テレ朝の池上彰の番組 中韓の靖国神社批判の原因は中曽根と決め付け、朝日新聞についてはスルー [転載禁止](c)2ch.net [462593891]
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ここの80辺りから
ぱっと見、否定派が優勢だな
「加担している場合」じゃねーよ。
「加担していない人間」を指す用語がない、ということは、全員が加担しているとみなしているということ。
それともお前の頭の中では存在しないことになってるのか?
言うならば、警察が犯罪者を逮捕するとして、「警察は人間を逮捕する」「人間には犯罪を犯していないものがいる」「警察は不当逮捕をしている」と言ってるようなもんなんだよ、おまえの論法は
フェミがやっているのはそういうことだろ。
ここに「犯罪者」という概念があるから、警察は犯罪者だけを逮捕できるけども、フェミが男を区別していない以上、犯罪者とそうでない人間を区別せずに叩いているということになる。
「弱者男性」やそれに類する共有される概念がなかった、という事実は、警察の例でいえば、犯罪者もそうでない人間も区別せずに逮捕していたってことになるんだよ。
今日もまた、あの人とうまく話せなかった。
チャンスを逃してしまった。
私はバカだ。
そして多分、この先一生会えない。
私はただ、その日を待つのか?
一日一日を、きちんと燃やしたい。
燃え尽きて、灰になって
あの人は、どうなんだろう。
私と同じ気持ちではないよね。
でも、あなたに会えて、
私の人生は変わったんだと、
伝えたいんだ。
パパやママで育ってたのに中学くらいからオトンとかオカンになった知り合いがいる。
彼は両親を侮辱している。
パパやママという呼び名を教わったのなら一生それを使い続けるべきだからだ。
元気なうちはさぁ、病気になったら死にたい殺してくれってみんないうんだよなぁ
でも、実際死を前にすると死にたくないっていうんだよ、みんなそう
夜の10時。
冷蔵庫の棚から三ツ矢サイダーと薫るプレミアムモルツと塩辛を手に取りレジへ。
すると洗い物をしている40に近いと思われるオッサン店員がいる。
女子大生にTポイントカードはありますか?と聞かれるのはいいのだが、
オッサンに聞かれると僕の中の虫が疼きだす。
「カードはありません。
それよりあなた、なんでそんな歳になってまでこんなコンビニでバイトしてるんですか?
結婚する前に、深夜のコンビニで働くことになるって想像してました?
貴方の力で結婚をしようと思ったのが間違いじゃないんですか?」
きょとんとするオッサン向けておれは続ける。
「あなたもしかしえて自分の子どもに勉強しろとか努力しろとか言ってませんよね?
そんなことを言っているんだったらあんたは死んだほうがいい。
あなたは自分が勉強も努力もせず今の地位に甘んじていることを恥じるべきなんですよ。
自分が通れなかった道を美化して子どもに伝えることはやめてくださいね。
不相応という言葉を知れ。
住んでいる場所はこの店の近くですか?
もし近所にばれないように遠くに来てるとしても、奥さんの気持ちはまぎらわせませんよ。
自分の人生をあずけた旦那が、高校生やDQNに混じってバイトをしているなんて、奥さんの気持ちを察すると堪えれません。
あなたは自分の人生を恥じて、憎んで、恨んで、早くしんでしまえばいいと思います。」
紅潮しこわばったオッサンの顔。。
「あなたがもしこのまま恥にまみれた人生を送りたくないというのなら、
男でいることを捨てて、これからは生きていって下さい。
レジに跪き、僕の猛々しいファミチキをオッサンの口にぶちこむ。
パーマがかかっている髪を掴み、オッサンの頭を禿しく前後に運動させる。
そのレジに立つ中年の男は抵抗することなく、僕に体を預け、絶望、驚き、安堵、悲しみ、悔恨、苦痛、いろんな感情が入り混じった顔をしている。
僕のファミチキをしゃぶり、これまでの人生を味わい、新しい人生をいきていけオッサン。
オッサンはレジの上の塩辛の封をあけ、僕のファミチキに塩辛を塗ってしゃぶりたいと懇願してきた。
排便が確認できないと、イレウス防止のために下剤を飲まされる。
それはまあ仕方ないと思うよ。
でもこの前、母ちゃんうんこ漏らしてたんだよね。
なんとか隠そうとして、手もうんこまみれだった。
そしたら介護士が母ちゃんに
「よかったねー」
ってさ。
ナースステーションに戻ってからスタッフ同士でうんこ出て良かったねって言ってるならまだ分かる。
でも本人に良かったねはないよ。
母ちゃん全然良かったって思ってないよ。
ぼけててもうんこまみれは辛いと思うよ。
便座でしたかったと思うよ。
うんこ漏らしたことない人は分かんないだろうけど、うんこ漏らすってかなりキツイことだよ。
なんとかならないもんかね。
参加者の人数よりも数の少ない椅子を用意し、合図にあわせてせーので椅子を奪い合うゲームである。椅子に座ることができれば勝ち、あぶれたら負け。勝敗判定もいたってシンプルなこのゲームは、その明解さゆえに、時折、社会の縮図として喩えられることもある。数の限られた椅子、すなわち地位なり権威なりを得ることができた勝者と、それを得られなかった敗者とが対比されるわけである。
ゲームであるからには当然、勝者と敗者とは入れ替わることもある。ルール上は、参加者は全員同格であり、誰にでも勝者になるチャンスはあるかのように思える。
しかし、実用においては、原義の遊戯ですら体力による優劣は絶対的な差として現前し、敗者が勝者を蹴落とすことは難しい。大富豪、(もしくは大貧民)、のような”革命”は起こらない。
争奪戦が生じるのは力が伯仲する下位層においてであり、圧倒的な力を持つ強者たちは安泰の座にあぐらをかくことすらできる。
(何の実証データも無い仮想の空論ではあるが)、10人で8脚の椅子を奪い合う場合、6人程度は大して労せずに椅子を得て、残りの4人で2脚の椅子を奪い合うことになるのではなかろうか。大多数からすれば8/10=80%の可能性で勝てるゲームに見えるかもしれないが、実際に生じる争奪戦は2/4=50%の可能性しかない勝負なのである。強者ならばほぼ確実に勝利を得ることができ、弱者こそが苛烈な生存競争を余儀なくされている。
× × ×
、、、というようなことを、浜口あやめ=サンのドリームLIVEフェスティバルを走りながら感じているのでした。
上位2000位までに報酬が用意されていて、1700位くらいまではどうにか行けるのですが、気を抜くとガクッと2000位以下に転落してしまうという状態です。もちろん1700位以上のランナーさんたちも必死なのは間違いないでしょう。けれども、2000脚の椅子を争っているかに見えても、そのうち1700脚はほぼ予約済みであり、残りの300脚を争っているだけなのではないか、などと考えてしまうと、現実世界は厳しいなあと思いました。
昔の思想が伝えられなくなるだろう。