。

んな言葉使いをするってことは、ヤンキーのように力で女を屈服させるのではなくて、頭脳を使って、でもやはり、女を屈服させるのかい、と思ってしまったのさ。

相手がいないから、仕方なくゲームを… という男だったら、まだ、わかりあえるような気がする。というか、「女の手も握った事もないのに何が『少女内面が上手く描けてる』だよ、ばあか。あ。握った事がないから、内面しか語れないのね!」と、楽しくdisり合いくらいはできるような気がする。気がするだけ、だけど。しかも、向こうは楽しくない気がする……

でも、「現代思想からみてエロゲがウンヌン」とくると、自分心の問題から目をそらすために、難しい事に逃げているような気がするから、私はダメだ。「お前がダメだからなんだというのだ」と、いわれてもダメなんです(><) 自分の中の触れたくない部分を隠すために、「思考停止」したくないんでしょ。あなたにとってのポストモダン(って、よくわからんけど)とかって、ただの逃げでしょ。違うの? 

彼らにとっては、恋愛は頭でするものなのだな。かわいそうだなと思う。同情はしないけど。偏差値が高いがゆえに救いがない、みたいな。だったら、まだモテない連中と傷のなめあいしてたほうがマシ…… 

と、妄想たくましく、よく知らない人達の事を、あれこれ思い浮かべて憤慨していたような記憶がある。しかも、そういうゲーム、した事がないのに。ああ、あの頃の私は若かった。今の私も、ちっとも大人には、なっちゃいないが。こうして自分の考えを文章にしてみると、我ながら思い込みが激しいというか、支離滅裂というか。

絶賛ほったらかし中の小説は、そのころ、なんとなくテレビで見た映画プレデター」の影響で、壮絶なバトルの末、ラスト美少女は自爆する予定だった。私的には、完成させたくない小説である。

2010-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20100627233010

論理学にはあまり詳しくないのでなんなのですが、以下のあたりをどうぞ。

ゲーデル=タルスキー不完全性定理

->ある事実が真理であることはそのシステム内部では証明できない

ある意味究極の定理です。厳密に証明されていますので数学として「定理」と呼ばれます。まずは「ゲーデル不完全性定理」で調べて頂ければ資料は大量に出てきます。数学すら穴があることを証明してしまった恐ろしい定理です。

ロラン・バルトテキスト

->記号論からイデオロギーが固定された意味を持たない無意味なものと論証

まずは「(ポスト構造主義」「ソシュール」なんかを調べてから「バルト」を引いてください。「正義」の体系とも言えるイデオロギーが記号論的には無意味な戯言と等価になってしまいました。

ファイヤーベント」の方法論虚無主義

->合理主義と非合理主義に差異はない、など「何でもあり」を唱えています。証明とは言えませんが、現代思想がどんなものか知るにはいいでしょう。科学の方法論すら恣意性の塊で何ら特権的な方法ではないことになってしまいました。

2010-05-16

学生大学入学前までに自主的に学ぶべきもの

古典、一階述語論理

グラフ理論の基礎(ハミルトン路ぐらいまではムリかな。オイラー路までできればいいか。もし教育課程に導入するなら、ベクトル単元の学習を早め、空いた時間に入れると有向グラフとの矛盾もなくてなお良い)

漢字検定準一級該当漢字の読み書き(レベルとしては小説読んでれば余裕)

英語の語根についての理解と語構成。

自然言語とは(日本語意味が複数解釈できて糞とか言うヤツらを撲滅するために)

現代思想(任意)

2010-04-23

中二病ポエム(笑)

いにおと空気人形で泣いて

くるり相対性理論聞いて

カバンに読まない東浩紀入れときゃ

教養のある大学生』かい


フランス辺りの現代思想を使って

深夜アニメの解説やれば、あっという間に神様

自分に近すぎる話で釣るのってどうかと思うんだよ

って。君はなにを読んでるのさ

そんなもので孤独とかごまかすの


すごくすごく狭い所で話をしている自覚があって

それでも私は私と言えるほど自意識も抑えきれず

よりごのみしてるくせに友達欲しいとかって嘆いて

バランスの悪い人間関係ばかり溜め込む


手垢の付いたやり方でも、ワイワイしたかったな

けどどうせ冷めて、青ざめて、青い顔して去るんだろうな


ベンヤミンの話がしたいんじゃないんです先生

ただ、誰かと話をする権利が欲しくて『複製芸術時代』とか精読してるんです

意味価値にすがる弱虫は僕です

「自覚のないやつは痛々しい」とか言って

自分を縛って苦しそうな目を向けて

わかってほしいとか言ってるだけ


死にたい、って軽薄に言えたら楽なのかね

軽はずみに発するには年を食いすぎたよ

まだ一つも成長してないのに


デリダフーコーバルトプルーストヴァレリーを読み切ったら

いつか誰かが僕を愛してくれるのでしょうか

やり方が間違ってるのに


だったら嫌な顔してないでサークルはいればいいのにね

ってことで明日、読書会に参加してくる

がんばろう

必要とされたい

愛されたいんだ

2010-01-28

[]最高に弱まった無職が薦める百冊より少なめの本

http://anond.hatelabo.jp/20100127001517

さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。

差し替え
  1. 『私とハルマゲドン竹熊健太郎
  2. 『檻の中のダンス鶴見済
  3. 『翔太と猫のインサイト夏休み永井均
  4. 『アストモモンガ橋本治
  5. 因果鉄道の旅』根本敬
  6. 超芸術トマソン赤瀬川原平
  7. 自転車旅行主義』 香山リカ
  8. 天使王国浅羽通明
追加
  1. 『立志・苦学・出世受験生社会史』竹内洋
  2. 1968年スガ秀実
  3. 日本の思想』丸山眞男
  4. 現代詩の鑑賞101』大岡信
  5. 『「知」の欺瞞』アラン・ソーカル
  6. アナロジーの罠』ジャック・ブーヴレス
  7. 『「世間」とは何か』阿部 謹也
  8. 『一九七二』坪内祐三
  9. ストリートの思想』毛利嘉孝
  10. 数学ガール結城浩
  11. 虚数情緒吉田
  12. 『無産大衆神髄』矢部史郎山の手
  13. スカートの中の劇場上野千鶴子
  14. 日本文学史序説』加藤周一
  15. リベラリズムの存在証明稲葉振一郎
  16. 自我起源真木悠介
  17. 『知恵の樹』ウンベルト・マトゥラーナフランシスコバレーラ
  18. イスラーム思想史井筒俊彦
  19. トンデモ本世界と学会
  20. 自殺直前日記山田花子
  21. 東京いい店やれる店』ホイチョイ・プロダクションズ
  22. マクロ経済学スティグリッツ
  23. ミクロ経済学スティグリッツ
  24. 社会学』ギデンズ
  25. 文学とは何か』イーグルトン
  26. 日本史山川出版社
  27. 世界史山川出版社
  28. 『辞典・哲学の木』
  29. 岩波文庫解説総目録
  30. 社会学文献事典』
  31. 『BOOKMAPPLUS』
  32. 学問がわかる500冊』
  33. 『「テクノ歌謡ディスクガイド
  34. ミニコミ魂』串田努
  35. 山崎浩一世紀末ブックファイル山崎浩一
  36. 『いかにして問題を解くか』G. ポリア
  37. ゲーデルエッシャーバッハ - あるいは不思議の環』ダグラス・ホフスタッター
  38. 四次元冒険』ルディ・ラッカー
  39. 論理学をつくる』戸田山和久
  40. 倫理問題101問』マーティン コーエン
  41. 想像博物館荒俣宏
  42. 魔法使いの丘』ソーサリー
  43. 『変体少女文字の研究山根一眞
  44. 『グラモフォン フィルム タイプライター』キットラー
  45. フラジャイル松岡正剛
  46. アメリカン・コミックス大全』 小野耕世
  47. 東京大学ノイズ文化論」講義宮沢章夫
  48. 文学賞メッタ斬り!大森望豊崎由美
  49. ライトノベル「超」入門新城カズマ
  50. 現代思想1997年5月号『特集・ストリートカルチャー
  51. ユリイカ2007年6月号『特集・腐女子マンガ大系』
  52. モダンガール論』斎藤美奈子
  53. 『今月のフェミ的』あくまで実践 獣フェミニスト集団FROG
  54. 利己的な遺伝子リチャード・ドーキンス
  55. 『100台のコンピュータスタパ斉藤船田戦闘機
  56. 死刑全書』マルタン・モネスティエ
  57. エロスの涙』バタイユ
  58. 流行人類学クロニクル武田徹
  59. プログラムはなぜ動くのか』矢沢久雄
  60. エミュレータのしくみ』某吉
残しておく本
  1. ゲーム的リアリズムの誕生東浩紀
  2. 『逃走論』 浅田彰
  3. 『寝ながら学べる構造主義内田樹
  4. ゼロ年代の想像力宇野常寛
  5. 『ぼくたちの洗脳社会岡田斗司夫
  6. おたく精神史』 大塚英志
  7. 『よいこの君主論』 架神恭介
  8. 戦前少年犯罪管賀江留郎
  9. おまえが若者を語るな!』 後藤和智
  10. 『現代マンガの全体像』 呉智英
  11. カノッサの屈辱小山薫堂
  12. 『生き延びるためのラカン斎藤環
  13. ニッポンの思想』 佐々木敦
  14. 洗脳原論』 苫米地英人
  15. 『青いムーブメント外山恒一
  16. チベットモーツァルト中沢新一
  17. 自分探しが止まらない』 速水健朗
  18. 教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書ばるぼら
  19. 電波男本田透
  20. 貧乏人の逆襲!』 松本哉
  21. サブカルチャー神話解体宮台真司
  22. 趣都の誕生森川嘉一郎
  23. 『たかがバロウズ本。』 山形浩生
  24. 『超クソゲー箭本進一
  25. 日本映画史100年』 四方田犬彦
  26. 『シミュレーショニズム』 椹木野衣
  27. 恋愛小説ふいんき語り』 米光一成
  28. 戦後ギャグマンガ史』 米沢嘉博
  29. 日本の10大新宗教島田裕巳
  30. 『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』 ブルボン小林
  31. 映画の見方がわかる本』 町山智浩
  32. アダルトビデオ革命史』 藤木TDC

2009-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20091210133130

東欧のよくわからん現代思想をもちだして目玉焼き暴力性について語り始めたり

ナチス目玉焼きを食べてましたと関連付けたり

2009-09-13

犯罪被害者・被害発生率は減少傾向

人(法人その他の団体を除く)が被害者となった一般刑法犯の認知件数及び被害発生率の推移。

平成8年1996年)を境に増加傾向が始まり、平成12年には200万人を突破。ピークは平成14年2002年)の2,486,055人。

平成15年以降は徐々に減少。平成17年には200万人を下回り、平成19年2007年)は1,581,526人であった。

年度被害者総数男性(発生率)女性(発生率)
平成10年1,768,200人1,907.4  909.4
平成12年2,141,037人2,303.51,096.2
平成14年2,486,055人2,652.21,281.0
平成17年1,919,609人2,055.6  980.0
平成19年1,581,526人1,672.9  823.6

被害の発生率は、「人口10万人当たりの認知件数の比率」を表す。男性の被害発生率が、女性の2倍強であるのは毎年の傾向。

ソース法務省犯罪白書

ちなみに、殺人傷害致死・強盗致死・強盗殺人などの凶悪犯罪件数では、平成19年2007年)が戦後最低だった模様。

もちろん法改正警察の記録の取り方で数字は左右されるが、グラフは緩やかなカーブを描いているので、被害が増えているとは言えないだろう。

しかし「犯罪が増えている」と思っている人は少なくない。

浜井浩一氏(犯罪学)が『犯罪社会学研究』(33号)と『現代思想』(2008年10月号)で犯罪統計テーマ論文を書いている。そのテーマ現在日本社会の実態を表している。

 2年前と比べ犯罪が増えたと思うか?という全国調査で、「とても増えた」と答えたのは

日本全体でとても増えた 49.8パーセント

居住地域でとても増えた 3.8パーセント

 つまり50パーセントの人が日本全体で犯罪が「とても増えた」と思うが、居住地域で「とても増えた」と思う人は4パーセントにすぎない。この乖離はなんなのか。

http://blogs.yahoo.co.jp/lera/57411426.html

2009-08-06

書籍から見るゼロ年代

今年でゼロ年代が終わる.2000年が始まったときはミレニアム!と晴れ晴れしい気分であり,まさかゼロ年代なんてカタカナで時代が表されるだなんて思っても見なかった.そんなことを近頃思っていると「そういや,2000年とか2001年ってどんな本が平積みにされてたっけ?」と思ったので,簡単にまとめてみた.これは客観的な統計データのまとめではないし,選んだ本やその解説には恣意性だって含まれてると思うけど,はてブ等でフォローしてもらえたらと思う.

一般書では『だから,あなたも生き抜いて』がベストセラーであった.閉塞感のあった90年代において日本経済社会システムも崩壊が始まり,これまでのような一億層中流社会は望めなくなった.そんな時代に単なるサクセスストーリーとしてだけでなく,「生き抜く」ことを薦めるこの本がゼロ年代最初の年のベストセラーであったことは興味深い.

経済書では『経済ってそういうことだったのか会議』がよく書店平積みされていた.お金のことは銀行専門家にまかせておけばよい,といった価値観から自分の身は自分で守ろう,そのためには少しずつでも知識をつけようという価値観へ既に変化し始めているように思える.

また,9.11以前に文明の衝突論を展開していたという点でハンチントンが後にもてはやされた.『文明の衝突』は1998年

また,ソーカル事件を発端とする科学論者と科学者間の間の論争である『サイエンスウォーズ』『知の欺瞞』が出版された.一連の流れにより,科学は正しいものという固定観念が崩れ始めるが,その悪影響として疑似科学が隙間に入ってくることとなる.

2001年は一般書・自己啓発本として『チーズはどこへ消えた?』や『金持ち父さん貧乏父さん』がベストセラーとなった.これらは自分探しブームの終焉でもあり,ありのままの全肯定でもある.その他の一般書では『声に出して読みたい日本語』のような日本語ブームが始まる年である.

ゼロ年代を象徴する批評家東浩紀が『動物化するポストモダン』を出版し,アカデミズムからサブカルへの転向,遅れてやってきたエヴァ批評として有名となった.その後の現代思想批評界は東浩紀とそのフォロワーによって進められることとなる.

また,疑似科学論争の大きなきっかけとなる『水からの伝言』がブームとなり,教育界では道徳の授業で使われたり,科学者集団がその疑似科学性を啓蒙したりする騒ぎとなった.

2002年は一般書では『生きかた上手』や『声に出して読みたい日本語』,『常識として知っておきたい日本語』がベストセラーとなった.また,『本当の学力をつける本』で陰山メソッドが有名となり,公立校進学校化など各々が一律である必要がなく,教育にも個性や多様性を認めるような社会風潮となっている.とはいえ,これらの風潮は後の格差社会と繋がらないとは言い切れない.

格差社会といえば,玄田の『仕事のなかの曖昧な不安』は社会安定を失った日本の将来を予見する内容であり,当時の日本社会空気を表す本としてピックアップすることができる.

不況下における人々の意識を表すかのように森永の『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーとなった.この年を前後してエコノミストと呼ばれる人々が盛んにマスメディアに出るようになり,銀行に預けるのではなく,個人が投資する時代になったと盛んに喧伝した.

9.11以降の社会を分析するかのように,ネグリハートの『<帝国>』やチョムスキーの『メディアコントロール』などが読まれた.特に『<帝国>』は左派に大きな影響を与えたといえる.

2004年は『バカの壁』が大いにベストセラーとなり,養老孟司ブームが到来する.その続編でもある『死の壁』も同様にベストセラーとなり,これらと時期を同じくして,新書ブームが到来.多くの出版社新書に力を入れ始める.

仕事のなかの曖昧な不安』を受ける形で『13歳のハローワーク』が出版され,自分探し(何がやりたい?)と自己肯定(何をやっても自分らしい)が同時に薦められるような時代となった.その一方で堀江貴文『稼ぐが勝ち』が売れ,Tシャツ姿で六本木ヒルズで新進気鋭の社長となっているホリエモンが多くの若者共感と多くの大人の反感を買った.この共感した若者は『希望格差社会』において希望が持てない若者たちであり,株取引による一発逆転という大平光代サクセスストーリーとは別の形の逆転劇を夢想させた.

新書ブームを背景に『頭がいい人、悪い人の話し方』,『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』がベストセラーとなった.特に『さおだけ屋~』はタイトル売りという技を駆使し,その後多くのフォロワーを生んだ.また,これまで『仕事のなかの曖昧な不安』『希望格差社会』といった「労働」というジャンルハードカバー本であった内容がついに『下流社会』と新書の形をすることで大衆化し,格差社会というゼロ年代キーワードを体現した.

また,東一辺倒であった批評界において,『嗤う日本ナショナリズム』によって社会学の北田が登場し,2ちゃんねる批評というものが生まれた.これはゼロ年代が徹底的にサブカル批評へ偏ることを決定づけた.

相変わらずの新書ブームで『国家の品格』『人は見た目が9割』等がベストセラーとなった.『国家の品格』は養老孟司から続く理系人ブームを引き継ぐとともに,後の品格ブームを起こした.『人は~』は『さおだけ~』のフォロワーであるタイトル売りであり,『なぜ、社長ベンツは4ドアなのか?』といったフォロワーも生まれた.

また現在まで続く重要な流れとして『ウェブ進化論』『Google』『「みんなの意見」は案外正しい』といったWeb論が生まれ,Web2.0玉石混淆,群衆の英知といった言葉がよく聞かれるようになった.これらの著書により,これまでYahooを使っていた人々がGoogleに移行したり,Wikipedia大衆化したりするようになった.これらのWeb論はあまりにオプティミスティックであると当初から批判されたが,アーリーアダプターにしか知られていなかったWebの様子を大衆化したその社会的影響は計り知れない.また,『フラット化する世界』がベストセラーとなり,インドの台頭が認知され始めた.

品格ブームを引きずって『女性品格』,○○力ブームを引きずって『鈍感力』などが一般書としてベストセラーとなった.また,理系人による本として『生物と無生物のあいだ』が読まれた.

データ重要となったことを示すような本として『その数字が戦略を決める』がよく書店平積みされていた.Web時代においてGoogleが大規模DBデータをため込むようになり,既存の専門家よりもデータが多くを語るような時代が幕開けしたことを告げた.

その一方で,「炎上」という言葉が一般用語化し,梅田オプティミストによるWeb論に対して,Webの負の面を大衆化させるような本として『ウェブ炎上』や『フラット革命』が登場した.

また,格差社会論は「ワーキング・プア」や「ロスト・ジェネレーション」といった言葉を生み出し,ワープア論壇やロスジェネ論壇と呼ばれるものが生み出され始めた.特に「『丸山眞男』をひっぱたきたい----31歳、フリーター希望は、戦争。」という赤木の論考は衝撃的であった.

どういう流れからか,『×型 自分説明書』という血液型本がバカ売れした.これも疑似科学ブームの一端なのだろうか.そして,はてなー大好きの勝間本『効率が10倍アップする新・知的生産術 自分グーグル化する方法』がついにベストセラー化した.いつの頃からかライフハックという言葉がよく聞かれるようになり,多くの自己啓発本書店平積みされていた.また,サブプライム問題までは外資系コンサルが重宝され『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』が売れた.

批評界では東にケンカを売る形で宇野ゼロ年代の想像力』が,東のフォロワーとして濱野『アーキテクチャ生態系』が現れたが,どちらも東の影響を多分に受けており,ゼロ年代批評が東一辺倒であることを決定的にした.

ロスジェネ論壇ではその名の通り『ロスジェネ』という雑誌が創刊し,蟹工船ブームが生まれた.また,秋葉原通り魔事件が起こったことにより,多くのメディアによって事件が消費され,それらは常にロスジェネ論壇,フリーター論壇とともに語られた.

##せっかくISBN記法したのに,増田だと使えないのね.

文字ばっかりでごめんなさい.

2009-03-27

http://anond.hatelabo.jp/20090327025629

生まれてきた環境人生選択肢が決まってるってのは

なんだ、寂しいもんだろ

昔のおえらい方がそういって、大衆が納得したから今があるんだろ

としか、おっさんには言えんよ

価値ってもんは後から与えられるもんだ

そういうこと坊主勉強したんだろ?

その現代思想ってやつでよ

まぁ、こまけぇこたあいいんだよ

大衆がより幸せになるならおっさんはきたねえ仕事だって勧めてやるさ

2009-03-07

○○○くらいで×××ヲタの領域に踏みこんでんじゃねえよ糞××ヲタ

http://d.hatena.ne.jp/raf00/20090305/1236262585

んー、タイトルだけならいろんな改変ネタができそうだ。そこで考えてみた。

この中でいくつかは、本当に俺の友人が似たようなことを言ってた。

2009-02-05

ゼロアカ第5関門

イベントに来てくれたら、ボクと握手だよ

東浩紀の愉快な仲間たちpresents

ゼロ年代批評night」

次世代の批評は俺たちが作る!まったく新しい批評の形を模索する、熱き批評魂を持った若者たちが、批評未来についてガチバトルを繰り広げます!ザクティ

革命の真の意義とは!?ゼロ年代批評の申し子となるのは誰か?そしてスペシャルゲストは誰なのか!?批評論壇の新生を目撃するために、次世代の批評家(と

ウォッチャー)たちよ、阿佐ヶ谷ロフトに集結せよ!

【出演】

坂上秋成(ゼロアカ道場第四次関門通過者/道場破り)

筑井真奈編集者ゼロアカ道場第四次関門通過者)

藤田直哉(SF評論家ゼロアカ道場第三次関門通過者)

三ツ野陽介(東京大学大学院生ゼロアカ道場第四次関通過者)

峰尾俊彦(ゼロアカ道場第四次関門通過者)

やずややずやゼロアカ道場第四次関門通過者)

スペシャルゲスト

現代思想の第一線で活躍する哲学者批評家など凄い人たちが多数来場予定。

※来場者全員に、会場限定のスペシャル同人誌プレゼント

これってどうみてもこれ自体が第5関門だろ。当然、企画者はあずまん。

事前にこれが関門だと告知せずにやろうというわけだね。

2009-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20090103125210

うーん、いまいち大学でしか得られないディープな知識」を念頭においているのか、「批評界隈での価値」を念頭においているのかわからないんだよな。どちらについても突っ込んでおく。

前者の場合、君のアプローチはあまりよくない。「質問」ってのは、前にある質問すべき事柄があって、それに対してするものだが、その前の事柄が<知的探究心のない><頭の悪い屑ども>が大半の受講者である、授業で行われた内容にある程度限定されてしまう。だから、教員の返す回答も、そのレベルを少し超えたものになるしかない。

で、本当にディープな知識ってのは、ほとんど論文という形に独占されてる。だから、ディープな知識を教員から得るとしたら、それは論文を紹介してもらう、もしくは現物をもらうことに他ならない。その教員自体が書いたものにしても、それ以外にしても。それを積極的にやる教員もいるし、やらない教員もいるが、とにかく論文へのアクセスを獲得したら、君の勝ちだし、こればっかりは大学でしか得られない。

あと、君の「本」に関する態度は、少し甘いと思う。「シミュレーショニズム」やら「思想地図」やらに価値を置いていて、テキストなんてだめだって語り口だが、正直大学の知識体系から言ったらどっちもクソ。世の中には論文からスピンアウトしたような本(部数が少ないので高い。文系なら大体3500円が目安)が多数あり、それらからは、比較にならないほどの知識と参考文献を得ることができる。また、それを読むための基礎知識を得るために、またテキストに戻ったりもできる。こういう本を読みこなせるようになれば、もはや君は批評家の言説のほとんどを馬鹿にできる。もちろん、その専門分野においてだが。

もしくは、君は批評家にあこがれているようだが、それなら「思想地図」から入るのは少し分が悪い。なぜなら、あれにはまだそこまで権威もないし、いわゆる一般読者も少ない割には、掲載が難しいと思われるため。かといって、「現代思想」とかのいわゆる思想誌はさらにハードルが高い。

あと、思想系の雑誌重要なのは、人間関係だったりする。「思想地図」の東、北田界隈とかはだいぶ前からかなり凝り固まってるので、その点でも難しい。どちらかというと、雑誌の中心の人間と接触しやすいこと、それが重要だったりする。「ロスジェネ」とか「VOL」とかは意外に門戸が広いんじゃないの。高円寺とか行けば適当関係者と会えたりする。

そのためには、多分無名からは幾つかのステップが必要だろう。その取っ掛かりが、はてなだったりする。まあ個人名を出すのもアレだが、古克とかはそこそこ有名だし、面白い話ができるなら話も聞いてくれると思う(というか彼はまじめ)。あとはオフもそうだし、デモもそうだし、出版に関わっている人間はいくらでもいる。彼らと面白い話ができたら批評記事をどっかで出せるんじゃないの。冬コミでも古克や素人が新刊出してたりしたし。まあ、それが続くかどうかは、あの特有の人間関係に馴染むことができるかどうかにかかっているが。

2008-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20081226013814

はてなで活躍してる3人

有村悠(ありむらゆう)98年度入会

入会当初はお茶会期待の星であったが、8年経った今ではニート非モテメンヘルと3拍子揃った白色矮星と化した。人生矯正するためにインドへ送り込む計画が有志によって進められているが、ヘタレなので逃げ回っている。一応、文才・画才両方兼ね備えた器用な人ではあるのだけど。かつては純文学日本SF守備範囲だったが、現在は無軌道ラノベを買い漁って読み漁り、会員に罵倒されている。まるで滝本竜彦小説主人公、あるいは滝本竜彦本人(ただし昔の)のようなダメ人間

夏葉薫(なつばかおる)99年度入会

当会に数年ぶりに現れたまともなSF読み。山田正紀とかエリスンとか、SFファンとしては正統的な趣味をしているのにもかかわらず、口走る言葉エログロばかりなのは一体どうしてなのか? セックスバイオレンス主義を貫く一方、S─neryとか大塚英志とか白倉由美とかに対して屈折した愛情を抱き、「俺は桑島法子だ」と常日頃から公言している変態。むしろ中身より外見が桑島法子だったら良かったのに。白倉由美大塚英志離婚させるために大塚英志を寝取る計画を立案中。

転叫院豊(てんきょういんゆたか)98年度入会

 第十七代編集長。ときどき電波でも食らったように、現代思想あやしい用語を用いてアニメやらノベルゲームやらSFやらを語り始めるが、結構マジメな人なので訊けば丁寧に説明してくれるはず。小説では筒井康隆が好きらしく、ときに「脱走してやるぞ!」とか叫ぶ。好きな思想家海外ではスラヴォイ・ジジェク東浩紀のファンであるようだが、ミーハーとかサブカルとか呼ばれたくはないらしい。鬱キャラの次の時代は統合失調キャラだと信じている。

夏葉の方が有村より若いのか。意外。

2008-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20081222173718

文系には世界史必須過ぎる

古典読むときその時代背景を知らないとめちゃんこ苦労するだろうし

現代思想学ぶ時も、近代批判という意味でやはり近代を学ぶ必要がある。

さらに今自分が抱いてる思想の相対化も期待できる。

(「国という概念」なんてのはその典型)

さらにさらにはそういう「実生活に役立つことを」なんて

高校はいつから「実生活に役立つこと」を身につける場になったんですか?

勉強無駄でいい。無駄勉強だ。効率主義者馬鹿としか思えない。

馬鹿というのは反知的ということ)

(反知的というのは自分が既に知っていると勘違いしてる態度のこと)

2008-12-16

印象

現代思想てすごく俗っぽいと思う。

それはきっと近代の問題を批判する際の「問題」ってものに

俗っぽい価値判断があるからなんじゃないか。

2008-12-14

いじめられる側にも原因がある」

反応を楽しみたくてこういうことをよく口にしたりする。

自分で煽っといてなんだが脊髄反射で起こるのはバカっぽいのでやめた方がいいと思う。

別に「いじめられる側が悪い」とはいっていない。(善悪二元論そのものもバカっぽいのだが)

そもそも「いじめ」は「いじめダメです!絶対!悪いことです!」と念仏のように唱えたって

なくなるもんではないのでは。善悪は関係なしに、いじめ構造にこそ注目すべきじゃないの

現代思想ってそういうもんでしょ?知らないが

2008-12-13

東浩紀講義

http://d.hatena.ne.jp/toled/20081213/p1

はてなダイアリーは書いてないしTwitterは文字数制限あるしで、他に書くとこ思いつかなかったんで増田に書くよ。

本来の受講対象者である(ってあずまん言ってた)「東京工業大学の学部2、3年」です。数少ないらしいですけど。

別に彼のフォロワーではなく、現代思想のこともほとんど知らず、興味本位で取ってみたら話が面白かったので、というくらいの気分で受けています。

一応言っておくけど僕個人の話。

正直言って授業遅らせられるのは結構迷惑だし、

授業の流れ止めてまで活発に質問する権利は学費によって与えられてるもんだと思うし、

来ても数人かなーとか思ってたらドアの前に十数人立ち往生してて正直少し引いたし。

でもこの件でやっちゃいけないことしたのは東浩紀の方な気もするんだよなあ。

blogでは明らかに「こねーのか腰抜けども」とか挑発したりしてるし、

講義中に「僕最近ネットみてないんですけどね」と言いながら半ばムキになって反論してるし。

よそでやれよって思う。

誰に向けてるのかよく分からない感じになっちゃったけど。

トラメガ持って突撃してくるのならそれでもいいんだけど、次回でケリつけてほしいなあってだけです。


(追記)

どうして声を上げない? ってのはヘタレだからとしか言いようが無いんだけど、

あくまで言い訳すると、思想言論の分野は本当に専門外で、

しかも講義室には東さんのフォロワーがたくさんいるとなると少々ビビってしまったのもあります。

ただ、歴史修正主義がどうこうってのもそう連続してやられなければ、聴く話としては面白かったし、

昨日の講義ではもう東さんもその話題についてはあまり言及しなかったんで。

本読むよりも講義聴いた方が楽だし楽しいしそんなマジでやるつもりはないし、くらいの気持ちだったんだけど、

やはり傾倒されてる人からするとこういう態度は浅はかでウザったいのかなあ。

東さん自身の主張には大して興味はないけど、彼の話し方は聴いてて面白いし、

初心者向け、とか言ってたから本当にその程度の気持ちだったのが、

「無関心を恥じよ」とか言われてちょっと凹んだんで。

主張は余談として、あくまで知識を得るってのは悪い行為じゃないと思うんだけどなあ。

まあ理系っぽい考え方、と言われそうな気もするけどw

2008-09-20

http://blog.tatsuru.com/2008/09/18_1006.php

>「どうしてこんな奴が威張っていられるのかわからない奴が威張っている」

いや、それはあなたでしょう。内田樹先生

空いた口が本当に1分は閉じなかった。

現代思想をきちんとわかって教科書を書いているわけでもないし、

その本流になにか学術的貢献が出来ているわけでもない。

まして社会経済についての学問に対しては貢献どころか最低限の知識を学ぶ気すらない。

なんでこんなひとに日本批評の本を書かせたのか。

所詮はいくら日本で名が売れている出版社でも、

文学部学士くらいしか持ってない「低学歴」の編集者かいないからだろうけど。

2008-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20080702182904

現代思想に物事を変革する力なんて存在しないのに、言論していい気になってる奴って本当に多いよね。彼らが意味の分からないカタカナ表現を多用しながら議論している間に、苦しんでいる人は死んでいく。ポストダニズムが云々とかやれ誰がどうだのこうだの言うことに意味があるとはとうてい思えない。

2008-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20080624232415

いや、なんだ、その

増田の言うことはわかるんだ

広義に文学を捉えたら、そりゃ、俺にも面白さはわかる。

現代の「文学」観と言うのには興味が持てる

結局、俺は古い文学青年崩れの連中が嫌いなだけなのだとは思う

ついでに言うと「現代思想」に関しては変に権威付いたものより

ちまたのblogとかで書かれているものの方が好みだ。

変に学者が書くと机上の空論になりがちだからね。

経済学と似たような感覚だ。

しかし、真に「異質な他者・異文化との出会い」や「自分を遥かに超える思想体系との出会い」と言うのが文学で学べるかというと、それはないんじゃないかなと思う。

学べたつもりにはなれるので娯楽としては成立するがね。

「異質な他者・異文化との出会い」に触れる経験なら実際に異文化に触れた方が早い。旅行に行ってもいいし、自分と違う階層の友達を作っても良い。

「自分を遥かに超える思想体系」がどう言ったものを指すのかは微妙だが、知りたいなら数学勉強すればよい。数学以外でも技術や物理でも良い。

芸術」と言う観点から見れば、音楽、絵画、スポーツほどのインパクト精神に与えることも難しい。

学べたつもりでいる文学屋は何人も見たことがあるが、一様に狭量で知識にひどい偏りがある。

現実経験の足り無さを言葉を装飾することでごまかすタイプばかりで、重傷のアニメオタクとの違いはせいぜい女性経験の有無くらいだ。

空想が空想だとわかっているだけにアニメオタクの方がマシとも言える。

それと話しが分散するが

「ことば」の介在するコミュニケーションの領域は全てが「文学フィールド

国語」という教科の意義を疑うなら、これらが全部無意味だということを示してくれるか、あるいはそれを全て外の教科で代替する(たとえば論理的思考力の育成なら英語科の授業内で全て行う、とか、ギリシャ哲学に始まり構造主義と記号論に至るまで全て倫理で教えるとか、メディアリテラシー情報で、日本文化論は日本史の教師が、芸術論は芸術の教師が教える

残念ながら、その全てが出来ていないのが現在国語という科目だ

知は基礎となる「論理的思考力」とそれを他人に広げる「情報伝達」に支えられているが

論理的思考力」は数学の領分で国語科に係わる人々はそれが病的なまでに欠けている。

その為に国語科で教えられる内容はその基礎を欠き、うわっつらの印象だけが空回りし、詭弁が跋扈し、授業は思考停止の場に成り下がっている。

一方、「情報伝達」に関してはまさに国語科が担うべき内容であると考えられるが、現実的にはほとんど教えられていない。

論説文を読んで理解するという所で止まっている。

だから国語の授業はもっぱら「他者に正確に情報伝達」を行う技術の習得に集中した方がよいのではないのかと思う。

これですら、多くの文学屋は他分野の専門家に大きく劣るのが現実ではある。

文学屋の論説文は論説文の体裁を為していない

論説の最中情緒に流され余情な装飾が混じり、語彙力をひけらかしたいのか用語も統一されていない。

概要、前提、議論及び証拠、結論の順で書かないといけないのに

論説文まで起承「転」結で書かれていたりもする。

また、図表記号を用いればよいのにことばのみで表現しようと迂遠な表現になっている。

結果、曖昧で冗長な文章ができあがる。

その上で増田がことばが好きなのだから

一度、BN記法法律論文の書き方を習得してみて欲しい

(すでに習得済みかも知れないし、これらも文学に含めてみても良いかもしれない)

いかに、国語が「情報伝達」が基礎的なところで躓いているかわかると思う

2008-06-24

だから「文学」という概念の捉え方が違うのだぜ

なんか色々同情するな。

星新一宮沢賢治教科書に載っているからOKだったかなw

SFにハマった季節が来たときはそんな空想本ばっかり読んでいないで現実の本を読めと怒られた。

文学は空想だろw

増田の言う通りだよ。文学は空想だ。だからSFも当然文学だ。別に、たとえば”SF界の抒情詩人ブラッドベリや、”哲学者フィリップ・K・ディックだけが文学だと言うんじゃなくて、ハインラインだってアシモフだってJPホーガンだって、あるいはオレが中学時代少しエロい興味で読みふけってたバロウズだって(笑)文学だ。ちなみにオレも小学校のときは推理小説が好きだったし、純文学的なものは高校に入るまでほとんど読んだことが無かったな。高校時代には教師のすすめるままに読み狂った。まあ半分も分からなかったが。

…まあ、気の毒に思うのでもう少しサービスする。

今でも人を疑うのは好きではないが、そんなものは実戦経験で嫌でも身につく

「簡単に信用しない」といったのは「批判的(critial)にとらえて理解する」ということだ。「信用しない(distrust)」だけなら子供でもできるだろ。

と言うかその「高校国語」とやらははむしろ歴史部活の役割であって文学とは関係がないのではないか?

歴史」を学ぶことに文学を学ぶことと同じような効果がありうることは理解するが、それは歴史学本来の目的とは違って、単に歴史を「文学を読むように」読んだ結果ではないのか? また、部活動のような合目的的なある程度等質な人間集団で、真に「異質な他者・異文化との出会い」や「自分を遥かに超える思想体系との出会い」が得られるかどうかは難しいな。音楽系の部活動でなら、たとえば過去の偉大な音楽との出会いなどでいくらかそれに近い体験は可能かもしれないが、誰もが使っている「ことば」を媒介にすれば全体に対して正課の授業時間内でそれができるわけだろう。部活(のそういう効果)に意味があるのなら、より低コストにかつ誰にでも体験可能な形で、国語の授業時間内でそれを行うことにはもっと大きな意義があるんじゃないのか。

それに人を楽しませる文章は文学なのか?

時代小説ラノベ歴史書SFファンタジー推理小説は好きだが文学

少なくとも純文学とは言わないだろう

「純」文学というのは、文学の中のものすごく狭い(それも日本限定の特殊な)ジャンルに過ぎないので、その変な教師に教え込まれた変な定義正直忘れた方がいい。実は、増田の受けた教育の中でもっとも有害なのがその頑なな思いこみだと思う。俗に、教え込まれた「内容」よりも自然と学び取る「根本姿勢」こそ教育本質的価値だというが、増田の場合、まさにその「根本姿勢」の部分でバッチリその変な教師の影響を受けている(だから気の毒に感じるのだが)。

再度言うが、上で書いたとおりSFは当然文学だしラノベだって文学に決まってる(疑うなら、どこの大学文学部文学科の適当研究室電話して、気の済むまで聞いてみても良い、以下の内容も含めて)。大体「純文学」などというジャンル分け自体が、過去歴史上のある特殊な「考え方」に過ぎないというのが、現在の一般の評価。純文学新人賞という主旨のはずの芥川賞にしてからが、最近は(大衆文学新人賞という主旨の)直木賞と見分けがつかん、というより正直受賞作は逆じゃねえのか、と言われるようになって久しい今日この頃。だから、生徒に「純文学こそ文学!」とかそういう価値観押しつけてブンガクばかり論じたがる古い文学青年崩れの困った教師に教わった不幸には同情するが、とりあえずそれは忘れて、現代の「文学」観に目を向けるべき。たとえば、今や現代思想をまともに語れないようでは高等学校現代文教師というのはやってられないのだぜ。

その証拠に、昨今の大学入試の「現代文」というのがどういうものを取り扱っているか。小説(それも純文)なんてほとんど出ない。出るのは大抵現代思想関係で、ざっとキーワードを例示してみると「記号・身体・空間・言語論・メディア情報・文化論・芸術論・経済教育日本論・近代主義・心理学倫理学宗教歴史学国民国家テロ文明の衝突ポスコロ」……etcだ。大抵の国語教科書は、これらのテーマに可能な限り触れるようにしてるし、これ以外のマイナーテーマ(たとえば少数民族問題・沖縄差別風景論・都市論・スポーツ時間論・労働高齢化社会etc)を取り扱ってそれをウリにしようとしてる(さらに言えば、気の利いた会社なら、中学校教科書から生徒が自然とこれらのテーマに触れるように仕組んでいたりする)。教師はそれを意識して、生徒の理解力と相談しつつ、何をどのくらいどういうシステムで学ばせるか考えてる。このへん詳しく知りたければ「教養としての大学受験国語」(石原千秋)でも読んでくれ。さらに、小説の読解についても、「この小説テーマはなんでしょう?」なんて寝言を言って漫然と黒板の前でむにゃむにゃと自説を垂れ流してるようでは商売あがったりで、一行一言に込められた含蓄をあの手この手でどのくらい掘り起こせるか、読む作業の中にセンスオブワンダーを感じさせることができるか、たとえばわずか一つの比喩にどのくらいの意味と力が籠もっているかを解き明かせるか……それだけの文学理論の裏付けと力量が必要になる。これ全部「高校国語現代文)」の仕事なのだな。

それに、「学校国語」で扱える領域なんて、実際に大人が出会う「国語文学」の領域全体の広さに比べれば、庭の池みたいなもんだ。雑誌編集後記だってエロ小説だって新聞記事だって漫画だって、「ことば」の介在するコミュニケーションの領域は全てが「文学フィールドだ。その意味での「文学教育というのは、メディアリテラシー教育であり、社会学であり哲学教育であり、知的好奇心の喚起であり、ひいては大学以降のあらゆる高等教育の基礎を為す重要資質(少なくとも読み書きという点だけを取っても)の育成なわけで、これから「知の大海」に漕ぎ出す生徒にとって国語が必修科目であるのは当然すぎるほど当然なことなのだ。

まあそんなわけで、困った「国語教師」との出会いには重々同情するが、「国語」という教科の意義を疑うなら、これらが全部無意味だということを示してくれるか、あるいはそれを全て外の教科で代替する(たとえば論理的思考力の育成なら英語科の授業内で全て行う、とか、ギリシャ哲学に始まり構造主義と記号論に至るまで全て倫理で教えるとか、メディアリテラシー情報で、日本文化論は日本史の教師が、芸術論は芸術の教師が教える、とかしてくれると、かなり楽だが、多分嫌がられるだろう。なぜなら、これらを教えるための大前提としてあらためて『膨大な本を読まなくてはならない』から。だから結局、これらは国語の教師がやれということになってるのではないかと推測する。そんなわけでこれらの提案は余り現実的ではない。やれやれ。)現実的な対案を示して頂く必要があろうと思う。

どうだろう。増田の言ってるような狭い意味での「ブンガク」授業に価値がないということを否定しているのではない。むしろそこに関しては積極的に同意だ。こちらが言ってるのは、あくまで「国語」というのがもっと広い領域を扱っているということ、だからこそ「国語」を否定するのは間違いで、実際にそれは必要とされているのだ、ということなんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080624192723

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