はてなキーワード: 表彰とは
はてなスターについての上級者向けのあまり知られていない機能ないし特典を紹介しようと思う。
はてなスターって何?という方には、初心者向け記事が既に書かれているので、こちら(↓)を読んでください
http://topisyu.hatenablog.com/entry/i_love_hatena_star
1. 同一記事に5個のはてなスターをつけると緑色のスターがもらえる
同一記事にはてなスターを大量につけている人がよく白眼視されるが、これは割と手にしにくい黄色以外のスターを獲得するためであったりもする。
さらに緑色のスターを10記事以上につけると、レッドスターが獲得できる(正確には、どちらとも可能性がある)。
2. はてなスターランキングというのがあり、月に1回表彰される
はてなスターを月に何個付けたかのランキングがあり(こちらの場合同一記事の重複分はカウントなし)、
TOP10になるとはてなからメールが届き、レッドスターが与えられる。年間ランキングもあり、こちらはTOP100にはレッドスター、TOP10にはブルースターが与えられる。
3. 総計1000はてなスターを獲得したはてなブログははてなブログ(PRO)へ無料移行できる
ある日、はてなから「はてなブログ(PRO)への無料移行のお知らせ」というメールが来たら、ブログにつけられたはてなスターをカウントするといいだろう。
4. ブコメに黄・緑・赤スターをつけるとコメントが赤で、黄・緑・赤・青をつけると青で表示される
めったに見かけないが、はてブコメコメントへつけるはてなスターに、3種類以上のはてなスターをつけるとそのコメントが黒色でなくなる。
黄・緑・青でも、青色になるのかは不明。人気コメント最上段に、青文字が輝くのがはてブコメント界の最高の名誉と言ってよいかと。
ちなみに、世間でよく言われている、はてな本社でははてなスターマグネットが500円で売っているとか、
http://anond.hatelabo.jp/20130901220935
のポストを見て書く気になった。
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うちは両親が高卒で、親戚には中卒も多い。
貧しいくせに父方も母方も兄弟が多く、受け継ぐ畑がなかったとかで、
県内どころか隣接県にまで跨って親戚一同散り散りになっている。
みんな鳶職、土方、ライン工、その他低学歴っぽい職業の見本市。
同じ仕事でも大都市に出ればもうちょっと収入良いと思うんだけど、そういう発想はないらしい。
通ってた小学校では援助交際で子供を作った女子もぽつぽついたし、
親にネグレクトされててパン泥棒で糊口をしのいでる同級生もいた。
酒やタバコが悪いことだという発想なんてそもそもなく、
不良グループっていうのは女子を輪姦して新聞沙汰になったとかそういうレベルの話。
授業なんて半分以上成立してなかった。
僕はそんな場所に馴染めず孤立し、図書館で本ばかり読んでいた。
ネットもなかったし。
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歳の離れた従兄を東京の大学にやって、有名な電機メーカーに内定した。
みんな名の通った大学に進学していった。
僕は好きだった文学を楽しむためとある国立大の文学部に入った。
親も満足気だった。
親たちはみんな低収入だったけど、おかげで国公立なら学費免除も寮住まい余裕だった。
物価は高いけど、実家から野菜の仕送り+バイトで人並みの生活は送れてた。
だいたい都市のバイト代は高くて、頑張ったら親父の月収を抜きそうだった。
バイトとサークルの掛け持ちをしながらだったけど、そんな苦労をしたと思ったことはない。
幼稚舎から有名私立に通ってて月何十万も仕送りされてるのに「親から自立した」と豪語するボンボン、
親が教師で勉強一筋で鍛えられたという秀才君、17歳で酒を飲んだと悪ぶってる自称不良。
地元にいた「本物の不良」みたいな人も一人いた。
どいつもこいつもが馬鹿に見えた。
漢字を知らない、ことわざを知らない、日本の観光名所を知らない、ヨーロッパの国の位置を知らない。
なんで昭和初期の文豪の一人も読まずにこいつらは大学に来てるんだ。
なんだ、高い金払って塾でお勉強してきた連中ってのはこの程度なのか。
僕の中でどんどん歪んだ自尊心が形成されていった。
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ちょうどその頃、日本経済はリーマンショックの後遺症を抱えていた。
そして言われた。「君が学んできた文学とやらは我が社で何の役に立ちますか」
青天の霹靂だった。
成績も優秀だったし、表彰もされた。
「君が受けてるところは総合職じゃなくて、工場のラインじゃないか?」
それすら受からなかった。
工学部なら大学院まで行くのが「普通」なんだけど、もう勉強するのは嫌らしい。
秀才君は大学院からアメリカに留学した。数百万円の留学費は親がポンと出したらしい。
自称不良は大学院に進学した。後から聞いた話ではこれまた有名なメーカーの研究部門に入ったそうだ。
本物の不良は保険の営業に決まった。体当たり営業出来るタフさが受けたらしい。
「秀」の字が並ぶ成績表を見ながら僕は頭を抱えた。
年が明け、僕は卒論を提出するか悩んでいた。
新卒でないと就活は厳しい。しかし留年すると学費免除は厳しい。
卒論は我ながら酷い出来だった。もっと資料を読んでいれば、もっと深く有意義な考察が出来たはずだった。
しかし就活に忙殺され、一時は精神科にも通っていた僕に、そんな時間も体力もなかった。
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大都市にある、名前だけはどこかで聞いたことのあるような企業の事務所だ。
そこで見たのはよく見知った光景だった。
管理といえば聞こえは良いが、要するにサポート、補助、下働きだ。
大卒も高卒も関係なく採用されているポジションで、実際同期の過半数は高卒。
職場で交わされるのは、地元の祭で親父たちが交わしていた、パチンコと競馬と風俗の話。
僕は一度壁を超えて、そしてここに帰ってきた。
僕は壁のこちら側で生まれ、あちら側に行き、そして帰ってきたんだ。
いったいあの四年間は何だったのだろう。
夢だったのか、幻だったのか。
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地元の連中の中には地元で教師になり、警察官になった人間だっていた。
彼らは僕より学歴が低いけど、僕よりよっぽど良い地位と収入を得ている。
着の身着のまま上京して劇団に入って、苦労しながら生活してる奴のちらしももらった。
もう僕には彼らも壁の向こうの住人のように見える。
僕は、僕の親たちは、壁が学歴の間にあると思っていた。
大都市には夢があると思っていた。
夢はあった。でも掴み方を知らなかった。
俺はそれを、とるかとるまいか一瞬だけ迷いつつ、しかし3コール以内で、笑顔を作りながらとる。
「もしもし、私、チューショーメーカー人事部の、心 優 です。
先日の面接の選考結果についてお電話いたしました。いまお時間よろしいですか?」
ほんのすこしだけ、ほんのすこしだけ、希望を持つ。持ってはいけないともう何度も学習したばかりなのに間抜けなやつ。
「まことに残念ですが~」
な?いったとおりだろ?
「よろしければフィードバックを差し上げたいのですが?いかがいたしますか?」
ん?フィードバック?それってあれだよな?どうおもったか?ってやつだよな?改善点がわかるってことだよな?
ぐるぐるしている頭を必死に整理しながら、応えた
「そうね。あなた、履歴書や、学生時代がんばってきたってことから、ある程度優秀な人材で、これからもすごくがんばってくれそうだな、ってことは伝わってきたの」
ああ、よくある否定するときはまずほめてからってやつか。やれやれ。
「だけどね?熱が、ウチで働きたいっていう熱意が、ちょっとだけね?足りなかったの。ね?わかるでしょ?」
電話口の女性の口調がくだけたものになっていることに違和感をおぼえつつも、必至でなれない敬語をつかい、あいづちを重ねる
「うん。今回は縁がありませんでしたが、大丈夫、きみならできるよ!それでは失礼します!」
ツー。ツー。ツー。
熱意 ネツイ ねつい
改めて反芻してみる。
学生生活、うちこんだこと、勉強。 さぞつまらない。先日、成績優秀性として、学校から表彰された。
なんでも学生の代表らしい。内定をもらえない、つまらない顔した代表。笑えない。
そんなことを考えていたら、夜が明けていた。気持ちは書くことによって整理される。
PCの画面にうつった、半分目を開けたミドリガメのような顔をみながら熱意、つたわらねえだろうな。てめえの顔じゃ、
と。実感する
布団の中で、両親のことだけを考えると、涙がでてくる。すまねえ。おやじ、母さん