はてなキーワード: 男女間の友情とは
去年の今頃、精神科にかかっていた時に処方して頂いたサインバルタという精神薬を服用した際に起きた副作用が原因だ。
具体的にどのような症状があるかというと
・恒常的に性欲が減退していて、性欲を刺激されることがない
・男性器に刺激を与えてもまるで反応がない
といった症状がある。
因みに夢精についてなのだが、EDになった最初の月に1回、その翌月に更に1回の夢精を経験したのだが、どういうわけかそれ以降現在に至るまで一度も夢精を経験していない。
シコってもいないし、夢精もしていないとなると、俺の身体の中で製造されている精子は何処へ向かっているのか、その行方が非常に気になるところだが、それは別に本題とは関係がないのでここでは置いておく。
さて、本題の「男女間の友情は成立するか否か」であるが、俺はする......と思う...... うん......
まあ俺も正直EDになる前は20代前半の成人男性相応の逞しい性欲を所持していたので、ぶっちゃけ男女間の友情なんて成立するわけないと思っていた。
因みにそうした否定的な意見に対してしばしばこういった反論があったりする。
「凡そ異性として見るに値しない外見の女性or男性なら友情は成立するだろう」という反論だ。
「異性として見ることが可能なレベルの男女」である為に、このような指摘は全く当たらないのだ。
故にEDに罹る以前の俺にとって、男女間の友情とはファンタジーでしかなかった。
だがEDに罹った以後の俺にとって、それは逆説的にリアルな存在になっていた。
なんたって女といい雰囲気になっても欲情しないのだ。勃つものも勃たないのだ。
エロビデオやエロ漫画を見たって欲情しないのだ。勃つものも勃たないのだ。
そして実際に裸の女と触れ合ってみてもなお欲情しないのだ。勃つものも勃たないのだ。
つーか実際的には”なかった”のだ。
こうなってくると話はだいぶ変わってくる。
別に俺が欲情しなかったのは相手の女性が「凡そ異性として見るに値しない外見の女性」だったからではない。
完全に俺は相手を「女」として見れていた。が、俺は性欲を抱けなかったし、行為も行えなかった。
これは最早男女間の友情成立の一歩手前の状態まで来ているのではないだろうか?
要するに「男女間の友情を成立させる為の下準備」が整った状態なのではないだろうか。
それは肉体的な疾患が原因なのだから、仮に今後完全に友達でしかない女友達が出来たとしても、それは男女間の友情が成立したとは言えない!と言う人もいるだろう。
しかし友情って元々様々なプロセスによる成立があり得るものではないか?
最初はいけ好かない奴だとお互いに思っていたけど、言葉を交わしていく内にそうした悪感情が払拭され逆に好き合うようになり成立した友情
あくまで互いに便宜上仮初の友人関係を構築していたのだが、次第に私的な交流を重ねる機会も増え、そうこうする内に本心からお互いを好き合うようになり成立した友情etc.
このように友情とは本質的に多様なプロセスを内包する概念である。
よってこの先俺が実現させ得るかもしれない男女間の友情もまた、1つの男女間の友情の形に他ならないのである。
だが、俺は信じている。
必ずや近い将来、俺は男女間の友情を成立させるのだろう、と。
その時が来たら、俺は堂々とこう答えるだろう。
「男女間の友情は成立する!!」と
このあいだも、5年来の男友達といつものように飲んだくれてぺろんぺろんに。気付いたらタクシーで彼の家に行ってて、ソファーに転がってDVDとか見ながら寝ちゃうかなーってところ、チューされたりしてそのままベッドに流れ込んだ。
相手も彼女持ちで、お互い今夜限りな感じで楽しい一夜を過ごしたのだけども、なんだかなあというかんじ。
私はいつもそうだ。同性の友達よりも異性の友達が一緒にいて楽だし、すぐふらりと二人で飲みに行くし、そしてめちゃんこ酔っ払うし、流れのまま求められたら体を許してしまう。
でも、したあとのなんだかなあというかんじ。友達関係が崩れるとかそういうのもきにしてないけど、やっぱり男女間の友情って紙一重だなーというか。
お互いに恋人がいる同士で知り合って、これまで飲み友達で、以前酔っぱらって彼の家に泊めてもらって一緒のベッドで寝たけど何にもなかったこともあったりして、性的なあれが全然ない男友達本当よいなー!と思っていたのに、昨日はしてるときに「いつかセックスすると思ってた」と言われて、なんだろう、うれしいようなむなしいようなさみしいような。
もちろん異性として嫌いじゃないからセックスできたし、しているときは愛しさもあるのだけど、じゃあいま大好きな恋人と別れて彼と付き合うとかは絶対ない。あり得ない。
酔っぱらって盛り上がったあと、朝セックスした後、何を話せば良いかもわからずにそそくさと帰ってしまった。
でも彼は大事な友達だと思ってる。セックスしたけど、友達。友達でいられるかな。
これまでもこういうことが何度かあったけど、まあ、どうでもいいんだなーって思う。貞操観念が低いのかな。それはそれでいいのだけど。罪悪感はないし。
でも、友達とセックスしちゃうと、その友達とは友達じゃなくなってしまうのだ。な。
それがさみしいのかも。セックスするのはうれしいような気がするけど、友達じゃなくなるし、それがむなしいのかも。
友人の「二人で飲み行きたいって思う相手(異性)とはチューできるでしょ?その先は流れ。」という金言を思い出していた。
こないだラジオで「男女間の友情は成立するか問題」という手垢の付いたネタを飽きもせず取り上げていたので、
まんまと釣られてつらつら考えたことを書き留めます。
「男女間の友情は成立するか」というのは「納豆は人類の食べ物か否か」と問うているようなものであって
イケル人もダメな人もいるよね、で本来ならば結論してしまう程度の話である。
つまり「あなたは成立する派?しない派?」というのがより答えに近づくためには有効な問いなのだが
誰も真剣な回答を求めているわけではなく、会話を盛り上げるために投下するスパイスのようなものなので
「男女間の友情は成立するか」という形での問いは、解りあえない断絶を作り出して楽しみ、また
「目の前のコイツは自分のことを恋愛対象としてみているのか否か」という淡い期待をくすぐる装置として実に有効なのだ。
「成立する派」にナンデ?成立ナンデ?と問うても、だって成立するんだもん、としか答えようがないと思うので
では「成立しない派」はなぜ成立しないのか、ということになるが、
実はここにも前提条件のトリックがある。
「成立しない派」とは、言い換えれば「異性の友だちとは何かあれば恋愛関係に発展する派」ということであり、
「異性の友だち」と認識する相手であればそこに例外がないという式が成り立つ。
だが見方を変えると、それは本人も自覚していない意識の告白そのものなのだ。
実は「成立する派」と「成立しない派」ではそもそも「異性の友人」は同じことばで違うものを指しているのだ。
「成立する派」にとって「異性の友人」は異性の友人なのだが、
「成立しない派」にとって「異性の友人」とはそもそも最初から「恋愛対象」なのだ。
つまり「成立しない派」とは「恋愛対象になる異性とだけ友だちになる人」のことなのである。
恋愛対象にならない異性とはそもそも仲良くならない人のことなのだ。
それでは成立しないのは当然のことだ。
すなわちこの問いが真に浮き彫りにしているものとは
「あなたは恋愛対象でない異性と友だちになる派?ならない派?」ということなのだが、
この問いでは身も蓋もなさすぎてマトモな回答は得られない。
やはり「男女間の友情は成立するか」という問いは、間違っているがよくできているのだ。
ちょい前にちょい話題になったこの問題。
とか何の反論にもなってない。
A1.お互いに魅力的なら
A1a.恋人にできるぐらい性格の相性が良いなら、恋人 or キープ or 浮気相手
A1b.恋人にするにはちょっと、、、なら、セックスフレンド or 友達 and オカズ
A1c.友達にするにもちょっと、、、なら、セックスフレンド or 知人 and オカズ
A2.一方のみが魅力的なら
A2a.恋人レベル: 片思い or ストーカー or 魅力が無い方は相手はオカズ and 魅力がある方は良い友達
A2b.恋人無理: 魅力が無い方は相手はオカズ and 魅力がある方は友達
Bc.知人
実際には一方は相手の性格も好きで惚れているが、
相手からは性格含めてゴミ認定という場合もある(ってかその方が多い)が、
そういうケースを全て網羅すると分類がややこしくなるし、
というのは、お伽話だと思っていたが、ちょっとそれっぽい状態だなぁと思うなう。
「男女間の友情」を信じてる子に、全幅の信頼をもらっている。あなたがいてよかった、最高の親友だ、と言われている。
私が妻子持ちなので、一線超えることはあってはならない、が、彼女のことはとても好きだ。
彼女内内で、友達ランキング一位みたいな位置づけにいると思う。
そして、そのランキングは友達フォルダの中で、異性として見る対象フォルダには決していない。
家庭を壊すつもりはないし、彼女もその気は無い。
が、こう、恋心、とまでは行かないまでも、モヤモヤしたものを抱えている。
私には、三年ほど前から仲のいい友人たちがいる。
年齢も性別もてんでバラバラな6人ほどのメンバーで、定期的に飲み会をしたり誕生日会などをしてきた。
さて。
私はその中の1人であるAさんと、半年前くらいから二人でも会うようになった。
Aさんはとても若々しく、話していてとても楽しい。
特にここ一ヶ月は私が春休みに入ったこともあり、毎週のように会って遊びに出かけ、ほとんど毎日メールもしていた。
誕生日には少し高価なお酒をあげ、お礼にアクセサリーを貰った。
彼は人との距離がとても近く友達も多い人で、共通の男友達B君とも毎週飲みに行っているらしい。
Aさんとのを関係を女友達に話すと、「それって付き合ってるんじゃない?」「相手はそのつもりなんじゃない?」と言われたが、
私は完全にAさんを友達と思っていた。
ところがつい先日、飲み会の帰りにAさんに手をつながれた。
彼はかなり酔っているようだった。
そのあと喫茶店で酔いを覚ました後帰る道すがらで、
「僕たちって、もうつきあってるみたいだよね」
私は混乱しながらも、
「AさんB君とも毎週会ってますよね?その理屈で言うと、B君ともつきあっているのでは?」と返すと、
「それは違うよ〜」と笑っていた。
昨日またAさんと出かけた時、私が少し体調が悪い旨を伝えると、「じゃあ手をひこうか?」と手を差し出された。
私は適当に理由をつけてそれを断った。
私は今、とても哀しい気持ちだ。胸が苦しい。
どうして、私はこんな気分になるのだろうか?
これまでと関係が変質してしまうかもしれないことが、今までの彼の行動や好意が恋愛感情からもたらされたものであるかもしれないことが、嫌なのだろうか。
誰かに解析してほしい気分だ。
ただ漠然と思っているのは、なんとなく、彼とは付き合いたくない、友人のままでいたい、ということだ。
ノリだけで言ってみたりするけど。
リア充の範囲は人によってさまざまだが、一般的には「交際相手がいる人」のようだ。
リア充というのは往々にして問題を持ち込む存在であるから爆発しろ!と言われているのであると思っていた。
が、そうでもないらしいことを最近知った。
あれは嫉妬と羨望を込めた自虐ネタだったらしい。
解せぬ。
交際相手がいることはそれほど重要だろうか。
羨ましいだろうか。
世の中みんなそんなに恋愛がしたいのか?
そんなに誰かの特別な存在になりたいだろうか。
あれはこちらが求めなくても向こうから降ってくる。
オタクだから、容姿が悪いから、太っているから、などというのは全くアテにならない。
よくよく考えれば世の中いろいろな嗜好の人がいるのだから、どんな容姿でもプラスにもマイナスにも働くのは当然である。
しかし男女間の友情など存在しないというのが痛いほどわかった。
こんなに理不尽で納得がいかないことは無い。
男女が永遠に良い友人で居続ける方法を発見した人がいたらノーベル賞を送りたい。
誰かが発見してくれることを切に望む。
それにしても何が一番厄介かというと、色恋沙汰は伝染性であることだ。
感染力が非常に高い熱病だ。
様々なものが疾患扱いされている中で、何故恋愛が疾患認定されないのか全く解せぬ。
そもそも恋をしている人間と言うのははたから見たら病気にしか見えないと言うのに。
病原体だの菌だのだと思えば、説明がつくのだ。
かく言う私はアナフィラキシーショックを起こした。
体に合わないものは毒だ。
そんなわけで、リア充にならぬよう日々を過ごしている。
やりたいことは様々とあるが、その中に愛とか恋とかはないのだから仕方ない。
非難されるいわれもないし、自己嫌悪する必要もない。
人は一人で死んでいくのだし、生きていく間も一人であったからと言ってなんらネガティブにとらえる必要はないのだ。
3年ぶりに会って遊んだ先輩に、遊んだその日に告られた
なんでも当時好きだったとか
確かに私もあの頃先輩が好きでしたよ、先輩に彼女ができたから頑張って諦めて
悔し紛れに笑い話っぽく「私も好きだったのにー」って確かに当時言いましたよ
でももう3年前だよ?私そのあと彼氏できて、今もずっと続いてるのも知ってるよね?
っていうか、めっちゃ惚気たよね?私
別れる気ないって何度も言ったよね?
先輩も3年間のうちに何人か彼女できたって言ったよね?
先輩が今過酷な状況にいるのは知ってるけど、そのストレスからくる人恋しさと恋愛感情ごっちゃにしてんじゃないの?
いくら昔好きだったなんて言っても、お互い色々変わってるのに会ったその日にいきなり恋愛感情芽生えるもんなの?
彼氏とあんまり会えてないって言ったから、ごり押しすればなんとかなると思ってんの?
なんか、信用してたのにもう無理だ。男女間の友情なんてありえないんだね
「異性の友達」に対する考え方の傾向には男女間で大きな差がある
男女間の友情は間違いなくある。セックスしてもある。しないでもある。そのあとでも、こいつといると安心するなぁというのがあればいいと思う。ちなみにセックスは何となく流れでセックスしてる。女に限らず、男とも。しちゃってそのまま疎遠になった人もそうでない人もいる。しなくても疎遠になった友達もいる。長年つきあっている女友達の中にはセックスした子としてない子がいる。男女に性欲は必ずある。友情とセックスって関係ないと思うよ。別腹だもん。あとモラルがそこに介入するとこじれるから注意。やりたいようにやればいいと思うよ。よく友達から快楽主義って言われるけど。
http://anond.hatelabo.jp/20100322070125
まあいろいろあっても本音はそんな感じだよね、って思いながらブクマ開いたらちょっとくらくらしてしまったので、わたしも増田になってみたよ。
「友情」と簡単に言うけれど、そもそも「友情」って、どういう感情のことをそう呼ぶのか、自分の抱いているこの気持ちは本当に「友情」なのか、もしかしたら何か他の気持ちをごまかしてそう呼んでいるだけなのではないか、そういうことを少しでも考えたことはある?
たとえば高校生とか大学生の男女間でしばしば交わされるこの約束。
「男とか女とかそういうの抜きにして、お互いに一人の人間として仲良くやっていこう」
別にこの言葉が青臭いと言って否定はしない。
でも、もしあなたに、この言葉が含む矛盾を拾い上げることができないのなら、「男女間の友情」を語る資格などないとわたしは思いますよ。
だって「男であること」「女であること」も含めて、一人の人間でしょう。
「男であること」「女であること」を抜きにしたら、その人はその人でなくなるし、あなたもあなたではなくなるんだよ。
たとえ思春期・第二次成長期を迎える前の、一緒にお風呂に入っててもおかしくないような小さな子ども同士であっても、この約束は成立しない。
だって、生まれたときから男性は生物学的に男性なのだし、女性は同様に女性だからだ(ただし性同一性障害の方についてはこのように単純に断言することはできないが、あくまで自己認識としての性をイメージしていただけたら、と思う)。
ああ、思春期以前の子どもにはエロ衝動がないなんて思ってる人がいたら大間違いだからね。
知識がないだけで性欲はあるんだよ。
そりゃ現れ方は大人よりダイレクトだったり、大人よりかわいらしかったり、いろいろあるけどね。
また、同性愛者についても相手が同性に変わるだけでおおまかな話は同じだ。
いつから同性愛者だったのか、生まれたときからなのか一年ぐらい前からなのか、それもあんまり関係ないと思う。
で、上記約束によってマブダチとなった男女、何しろ波長が合うので話しても話しても話が尽きない。
他の男の子には話せないけどこいつにだけはなぜだか何でも話せる、みたいなそういう関係ってありますよね。
んで、今度いっそのことパジャマパーティしようよ!夜を徹して語り合おうよ!って話になります。
もちろんエロい展開になどなろうはずがない。
だって「男とか女とか抜きにして」仲良くしてるんですから。
相手はお互いにとって男でも女でもないニュートラルな存在なんだから。
さて友人A子がそういうことで今度そのマブダチのB太郎の部屋に泊まりに行くと聞かされたあなたはどう感じますか?
「まあ正直ちょっとだけ心配だけど、B太郎も信頼できるやつだし、普段の二人を見てる限りそんな間違いなんて起こらないよね。本人同士がそういう関係って認め合ってるんだし、それを尊重するべきだよね」
ぐらいなもんでしょうか。
なぜ「正直ちょっとだけ心配」なの?
あるいは
「いくら男女関係ないって言っても、それとこれとは別だよ。A子だけじゃなくB太郎のためにもやめといたほうがいいよ」
と忠告しますか?
あるいは
「またまた友達とか言いながら、もうB太郎のティンティンもフラグもビンビンじゃん!お幸せに☆」
と勝手に二人が「男女の仲として」結ばれちゃう想像をしますか?
そして、泊まりに行くのが同期の女友達「C美」の部屋だったときは、あなたは同じように心配したり忠告したり妄想したりしましたか?
しませんでしたね?
この場合、B太郎、A子、C美は全員異性愛者と仮定してください。
同性愛者を登場させたい場合はその人のところを別の性に差し替えて読んでみればいいと思います。
それともそもそも、A子はB太郎とのパジャマパーティなんて企画しないのでしょうか?
なぜ?
同期のC美とはやってるんです。
マブダチのB太郎とならやったっていいはずですが。
なぜ?
さらにB太郎視点でも考えてみます。
仮にB太郎がA子の提案に「いいよ、おいでよ」と、もちろん下心などなしに(ここもわたしとしては疑問符がつくところですが、まあそれはいいです)快くA子を招いたとして、A子がしゃべり疲れて先に寝ちゃって寝返りを打った拍子におっぱいが露出したときに、B太郎は欲情せずにすむのですか?
「うわっ!!あああやべー、変なところが元気になってきたあああ!!俺は何欲情してんだ!相手は大親友のA子だぞ!最低だ俺!最低だ!」
と、アスカで自慰をしたシンジ君のように自己嫌悪に陥るかもしれませんが、まあとにかく欲情はします。
しますね?
たとえA子が恋愛対象になるのはあまりにアレな外見だったとしても、無防備なおっぱい露出を前にしてまったく変わりなく平然としていられますか?
その自信はありませんね?
これがもしB太郎と同期の男友達D男だとしたら、寝返りの拍子にその逞しい男性器があらわになったとしても、せいぜい大笑いしながらぞうさんをマジックで書くぐらいでしょう。
これがA子のおっぱいなら、いくら仲が良くてもA子がたとえマツコデラックスであっても、乳首部分を中心としてマジックで目玉おやじを書くことなどできないはずです。
なぜですか?
あるいは最初からA子の提案を飲まない可能性もありますね。
なぜ?
いきなり「C美」とか言いながら詰問されても、某有名大御所はてなーの名クイズシリーズをパクってるみたいで相当印象悪いと思いますが(ごめんなさい)、答えは言うまでもなく「A子とB太郎が互いに異性だから」ということです。
つまり、男女間の「友情」と同性間の「友情」は、違います(繰り返しますが、同性愛者の場合もまったく逆の意味で違います)。
どう違うか?
性的対象となるかどうか、に決まってるでしょ。
相手が「自分にとって性的対象になる性を持つ存在」である場合、そうでない存在と同列に考えることはできません。
お泊まりの話はそのひとつの例ですが(勢いだけで殴り書きしたのではっきり言って蛇足ですが)、何より冒頭に書いたように、男性であること、女性であることも含めてA子であり、B太郎という人だからです。
で?だから何?という話ですが、ではそのように、異性間にある「恋ではない(と当人は思っている)のだけれど親密な感情」は、同性間の「友情」と同じように「友情」ということばで括ってよいものなのか?とわたしは思うわけです。
つまり、性的要因による互いへの配慮、あるいはそれによるある種の葛藤が不可避である(別に不可避ではない、そういう状況にははじめから遭遇しない、との反論も予想されますが、厳密にはやはり不可避です)男女の親密な関係を「友情」という言葉で定義するのは、あまりに乱暴なのではないか?それは人間関係を自分の中で熟成させるうえでひとつの精神的怠慢と呼ぶべき事態なのではないのか?ということです。
ここであの「友達以上 恋人未満」という魔法のキーワードが出ます。
しかしこれはほとんどの場合、いずれ恋愛関係に発展することが見込まれている関係です。
よって、これは「友情」という言葉の定義にかかる問題とは切り離していいと思います。
では「お兄ちゃんみたい」「お姉ちゃんみたい」「弟みたい」「妹みたい」といった家族愛に似た親密さはどう扱うべきか。
これは「相手を異性とは認識しているが性的欲求は感じていない」ということです。
しかし異性として認識しているのなら上記のようにおっぱいに目玉のおやじの落書きをしたりすることはできませんので、ていうかそんな落書きをするような人がこの世にいるかどうか知りませんが、注目すべきはあくまで「みたい」どまりで、本物の家族ではないことです。妹のように純粋にマスコット的にかわいがっていたロリ美少女が寝返りの拍子に意外とたわわなおっぱいを露出させたら、やはり一瞬でも吸い付きたい衝動に駆られてしまうのが男なのではないでしょうか。これが実の妹に同じような衝動を感じてしまうのであればちょっといろいろ人として違うと思うのですが、良識的なはてな村民にそんな人はきっといないと思います。
とにかく男女の関係とは多重的で、ひとつのことばでビシッと定義できるものではないように思います。
自分の話になりますが、わたしには学生時代からずっと連絡を取り合っている友達が何人かいますし、彼らのことを「人間的に」大好きです。
男も女も。
しかし、ふとした拍子である男子と図らずもエロい雰囲気になってしまい、その場はなんとか未然に取り繕って今はまた前と同じように仲良くしていますが、それ以降、ふたりの間に「例の件はタブー」との暗黙の了解ができ、同時に、再発を避けたい気持ちと、何かこう、アバンギャルドを互いに期待する空気が混在して変にややこしいことになってしまっています。
付き合いが長くなればなるほど、そして関係が密なほど、こういうハプニングで意識せずもがなのことを意識せざるを得なくなります。
これでもわたしと彼の間にあるのは「友情」と呼べますか?
わたしたちが「友情」と言い張れば、そうなるのでしょう。
しかし、本当にこれが「友情」ですか?
わたしには、これを「友情」と呼ぶだけの図々しさは持てません。
でも、仕方ないと思います。
男は女に性欲を持ち、女は男に性欲を持つようにつくられている以上、こういうきっかけは世の中に無数に転がり続けているのです(くどいですが、同性愛者については読み替えてくださいね)。
あるいはわたしのように生々しい性欲でなくても、相手を「異性であるがゆえに」親しく感じたり、大切に感じたりする気持ちも、性欲に由来するものです。
恋だってもちろん。
それらがほんの少しでも混じってしまうと、その瞬間から二人の間にあるものは「友情」ではなくなっていきます。
異性に、明らかに恋愛とは異なるのだけれども好意的な感情を抱くことがあります。
たとえば「尊敬」とかです。
でも「友情」とは、違いますよね。
両立することはあります。結構よくあると思います。
しかし、イコールではありません。
じゃお前にとっての「友情」って何?って話ですが、「愛」の一種だとわたしは思っています。
相手の存在を大切に思い、相手の幸福を願い、ともに過ごす時間を大切に思う、簡単に言うとそういうようなことで、性欲さえなければ男女間にも十分に成立する余地はあると思うのですが、やはり性欲がある以上、男女間でこういう関係を長期間育んでいくのは難しいというのがわたしの考えです。もう眠いので寝ます。
セックスという行為に重大なリスクがなければ、それ(男女間の友情)も可能。
しかし、現状セックスにはとてもリスクがある。たとえば妊娠出産病気世間・・等など、どれも深く人生に係わる。
そしてそれらは一瞬にして「友情」なんてものをあっという間にを吹き飛ばす破壊力がある。密度の高い地雷原そのもの。
たまに増田みたいな、ちょっと頭がお菓子な感じの子が、地雷原であることに気がつかず、そんなところで鬼ごっこをしてる。
地雷をふんだカップルはもちろん、もしくはあるとき不意に地雷原の真っ只中にいることに気がついてしまったカップルはとても友達ごっこなんかしてられない。
たとえ、運よく、二人でその地雷原から抜け出すことができたとしても、それは友情ではなく情けや愛情、憎悪に変わっているわけだ。
概ね同意。
ただ、その女とやろうではなく、その女と仲良くなって別の女を紹介してもらおう、
という考えがあるので結論、男女間の友情はありえない。