2015-06-06

椅子取りゲーム

椅子取りゲームという遊戯がある。

参加者の人数よりも数の少ない椅子を用意し、合図にあわせてせーので椅子を奪い合うゲームである椅子に座ることができれば勝ち、あぶれたら負け。勝敗判定もいたってシンプルなこのゲームは、その明解さゆえに、時折、社会の縮図として喩えられることもある。数の限られた椅子、すなわち地位なり権威なりを得ることができた勝者と、それを得られなかった敗者とが対比されるわけである

ゲームであるからには当然、勝者と敗者とは入れ替わることもある。ルール上は、参加者は全員同格であり、誰にでも勝者になるチャンスはあるかのように思える。

しかし、実用においては、原義の遊戯ですら体力による優劣は絶対的な差として現前し、敗者が勝者を蹴落とすことは難しい。大富豪、(もしくは大貧民)、のような”革命”は起こらない。

争奪戦が生じるのは力が伯仲する下位層においてであり、圧倒的な力を持つ強者たちは安泰の座にあぐらをかくことすらできる。

(何の実証データも無い仮想の空論ではあるが)、10人で8脚の椅子を奪い合う場合、6人程度は大して労せずに椅子を得て、残りの4人で2脚の椅子を奪い合うことになるのではなかろうか。大多数からすれば8/10=80%の可能性で勝てるゲームに見えるかもしれないが、実際に生じる争奪戦は2/4=50%の可能性しかない勝負なのである強者ならばほぼ確実に勝利を得ることができ、弱者こそが苛烈生存競争を余儀なくされている。

まさしく社会の縮図である

× × ×

、、、というようなことを、浜口あやめ=サンのドリームLIVEフェスティバルを走りながら感じているのでした。

上位2000位までに報酬が用意されていて、1700位くらいまではどうにか行けるのですが、気を抜くとガクッと2000位以下に転落してしまうという状態です。もちろん1700位以上のランナーさんたちも必死なのは間違いないでしょう。けれども、2000脚の椅子を争っているかに見えても、そのうち1700脚はほぼ予約済みであり、残りの300脚を争っているだけなのではないか、などと考えてしまうと、現実世界は厳しいなあと思いました。

ぐんぐんと溶けていくAPドリンクをただ呆然と眺めていることしかできず、爆死する未来しか視えない。

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