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はてなキーワード: 睡眠薬とは

2012-01-07

正直小学生の頃から自分のこといらない子って思ってきたから今更その認識を覆すのは無理なんじゃないかと思う

就職できなくてウジウジしながらだらだらどうでもいいバイト続けて、親には嫌な顔されて生きてる意味あんの

この先挽回できる機会もないように思うし、もう疲れて頑張る気力も湧いてこない

華々しく進展していく友人たちに会うのが辛い。でも寂しい。とにかく自分が恥ずかしい。

つらい。悲しい。死にたい。静かに消えてなくなりたい。

気がつくと死ぬことを考えている。今の季節なら睡眠薬飲んで外で寝てれば朝にはめでたく冷たくなってるんじゃないのか…

でも実際にやるには踏ん切りがつかない。意気地なし。どこまでも中途半端

何もかも億劫で、あらゆるやらなければならないことも全くやる気が起きない

もっと好きなことに打ち込みたい、好きなことを仕事にしたい

でもそこまでの実力がないと思ってしまう、自分に自信がない

誰にも望まれていないのにどうして生きているのだろうと思う

私が死んで悲しんでくれるひとはきっといるとは思う

いるとは思うが、それが長く続くものとは思わない

悲しんでも、飲みの席とかでああそんな子いたねえという話で時々話題にのぼり、やがて誰も思い出さなくなる、その程度の人間

そもそも話題にもならないかもしれない。

友人たちにとって、私は取るに足らない存在だろうと思う

個人で誘おうとは思わない、いてもいなくても特に差し支えない存在

私は一番に好きでも、私のことが一番に好きという人はどこにもいないと思う

順位なんてくだらないと思うけど、何か大切な事があれば私のことなどすぐに忘れてしまう。それぐらいの順位。

そんなことばかり考えていたくないのに常に考えてしま

そういうことを口にしているから人も離れていくのはわかっているのに

もうみんな、私に好かれるぐらいなら野良犬に噛まれたほうがマシと思ってそう

悩みなんて打ち明けたらきっと「さして仲良くもない私に言うなんて迷惑」とか、「そんなに悩み言える友達いないんだかわいそう」とか思われるんだろうな

くだらない。馬鹿みたい。こんな事ばかり考えているかダメなんだろう

生きているのがつらい

2011-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20111125163159

読みました。

質問なんですけど、

最も楽に死ね方法って何ですかね?

個人的には練炭睡眠薬がいいかなって思ってるんです・・・

2011-10-16

カオスラウンジ騒動のその後

結局どうなったのか?という一番知りたいだろう疑問に先に答えておくと、特にどうもなってない。

偽札問題

破滅ラウンジ会場において、四日市の財布を窃盗して中身を偽札に摩り替えた人物がDJパターサンであるという情報半年近く前から流れていた。事件当日四日市渋谷署に財布の紛失として届け出たが、財布が偽札になって戻ってきた際に紛失届けを取り下げ、警察も事態を大きく捉えず、悪質なイタズラとして処理してしまう。

真相を把握している破滅ラウンジ関係者は少なくないと思われるが、身内を庇いあうためか情報を隠匿していること、事件から1年半経ち既に被害者である四日市であっても捜査機関に持ち込むことが難しいだろうことから偽札偽造」についてこれ以上の進展はないと思われる。

偽札販売」については明確な画像の証拠もあり、会場の責任者であるカオスラウンジ破滅クルーに法的な責任が及ぶのではないかと思われたが、偽札に値札を付けて「発売」したものの「販売」の実態がないためこれも進展を望むことは難しいと思われる。

会場の展示物は村上隆に売却されており、展示物の中に偽札が含まれていればこれを「偽札販売」とみなすことができるかもしれない。しかし9/20四日市カオスラウンジ騒動を追いかけるq_4500に匿名情報を寄せたところによれば、破滅ラウンジの展示物の売却は村上隆とモメたまま流れているという噂があるらしい。

キメこな問題

騒動の発端となったキメこなを据えた作品は東浩紀が購入し、現在オフィスに飾っている。

10/15の東浩紀ニコ生にて若干カオスラウンジについて言及があり、その中でオフィスの中に飾る分においては著作権の問題がないことを弁護士に確認したとしている。

その他著作権など侵害問題

騒動になった以降、水掛けや踏み絵photoshop機能を利用しただけの悪事に近い作品は作らなくなったが、梅ラボコラージュによる作風を改めておらず、9/3に新作を発表していた。

事前許可を取るといった方針の転換もせず、著作権者に向けた窓口を作り、権利者以外との対話を閉ざしたことで、騒動を追いかける人たちに油を注いだ。

著作権者の連絡窓口が生まれたことが唯一の進展だが、権利者が動いたという話は今のところない。権利者が通報した結果、作品を取り下げるのか、作品から権利者の作品を取り除くのか、著作権料を支払うのか、権利者と対話し作風を改めるのか、などといったことも分かっていない。

オマケ・カオスラウンジ騒動を追いかけている人が起こした騒動

だいたい同じ人の仕業。

カオスラウンジ悪名があまりオタクカルチャーの間で敵として認識されすぎたため、暴言荒らし正義とみなされるちょっと危険な状態にある気がする。

今ならカオスラウンジメンバー刃物で刺しても英雄扱いされそうな勢い。

2011-09-08

猫の感じ

http://anond.hatelabo.jp/20110908093243を可能な限り段落を再現してエキサイト先生翻訳して頂きました!



長い間、私は暗箱にいます

私が箱の外部で聞いた誰かのコメントによれば、劇薬を含んでいる小さなボトルは、この箱に位置します。ボトルは完全に密閉されますが、ハンマーボトルの近くに配置します。また、彼らは、ハンマーがある時に倒れるだろうと言いました。

いつになるかは「ある時間です?私は知りません。このまさに瞬間に?あるいは遠い将来?恐らく、それは既に来ました(私はそれに関して考えたくありません)。誰もハンマーに影響することができません。独立事象として、それは、見込みで50%倒れるでしょう。見込みはちょうど50%です。ひょっとしたら、ボトルは壊されるかもしれないしあるいはだろう。自分に関して、死者、あるいは、生きている。

私は言わなければなりません、状況はどれくらい恐ろしいですか。

私は、猛烈な憤慨を持たないようにはすることができません。私の人生(私のための最も重要な問題)は、私から完全に離れており、単純な図、FIFTY PERCENTに単独で依存します!あまりに恐ろしい。

さらに、私は、それは完全に不合理であると思います(そして)。私は、ちょうど50%で見込みを維持する多くの方法で束縛されます

視覚。箱は、任意の光から完全に保護されます。それは、ボトル装置を見つけるおよび破壊することから私を回避するためにあります。完全な暗さ。私は完全な暗さにいます。したがって、今、私は、自分アウトラインさえ見ることができません。恐らく、それは奇妙に思えます。暗さは私に私の体自体の存在について疑問を抱かせます

聴覚の知覚。恐らく、私が上に言及した理由から、完全な遮音は使用されます。私は、私自身の音声さえ聞くことができません。私はメカニズムを知りません。まず第1に、私は、何も見ることができないとともに、どのようにそれを調査することができますか。したがって、これは恐らく推測だけです、私の鼓膜はこの箱の中の包囲の前に破損されました、あるいは、ある特別の資料は箱の壁に使用されます

とにかく、光と音の保護であまりによい暗箱では、ちょうど用語が示すように、私の視覚的・聴覚の知覚は死んでいます

たかも一層の確認が必要かのように、私を極度に圧迫する巨大な疲労は私のための別の拘束物です。それらは努力から私を回避するために私にある種類の筋弛緩剤を与えたように見えます。私が同じ姿勢から変わることができないとともに、私の触覚はほとんど麻痺しています

光はありません。音はありません。匂いと味は信頼性が低い。触覚は不調にあります。私は操り人形に似ています。すべての五感は私のコントロールが不足しています。あまり残酷です。完全な拘束物。それらが睡眠薬を与えていた場合、私は望みます。私は、外傷のない苦悩にいると思います。私の生活(私の存在(自体))は完全に無視されます。そのような屈辱は私の正気を維持します。そのような屈辱けができます

自分の生および死をコントロールする権利は完全に奪われます。私はそのような状況を嫌います。私の生活の連続性の中核決定要素は完全に依存します、で、単独で、で、純粋な見込み。誰からでも完全に遠方に、意志があります。私は再びそれを嫌います。私はそれを嫌います!

なぜ私は、そのような箱で囲まれなければなりませんか。そのような途方もない箱では、なぜ私は、そのような完全な拘束物を備えた、生命不安および死にいなければなりませんか。

不合理です残酷です

私は孤独です。私は、中身がなく、水平に感じていますか。すすり泣かないようにすることが困難です?番号私の孤独はるかに深い。私は空間の海でいます。私は一人です。完全に孤独です。孤児として、私はこの無限の暗さに向けられました。私は絶対零度の中で震動しています

この箱に展望はありません。暗さだけがここにあります。私はボトルハンマーを感じることができません。私は壁、底および天井をまた感じることができません。それらはそこにあるに違いありません。しかし、私の五感がすべて奪われます。何もないように、私は感じます。それらのものがいくつかの意味を持っている一方。

正直に話して、私は、箱にいるかどうかそれほど分かりません。私は、私の姿が存在すると確信します。私は考えています。私は空想しています。それは証拠である、私の独自性を示すこと、呼ばれる、自我あるいは意識、あるいは心、固体ですしかし、独自性はありますか、本当に箱で囲まれる?それが別のスペースで浮かんでいることはありえますか。私はそのような疑問を除去することができません。

恐らく、私がここでであるものは、宇宙に結局浮かんでいるか、あるいはマリアナ海溝の底に横になっています。あるいは恐らくキラウエア火山の穴から下降して行くこと。

私には、箱(私を囲んで)がどのようにか知る方法がありません。私の感覚はすべて死んでいます。私は、ここに、箱の内部があるかどうか判断することができません。

私は、本当に生きているように、それに加えて、確かではありません。私には、そんな単純なものを確認する方法がありません。恐らく、50%の見込みは私を越えて既に通過しました。恐らく、私は既に死んでいます。私はまだ、恐らく生きています。浅くて、筋弛緩剤を注入された、呼吸する、弱い心臓の鼓動。あるいはそれらのすべての停止(単に去る肉大型丸薬)。

私は私自身の身体をコントロールする任意の能力を奪われます。誰が私の心が重大な活動を継続する身体に存在すると言うことができますか。五感は完全な暗さで毒されました。それらは感覚器として機能することができません。私は、真実を知る見込みがありません。恐らく、どんな推測も一人で作り上げられます。私を包む状況および自分独自性は恐らくプログラムされた回転プレーのコンポーネントです

私の存在に関して、私は振る舞いを決定することができません。私は、それを認めることを嫌いますしかし、私は変動の最中です

私は、誰かが私を見つけることができたらと思います。私は、誰かが箱を開くことができ私がいかがか言うことができた、らと思い、私がどういう人か決めることができました。私の内側にそうするのに十分な力はありません。私ができるのは孤独の中で震動し続けることです

もし神ならば、私は言うことができるでしょう「そこにさせる、軽い。」私は、それが不可能なことを知っていますしかし、私は、私がそのように言うことができたならばどれくらい素晴らしいだろうか思わざるをえません。

私自身の自由意志!それは、自分を取り巻くすべての変動を固定することができました!

同時に、切望は影を生産します。箱が開かれるなら、私は見つかり観察されましょう。その結果、私の姿は決定されるでしょう。実を言えば、私は決定を心配しているという事実から視線をそらすことができません。

一人で生きているか死んでいるかどうか判断することができませんが、私は死を恐れています。残念ながら、私は死者として決定します。私は受理することができません。まだ、私は感じることができません。私は特定の現象として死を想像することができません。恐らく、そのため、私は死を恐れています

いいえ、それは私に制限されるべきではありません。高潔なキング。致命的な殺害者。規則的な人々。すべての同じ。恐らく、悪い疾病の年上の人々あるいは患者は、十分に真実の死に近いある想像を持つことができました。しかし、それでも、死の特定の経験を知ることができません。

結局、死は圧倒する重要性を備えた最終仕向地です時間意識は絶対的な不可逆性を持っています。死にはさらに変更することができない完全無欠さがあります。それが儀式の通過点あるいは顕著な印象的な出来事でも。

私自身、ここの私の心はそうです、そのときは消えられるだろう、どれ、私がいかがかが決定されます。それらが生ぬるい水(私はその中で温度を感じることができない)から奪う場合、私は、大気に身をさらさないようにはすることができません。

私はそのような不可逆変化を恐れています。それは死の決定に制限されていません。さらに、非常に心配しているので、私は生きていて決定されます

自分現在存在は、無限ポイント上に立っている小さく小さな幻覚に似ています。それほど大きくない。それほど小さくない。それほど長くない。それほど短くない。拡張はありません。収縮はありません。ユニークな単一のポイントで立っていること。それは数学上正確です。私は、自分同一性に関する混乱があるそのようなポイントでとどまるゴーストのようなものです

ポイントは同時(ある位置で既存でない)に座標の飛行機ですべての位置で存在します。ある出来事が生じれば、その瞬間においては、それは、すべての地空(あたかも私の招待がバスから降りるかのように、出来事がその中で生じた)中の単一のポイントに私を集中させるでしょう。関係なしで。ポイントと私がものだったとしても。

幻覚(それはそのようなポイントでとどまった)は、等しい程度に対して、実際で霧のように消されているの可能性を持っています

さて、私はすべての配当通過時間の中で既存です。そして、私はすべての自然を持っています。同時に、私は孤独からそれを受けています、私はすべての自然から離れています。私は、誰かが私を見つけることができることを望みます。同時に、私は非常に心配しています、私はどこにいてそれ、私はその瞬間にいかがでしょうか。

私は原因と結果の法則から解放されました。私は常に永久に決定しません。

2011-09-07

ねこきもち

箱の中がすっかり暗くなってしまってから、もう随分と時間が経ちました。

入れられる以前に小耳に挟んだことなのですが、どうやらこの箱の中には猛毒の入った小瓶が置かれているそうです。小瓶は口を溶接されて密閉状態にあるものの、すぐ側には振り上げられたまま固定された金槌が設置されていて、その金槌とある時間がきた途端に振り下ろされるのだそうです

そのとある時間なる時がいつを指すのか、私には全くわかりません。いまこの瞬間にもその時が来ているのかもしれないし、あるいはもっと先のことだったり、考えたくないことではありますが、もう過ぎてしまったことだったりするのかもしれません。金槌は誰の影響を受けるでもなく、独立した一つの事象として、完全な確率五十パーセントで振り下ろされることになっているのです。小瓶は割れてしまうのかもしれないし、割れないままかもしれない。私は死んでしまうかもしれないし、生きたままいられるのかもしれない。

まったく、とんだ状況の中に押し込めてくれたものです

激しい憤りを覚えずにはいられません。私の生死という何よりもの大事項が、私はもとより誰からの手も離れて、唯一、五十パーセントなどという無機質極まりない確率だけに委ねられているなんて。ほとほと酷いにも程があるのではないのでしょうか。

加えて理不尽まりないことに、この五十パーセントという確率をより厳密なものにするために、箱に入れられた私には様々な枷が与えられたのです

例えば視覚について。小瓶と装置が見つかっては壊されかねないとのことから、箱には完璧な遮光が施されることになりました。完璧な暗闇。暗黒と呼んでも差し支えのない暗さが用意されたのです。よって私には、少し先の様子はもちろんのこと、私自身の輪郭さえ視認することができません。そこに本当に私の身体があるのかどうか、馬鹿げた話ではありますが、疑いすら持ち得てしまえる暗さなのです

また聴覚についても、同様の理由からか、自ら発した声さえ聞きとれない程に徹底した遮断が施されています。どのような原理が働いているのかは不明です。そもそもなにも見えないのですから、確認のしようがありません。ですから以下は推測になりますが、もしかしたらここに入れられる前に鼓膜を破られたのかもしれないし、あるいは箱を形成する外壁に特殊な吸音板が使用されているのかもしれません。

兎にも角にも、防音吸音共に優れすぎた暗い箱の中で、私の視覚聴覚は文字通り死んでしまっているのです

極めつけとばかりに、全身を支配する身じろぎひとつ取れない虚脱感もまた、私に与えられた枷のひとつでした。暴れないようにとの理由から、箱に入れられる際に何かしらの弛緩剤を投薬されたのでしょう。半ば強制的に同じ姿勢のまま横たわらねばならなくなったので、次第に皮膚感覚麻痺していきました。

何も見えないし聞こえない。嗅覚も味覚もあてにならない上に、触覚までも機能不全に陥った。つまるところ私は五感を全て支配されてしまった木偶のような有様を晒しているのです非情まりない状況です。これほどまでに不自由を徹底するくらいなら睡眠薬を投与してくれたらよかったのにと思わずはいられません。一つも外傷を与えられないまま生殺しにされている気分なのです。私という生命存在について、これ以上ないほどに蔑ろにされているという屈辱感が、辛うじて私の精神を狂わせず律してくれているのです

私は、私の生命を、その生き死にを決定する何よりも重大な決定権があからさまに奪われてしまっていることが憎い。生命の存続を決定づける要素というものが、たった一つ、誰から意図から独立した、純粋まりない確率にだけ寄っているという事実が、憎くて憎くて堪らないのです

どうして私はこんな箱の中に入れられなければならなかったのでしょう。こんな馬鹿げた箱の中で、徹底して自由を奪われたまま生死の恐怖に怯えなければならないのでしょう。

こんなに理不尽なことがあっていいのでしょうか。こんなに残酷なことがあっていいのでしょうか。

はいま、とても孤独です。胸にぽっかり穴が開いたとか、むせび泣いてしまうとか、そんな孤独よりももっと深淵にある、一面の虚空とでも言うべき孤独感にやられてしまっているのです。すごくすごく、ものすごくさびしいのです。独りぼっちのまま、永劫の暗黒に投げ出されてしまったものですから絶対零度にも等しい肌寒さに打ち震えることしかできないのです

箱の中からは一切の遠近感が失われています。暗黒だけが広がっていて、どこかにあるはずの小瓶と金槌は当然のごとく、箱の壁も底も天井も全て消えさってしまたかのようです。無論、実際にはそこにあるのでしょう。けれども、ありとあらゆる感覚器が閉ざされ麻痺してしまった私には、当然のようにそこにあるはずの物ども(実際にはそれ自体に何かしらの存在意義が与えられているはずなのに)が、ないも同然になってしまっているのです

正直に告白しましょう。私にはもう、箱の中に私がいるという前提にさえ自信が持てなくなってきています。確かに私というもの存在している。こうして取り留めもないことを考え、あるいは空想している私の自我ないし意識とか精神などと呼ばれている唯一性は確保されている。けれども、その唯一性が本当に箱の中に閉じ込められているのかどうか。本当はもっと違う、どこか異質な空間を漂っているのではないか。疑念を払拭し切ることができないのです

しかしたら、いまこうしてここにある私は、どこか遠く宇宙の果てを漂っているのかもしれませんし、マリアナ海溝の水底に横たわっているのかもしれない。あるいはキラウェア火山の火口からマントルの方向に向かって沈下しているのかもしれません。

私には私自身を覆う箱がどうなっているのか知る術がないし、五感が死んだままではここが箱の中なのかどうか判別がつかないのです

加えて、いまここにある私が本当に生きているのかどうか。そんなことさえも私には確認する方法が与えられていません。ともすれば私は、二分の一の確率をすでに通り過ぎてしまっているのかもしれないのですから。私はもう死んでしまっているのかもしれませんし、運良く生き残っているかもしれません。弛緩剤を打たれた身体で浅い呼吸と僅かな拍動を続けているのかもしれないし、その全てが停止したままだらんと横たわった肉塊になっているのかもしれません。

私は私自身の肉体を自由にできるだけの力を奪われてしまっているのです。私という思考が生命活動を続ける健全な肉体に宿っているなどと、一体誰が認めてくれるのでしょう。完璧な暗闇に毒された五感は、すでに感覚器としての意義を失くしています。私にはもう本当を確かめるだけの機会さえ与えられていないのです。ありとあらゆる想定は、もしかしたら私自身が作り出した捏造なのかもしれない。私を巡る様々な状況や、そもそもの私という唯一性についても、プログラムされたロールプレイにすぎないのかもしれない。

私という存在について、口惜しいことに、ゆらぎの只中にある私には振る舞い方を決めることができないのです

叶うことなら、誰かに私を見つけ出してほしいくらいです。私を閉じ込めた狭い箱をこじ開けて、私がどうなっているのかを観測して、私の有り様を決定して欲しい。私にはもうそれだけの力が残されていませんから。身動きも取れないまま、孤独に身を震わせ続けることしかできないのですから

全能の神であれば、光あれと呟くこともできることでしょう。無茶な願いだと承知のうえですが、そう告げることができたのならどんなによかっただろうと感じずにはいられません。

自身を巡るありとあらゆる不確定なゆらぎを自らの意思で確定できるなんて!

あこがれは、しかし一方で臆病な陰影を生み出すものです。箱が開かれ、私が見つけられて観測され、結果的に私の有り様が決まることについて、嘘偽りなく告白すると、確定されるいまに不安を感じていることから目を逸らすことができなくなるのです

生きているのか死んでいるのかさえも自分自身では確かめようのない私ではありますが、それでもやっぱり死ぬことは怖いのです。死んでいると決定してしまうことが生理的に恐ろしいのです。どうしても受け付けられない。きっとそれは私がまだ具体的な死という現象を体感することも想像することもできていないからなのでしょう。

いいえ、なにも私に限った話ではないのでしょう。人徳有望な仁君名君であっても、極悪非道殺戮者であっても、遍く存在する人畜無害一般人であっても、誰だってそうだろうと思うのです。年老いた人や、病床に伏せる難病患者であるのならば、もしかしたら限りなく近しい想像を働かせることが可能かもしれません。が、それでもやはり具体的な体験については一生不明なままだと思うのです

結局、死とはゆるがせにできない圧倒的な意味を持つ終着点だと思うのです時間というもの、あるいは意識というものが絶対的な不可逆性を有しているように、たとえそれが儀礼的な通過点や他に類を見ない印象深いイベントであったとしても、決して覆すことのできない絶対的な事柄に違いないのです

私は、いまここにある私という思考は、私を巡る様々な有り様が決まった瞬間にここから存在しなくなります。頭までどっぷりと浸かった、熱くも冷たくもない、温度を感じることのできない完璧ぬるま湯を抜かれてしまって、否応なしに外気に触れざるを得なくなってしまからです

そんな取り返しの付かない変化が恐ろしい。死んでいると決定づけられるだけに限らないのです。私にはもう、生きていると決まってしまうことさえ不安不安でたまらないことなのです

きっといまここにある私は、永遠とも感ぜられる点に留まった小さな小さな幻想のようなものなのでしょう。それ以上広がることもなければ縮まることもない、伸びることもなければ短くなることもない。拡散することも閉塞することもない、数学的に正しい唯一一点に留まったまま自己同一性勘違いしてしまった幽霊のような存在なのでしょう。

その点は、座標平面上の至る所に存在し、同時にとある一箇所には存在していないのです一心同体も同然となった私のことなんて気にも留めないで、ある特定の事象が起こった瞬間に、その事象が起こったありとあらゆる時空間の中のたった一つに、まるでバスから降ろすかのようにして私を収束させるのでしょう。

またそんな点に留まってしまった幻は、実物になる可能性も、霞となって消え去る可能性も平等に有している。

はいま、どんな時空間にも存在し、ありとあらゆる性質を有していながら、同時にどんな性質からも見放された孤独に苛まされています。誰かに見つけて欲しいと願う一方で、その時一体私がどこにいるのか、どのような姿になっているのかが不安でならないのです

因果の理から放たれてしまった私は、何時迄経っても不確定なままなのです

2011-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20110407181229

精神病じゃなくても眠れなければ睡眠薬は出るでしょ

2011-04-07

http://anond.hatelabo.jp/20110407001402

ちゃんと寝てください。睡眠薬飲んででも。

心療内科とか、いければ行った方がいいと思う。

ちゃんと眠れるようになってから、がんばるとか、復興とか考えればいい。

2011-03-24

他人に対する攻撃性は

他人に対する攻撃性は、自分に対する攻撃性に変化することがあると

どこかで聞いた

他人を攻撃するのは、自分をなにより攻撃したいか

自分を攻撃するのは、他人をなにより攻撃したいか

抱え切れない筈の葛藤を抱えてしまたか

抱え切れなかった分の葛藤が攻撃性に変わる

零れてしまった分はつまり、自制が出来ない領域で

自分の制御を離れ身体を動かしてしま

認識の仕方でどうこうなるものじゃない

吐き出せば良い問題でもない

薬を飲めば良い事態でもない

その結果暴行だったり自傷だったり

たま殺人であったり自殺だったり




俺は他人が嫌いだ

自分も同じくらい嫌いだ

自分も他人も、消えれば良いと思う

どいつもこいつも、死ねばいいと思ってる

自分の弱さも他人の弱さも

何もかも許せない自分も他人も

何もかも消えれば良いと思ってる

消えたい

死ねるなら何でもした

両親が離婚してる子供自殺率が高いと聞いて喜んだ

母子家庭経済状況が良くない家庭で育った人間自殺率が高いと聞いて嬉しかった

リストカットをする人間自殺率が高いと聞いて手首を切った

男性のほうが自殺率が高いと聞いて期待を持てた

自殺未遂の回数が多いほど自殺率が高いと聞いて何回か首を吊った

計画的な自殺企図する人間は致死率が高いと聞いて念入りに計画した

次は、次はどうすれば良い

何をすれば死ね

どういう立場になれば死ね

大層な御託はどうでも良い

命が大切だとか、周りが迷惑とか悲しむとかはとっくに考えて、価値がないと結論が出てる

必要なのは睡眠薬か、麻薬か、モルヒネ

それとも、殺してくれる誰かか

何でもいい

誰か俺を殺してくれ

だってするから、殺してくれ

2011-03-06

自殺未遂したのも、今となっては良い思い出。

二十歳のとき睡眠薬中途半端に大量に飲んで自殺未遂を起こしたことがある。

『大量に』とは言っても、睡眠薬七錠ほど。ほんとは四十錠ぐらい一気に飲まないと死なないのに。

から本当は死ぬつもりなど無かったのだろう。狂言自殺したかったのだろう。

かまってちゃんだったなぁ。本当に。真性のかまってちゃんだった。

二十時間ぐらい眠っていた。起きると母親が泣きながら自分のほっぺを殴っていた。

「なんでね!なんでね!」僕は結局その時何も思わなかった。


後日、自分自殺するほど家族に追い詰められてたという話をしても

母親は「うるさい!」というだけ。

その時は本当にショックだったけど、同時にあの時が、本当の人生に目覚めた瞬間だったのだと思う。

あぁ、母さんは、僕が死のうがどうなろうが、どうでもいいんだ。



『人は人を救わない。それがたとえ、自分子供だったとしても』

カイジ会長言葉が、あのときほど鮮烈に自分に焼きついたことはなかった。



それからから他責的な傾向は徐々に消えていった。

『人は人を救わない』

そう、人は人を救わない。たとえ家族だとしても。だって自分を救えるのは自分だけ。

から母親が悪い』とか言ってクズになっていくのはやめよう。

そう思いながら生きているうちに、少しずつだけど自立できるようになれた。

そう思うと、自殺未遂経験も、今では良い思い出だと思えるのだ。

2011-01-17

ある男は言った。死は自動的なんだよ、と

去年の11月くらいにに某所で書いたものなのだけど、人の目に当たる事が殆ど無かった。

さっき風呂入ってぼんやりしてたら何となくこれの事を思い出したのでここに投げ込んでみる。

文体がやや気持ち悪いのはその時の精神状態と投下した場所でのキャラこんなだから



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私は所謂メンヘラさんなのですよ。

なんだかんだでもう10年は病んでて最近調子良くなってきたか社会復帰できるかな、と思いきや転落してまたニートもどきな日々を過ごしています。

そんな私がやらかした一番でかいことを書こうと思います。



数年前に某富士の麓に研究所がある自動車会社派遣で行くことがありました。長期という話だったので御殿場の駅前の新築アパート借りてさぁ心機一転がんばるぞー、と働き始めました

ところがこれがまた劣悪な職場な訳で…。

なんとか方式とかいう効率的な職場方針の大本だけあっていろいろと効率的です工場じゃなくて研究所から少しはマシかな、と思っていたらそうでもなかった。



スギスしてるんですよ。空気が。

なんていうか怖い。

なぜかというと効率を求められるから研究に対しての成果を。

期日がタイトなのはデフォルトとして、結果も求められる。失敗は許されない。

実験するんですよ。私は派遣丁稚からプロパー自動車会社正社員)さんにアゴで使われて実験のセッティングをして実験しました。赴任一週間目だったと思います。



失敗しました



や、プロパーさんに「これくらいできるよね?」みたいな感じで早口メモ取る余裕もなくあれこれ一方的に言われて「じゃ、忙しいから後は任せた」みたいな感じでさっさとどっか行っちゃうのです

どうしろと?

実験と言ってもここでの実験は所謂物理学的な実験で私がバックグラウンドに持っている化学実験の知識なんかクソほどに役に立ちません。

でもやらないと、ということで役に立たないメモ記憶を頼りに実験したら見事失敗。

プロパーさん顔面蒼白

部長(昭和の悪しき風習を未だに引きずってる感じのするオヤジ)と面談になってプロパーさんは胃に穴が開いてそうな顔をして

ボーナス査定に響いちゃうじゃないか…」

と呟いていました

で、その部長さん、プロパーさんだけじゃなく私にも面談だと呼び出してきました

実験を失敗させた「戦犯」だしガミガミ言われるのかな…と思いきやこう言ったのですよ。

「オマエ○○にいたんだろ?使えない奴だな。そんなだから半年でクビになるんだよ」

○○というのは栃木埼玉研究所を持つ自動車会社です栃木の方に半年勤めていました。これも派遣なんですけど。

半年でクビになったのは事実です

しかしそれは面倒くさい事に巻き込まれてそれに対して正論言ったらさらに面倒くさいことになってそれにカチンときたので更に言ったらパワハラまがいのこと喰らって、それが元でメンヘラが悪化してノックダウン、派遣元判断で強制退去と言う経緯があります

面倒くさいことがなかったら多分長く続けることができたと思います。職場環境は今まで勤めた中でもずば抜けて良かったですし、今でももし機会があればまたそこで働きたいと思うほどです



話を戻しましょう。

部長はその○○に何か執着があるのかそれ以降ことあるごとにそれを引き合いに出すようになりました。一番酷かったのは私の歓迎会という席で無理矢理酒飲まされそうになって断ったら「だから○○辞めさせられたんだよ!」と曰った事でしょうか。

それが切っ掛けという訳じゃないのですそれから仕事場に行くたびにMP(メンタルポイント)が削られていくのがわかりました実験は相変わらず上手く行かないし新卒の小五月蠅いガキっぽいのがゴミを見るような目で無茶なことやらせたりでMPはどんどん減っていきます



そして…某月某日、MPが尽きました

朝起きても動けない。恐怖と不安で押しつぶされて身動きができない。今でも仕事決まって行こうとするとこの恐怖と不安の発作が出ます。それの始まりでした

三日間全く動けず。

何して何食べてどうやって生きてたかは正直覚えてないです。寝て起きると汗びっしょりでクタクタで、それでもインターネットはやっていたらしいです。どんだけ好きなんだよインターネット



三日目の夜携帯電話が鳴る。相手は派遣元研究所担当の営業さん。

やばいですよー」

「完全にお怒りで…」

明日何が何でも出社でき・・・」

「そうでなければ解雇wldajkfdhafasfa」



思考がシャットダウンされました

セーフモード再起動します....



それから先の電話の内容は全く覚えてない。

覚えているのは薬入れにあった向精神薬,睡眠薬全てを出して、冷蔵庫からスクリュードライバーの缶をだしてビーカーに注いで薬を全部飲んで布団敷いてメモに走り書き的な遺書書いて寝ていた。



…らしい

発見されたときの状況がそうだったらしいのでそうだったのかもしれない。



電話の途中で思考がシャットダウンされた後の記憶は本当に無く、次に気がついたときには病院らしき場所でやたらでかい注射が打たれる瞬間だった。それを見た数秒後また意識が暗転。

次に気がついたときは当時所有してた車の助手席に座っていて、父が車を運転していた。何十年ぶりのマニュアル車しか外車なのに…申し訳ないと思ってまた意識が暗転。

次に気がついたのは実家の目の前。父が「降りろ」と言うので車から降りようとしたら足に全く力が入らず顔面からダイレクトに着地。まぶたが切れて血がどくどく出るわ眼鏡に傷がつくわ背伸びして買ったオサレ服屋のシャツに血がつくわで散々だった。



それから記憶がはっきりするのに一週間以上かかった気がします。



会社はどうなったのかはよくわからいです。

記憶がはっきりしないとき派遣元コンプライアンス部長かいう人が来たらしく、お金沢山あげるからもう金輪際関係はありませんさようならたいな念書を書かされたようです

自動車会社の方は全くわからない。まぁ関わりたくはないです。




こんな感じで有り体に言えば自殺未遂しました

実際体験して思ったことは「死は自動的」であるということ。行うときは本当に無意識自動的に執り行われます

死ぬ死ぬ喚いているうちは死にません。だって死ぬって宣言する時点でリミッターが働いているから。私も死ぬ死ぬ詐欺よくやるから解るけど、実際喚いている時は本当に苦しい。辛い。誰かに(辛さ、苦しみを)わかって欲しい。そうやってレスポンス貰ってようやく自分の中に空いた穴が満たされるのです



少し前にUstream自殺実況して本当に死んじゃったって事件あるけどあれも本当に自分の苦しみをわかって欲しかったんでしょうね。でも場所とオーディエンスが悪かった。

煽られ罵られ貶された末に彼がとった行動は「本当に」死ぬことだった。

自動的ではないのに。何故か?

多分怒りからきた衝動だと思う。そりゃ怒るよ。こっちは真剣に苦しいのに「早く死ね」とかナチュラル匿名掲示板のノリで煽っちゃ。

基本的にメンヘラの人は怒りを自分自信に向ける。自罰的な人が多いって言うのだろうか。この場合だと

死ねなかった」→煽られる→「くそ死ねなかった俺が悪いんだくそくそくそ!」→衝動的に「行動」に移す→運悪く「成功」

怒りで死んじゃったら救われないよ…。

匿名掲示板という特殊環境群集心理というのもあったのかもしれないけれど、あの場にいたオーディエンスは本当に悪質だと思う。正直、IP調べて書き込んだ奴らを自殺示唆で立件してもよかったんじゃないかとすら思っています。



自殺願望者にとって死は救いです。ギャグでも何でもなくて本気で死ぬことによって苦しみから解放されると思っています。

でも基本的に人間っていうのは自死に対してはリミッターが働いてしまう。だから苦しみから解放されず辛くて苦しい時を過ごさざるを得ない。で、その苦しみや辛さを知って欲しいからある人はリスカ写真あげるかもしれないし死ぬ死ぬ詐欺する人もいるかもしれない。

から見れば迷惑この上ないのは重々承知なのですけれど、もし見かけたら生暖かい目で見てくださると幸いです。

2011-01-16

復讐した

僕は数年前に職場で、通勤途中の電車の中で、客との打ち合わせの中で、ありとあらゆる場所で「あいつ」に罵詈雑言を浴びせかけられて鬱になりました

未だに毎日毎日睡眠薬を飲まないと殆ど眠れない毎日です

1か月に1万円近くが治療費で飛んでいきます。もうすぐ7年です

僕がそんな「あいつ」に復讐したいと思っちゃいけませんか。

あいつ」の人生したいと思っちゃいけませんか。

僕は「あいつ」に人生めちゃくちゃにされました

からあいつ」の人生もめちゃくちゃにしてやりたいです

なんで僕だけがこんなに苦しまないといけないのかわかりません。

なんで「あいつ」はのほほんと毎日職場にいるのかがわかりません。

から、「あいつを潰したい」と思っちゃいけませんかね。

2011-01-06

予知夢を見る

信じてもらえないけど、予知夢をみることがある。

内容は、特定銘柄のその日の株価だったり、1週間後に起きる出来事だったり様々

夢遊病たいになって、現実と夢と良くわからない状態で、体中が痒くなる。

表面じゃなくて体の中が痒くなってすごく不快

でも、自分がみたい未来が見れるわけじゃないし

未来を見たところで株価くらいしか利用価値のあるものは無いからすごく迷惑。

予知夢を見た朝は寝覚めもすごく悪いし、眠った気がしない。

医者に行っても睡眠薬しかくれない。

どうしたら治るんだろう。

2011-01-03

7年目の鬱

7年前、僕は鬱になった。

あんまり考えずにはいった某メーカー系の系列SIでSEをやっていたが、2年目にして、屑なプロマネにあたり、仕事をしないこのプロマネと、お客の板挟みにあって、結局僕が全部プロジェクト管理して完成させた。昼間はプロジェクトの進捗会議に一人で出て、親会社10歳も上の人たち相手にやりあって、夜に定時を過ぎてから自分設計して、新人の後輩2人と外注のプログラマ2人で必死に終電までプログラムを書いていた。

仕事をしないプロマネは当然定時で帰り、本社から部長とか、本部長が覗きに来た時だけ仕事をしているようなふりをしていた。

納期間際に新人が「もう出来ない」と言って辞め、外注の上司職場に来て、使えないプロマネと「何やってんだ、あんた!」みたい喧嘩を始めたと思ったら、プロマネは何を思ったか、「いや、仕切っているのはあいつだから」と僕を指差した。僕はその外注上司新人時代に一緒に仕事したことがあって、僕の顔を見るなり「え?」という顔をした後、僕を喫煙所に誘った。僕はまずは謝罪をした後で、事情を説明すると、彼は「わかったよ…あんたんとこの本社へ行くわ」と言って帰っていき、3時間後に本社部長から直接僕の携帯電話があって増員で5年目のSE3人をあてる、と言われた。

ただ、仕切るのはお前だ

部長は続けた。もう、その覚悟は出来ていたし、そのほうが効率がいい。事情を把握していたお客さんもかばってくれたし、増員の先輩たちも色々アドバイスをくれて、最後は僕とその先輩SE2人の3人でお客さんの品質審査会議クリアしてプロジェクトは終わった。丁度GWの前で、僕は1週間ぶっ倒れた後で新人女の子の指導役だけやらせるから、他は何もしなくていいから、という事で本社まったり勤務に復帰した

だけど、僕は1週間後にはもう身体が動かなかった。そしてそのまま1年間休職

そして7年。いまだに睡眠薬向精神薬は手放せない。あの「使えないプロマネ」は今は飛ばされて本社の人事部付で窓際になってる。僕は奴への殺意を押さえつけるのに毎日必死だ。

2010-12-16

何で石原がでかい顔をして青少年有害から規制とか言えるのか解らない

石原小説は実際に青少年有害だった、でも規制はされない。

「完全なる遊戯」って小説のあらすじを調べてみて欲しい

と金を持てあました金持ちボンボン達が白痴女性監禁レイプし友達も連れて来て暴行させ、娼婦として売り払おうとしたが上手くいかず、最後は殺して崖から捨てて「今度の遊びは安く上がったな」

全年齢向け作品である

石原作品はブームになり石原小説に憧れ、作品のように生きようとする太陽族を生み出し、「処刑の部屋」はウィキペディアによると、作品の影響で強姦拉致監禁事件を多発させた。

>19歳の無職少年5人らによって強姦目的女性監禁事件が起こっている。また中学3年生が隣りの家に忍び込んで砂糖壷に睡眠薬を仕込んだことによって、主婦が誤って飲み昏睡状態に陥る事件が起こった[1]。他にも16歳の高校生7人によってカルモチン入りのジュースを飲ませ昏睡状態にさせた強姦事件が起こっている[2][3]。1959年には高校3年生5人が女子高校生5人とコーヒーを飲んでいる時に、隙を見て1人の女生徒コーヒー睡眠薬を入れて飲ませ、近くの旅館に連れ去るという暴行未遂事件が起こっている[4]。

東京都小説を読む人間には判断力があるから暴行などのシーンがあっても影響を受けないよ、漫画より有害はならない大丈夫と判断して、この小説達は有害図書扱いされていない。

「可決は当たり前だ。てめえらが自分子供あんなもの見せられるのかね」

逆に聞きたいあなた自分子供にこんな鬼畜エロ小説を見せられるのか?

2010-11-22

いけませんかね

僕は数年前に職場で、通勤途中の電車の中で、客との打ち合わせの中で、ありとあらゆる場所で「あいつ」に罵詈雑言を浴びせかけられて鬱になりました

未だに毎日毎日睡眠薬を飲まないと殆ど眠れない毎日です。

1か月に1万円近くが治療費で飛んでいきます。もうすぐ7年です。

僕がそんな「あいつ」に復讐したいと思っちゃいけませんか。

あいつ」の人生潰したいと思っちゃいけませんか。

僕は「あいつ」に人生めちゃくちゃにされました

だから「あいつ」の人生もめちゃくちゃにしてやりたいです。

なんで僕だけがこんなに苦しまないといけないのかわかりません。

なんで「あいつ」はのほほんと毎日職場にいるのかがわかりません。

だから、「あいつを潰したい」と思っちゃいけませんかね。

2010-11-11

早く死にたい

27歳、IT系に勤める普通サラリーマン

もう何年も早く死にたいと思っている。

将来に夢も希望も無い。

やりたい事が無い。

本当に欲しいものが無い。

買物をするにはするけど執着は無い。

ゲームもあまりしなくなった。

これと言って趣味も無い。

物事にあまり興味を持てない。

持とうとしない自分が悪いのだけど。

毎日が何時まで続くか分からない消化試合

仕事が手に付かなくなってきたので精神科通い。

面倒なので医者希死念慮は伝えていない。

死にたくて辛いのではない。

死にたいのに死ねないのが辛い。

それでもそこそこ仕事はしてる。

今年こそ睡眠薬貰って凍死するのが一番楽なのだろうか。

頭の中では何度も死んでいるのに行動に移せない。

情けないな。

2010-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20101106234606

お父様の血糖値は安定していますか?

もし糖尿病血糖値不安定だと情緒不安定というか怒りっぽくなったりしてしまうようです。

医学的にはどういう関係かはよく調べてはいないのですが、

糖尿病の父も食事を抜いたり服薬をわすれたりすると家族嫌がらせをしてきます。

ex)TVチャンネルを変えられないとずっと携帯電話の着信を慣らし続ける

ex)タバコの火で網戸に穴をあける

ex)献立が気に入らないといい血糖が急にあがりやすい菓子パンなどまとめ買いしてくる



また、知人の夫(70代)も血糖が高め(糖尿病というほどではない)も

血糖値が安定しないと妻に手をあげてしまったり非常に怒りっぽくなってしまうそうです。

ちなみにこの知人の夫には悪いことをしてしまったとの自覚があり、

医師相談して検査をするとのことでした。



あと、血糖の他に本人の自覚のない睡眠障害(不眠)でイライラすることもあるそうです。

これは私本人の話ですが、やけに疲れやすくミスが多くなり、情緒不安定になり精神科にかかって

安定剤睡眠薬を処方され改善しました。



なので一度内科で血糖の詳しい検査(負荷検査)や日中眠くないかなど問診してもらうといいと思います。

2010-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20101018124731

カメは予め睡眠薬でも盛っておいたんだろ。

2010-09-29

眠れないので

睡眠薬を飲んだ。

が、頭が冴えるので「それなら普段やらないことをしよう」とあれこれ考え始めた。

そういえば母がかつてファンだった著名人テレビ雑誌かで見かけて懐かしく思ったので

(母が今でもファンかは深夜なので電話もできずわからないが)

子ども増田から、その人にファンレターでも出そうかと思う。

その著名人現在も活動はしているようだが現職は引退しており、住所は不明。

マスコミ電話帳なんて深夜に探せないので、その人がかつて務めていた学校

現在名誉教授のような肩書きがついていたと思う)もしくは

著作を出している出版社気付が一番近いかなと思うのだが、どちらがより早く届くだろうか…。

文面書く前に、宛て先で悩んでそのうち眠れるかしらね

2010-09-23

とうとう来たよ。うつ再発。

最初の発病のときは、急に会社に(というか家の外に)出られなくなって、

必死の思いで精神科に駆け込んだら即刻診断書→休職

なんとか復帰して、違う職種でがんばりつつも薬で状態をコントロールできるようになり、

最終的には転勤だの職種転換だのにも対応できるくらいには回復できていた。



今年の4月にまた異動があって、今度の職場は超個人主義

「わからない」が認められない。でもわからないものはわからない。

必死の思いで仕事して、なんとか進捗遅れながらも成果は出していた。



異動のあとしばらくしてから、日中に居眠りするようになってしまった。

同時に、今まで睡眠薬で不眠に対応できていたのにダメになった。

寝付きが悪く眠りが浅いけれど、それは数年間ずっとなので、根本原因ではない。

今の睡眠薬はかなり強い処方で、これで眠れないと次は麻酔しかない程度には

ギリギリまで出してもらっている。それでもダメ



そのうち、気がついたら土日のうち半日が完全休息になり、それが1日、1日半と増えた。

平日も、帰ってごはんとお風呂済ませたら撃沈、朝までうとうと(熟睡はできない)。

病院でも職種転換を持ち出されるようになり、それでもがんばっていたが、

とうとうドクターストップがかかった。

もう休息や気力でカバーできる状態を超えていると。

半ば説得される形で診断書を持ち帰った。



火曜日上司に診断書を提出し、異動の検討約束してもらったが、

「君はうつには見えないんだよね」

「上にうつと報告すると、君の将来にも影響するし」



必死で頑張ってるからそう見えないんだよ!

本当にダメになるときは突然なんだ!前だってそうだったんだ!

将来より今のほうが大事!



たぶん上司の評価が下がるからだよね。職場からメンヘル出すと。(ため息)

でも、前々からキツイ辛いって伝えてはいたし、超意外ではないと思うんだ。

それでもこんな対応なんだ……とがっかりした。

2010-09-19

ニートと規則正しい生活

ニートになってから一ヶ月。朝七時に寝て十三時三十分に起きるという生活を繰り返していた私は、

このままじゃダメだと思い内科へと駆け込む。

睡眠薬を下さい。眠れないんです」私は目の前の医者睡眠薬の処方を請うが、

渡されたのは入眠剤。「とりあえずはこれで」

いやそんな弱い薬じゃ俺寝られませんよ~、とイキってみたが、零時に寝て七時半に起きる。

やばい、めちゃくちゃ規則正しい。そして気持ち良い!

世界が変わる。心地よい風が吹いているような気がした。

ニートが規則正しい生活に喜びを感じるのは罪だろうか。

ネットじゃニートは不健康な生活や鬱の度合いを自慢しあっている。

ニートにとって規則正しい生活は野暮だろうか。

とりあえず私はこの方向で行きたい。

2010-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20100907193802

はいはい

お前死ぬ気ないだろ

睡眠薬飲んでも死なないし手首切っても死なない

自殺まで考える自分自殺に失敗した自分に浸りたいだけか

また明日

2010-08-17

2年勤めた会社を辞めて、1年経った。

別に面白い話じゃない。

25歳、男。

工業高校出て、専門学校行ったけど色々あって、工業高校先生に頼んで就職した。

その会社で割と居心地は良かった。今思い起こすと、だけど。

自分が「使えない子」だったのが悔やまれる。

そもそも働きたくなかったし、会社で何をするのかとかもよく分かってない。

でも、中途採用だったから、研修とかも無かった。

事務所に居るときは、基本的に「仕事は無くても自分で考えて仕事しろ」

上司に何か聞いても「今の君に預けられる仕事は無い。資格かなんかの勉強すれば?」

先輩方は「掃除でもしてれば?」「掃除するなら仕事しろよ」「俺から渡す仕事は無いけど、給料もらってんだから働け」

最終的に自分の机でじっと座って、定時を待つ日々になった。

おはようございます」「お疲れ様でした」しか、会話ないのが何週間とかざらだった。

たまにコピーとか、データ入力とか頼まれて、時間が潰れて嬉しかった。

時間あるんだから、何かすれば良いのに「必要とされてない感」が凄くて自暴自棄になってた。

現場に出ると「何も分からない」

でも、やることがあるのは嬉しくて、結構楽しかった。

分からないことが多くて途方にくれることもあった。

しばらく続いた現場が終わると、事務所に戻ってPCの前に座る。

現場に行ってたときに気になったこととかを、最初の一ヶ月は調べたり勉強したりする。

でも、すぐに朝からPCの前に座って定時を待ってた。

何ヶ月かおきに現場と事務所が続いた。

ずっと現場に行きたかったけど「費用がかかるからダメ」だった。

現場に行ってた方が何倍も良いと思ってた。

呼ばれないのは、たぶん事務所での勤務態度が悪かったせいもあると思う。良くは無いだろうし。

一日中2ch見て帰ったりしてた。

会話は「おはようございます」と「お疲れ様でした」だけ。

ああ、会話じゃないな。挨拶だけだった。

それに、別に現場に行って何かできてるわけじゃなかった。

現場会計的な事もあるから、一概には言えないけど。

自分から積極的に学習できなかった。

昔からやらされる勉強は嫌いだった。

でも、読書は好きだった。

あの頃は、漫画ラノベ自己啓発本ばかり読んでた気がする。

自己啓発を読んでは「明日はがんばろう!」って、出勤して「いつも通り2ch見てた」

それに、居眠りもしてた。

上手く言えないけど「居眠りするつもり無いのに、気がついたら寝てた」ポルナレフ状態。

前の晩寝不足とかそんなレベルじゃない。いつ寝ても変わらない。

寝そうなときは、抵抗することは不可能。

少しすっきりしながらビクっと起きて、何も無かったように仕事を続けた。

午前10時頃や15時頃とかが、多かったから食後だから眠いんだろうとか思ってた。

実際デスクワークで、単調な時くらいだったし。

上司に注意されたときも「ちゃんと寝てるんですが、すみません。気をつけます」としか、言えなかった。

気になって睡眠時無呼吸症候群検査をしたけど、関係なかった。

念のため精神科睡眠薬を貰った。

改善しなかった。

その時貰った一ヶ月分飲んで、その後行かなかった。

しばらくして、少し大きなプロジェクトで、出張になった。

飛行機で移動して、行った事もない地域支店に勤務することになった。

建前は「他の支店からの応援」

実際は「ほとんど素人だけど、出張手当はつく奴」

お酒が飲めなくて、そこまで社交的じゃないから、色々大変だった。

特には、自分とは別の支店からの応援者と寮で同じ部屋になった事。

その応援者と同じ部門、同じ部屋、同じ車で通勤

その人(以下、Aさん)とは、最初にあった日焼肉屋で晩ご飯を食べた。

Aさん曰く

「俺は後輩がふざけたことして、現場仕事バックれたとき、会社まで行ってぶん殴ってやった」

「でも、俺に処分は無かった」「俺は、寮での生活は仲良くやって行きたい」

「少しでも気になったことは、すぐに言ってくれ。俺もそうするから。」

嫌いなビールを飲みながら話を聞いていたが、社会経験の乏しい自分にとって強烈な印象だった。

後半の寮の生活の話はいいと思うけど。

前半を言う必要があるのか分からなかった。

前半を踏まえると、後半も意味をなさないじゃないか。

結局、強い奴には低く、弱い奴には強く当たる。スネ夫社会人にしたような奴だった。

案の定、毎日のストレスの原因だった。

さくっと省いて一年後、プロジェクトも終盤になってきた。

自分はどうしようもない状態になっていた。

のび太レベル

もともと、仕事できないのに加えての色々なストレス

寮は3ヶ月で出た。(異例。普通なら出られない)

引っ越して、安い軽を買って、一人で通勤するようになった。(一人通勤も基本的には禁止)

しかも、居眠りも続いていた。

そして、一日バックれたりもしてた。

確実に「居ないほうがいい金食い虫だった」

頭を使わない仕事を、1日やっても終わらなかった。

量も多少あったけど、集中力が低下しすぎて、何回やっても修正点が出た。

一日バックれの理由も、昨日の仕事が終わらなくて家に持ち帰ったけど、終わらなかったから。

その時の仕事量は、本当に2~3時間で終わる量。

居眠りも、ナルコレプシーを疑ってリタリンを飲んでも、普通に寝てた。

半分覚せい剤っぽい扱いのリタリンで効かないのはショックだった。小麦粉かとか思った。

内科に行っても「居眠りなら前のちゃんと日寝るか、昼休みに走ったりすれば?」で、馬鹿にされて終わった。

睡眠時の脳波とったりしたけど、異常なし。

でも、かくんかくんって居眠りしてた。

そんな時、先輩の一人に心療内科を紹介してもらった。

病院に行くこと自体面倒がだったけど、そこで貰った薬は効いた。

まず、居眠りが無くなった。

コレだけでも、嬉しかった。

そして、仕事が次の段階に入り、デスクワークから現場が主になった。

現場に入るようになって、自分デスクワークで「何をしていたか」が分かってきた。

自分が居る部署を班分けして、厳しい大先輩と一緒になったが、むしろ嬉しかった。

「その仕事ぶりを盗んでやる!」とか、思ってた。

1週間ぐらいで、自分がしている仕事の内容が把握できて来た。

正直遅すぎたけど「今から挽回してやろう」って思った。

その時は基本的には、すぐ上の先輩と後輩とで3人で動いてた。その後班で動いた。

現場備品管理とか、図面の準備とか、毎日の雑務

そして、自分支店への報告書をまとめ始めた。

先輩への報告もしてるうちに、先輩からの指示が集まってきた。

大体の動きが分かると、二人への指示をするようになった。

一方の大先輩との仕事も、楽しかった。

すごい人だったし、自分がやった所を褒められたりしてた。

で、このまま、調子のいいまま終わりを迎える。なんてことは無かった。

Aさんが邪魔してきた。

細かいことは多々あるけど、よくわからない。

たぶん「Aさんを頼りがいある先輩として扱わなかった」からじゃないかと思う。

てか、自分は関わりたくなかった。

嫌いだった。

「教え方」「普段のシモネタ」「毎日聞こえてくる不気味な笑い声(寮に居たとき)」

「フロで湯を抜いた後垢まみれで放置する(最初に洗って入るから、出るときは洗わない)」

全部嫌いだった。

最初の日の武勇伝が引き金だと思う。

「後輩からは尊敬されたくて仕方ないのに誰も居ない」そんな人に見えた。

(曲がりなりにも先輩の一個上の先輩に対して、指示をすること自体Aの怒りを買っていたらしい)

(「三人で動けとの俺の指示を無視してやがる上に先輩に指示とかありえん!」って、でも自分では必要だった)

自分からは、関わらないようにしてた。

そこが一番の原因だったかもしれない。

そして、現場喧嘩になった。

現場の単三電池が切れてるんだけど?お前が備品担当だよな?」

「それは連絡済です」

「いや、今無いんだから、ダメだろう」

すみません自分のは電池ありますんで使ってください」

「今は使わないよ」

「はい?今必要ないんですか?なんなら発注の確認とりましょうか」

「そうゆう問題じゃねーだろ!取りに行ってでも用意しろよ!」

口論の末、腕に怪我を負わされた。(軽かった、擦り傷レベル

単三電池はライトか計器に使う奴。

電池が切れても他の機器で代用できるし、緊急で使うなら、あるところにはある。(最悪コンビにもあるし)

けど、自分はぶちぎれた。

その場は、自分は手を出さないで終わらせた。

「コレで合法的にあいつにダメージ食らわせてやる!」とか思ってた。

言われる事はやってたし、自分仕事もしてたつもりだった。

上の先輩や、出張先の上司にまで「俺は悪くない!あいつがいちゃもんつけてきたんだ!」って、敬語で説明した。

でも、怒られたのは自分だった。

「結局、Aが怒ったんだから、お前が悪い」だった。

その上「回りに喋って面倒くさくしやがって、何してくれてんだ」って、雰囲気だった。

自分子供過ぎたんだと思う。

失望と絶望で、余計にムキになった。

労働基準局とかあの辺に相談したりした。

結局、上の人から煙たがられる事になっただけだった。

そして、プロジェクト終了前に突然の出張終了。

でも、いい出張だと思った。

Aさんがすごいむかつくけど、備品段取りは大切だし。

ある意味、先輩の対応ミスった自分が悪い部分もある。勉強になった。

最後最後は濁したけど、途中得るものは多くて、次に生かせば問題ないと思ってた。

次は無かった。

まあ、その前に辞めたんだけどさ。

後は薬を飲み始めてから、動けるようになった事が問題だった。

居眠りは収まってたし「いつも飲んでるビタミン剤」だと思うようにしてたけど。

「薬のせいで、調子に乗りすぎたんじゃないか」とか。

だんだん量を減らせばいいんじゃない?」とか。

「薬なんて飲まないほうがいい」とか。

家族からは心配された。

でも、薬を飲んでから頑張れた自分を、否定されたような気がした。

飲んだ時と飲む前とどっちがいいのか、今でも分からない。

出張が終わり、もと居た事務所でしばらく過ごしていると。

社長から「この先10年の計画」なるものの会議があるらしく、そのための支店会議が始まった。

薬のおかげか調子に乗っていた自分は、割と乗り気で会議に出た。

自分が何かする訳じゃないけど、どんな風に上役達が会議をするのかとか、楽しみだった。

けど、期待はずれだった。

会議の内容は「社長が変なこと始めたから、上手い回避方法考えようぜ!」だった。

学校学芸会か何かじゃないんだぞ?って思った。

期待してたぶん落胆も大きかった。

そんな流れで、支店長と話をした。

支店長のことは好きだった。

結果を出してきた人で、言うことに説得力があった。

感極まったのか、支店長に思いのたけをぶちまけてしまった。

すると「俺の任期は長くない。俺がもう少し若ければ、お前に「少し辛抱してくれたら何とかしてやる」と言えるんだが」

それが答えだった。

気がついたら、辞表を出していた。

こんな所になんて居られない。

誰かをどうこうするなんて、悠長なことやってられない。

ってゆうか、そんなこと無理だろう。

じゃあ、辞めるしかない。

自分でやればいいだけだ。

支店長は「お前の決断を、俺は支持するよ。俺個人としてな」

すんなり辞表は通った。

整理をした後、実家に帰った。

自分勝手に辞めたのに、両親は優しかった。

辞めてすぐの半年は何をしていたか思い出せない。

今年の年明け頃から、遊び始めてた。

6月頃に、薬を辞めた。

医者には通っていたが。

嫌になって辞めた。

副作用があったけど、無視した。

そして今に至る。

最近、何もやる気が起きない。

何か仕事を始めようとしても、その分野の欠点を調べて言い訳の材料にしたりしてる。

就職するにしても「空白の一年の説明できないな」とか。

ネットで知り合った人と話をしても、その時満足して終わることが多い。

昔から、口だけだった気がする。自分が。

特に実績を残してないし、残せる保証も無い。

とゆうかそもそも、俺のび太だろ。

ダメダメだろ。

何かをやり始めるきっかけを待ってるだけのか。

何だこれ。

白馬王子様待ってるのと同じじゃないか。

待ってるだけじゃ意味ないのに。

自己啓発本は買ってるけど、半分も読めてない。

最近何も手につかなくなってきた。

惰性のブラウザゲーム2ch時間をつぶしている。

実際、やりたくないことしないで好きなことできる状態なのに、やること無くて不満とか。

なんなんだよ。

そして、この匿名日記のことを思い出して書いてみた。

次に動くことのきっかけになればと思って。

あれ、コレすらも、ただの雑記であって、何も変わらないだけなんじゃないか。

この煮詰まりを打破したい。

2010-07-19

サボり魔は一生そのままなのか?

私はサボり魔である。筋金入りで予後不良の。



幼少の頃から厭なものから逃げ続け気がついたら三十路になってた。そんな私はサボり癖が元で精神を病み社会生活を送れない体になってしまった。



ふつう精神疾患なら投薬と適度な休養で概ね治るはずなのだが、私の場合はサボり癖という精神疾患の根元になるものがあるので質が悪い。投薬も5年以上続いているし、休養も自分でもうイヤだと思うほど取った。でも治らない。ある程度回復したと思い就職活動して仕事を始めるが長続きしない。そしてクビになってまた精神的にダウナーになり休養が必要になる。こんなのを何度も何度も繰り返した。真面目に職歴書いたら30近くになるんじゃないだろうか。20代もそんなのに翻弄され暗黒の時代、黒歴史になった。気がつけば三十路である。もう後はない。

少しづつ焦りだしてきた私はふと考えた。何故こんな風になってしまったのだろう、と。



私のサボり癖の根元を語るには幼少の頃からの話をしなければならない。




私がまだ幼稚園にも入る前の事だ。当時の私は英語に非常に興味を持っていた。よく買い物に出かけた横浜駅ジョイナス地下駐車場英語ブロック分けされていて、それを見て初めてアルファベットという物に触れた。何故か判らないけどアルファベットが非常に気に入ってしまい英語という物に少しづつはまるようになった。

ある日TV英語教室CMをやっているのを見て母に「これかよいたいー」とせがんだことがある。母はその申し出に協力的で父に頼んでみる、と言ってくれた。それを聞いてワクワクしていたのを覚えている。

しかし父は「まだ習い事するなんて早い!」と、私の幼い願いを一蹴した。英才教育なんて言葉があった時代か判らない。グローバル化のグの字もまだ無い時代だったし英語の将来性を見いだせなかったのかもしれない。ともかく私の願いは絶たれてしまった。

そのことについて父を恨むつもりはない。でもちょっと根に持っている。だってもしその時英語教室に通っていたら私の人生は大きく変わっていただろうと思う。飽きっぽいけどのめり込む時はとことんのめり込む私のことだ、通訳とか外資系エリート・・・なんて言わないけど少なくても英語には不自由しない人生を送れたかもしれない。



それから数年の時が過ぎ私は小学校3年生になった。

ある春の日のこと、私は父に呼び出された。そして「出かけるぞ」みたいな事を言われ、半ば強引に車の乗せられて駅前のダイエーに連れて行かれた。何が起こるのか全く判らない私、何も言わず私の手を引っ張る父。?マークを頭に3つくらいグルグル回しながら連れられて行き着いた先スイミングスクールの上の階の階段を下りた先の小さな部屋だった。父は「ほら行け」と言わんばかりに私をその部屋に置いてどこかへ行ってしまった。

何ここ何が起きるの?

幼いながらも恐怖した。

部屋には私と同い年くらいの子供が数人いた。大人も何人かいて、何か冊子のような物をを配っていた。私の順番がきて冊子を渡される。そこでようやく理解した。冊子の中身は全て英語だった。

父がどう心変わりしたのか判らないけれど、私は数年越しに英語教室に通うことができたのだった。


しかし、だ。

それは遅すぎた。

小学校3年の私はもうすでに英語に対する興味を失っていた。正直、いまさら?だった。

それから4年間英語教室に通った。楽しいこともあったし、友人もできたけど根底にあったのは「苦痛」だった。

その苦痛が形としてでることがあった。それは「逃避」。有り体に言うとサボリだ。一人で自転車ダイエーに行くのでサボることがバレることは基本的に無かった。何度か買い物に来た母親にサボってコロコロ読んでるところを目撃されて大目玉を喰らったことがあるがそれでもサボる事は止まらなかった。年数が経てば経つほどサボリはエスカレートしていき週一回の教室に月3回サボるなんて酷い事態になることも多々あった。何が厭だったのかは今となっては思い出せないがサボりたくなるくらい苦痛だったのは覚えている。



小学校5年の時に友人の誘いで公文に通い始めた。

初めの頃は問題もスラスラ解けて楽しかったのだけど、ランクが上がって難しくなってくると少しずつ「苦痛」になってきた。苦痛になると私は逃避を始める。サボリ始めたのだ。きっかけは些細だった。友人が「今日サボんね?」と言ってたのだ。それに乗ってしまって後はそのままズルズルと・・・。これも週二回の教室で月数回しか通わない程になり公文講師のおばちゃんに「ちゃんと毎回来なさい!」と毎回言われたものだった。



それから中学に入って少しして英語教室は辞めた。学校でも英語の授業が始まったしこれ以上受ける意義を当時の私は見いだせなかったのだ。

公文はサボリながらも中学卒業まで続けた。高校受験の時はさすがに真面目に公文勉強した。でもそれは友人が周囲にいっぱい居たからであって、私一人だけだったらどうなっていたかは判らない。



義務教育が終わりを告げ私は高校生になった。

一番の志望校じゃなかったけど目標にしていた地元の公立高校に入学した。

高校時代は楽しかった。今までの人生で一番楽しかった。友人もたくさん居たし、心から楽しいと思える授業もいくつかあった。そのせいもあって驚くことに三ヶ年皆勤卒業式の時に表彰されメダルを貰った。

なんというか極端だな・・・と。

しかし、その影にも私の逃避、サボリ癖はあった。

高校では三年間図書委員だった。特に理由はなかったけれど図書委員になっていた。

図書委員の活動は図書室の貸出係の業務と月一回の委員会活動があった。貸出係は昼休み放課後に当番であったのだけどこれに私は全くでなかった。当番は殆ど放課後だったのだけど、早く帰ってゲームしたい盛りだった私はとにかくサボってサボりまくった。たぶん3年間で10回出てないんじゃないかと思う。委員会は強制参加なので仕方なく出たのだがその時よく「貸出係をサボる輩が居ます。ちゃんと出ましょう!」とほぼ名指しで委員長に言われることがあった。挙げ句には「てめぇいい加減にしやがれ!!」とキレられたこともある。それでもゲームがしたい、寝たいばかりにさっさと自転車で家に帰る自分が居た。救いようがない。



この頃まではサボっていても何とか回っていた。学力はそこそこあったしテストでも苦手科目の数学以外はそれなりの点数を取っていた。

しかし、だ。努力する者としない者。その差をまざまざと見せつけられることになると当時の私は知らなかった。



高校二年の冬のこと。そろそろ大学受験視野に入れなければならなくなってきた。周囲でも予備校に入学して対策を講じる者が増えてきた。

私も「予備校かー、どうしようかなー」と脳天気なりにも意識し始めていた。ある日、図書室の前にあった予備校案内のチラシを見て何枚か持ち帰り検討し、その中から一行選んで入校することにした。両親は特に何も言わずに入校を許可し私は予備校に通うことになった。

地域ではマイナー予備校だったが友人もいることが判り喜び勇んで予備校行く・・・はずだった。



予備校は私が想像していた以上に過酷なモノだった。英語は毎回英単語テストがあったし数学は高校よりもずっと高度だった。正直ついていけなかった。ついていけない結果はテストダイレクトアウトプットされる。志望校合格ランクDとかEとか当たり前だった。

今までどうにかなっていたモノがどうにかいかなくなってしまった。劣等生。そんなレッテルを貼られた気がした。

それはとても苦痛だった。苦痛苦痛で仕方なかった。

苦痛の先にあるのは小学校からやらかしているサボリ、だ。

高校3年になって予備校に行かなくなった。辞めたわけでなくサボるようになった。劣等生な自分を認めるのが厭だった。劣等生であるという事実を突きつける予備校に近づきたくなかった。英語の授業は友人が来いとうるさかったので月に数回出た。数学は全くついていける気がしなかったのでチューターの人に怒られるまで殆ど出なかった。高3から受講し始めた化学は授業がすごく面白かったし得意科目で余裕でついていけたのでこれだけは出席率が高かった。それでも7割ってところだけど・・・。



がんばった者とがんばらなかった者

努力した者と努力しなかった者

逃げなかった者と逃げた者



そんな二通りの人間審判が下される時がきた。

大学受験--



無論私はボロボロだった。無惨だった。

センター試験自己採点。数学は2点だった。得意の化学でも5割いかなかった。

死を覚悟した。



一般入試が始まった。

私は高校担任教師の薦めで無名のFラン大学化学科を受けた。目標にしていた大学は「絶対に無理だからやめろ」と言われた。返す言葉もなかったので大人しく言われた大学受験した。



結果。補欠合格

はは、引っかかちゃった。

当時の私は安堵した。浪人生活をしないで済んだから。浪人は落第者で敗北者だと思っていた私は本当に喜んだ。

でも、気がつかなかった。おまえは運が良かっただけだ。

だって・・・「努力したのかい?」



大学生活が始まった。中学からずっと同じの友人が一緒の学校だったので初めはよく一緒に登校した。学科は違ったので登校と昼休みくらいしか一緒ではなかったけど知る人が居ない学内ではとても安心できるものだった。



大学1年の授業は楽しかった。特に有機化学と分析化学が好きだった。2年から生物化学の授業があってそれを目標にしていきたいと思った。

しかし、異変は訪れる。とある教科を落としてしまった。有機化学の概論。難しい授業だったけど好きな授業だった。ただ落としただけなら来年取り直せばいいだけなのだが、この授業はとても大きな、そして致命的なものがあった。



この教科を落とすと生物化学を受講できない



偏屈で有名だった生物化学教授が設けたハードル。私はものの見事にそれに引っかかってしまったのだ。

何かが壊れた。



大学2年。目標生物化学を受講できず腐った。さらに悪いことにほかの授業が難しくなった。特に物理化学は私が苦手だった物理概念が入って手に負えなくなってきた。

大学苦痛になった瞬間だった。



苦痛になると訪れる甘い囁き

「逃げちまえよ」

それにあがらえる訳がなかった。



初めは大学内の図書館で本を読むだけだった。それから街のゲームセンターになって・・・兎に角大学に近づかなくなった。金だけは親から必要額貰っていたので不自由はしなかった。適当に旅に出て時間つぶして家に帰るとかざらだった。



努力した者と努力しなかった者

その差は歴然と表れる。



次の年、私は留年ギリギリだった。

いままでどうにかなっていたものがどうにかならなくなった。

背中に火を付けられたような感じがした。

兎に角焦った。

焦って勉強をする。でもついていけなかった。下の学年の授業を受けることも多々あった。誰あいつ落とした上級生?だせぇ。そんな声が聞こえてきた気がした

屈辱的だった。変にプライドの高い私には凄まじく苦痛だった。



苦痛を感じると出てくる麻薬のような囁き。

「ニゲチャイナヨ」

でも逃げると今度は留年だ。



逃げちゃダメ

逃げちゃダメ

逃げちゃダメ



14歳の少年は逃げずに立ち向かうことを選択したのに20歳のアホは逃げることを選んでしまった。



このあたりでだんだん精神的におかしくなってきた。

不安焦燥感、誰かに笑われてる感覚、必要以上に自分を責める。木の棚にカッターで何度も切りつけて酷い跡が残ったこともあって母親にそれを見られて酷く心配されたことがあった。



ロクな精神状態じゃないときにロクな思考はできない。

真っ暗な夜道の中をひたすら逃げているような状態だった。



次の年の春。私は留年した。

その日私は父親に叱責された。この後どうするんだ、と

ロクな精神状態じゃなかったので思考は回らず兎に角逃げることしか考えられなかった。

がんばるから、がんばるから

この時はそれで何とかなった。



留年生活のことは正直覚えてない。思いだそうとしても頭がアクセス拒否をする。

唯一判るのは焦ってどうにもならなかったこと。そして逃げ回っていたこと。



翌年、再び私は留年した。

二度目の父との対話。

今度はなかった。



こうして私は大学中退した。



そして社会に放り出された私は働かなければならなかった。当時は引きこもりニートという言葉もなかった。父親には働けと強く言われたので働くしかなかった。

ハローワークにあししげく通って何度も何度も追い返されてとある会社研究所に拾われた。

そこは農薬を作っている会社研究所で初めはそこの農場のアルバイトと言うことで面接を受けた。



でも、せっかく化学バックグラウンドがあるんだしということで話が少しぐらついた。

とっさだった。とっさに私はこう言った。

お金貯めて大学に復学したいんです!」

何でこう言ったのか今では判らない。

しかしそれは項をそうした。「じゃあそういうことなら勉強する意味も込めて」と研究所助手採用してくれることになった。

運が良かった。



研究所での仕事は本当に楽しかった。学校で習いきれなかった事も学べた。とにかくがんばったので会社も評価してくれた。

「今はアルバイトだけどがんばったら正社員にもするよ」なんて総務の部長さんが冗談めいて言ってくれた。

本気にしてがんばろうと思った。



でも、なんでなんだろうね。上手く行かないときはとことんうまくいかない。



入社して少し、変な奴が研究所にいると言うのを知った。

ほぼ同じ歳で今年正社員入社。しかも京大大学院卒。

「同じ位の歳だし仲良くしたら?」と言われてそいつに会いに行った。

すんげぇイヤな奴だった。

京大大学院卒というのをさりげなくアピールしてFラン中退の私を見下してくる。

正直あんまり関わりたくなかった。



ある日、通勤バスの中でふと考えた。

なんでだろうって。

殆ど歳同じなのにあのいけ好かない奴は京大大学院卒で正社員、私はFラン中退バイト。この差はなに?

それがずっとこびりついて離れなかった。

それはそいつと顔合わせなくても研究所内に居るだけで考えてしまう。

苦痛」だった。

とにかくとにかく苦痛だった。



また別の日、通勤バスに乗っていると不思議なことが起こった。

降りるべき停留所に近づくにつれて妙に息苦しくなるのだ。そして頭が真っ白になって「ニゲロゲロ」って告げてくる。

そして降りるべき停留所が来た。

降りられなかった。

こんなことは初めてだった。なにが起きたか判らなかった。

その日は慌てて次のバス停で折り返して事なきを得た。



それから数日同じ事が何度も何度も続いた。症状はエスカレートする。降りるバス停が延びていき遅刻が酷くなる。それを上司に注意されたら今度は体調不良で休むととっさに電話で言うようになってしまった。

さらに数日して何とか出勤できた日、所属部長に呼び出された。

最近休み多いけどどうしたの?」

怒っているわけでなく本当に心配しているようだった。なので症状を正直に話すと

「無理はしないようにしてほしいけど、勤怠が悪いと正直こっちも困る」

と言われた。



その日早退し精神科を探した。

小さなクリニックで老医師がこう言った。

「そりゃウツだ」

そう診断され一日三日分のホリゾンを貰った。

ホリゾンを飲んだけど少しぼんやりしただけであまり変わらなかった。



それからも朝の戦いは続いた。負け戦ばかり。

休みが10日ほど続いたところで家に電話がいった。

「大切な話があるから明日は必ず来るように」



翌日。何とか私は出社した。

研究所入り口総務部長が待っていた。

そのまま会議室に連れて行かれた。

そこには研究所の所長と所属部長が居て3対1の面談が始まった。

単刀直入に言う。辞めてくれないかな?」

総務部長がそう言った。

そのときの私は妙に冷静でその言葉意味もきちんと理解した。

あぁ、クビか。

後は事務的に話は進みその日のうちに私は解雇された。




それからいくつかの会社を転々とした。

どこも悪いところではなかったけれど、必ず不思議なことが起きた。

朝起きて家を出ることはできるけど電車バスで最寄り駅に近づくと呼吸が荒くなって怖くなる。頭は囁く「ニゲロゲロ」と

そんな状況に陥り全く出社ができなくなってしまったのだ。

最長で半年、最短で一日。これはクビになるまでの日数。

職歴は正確に書くと30は行くんじゃないかと思う。



ここ1・2年はさらに酷くなり、部屋から出られなくなってしまった。

朝起きてその時点で恐怖発作と「ニゲロゲロ」という囁きが頭を支配する。



精神科にはもう6年かかっている。

はじめはホリゾンだけだったけど今は抗鬱剤3種類と抗不安薬睡眠薬まで貰って飲んでいる。

挙げ句には自立支援の申請をして精神障害者手帳まで交付された。



ふと思った。何でこうなってしまったんだろう、と

最近また会社をクビになったので少し考える時間ができた。で、考えを整理するためにこれを書いている。



結論を言うと私のこの病気の根元は「サボり」だと思っている。

苦痛」からの「退避」。小学校の頃の英語教室からずっと続いているこの癖。これが原因じゃないかと考えている。

おそらくこれは正しい。

正しいことは判ったが対策がわからない。

生来のサボり魔たる私はどうしたら正常の社会的な生活を送れるのだろうか?

そもそも私の病気は何だ?

鬱病適応障害?それともただの怠けでサボリなのか?



精神科で投薬治療は受けているがこれだけでは改善にいたっていない。というかここ最近悪化しているとすら思う。直近でクビになった会社では不安の恐怖、あと鬱的思考から自殺をほのめかすメールを送ってしまい大騒ぎになった。



年々悪化しているこの「現象」

いったいこれは何なんだ?

どうしたら治るんだ?

どうしたら社会的な生活を送れるんだ?

だれか、教えてほしい

2010-07-17

ヤンデレさん

ヤンデレに限らず、様々な特殊嗜好ってのは、「本物」に遭遇したり、その闇の部分に直面してないからこそ可能な娯楽なんだよなと思う。

パソコンの使い方分からないから教えて欲しい」と誘われ彼女の家にホイホイ付いていったら、部屋で出されたコーヒー睡眠薬入りで、しかも用量が滅茶苦茶だったため三日ほど昏睡状態になった俺には、ヤンデレ嗜好の普及はなかなかきついものがある。

やばい!何か盛られた!」と直感して階下に居る彼女母親に助けを求めようと四つん這いになって部屋を出ようとした時、彼女に後ろから抱きつかれ、耳元で「なんで?なんでそっち行くの?」と何度もつぶやかれたのが原因で、未だに背後から抱きつかれると足がすくんでしまう。退院直前に妹が巫山戯てそれをやらかした時は失禁した挙げ句呼吸困難にまでなった(そして妹は両親からこっぴどく叱られ、俺は退院が少し伸びた)。ちなみに、その後の家宅捜索でロープやオモチャの手錠、ナイフ、どこで手に入れたか合法ドラッグのような物も見つかったそうな。何するつもりだったんだか。

いやほんときつよ。完全無防備な状態で、好意を寄せている相手から唐突に命を脅かされるっつーのは。

ただ、ヤンデレ女の恐怖を描いたフィクション作品なんかを読むと心が落ち着く俺がいる。何故だろ。

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