増田もそうだけど
立場によって言うことが両極端になってきてて混乱することが多くなってきた
裕福なエリートは世の中そういう人種ばかりだと思って物を言ってるし、
中間がないというか平均がないというか
普遍的な物の見方や意見するのが難しくなってきてしまっている。
自由主義や自己責任社会は結局一部のめぐまれた人間の欲を増長させただけで
社会的には破滅と混沌と混乱と無秩序と無慈悲と不平等をもたらしてるだけに見えるのは俺だけか?
40は早すぎだけど、80,90まで生きて何がしたいんだ?
それでも新しいことができる能力を保てるならいいけど、何もできないヨボヨボの老人になってまで長生きしたいという気持ちがわからない。
どうしようもない。
普通じゃなく生きるには一生それに耐えるしかないんじゃないかな。
などなど。それぞれのタイプの人間が自分に都合のいい結果になるような形で口出ししてくるので、統一的に理解することも話し合うことも理解されることも不可能。
私は「告白されたから付き合ってみる」というのを数回経験したけど、
だから恋バナにも乗れないし、周囲の理解を得られない感じはわかる。
恋愛感情=友愛+性欲+独占欲なのではないか…となんとなく思うけど、
一人の人間に対して全てを同時に感じたことは無かった。
まず彼氏に対しても友達に対しても、独占欲が沸いたことがない。
独立した人格を独占するだなんておこがましい、なんて話じゃなく、独占することに喜びを感じない。
独占欲を持たれるのは大きな苦痛ではないけど、やや面倒だと感じる。出来ればもたれないほうが良い。
そういうスタンスで居ることを「愛されてない」と言われて、振られたりした。
逆にそれを「楽だ」と言ってもらえて、続いたりもしている。
独占欲の強さには個人差があるので、釣り合っていないと破綻するのかもしれないなという気がする。
数年付き合うことで友愛は蓄積しても、性的には飽きてしまうんだよね。
飽きて、次に性的にハマったのが芸能人や二次元なら何も問題は無いのだけど、
身近な人間に性的にハマってしまうのは、倫理的にまずい気がする。
浮気という行動にうつさなければ罰されることはないけど、心の浮気も褒められたことではないよね。
結婚して長続きさせられる人は、友愛と独占欲が強く、性欲が薄い人なのではないかな。
恋愛感情には色々な欲望がセットになっているし、彼氏彼女の契約にも色々な条件がセットになっているし、
「恋愛感情」を、それ以上分解できないものとして捉えている人とは会話が通じない。
そして、セットをばらばらに解体すると、子供を育てる環境としての家庭というものも解体されてしまうなと思う。
結局、父や母になるためには自分の欲望を犠牲にしなければならないのだろうなあと感じる。
まわりのみんなとキャリアで差がついたり何だりを気にしてるようだけど、まわりのみんなより気持ちいいことして、その結果なんだってのは、まぁ言及してはいけないんだろうなぁ。
あと、国立大ならわざわざ国公立大って書く必要ないと思うから県立大とか府立大・都立大かな。
実際世の中には、どちらかを天秤にかけるでもなく、どちらとも当たり前のように手に入れてる人もいるから、人と比べることはあまり意味無いよね。
他人が結婚してるかどうかなんて興味ないよ。
そんな無駄なこと考える暇なんて1秒もない。
子どものいない人たちが年老いて、
ふと思うくらいだよ。
多くの人はぜんぜん興味ないと思うんだが。
今まで握手券などのドーピング手法を使ってヒットチャートを掻きまわし、日本の音楽業界を死においやったことへの天罰が下ったのだ!
しかも今日卒業式が予定されていた大島優子は、紅白歌合戦で自らの卒業宣言を行い、場を私物化した張本人。罰を受けて当然である。
しかも観客が会場に到着してから中止を発表するという体たらく。
運営は今日来るはずだったお客さんのチケットを払い戻すだけでなく、宿泊費・交通費その他もろもろを全て負担しろ!
と言ってみるテスト。
いや、そのおばさん出す時点であんたの存在が一気にどうでも良くなるよ。。。
いや、それらの人を馬鹿にして気持ちよくなりつつ、
さらに馬鹿な意識の高い情報収集者、商売屋に向けて詭弁でマーケットコンサル出来てさらに気持ち良くなれるという、
ダブルミーニングかもしれんぞ。
いや、あからさまに言えないでしょw
昔2年くらい引きこもってた時、2chのニュー速+に入り浸ってた。
何らかの感想を持つと思うんだけど、ある時期を境に
「みんなの反応を見ないと、今思い浮かんだ感想を感想として形作れない」状態に陥った。
最初は、自分と同意見が書き込まれていたら安心するだけだったけど、
スレをざーっと読んだ後に同じ意見が多かった時だけもやを消す感じ。
何度思い出しても、あれは何かの病気だったんじゃないかと思う。
ああ、相容れない。
さきほど、セブンイレブンに大好きな
店内に入り、雑誌コーナーを斜め見ながら、
不定期に読んでいる雑誌が目に入った。
白バックにゴシック体で、
の文字。
さらに、左下に細かく、
「そんな究極の問いかけに老若男女200名の方が今現在の思うところを答えてくださいました。」
この質問が究極なのか。
「人は何のために生きるのか」を“究極”だという感性に特に相容れなさを感じた。
人は何のために生きるのだろうか。
人は他者からほめられて自己愛を満たすため以外に生きることができるのだろうか。
「NO!!」には、
小中高校生、専門学生、大学生、社会人がそれぞれカテゴリー分けされて掲載されていた。
その掲載されていもの中には、どれひとつとして、「ほめられる」「自己愛」という言葉がなかった。
やはり、「人の役に立つため」が多かった。
中には、社会人の人で恥爆弾みたいな答えを書いている人がいた。
これには、「あざーす」と思いながら、笑わせてもらった。
一番残念だったのは、「NO!!」編集部なりの答えなり、
答えにつながるヒントなりを提示しなかったことだ。
そういうことを「NO!!」に期待してしまった、
はてな界隈には、頭が良く高学歴で「イシキタカイヒト」が多いと聞く。
みなさんのご高説を賜りたい。
「人は何のために生きるのか?」