タイトルのとおりです
うちの猫は家に来てから十数年ずっと太ったことがない全くの標準体形でそれは幸いなんだけれども
猫と暮らす以前に外でたまに接触することのあったまるまるした野良猫たちの感触を思い出しては触りたくてたまらない気持ちに襲われる
そりゃうちの猫がいちばんかわいいに決まってる 決まってははいるのだけれどもそれはそれとして
他のかわいい猫と触れ合いたい、という気持ちもどうしても捨てがたく拭いきれないものなので
他の猫が大嫌いなうちの猫と暮らしているこの十数年理想の太った猫を同じく長い間脳内で飼い続けている
明日にでもまったくの偶然に道端ででもこの理想の太った猫と遭遇しないだろうかとわりと毎日妄想しているが
今のところ叶う気配がないので毎夜SNSに溢れる太った猫たちの写真を眺めてはうちの標準体形の猫を片手で撫でまわしている(かわいい)
女性は現地の白人、アジア人、ミックスいろんな人と仲良くなれて、ワンナイトの恋人とかも人種多様
一方男は、なんかルールでもあんのかというくらいワーホリとか留学に来てる日本人女性としか懇意になれず、その日本人女とワンナイトすらできてなかった
とあるバンドを思春期から追いかけ続けて10年以上になる。言ってしまえば私が音楽好きになるきっかけになったバンドだ。私のこれまでの人生の楽しい時も辛い時もずっと、彼らの曲がそばにあった。もはや人生とアイデンティティの支柱だった。
好きになった当初は世間的にも爆発的な人気を誇っていたが、時間が経つにつれてどんどん一般的な人気は落ち着いていった。所謂「消えた」と言われてしまうような状態。今もそのバンドが好きという話を周りにすると、「懐かしい〜前好きだったな〜」とか、「あのバンドまだ活動してたんだ?」という反応が返ってくる。そんな言葉に「まだ活動を続けてるから!!」と返すことにも慣れた。最近は彼らを「世代の音楽」として聞いてきた人たちがフェスのメイン層になったからか、久々に大きなフェス会場を埋めている様子も見られた。けれど会場が湧くのは過去の曲。今の曲で盛り上がっている人は少ない。今もいい曲を作っているのに。みんなに聴いて良さを分かって欲しいのに。
いつしか、「もう今は人気も落ち着いてきた彼らを支えるためにも追い続けなければ」という気持ちが芽生えていた。
曲だけではなく、メンバー同士が長年仲良くやっている関係性の良さにも惹かれていた。また、あるメンバーの考え方も尊敬していた。その考え方を拠り所にして、学生時代の辛い時期を乗り越えてきた。彼らがインタビューやライブのMCで話す言葉が好きだった。彼らが新しく生み出す音楽を楽しみにして、その曲たちにああだこうだ思うのが楽しかった。昔から好きな曲をたまに聴き返して、やっぱりこの頃の曲はいいなあと懐古したりもした。彼らの曲や表情、振る舞いをライブで観られれば幸せだった。
同時にガチ恋気味のファンや顔ファンを、なんだあれ痛いなあ、と思いながら冷ややかに見ていた。
このバンドをきっかけにネット上で仲良くなった友人もたくさんいる。勿論ライブの際にも何度も会っている。今回のツアーセトリ・演出のどこが良かったとか、それぞれが思う彼らの好きな要素とか、他のおすすめのバンドやアーティストを聞いたりだとか、そんなことを話すのがとても楽しかった。
「それって音楽が好きなんじゃなくて、人としてトータルで好きだから追いかけてる状態だよね?」
一つのきっかけは、奇跡的にできた私の初めての恋人に言われたこの言葉だったかもしれない。「ずっと喪女のまま、好きなものをひたすら追いかけて生きていくんだろうな」と思っていた私の人生観は、恋人ができたことによって大きく揺らいだ。異性から自分に直接反応がある感情を受けとめるなんて初めてだった。それは難しくも楽しくて、一方的に追いかけるだけだった時には知らなかったものだった。
それを言われた時、最初はそんなことない、曲が好きだから追いかけているんだ、と思ったけれど、改めて振り返ると人柄込みでの好きだったのかもしれないと気づいた。よくよく考えてみれば、自分の好みの顔のタイプも一番好きなメンバーが大きな基準になっているようだった。私の彼らに対する好きの想いは、自分が馬鹿にしていたガチ恋や顔ファンに片足突っ込んでいたのかもしれない、と気づいて大きな衝撃を受けた。
先日久しぶりに彼らのワンマンライブに行ったのだが、前よりも『最高に楽しい』という感情が湧かなくなっていた。なんだかマンネリ感すらあった。それは気のせいだと思いたかった。直近に先述の恋人と別れるというショックな出来事があったので、そのストレスで楽しめなかったのだろうと思っていた。別のアーティストのワンマンライブにも行った。『最高に楽しい』と思えた。あれ?おかしいな?こう思えない状態だったんじゃなかったのか?
彼らのライブが楽しくないと感じる日が来るなんて思ってもみなかったのだ。
結果的に、曲が聴きたいというよりも友人たちと会いたい、話したいからライブに行っているだけなんじゃないかとすら思えてきた。けれど今、友人たちとの追いかける熱量の差も感じてしまっている。私が彼らから離れたら、バンドのファンであることがきっかけで繋がれた友人たちとの繋がりさえ無くなってしまう気がしている。
10年以上経って、気づきたくなかったことに気づく機会があまりにも増えてしまった。どうやら彼らに飽きてしまったらしい、というこの事実に向き合いたくない。けれどもう気持ちの上で今の彼らを盲目的に追うことはできないとも思っている。私のアイデンティティの支柱にすらなっていたものなので、すっぱり離れきることもなんだか怖い。
それとも、10年以上同じものが存在していて、追い続けてこられたこと自体が奇跡なのかな。改めて書き出してみるとだいぶ気持ちが重いな。飽きてるなって思いながらしがみつき続けるのが正解なのかな。昔だけが好き、今はそんなに好きじゃないって開き直ればいいのかな。
私はこれからどうすればいいんだろう。
2年分とか用意すんの?
100ギルダーの市場値+20ギルダーのオプション料で買った球根が200ギルダーで売れたら80ギルダーのもうけ←わかる
20ギルダーのオプション料でもうけが100ギルダー←まあそうともいえる
わかりにくくてすまない。
派遣社員というのは、所属する自社があって、そこから別の企業に
人材として派遣される。だからボーナスは派遣元の自社から貰える。
人材派遣会社(学生が登録するような)から便宜上「派遣」されて
基本ボーナスなんてない。(自分の頑張りを人材派遣会社にアピって個別交渉はできるだろうけど)
ニュースとか小町的なトピで、正社員と派遣社員のボーナス対比があるけど、
どちらもボーナスもらってるでしょ?(どちらの会社から貰うかは違うが)
なんで派遣社員≒ボーナス無し みたいな記事が多いの?特に自虐系。
もしかして私の知っている派遣ではなくて、ただのアルバイトが、派遣会社から
ということです。
委任・準委任・成果物請負、役務とかも把握しているつもり。(細かい法律的なところまでは暗記してないけど)
KDDIとSBがファーウェイ製やZTE製の排除にすんなり応じた理由についての要点
こんな感じ