見たことなくても描けるんじゃない?
もしもロリ系エロマンガ家が違法な児童ポルノ持っていたなら有罪だろう。
当たり前だ。
けれども、何を参考にしているかなんて踏み込んで調べ上げるわけにいかない。
児童ポルノを参考にしてマンガを描くかもしれないから、マンガも規制しよう。
おかしいだろうが。
http://anond.hatelabo.jp/20130528133141
世の中には色々な考え方があるのに、立場や状況によってモノの見方が変わることを理解できない原因が想像力の欠如にあるというのは、そうだと思います。でも読書をしないと想像力が欠如するというのは、違うんじゃないかなー。読書ばかりしてる人は、それはそれで想像力が欠如するんじゃないかなー。この方の書いた記事を読んで、そう思いました。
この記事を書いた方は、「時間を消費した代わりに、現実世界で役立つ知識が得られないと、意味がない」という考えが根底にあるように感じます。そして、現実世界で役立つ知識を得るには、読書が最も効率良いと考えてるのではないでしょうか。
実際に体験せずとも、いつでもどこでも知識を得られるというのは読書の良い点ですし、効率が良いとも思います。でも本以外にも、テレビやラジオ、映画、インターネット、その他のメディアも、充分に効率が良いんじゃないですかね。また読書では得がたい、実体験から会得できるような知識もたくさんあるんじゃないですか。それに、何らかの体験から得られるものは知識以外にも、富とか名誉とか、その他の何かとか、それらにも価値がありますよね。
実際には体験せず、擬似体験で知識を得ることもできます。私はビデオゲームが大好きなんですが、ビデオゲームにはそういう可能性があるように思ってます。わかりやすい例だと、シリアスゲームと呼ばれてるようなやつですね。『シムシティ』とか、そういう可能性を感じます。
ところで近ごろ私は、『銃・病原菌・鉄』の文庫版が出てたので再読してるんですけど、いやー、面白い。この本を読んでると、『シヴィライゼーション』というビデオゲームは実にうまく人類史をデフォルメしてるなあと思えてきます。
「肥沃三日月地帯とかズルくね? メソポタミアの連中はチートだろ、チート。最初に建てた都市の周りに、小麦と牛と馬と豚と羊と、全部あるじゃねえか。ワシの周囲にはトウモロコシしかありゃしねえ!」(インカ帝国のワイナ・カパックさん談)
読書以外で価値観の壁を超える方法が理解できないという点で、えらく狭量な方だなあと思いました。この方が書いてるのは結局、「趣味が合わないと話ができない。自分の趣味に合わせてみんな本を読め」ということじゃないですかね。
ゲームも新興宗教も、それ自体はコミュニケーションの妨げにはならないはず。コミュニケーションの妨げになるのは、自分の見える範囲しか見ず、それを絶対だと根拠なく信じこもうとする心持ちじゃないでしょうか。定番の決まり文句を言うと、書を捨てよ、町へ出ようってことですかね。そしてビデオゲームを買って家に帰ろう。今なら、『真・女神転生IV』が面白いらしいですよ。
俺はすね毛でそれをよくやってる
できない。印刷屋の需要が減ったら、印鑑屋が不要になったら、他に何もできないならコンビニのバイトに転落してもらうしかない。
なんか君かわいそうな人間だねえ
ああ、そういう意味でのサクサクね。うーん、個人的には難しいなぁ(^^;
どうしても、集英社のSF系漫画と言うと「銃夢」の影がチラつくし、それに乗っかる形で出て来たウルトラジャンプが頭に浮かんでしまって(要するに講談社のアフタヌーンの劣化版w)、読むのを邪魔しちゃうんだよね。
まぁ、難しく考えなければ単なるバトル系漫画であって、ある意味でジャンプらしい作品だとは思うんだけどね。
じゃあしっかりしたSF漫画ってなんだよ!となるかもしれないが、私は太田垣康男『ムーンライトマイル』あたりのイメージで語っています
そのイメージは間違っていないw
142 ソーゾー君 [] 2013/03/12(火) 13:13:40 ID:ZKE47SxE Be:
選挙区に民主党も小沢党も無かったら自民党、公明以外糞泡沫政党でOK。
だけどこれは選挙前の支持率改竄を徹底的に叩き論破しまくって偽世論を形成させる事を阻止しなければ無理。
マスコミは当然だがマスコミの自民党支持率をベースにしているネット支持率信用せずに
洗脳が成功し偽世論形成が出来たら不正選挙を行いマスコミとネットの支持率に合わせて選挙結果を発表する。
「投票がメインではないと言うことです。」
予めガンガン流して洗脳したマスコミとネットの支持率に会わせるだけ。」
こちらが世論形成をしたら良い。
陰謀論者=反陰謀論者=マスコミ=行政府=司法の支持率に惑わされるなよ?
小沢党等の泡沫政党のネット支持率と選挙結果の開きを騒いでいるが
民主党の支持率がマスコミとネットで極端に低く改竄されている。
雑談 2
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1360877904/l50
一体彼(とする)の問題点はなんだろうか。
まずひとつ挙げてみたいのは彼の問題提起そのものに問題があるのではないだろうか、ということだ。
彼の問題の見方は常に一貫しているようにみえる。
「最近ネットを見ていると、批判されている人は本を読む人。批判している人は、本を読まないバカ。そんな構図が多いような気がします。」
http://anond.hatelabo.jp/20130528133141
構図を気にしている。
「私は課金ゲームにはまるような人を見下しています。正直言って、頭の中がお花畑でいらっしゃるのかと疑いたくなる。」
http://anond.hatelabo.jp/20130529095125
こういう人がいるだろうという仮定。
「新興宗教にハマる人って、絶対にモノの見方が1つじゃないってことを理解していないですよね。」
http://anond.hatelabo.jp/20130529131215
同上。
http://anond.hatelabo.jp/20130529180618
同上。
自分とは違う人がいるという認識宣言、同質な人びとと異質な人びととの対立構造宣言、異質な人びとへの価値観の違いの認知宣言。
思うにすべて宣言になっていないだろうか。もちろんそのように宣言することは重要であるし、ここはブログを書くところであって学術的でなくても全く問題はない。なんの根拠もなくても、個人的な感性でもって記事にすることは、同様のことを不特定多数の人間が執り行うことによってより普遍的な議論ができるようになるために意味がある。
もしこの記事だけに視点を集中させて意味を見出すのだとすれば、これが価値観の違いを認めたことにはならないということではないだろうか。価値観を認めるとはなんだろうか。僕もここで自分の考えを挙げたいと思う。それは「尊敬」とか「敬意」ではないだろうか。この僕の考え方からしたら彼の議論ではそもそもタイトルから認めるという動作は不可能であるように思える。すべて「見下している」という言葉が含まれているからだ。
なぜ価値観を認めるという動作に尊敬や敬意が必要なのか。それは価値観という言葉の意味に理由が含まれている。
大辞林によると
かちかん ―くわん 3 2 【価値観】
いかなる物事に価値を認めるかという個人個人の評価的判断を認めるためにはどうすればよいのだろうか。もし敬意を払わず見下した態度で判断を認めたとするとどうなるのだろうか。相手の態度に「はいはい、分かった分かった、お前はこういうやつで自分とはちがうのね」といちいち承認を与えてゆく。なぜならば価値観とは個人個人の評価的判断であり、一定の傾向があるとはいえそれぞれ異なるものであり、さらに自分とは異質であればあるほどその個々人の異質性それぞれに敏感に反応しなければならない。そうした態度による反応は他者という異質性を持つ人間を分散させ微妙に敵化させてゆく。もちろん認知者自身は認めていると発言するので完全な敵となることはないが、見下しているために味方にもならない。さらに見下すというより排他的な立ち位置は他者をより敵化させているようにも見える。尊敬のない見下した認知、認めは他者を微妙に敵とさせてゆくのではないだろうか。よって価値観の相違を認めたというよりも、そう言うことによって微妙に他者を敵としているのではないだろうか。そしてそうした態度はいちいち反応しなければならないという意味で割りとコストの高い行為なのではないだろうか。が、しかし全くの無関心よりも物事を進めているようにも見える。
しかし尊敬や敬意ばかりがあってもどうしようもない。自分の他者を認めたくない感情を「尊敬や敬意をもって認めよ」と言われた所で扱うことができない。じつはこの問題はヘイトスピーチ問題と結構絡んでいるようにもイメージしている。ある人はあなたのようにこの認めたくない感情を発言したい人は絶対に出てくるという人もいる。もちろんその発言内容が過激であるかないかは大きな問題だが、程度の差はあれ構造は変わらない。またより過激にならないでくれと街頭モニターで呼びかけた人も確かいた。ここで言いたいことは以上の記事作成者のように自分が認められない人に対して何事にせよ言いたいことがあって言っている人とどのように付き合ってゆくか、ということにも内容によって色々やり方はあるし、さらにもし批判者らが多様性を認めるのであればそういうことすら考えなければいけないはずである。はたして以上の記事作成者に「多様性を認めることができていない」と突き放して言ってしまうこと自体に多様性を認めた精神性が含まれているのだろうか。
亡霊が見える。
彼氏いない歴=年齢を4半世紀以上過ぎて初めて彼氏というものができた。
1年半を一緒に過ごして最終的に別れる事になった。
仕事でへこんだときには、話を聞いて頭をぽんぽんとしてくれたこと。
思い出されるのは名前でよびあっていたときの懐かしい音の響き。
2〜4ヶ月目はは一人の時間が楽しくなって、忘れられた。
別れて半年が経って、無性に寂しくて、亡霊をみるようになった。
彼のあったかかった、素敵な思い出ばかり。
ふとした時、彼の感覚がよみがえってくる。
別れを切り出したのにはちゃんと理由もあったし、
長く一緒に過ごしていくには相性が悪かったのだとおもう。
今から戻れたとしても、結局うまくゆかないだろうというのも変わらない。
でも、そんな頭とは別に、亡霊にしばられて、とても寂しい。
みんなどうやってやりすごしているのかな。
こんな年になって、初めてちゃんと恋して別れて、
この亡霊をどんなふうに扱ったらいいのか、わからない。
テラフォーマーズはSF風味といった感じであれを真面目にSFと捉えるとややこしくなってしまうと思う。
(じゃあしっかりしたSF漫画ってなんだよ!となるかもしれないが、私は太田垣康男『ムーンライトマイル』あたりのイメージで語っています)
テラフォーマーズは近未来、火星を舞台にしているけど、その要はかっこいい・熱い(とされる)戦闘描写とナレーション、およびかつての虫取り男子を興奮させる昆虫解説描写にあると感じる。
こうしたあたり立ち読みや中華料理屋で何も考えなくても読めてしまう漫画だということで、「サクサク」読めるという表現になったわけだ。
指摘の通りSFとしてはあまりにも稚拙で何かが足りない、あるいはどこかで見たような仕組みだ。テラフォーマーズはSFの豊潤な諸作品の世界と照らせば本当に浅薄なんだろう。詳しい人が見れば「今更なんだこれ」な要素も多々あるのだろう。
だがこのことは逆に、テラフォーマーズが軽妙で単純なわかりやすいものとして人口に膾炙しうる可能性を持っている証左なのではないだろうか。
初めの投稿の話題にちょっと戻るけど、こういう漫画も(初心者に帰って、ではないけれども)楽しめたほうが断然良い、というのが私の考えです。
ややこしく考えすぎ。それで飯を食える人間が一流。それだけ。