はてなキーワード: 民衆の敵とは
北村紗衣さんは草津町全体についてはどう思っているんでしょうか
において、元増田は以下のように述べているが、あまりに解釈が変だと感じたので元増田に疑義を呈したい。
言及している増田が消えるということで話題になっている北村紗衣さんであるが、過去草津町の冤罪事件について言及したポストについては、明確に黒岩町長に対して謝罪していると言えるだろう。
これはフィクションを現実に当てはめたことへの謝罪であって黒岩町長への謝罪ではないと言う声もあるが、
原文のまま読むとこうだ。
(①発端)
草津、イプセンの『民衆の敵』じゃん(地元の温泉に都合の悪い事実を公表しようとした科学者が、貴の町長の画策で「民衆の敵」認定される)。
(②反省)
あの後いろいろ考えて、実際の出来事を何でもフィクションに重ねて考えてしまう(「ああやって演出したら面白いのでは!?」)のは批評家はやりがちですけど良くないなと反省しました。ただし、あなたがこのタイミングでその話を持ち出してくるのは単純な嫌がらせだと思いますけど。
(③謝罪)
(④過去の振り返り)
意味がわからないですが、私はこの件について自分が訴えられる可能性は限りなく低いと思っています(1回の曖昧な論評で訴訟するのはかなり困難なのは経験上理解していますし、町長声明を読んでもそういう話ではないので)。それでも町長の名誉を傷付けたと思うから良心に照らして謝罪してます。
ご覧の通り、増田がとりあげた④は、「町長の名誉を傷つけた」ことを認めた上で、「謝罪してます」と、過去すでに謝罪した旨を述べている。
だが、②と③においては「実際の出来事を何でもフィクションに重ねて考えてしまう(「ああやって演出したら面白いのでは!?」)のは批評家はやりがちですけど良くないなと反省し」「ではおわびして該当ツイートを削除することにします」と述べており、明白に
ことについて反省し、謝罪しており、この時点で町長の名誉を傷つけたことについての謝罪だと理解することは、一般人の読解力ではかなり厳しいだろう。
つまり、発言主の真意はともかくとして、明文としては④において初めて「町長の名誉を傷付けたと思う」とでてきており、これは文章としては後付けと言わざるを得ない。
(もしかしたら文学博士様であったり文学部教授様の読解力を持ってすれば別の解釈ができるのかもしれないし、それを否定するつもりはないが。また、書き込んでないだけで内心ではそうお思いだった可能性もある。)
なお、最後の「それでも町長の名誉を傷付けたと思うから良心に照らして謝罪してます。」はかなり解釈が難しい。(過去、名誉を傷つけたから謝罪する、とは述べてないのに、すでに謝罪していると述べている。つまり、相手の名誉を傷つけたから謝罪する、とは純粋な文面上はどこにもでてきていない。ただ、発言主はそのように感じているかもしていないし、それは否定しない。)
議論において事実関係の認識に齟齬が出るのは良いことではないと思うので、指摘させてもらった。
【魚拓】北村紗衣先生(武蔵大学准教授)は草津町の件で一体何に謝罪したのか
から行った。
言及している増田が消えるということで話題になっている北村紗衣さんであるが、過去草津町の冤罪事件について言及したポストについては、明確に黒岩町長に対して謝罪していると言えるだろう。
これはフィクションを現実に当てはめたことへの謝罪であって黒岩町長への謝罪ではないと言う声もあるが、
https://x.com/Cristoforou/status/1593099059908464640
このポストでは明確に「町長の名誉を傷つけた」と認識しているのでその非難は不当だろう。
ただし、イプセン『民衆の敵』で悪として描かれているのは、劇中で不正を隠蔽しようとした市長個人だけではない。
それは他ならぬ北村紗衣さんによる『民衆の敵』の批評を見ればよく分かるだろう。
https://saebou.hatenablog.com/entry/2018/12/17/004054
正しいことしか言わないトマスが、地元の観光客を減らしたくない市長と誠実な報道を行わないマスコミ、それに同調する人々の群集心理により民衆の敵認定される話は非常に恐ろしいし、これは明らかに民主的に見える社会の腐敗と堕落を批判する作品だ。
このように、市長だけではなく市民の群集心理や社会の腐敗と堕落を批判するものとして捉えられている。
つまり、『民衆の敵』で批判的に描かれた構図を現実の草津町に当てはめるのは、町民は群集心理で(完全な嘘吐きであった)新井祥子を糾弾しているものたちで、「腐敗と堕落」が草津町全体にある、と論評する事になりうる。
前述の通り北村紗衣さんは草津町長に対しては謝罪したが、草津町民および草津町全体については、一体今どのように思っているんでしょうかね?
https://www.bengo4.com/c_1009/n_17638/
そういう町長を選んだ町民が悪いという話になった。草津町そのものがレイプされる町みたいに言われるのはしのびがたい話でした。やっぱり草津町が馬鹿にされたり家族がつらい思いをしたりするのは嫌じゃないですか。
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2023-12-14/2023121413_03_0.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/kotobaken.jp/qa/yokuaru/qa-132/
謝ったら死ぬ病の存在は謝っても許さない病の裏返しって主張そのものじゃねぇか。
赤旗については当の町長が直接謝罪してくれたって言ってるからもういいだろ。
謝罪の内容に文句つけるとしてそれは当事者がする話であって外野が騒ぐ話じゃないだろ。
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こいつらは外野から責め立てられるのも今後ことあるごとに引き合いに出されるのも当然だからな。
民衆の敵さんもな。
雁琳に足りなかったのはさえぼーのような緻密なレトリックの使い方
アカデミックな領域で非正規のままだった人間との格の違いがあるのだ。
例として、これは明らかな誤りを含むツイート
伊藤 剛
@GoITO
そして、本件に至る過程で、原告側が裁判前に雁琳氏の職場に内容証明を送り、非正規雇用で立場の弱い氏の職を(結果として)奪っているという経緯がある。これを踏まえると、たしかに雁琳氏には非はあるし、彼の主張には頷けないところもあるが、しかし原告側は「勝ちすぎ」なのではないかと思える。
そしてさえぼー氏の誤りの指摘
saebou@Cristoforou
「原告側が裁判前に雁琳氏の職場に内容証明を送り、非正規雇用で立場の弱い氏の職を(結果として)奪っている」→職場に内容証明送ってません。本人のメールボックス宛に内容証明を送ったら本人が全く気付かずスルーしていただけです。なんでこんなデマみたいなことをまだ信じて拡散しているんですか?
内容証明でない文書を職場に送っているのである。(ツイートには書かれていない)
例えばの話だが、自分のパートナーとSNS経由で不倫をしている人間がいるとして、職場宛に問題解決を求める文章を送る人間がいたらどう思うだろうか。
職場内の関係にダメージを与える意図があると捉えられて当然じゃないだろうか。
公私で分けて私の領域でのトラブルにもかかわらず、公に宛て文書を送るというのはそういうことだ。
そして彼女のツイートは雁琳とのトラブルの文脈を追っていない人間が読めば、
職場に書面を送り、職場関係にダメージを与える意図があると思われてしまうような行動なんかやってない印象になる。
草津の「民衆の敵」の話のように致命的にならないギリギリの言葉選び、これが非常に上手い。
政治家が致命的な失言と捉えられないような貴族の言葉遣い シェイクスピアをはじめとした欧州文化から取り入れたんだろう。
https://twitter.com/sumomodane/status/1539761554240942080
優しい家父長制に守られて男性よりも高い幸福度を維持しているジャップメスにリーダーなんか無理だから
いや女って結党しないよね?立憲国民れいわ維新NHK参政全部男が作ってる。なぜならジャップメスはリーダーになりたがらないからw
社会に進出することと責任を負うこと(幸福度を下げること)はトレードオフなんだわ
誰からも文句言われたくない!社会に進出する選択肢を維持しつつ家にいたい!でも家事はしたくない!女は抑圧されている!でも現状男より幸福です!
バカか
正直、俺は氏が嫌いなんだよ
東京に出て成功した田舎モン、って属性がすげー嫌いだし、スノッブな感じがマジで鼻につく
人格的にも好きになれない感じがする Kindle Unlimitedで本も読んでみたけど、俺とは作品の読み方(批評のしかた?)が相入れない感じもした
民衆の敵ツイート、アレ、多分あんま悪意なく出てると思うんだよな
氏のことはあんま知らないんだけど、なんとなくあの人は観念的っつうか大局的なジェンダー問題には関心があっても、個々の事件にはそこまで関心もってなさそうな印象がある
草津の件って、大騒ぎにはなってたけど、あんまこう、社会に繋がる感じでもないっていうか、どちらかというとゴシップっぽい雰囲気があったと思ってる
氏が強く興味を持つような話題ではなさそう
大して興味ない話題に適当に言及したら、言及の仕方を誤ってしまい、粘着して怒られる それは不快だよなあ
許したれよ、と思ってしまう
アレだって、文脈を見たら「女という生き物は自由意志なんて持たずに子供だけ産んでりゃいい」なんてニュアンスはまったくないことはあきらか
ユニット、単位、頭数、みたいなことを指すためにウッカリ機械という語を使ってしまっただけの話なのに、あんなに騒がれてボコられるのは異常だと感じた
氏、ホント、どうでもいい話題に、「おっ、これ聞いた感じあの作品に構図似てるじゃ〜ん」と思って適当に言及しただけだと思う
草津温泉には行かない、なんて言ったわけでもない
ただの雑言及だ
嫌いな人でも、そんなに悪意のない行動で叩かれるのは納得いかないんだよなあ〜
だいたい、謝ってるしなあ
俺は正直、いっさい何も言及しないモンと思ってたから、けっこう見直したよ
許したれよ!!
北村紗枝氏がむやみに叩かれているそうなので、周辺を調べてみた
表面的な問題は草津の公職者の冤罪か犯罪隠しであるが、あえて掘ってみるならば原因はイプセンの「民衆の敵」ではないかと思われた
「民衆の敵」(1882年)は鉱毒被害の告発本で、明治日本の主要産業は銅の輸出であったので、銅山営業のために、出版禁止にされていたと思われる書籍である
主要な銅山である足尾銅山の鉱毒は早くも1878年(明治11年)には報道されており、酸性雨、草木の枯死、魚の大量死、洪水もあった
そこで1882年(明治15年)、イプセンがスウェーデン下のノルウェーで「民衆の敵」を出版した
しかし原書か英訳を読むことができたのは、商社関係者か、法曹か医師ぐらいだったと思われる
日本政府がしぶしぶ鉱毒調査委員会を設置したのは、1897年(明治30年)で、その後の1901年(明治34年)にようやくイプセンの邦訳がある(大阪の元医師高安月郊)
それから更に何年も経過し、「人形の家」(1879年)の29年遅れで1910年(大正9年)、「民衆の敵」は39年遅れで1921年(大正10年)にようやく邦訳
戦後の高度成長期には、日本の銅は1ドル360円の固定相場で輸出された
僅かな被害対策が行われたまま鉱山は稼働し続け、1973年(昭和48年)に閉山となったときには、為替レートがあっさり変動制に移行している
したがって、「民衆の敵」の邦訳遅れや円安固定相場制は、日英米共同の銅ダンピング政策だった可能性もあろう
https://anond.hatelabo.jp/20221117054344
既に指摘あるけど北村先生は草津町をフィクションに準えただけで侮辱も誹謗中傷もしてない。この謝罪で十分。むしろ北村先生を叩きたいがために過大な責任を要求して、謝罪や退任を訴えてるほうが「民衆の敵」では?
はてな左翼には何を言っても無駄だなと思わされるすごいブックマークコメント。
この人たちってまじでその場のフィーリングで生きすぎだろ。
程度でいえば呉座先生よりよっぽどきついと思いますが、呉座先生をオープンレターでボコボコにして辞職に追いやったんですよね?
バランス感覚どうなってんのこれ
それはそれとして、北村先生ちゃんと謝ってるわけで、北村先生は立派だと思います。
謝ってほしくなかったわがままはてな左翼ちゃんは梯子外されて今どんな気持ち?
https://twitter.com/Cristoforou/status/1592857816267894785
2020年の末くらいに、報道にのってイプセンの戯曲と草津の状況を結びつける発言をしていまいましたが、その後に自分がネットで虚偽による誹謗中傷を受ける経験をして、軽い発言でもいかに人を傷付けてしまうかを身にしみて感じました。そういう発言をすべきではなかったと非常に後悔しています。なお、これについて私が草津町民を民衆の敵だと言ったというようなことを拡散している人がいますが、これはデマです。アーカイブ見ればわかりますが、私が言ったのは草津がイプセンの戯曲『民衆の敵』みたいだということで、本作で民衆の敵認定されるのは告発した人です
草津をイプセンの『民衆の敵』にたとえた件について、既に一度お詫びしてツイートを削除しているのですが、黒岩信忠町長が裁判を起こすということで、あらためてお詫びしたいと思います。軽々しく連想で現実の出来事をフィクションにたとえるべきではありませんでした。
レドマツ氏の発言に『「行き過ぎたジェンダー論」がアリなら、「行き過ぎた表現の自由」はどーなんだ!?』みたいなコメントが大量に付いてるけど。
そりゃ普通にあるのでは。ただそれって、例えば
等、こういう主張や発言、表現を「これらも表現の自由だ」と擁護・容認する態度を指すんじゃないのか。
なんかはてサはてフェミが決定的な揚げ足取ったったみたいに喜んで連呼してるけど、その辺が想定してそうな例えば献血と宇崎、JAとラブライブ、警察と戸定梨香のコラボみたいなのは、仮に「行き過ぎてる」としても程度問題として圧倒的に小さいでしょ。
むしろ普段は自分らが支持したり、★付けて拡散に加担したりしてる様な過激な主張や表現こそが該当するんじゃないの?
【追記】
なるほど。
確かに古典的リベラルが制度的な圧政からの市民の開放を目的に誕生したんだろうけど、現代のリベラルは「自分の自由のために相手の自由を奪うこと」を許さない。つまり、多様性を認めるということで、「人種やLGBTなどの少数派や弱者などのマイノリティを自分がマジョリティだというだけで否定しない、尊重する」という思想のことだと私は理解している。単純な反戦や反権力だけのことをリベラルとは言わない。
翻って日本のリベラルサヨクは政治的に強い立場の人を悪として、敵として攻撃することだけに執着する。つまり、リベラルが生まれたときの手法だけを真似て、相手の意見を聞いて尊重するということをしない。
特に日本では時代劇的な、物語的な、アニメでよくある勧善懲悪が大好きだ。いじめている人が黄門様に懲らしめられる結末に喝采する。スカッとジャパンだ。小池劇場でも都知事選、都議選で大勝したのは都議会にドンがいたからだ。しかし、衆院選では安倍首相が絶対悪たり得なかった。
現実はそんなに単純ではない。世の中は勧善懲悪にはできていない。絶対悪や絶対善など存在しない。特に政治の世界ではそうだ。よく効く薬には必ずと言っていいくらい副作用がある。今回の衆院選でも安倍一強と煽って、安倍首相を民衆の敵のように主張する。国民にそう信じ込ませようとしている。国民を馬鹿にして、愚民でいることを求めている。国民もそれくらいは理解している。
安倍首相だって全てにおいて正しいわけではない。ツッコミどころも多い。それも国民はわかっていて、相対的に期待できる政治家が、政党が他にいないことが問題なんだ。野党は安倍首相の手法を憲法違反だと囃し立てるけど、憲法だって絶対的なものではない。むしろ憲法改正を取引材料にして、自分たちの目指す政策を与党に認めさせる。そんな政治家が野党にいてほしい。
しかし、リベラルサヨクは絶対悪vs正義の味方の対立を煽る。古典的リベラルの解放運動のごとく、自分の正義を疑わない。それはリベラルの思想を受け継いているのではなく、手法だけ真似しているに過ぎない。だから日本のリベラルサヨクは思想的にリベラルではない。
だから「リベラルの成仏する日」はリベラルな思想が成仏するのではなく、手法だけ利用しようとする日本的なリベラルサヨクが成仏して、日本に真にリベラルな思想を持った政党が生まれる日なんだ。