小学校6年のころ、すぐに怒るヒステリックな女の先生が居た。クソガキだった僕らはいつも怒られていたので、休み時間や放課後になると、マジでヒス子死ねよとか、あんなんだからいくつになっても結婚できないんだとか言いたい放題言っていた。そして、それをネタに笑い合い、昼に怒られたのを少しスッキリさせていた。その先生は翌年、療養休暇に入られた。
中学校のころ、帰国子女で空気の読めない同級生がいた。彼は猛烈にうざくムカついた。あいもかわらずクソガキだった僕らは、ウザいので皆でハブにしたり、からかったりした。仲間の一人が、日本人のコミュニケーション教えてやるみたいなことを言い始めてからイジメは酷くなった。僕らは黒い正義で彼を教育した。彼は2年の途中で転校した。
社会人5年目の時、新卒が自分の下についた。全く仕事ができない上に、著しくモチベーションが低かった。正直、仕事を舐めてると思った。僕はそのことを同僚と愚痴り、仲の良い上司に愚痴り、多少の無茶ぶりされなければ人は育たないという持論の元、彼を教育した。彼は9ヶ月で身体の調子を悪くし退職した。
ムカつきモチベーションを軸に正義の行動したとき人は人を壊してしまえる化物になる。歪な正義のなのもとに、僕は間接的、直接的に何人の人生を狂わせたか解らない。ムカついていることを表明するのは甘美な誘惑だ。リアルなコミュニケーションでやれば同じ黒い正義を持つ仲間からは賞賛され、ネットで吐きつければ、文章力が無くとも簡単に多くの黒い賛同者が得られ、承認欲求が満たされる。とりわけ反撃を受けない有利なポジションからなら、ノーリスクで爽快感を得られる。
「お前は正しい」「よく代弁してくれた」と言われたいがために、誰かを追い詰めてないだろうか?ムカつくという凄く卑小な理由を勝手に「正義」に置き換えて人の心を再起不能までえぐりこんでないだろうか?
グローバル競争に負け続けるダメ企業の中でコミュニケーションを取るには、
いやだいやだいやだいやだいやだ
なんでこんなにつらいのつらいの
にんげんはたらくために生きるの
いやだつらいよたすけてよだれか
こんなの毎週毎週毎週毎週いつも
毎週毎週こんなのが繰り返される
とかもう本当に本当に耐えがたい
僕の周辺ではゼロとみなしてもよいぐらいの確率だがゼロではないことを挙げる笑いというのは比較的ポピュラーなのだが、
文化圏が違うようだね
仕事におけるコミュニケーション能力と会話におけるコミュニケーション能力は別物
http://wadap.hatenablog.com/entry/2014/03/16/130323
この人のようにアジェンダ、ファシリテートなんて言葉を使いたがる人のことを
揶揄してコミュニケーション能力が欠如しているって言われてるんだと思う
議題、活性化でいいじゃん
いわゆるコミュ力ってのは意思疎通する力なんだから会議も会話も同じなんだよ
「アジェンダって言葉を知らない人がいるかもしれないから議題と書いたほうがいいのではないか?」
これがコミュニケーション能力
酒席で、他の人がいわゆる「道場の師範」クラスの人物に「なんだかいつも同じことばかり言われてすみません」と恐縮して謝っている場面に出くわした。
それに対し、師範の人は「いやいや全然気にしなくていいですよ」と返し、その理由を教えてくれた。
「同じことを何度も言わせる」というのは、指導者による、教わる側への不当な非難に他ならない。
だって何か欠点を直すのに、すぐ直ることは決して多くないし、人によっては年単位で時間がかかるかもしれないのに。
そこに来て、教わる方を「同じことを何度も言わせる」と非難するのは、心の中で思うだけでもダメ。
人は好意を持つ相手のアドバイスしか聞けないようにできている。
なので、不当な非難やそれを匂わせる態度あるいは表情によって、教わる方が指導者を嫌ってしまう結果になったら、もうそれでおしまい。
教わる方から嫌われない言動を心がけるのは指導者の基本である。
「まあ、こんなことはこういう席で求められでもしない限り、わざわざ言うことじゃないんですけどね」と飄々と仰っていた。
ちなみに別の習い事でお世話になっている先生も「1人どころか、教えている相手全員に同じことを言うケースも多々あるし、これが授業だったら毎年同じことを言うのが仕事ですから」と言っていた。
教えるというのはこういうことなのか。
だとしたらそれ1つ取っても、どんなジャンルでも、いわゆる教授職は無茶苦茶ストレス溜まりそうな仕事だ・・・と恐れ入ってしまう。
答えは作者本人しかわからないのに断定的に語ってる場面が多くて声出して笑った
今回のSTAP細胞事件と佐村河内騒動の共通点は、一般人にはよくわからない分野である、ということだ。
それをマスコミが前者では30歳の一見どこにでもいる女性が成し遂げた偉業、日本すごい、リケジョすごいと囃し立てた。
後者では耳の聞こえない作曲家がこんな凄い曲を書いた。現代のベートーベン、奇跡の作曲家だ、と喧伝した結果である。
結局、マスコミは一般人と同じで何がすごいか、わかっていないのだ。先端科学は勿論、クラシックに関心なんてない。
実際のところ、中身なんてどうだっていいのだ。
彼らは大半の一般人はバカであり、ミーハーであり、新しいものが大好きだ、と思っている。
これは別に今回に限ったことではなく、森口ips細胞騒動のときは嘘を鵜呑みにし
日本人がノーベル賞をとれば『すごい、すごい』とよくわからないのに騒ぐ。
いいかげん、マスコミを見限るべきだと思う。
iPS細胞とSTAP細胞、登場時の世間の扱いには明らかな違いがあった。
確かにiPSの時のようにSTAPを純粋に褒め称えるニュースもあったが何割かのニュースでは「リケジョ」だの「割烹着」だのにスポットを当てていた。
そして今SAPTにわずかな陰りがさしたタイミングをまさに見計らい「夢見がちな理系女子が突っ走った論文を出してしまった」という雰囲気を作ろうとしている者達がいる。
余りにもできすぎた展開である。最初からこうなる事を見越していたかのようではないか。
その者達とは誰なのか……勿論!iPS細胞に多くの期待をかけそれ故に引くに引けない所まで来てしまった者達だ!
彼らにとってのSTAP細胞はHDDVDに対するブルーレイも同じ、絶対に潰さなければならない存在なのだ。自分たちが投じた資金、名声、それらを回収するためにも。
故に彼らは報道やネット世論を影で操り(これはむろん暴力や金の力を使ってのものだろう)、STAP細胞を潰そうとしてるのだ!
何て見苦しいのだろうか!これはまさにヤクザの手口だ!こんな悪辣な行い非道が許されていいのだろうか!
諸君、我々はこの悪事を裏で操っている者達、iPS細胞勢力の中に潜む悪党どもを打ち倒さなければならない!健全な学問・技術発展のためにも!
こういうのは病気の一種だと思う
Wikipediaのどの辺りを見てくれたかわからないけど、場面場面で色んな捉え方、使われ方があるから固定観念に囚われるなと言うのがWikipediaを出した意図です
どうもこうも、単なる日の丸の亜種だろ。