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はてなキーワード: 消極的自由とは

2019-05-26

まりよくわからない消極的自由積極的自由の違い

消極的自由とは「学びて思わざれば則ち罔し」であり

積極的自由とは「思ひて学ばざれば則ち殆し」である

2019-01-28

anond:20190128170946

近代自由主義モダンリベラリズム、英: Modern liberalism, Reform liberalism)は、自己他者自由尊重する社会的公正を指向する思想体系のことをいう。レッセフェール自由放任)を基本原理とする古典的自由主義自由至上主義とは異なり、それが人々の自由をかえって阻害するという考え方が根底にある。現代において個人自由独立した選択実質的保障し、極度の貧富差における経済的隷属や個人社会的自由侵害する偏見差別などを防ぐためには政府による制限や介入をなくしたりする(無政府資本主義リバタリアニズム新自由主義)のではなく、政府地域社会による積極的な介入も必要であるという考えに基づく。

(中略)

日本語では消極的自由を重視する古典的自由主義とのニュアンスの違いを表すため、また、混同を避けるためにあえて自由主義ではなくリベラリズムと呼ばれることが多い。英語圏ではSocial liberalism(社会自由主義)と表現される。

2018-12-27

anond:20181226230436

フランス革命後の議会由来だというのはそうだが、フランス革命後の時点では保守革新じゃなくて、重商主義者、対弱者重視者だと思う。

消極的自由主義規制自体をなくす)VS積極的自由主義結果的自由に生きられるようにする)

とでもいいが。

ただ、封建主義を破ったあとの自由主義格差拡大と景気低迷で行き詰まった。

解決策としてケインズ政策(国が国自身借金税金金利政策需要調整を行う)とマルクス主義(国自身が全部管理する)に分裂した。

上記重商主義者の枠組みがケインズになり、弱者重視者がマルクスに流れていった。

相対的自由主義から変化が少ないのがケインズで、変化が多いのがマルクスから保守革新という枠組みになったが派生的なもの

マルクス結果的には負けたけど、ケインズもかつ直前にオイルショックがあって新自由主義に乗っ取られた。

で、ケインズ乗っ取り新自由主義右翼を名乗ってる。だが、うまく行っているものから徐々に変えていくか、教条的に変えていくかであれば新自由主義革新だ。

ゆえに、1980年代以前のケインズVSマルクス時代だったら重商主義者=ケインズ保守VS弱者重視者=マルクス革新でよかったが、

また、重商主義者対弱者重視について、新自由主義ケインズ主義では、新自由主義右翼重商主義者で、弱者重視者=左翼ケインズとなる。

だが、現在典型的右翼新自由主義革新となっている。典型的左翼経済政策無策か新自由主義だ。

典型的右翼も、典型的左翼も両方革新だ。

2018-11-27

anond:20181127081003

経済史的にだいぶ昔は封建主義と言って、偉い王様貴族統治するのが良いという考えだった。

そこで自由商人が動き回れるのが理想的だという考えが生まれた。これを自由主義という。

その中でも重商よりと弱者寄りで別れていった。フランス革命後に重商寄りが右側、弱者寄りが左側に議席を配置したから、重商主義右翼弱者より=左翼という概念が始まっていった。

別の言い方をすれば重商主義消極的自由主義(完全に自由にするのが良い)が右翼弱者より=積極的自由主義結果的自由になるようにするのが良い)が左翼かな。

ただし、自由主義の行く末として、貧富の拡大と不景気、そして一部戦争になっていった。

その自由主義批判として、ケインズ主義マルクス主義が生まれていった。ケインズ主義は国が需要など経済責任を追うこと。マルクス主義は国が全部管理したほうが良いという形。

その時点ではどちらが良いか優劣がつけ難く、世界が2分された。ケインズ主義右翼保守側、マルクス側が左翼革新側となった。

ご存知のとおり、冷戦終結マルクス主義は破れたのだが、ケインズ主義冷戦終了の少し前にオイルショックが起きたため、完全じゃないと新自由主義に乗っ取られ始めた。

そして、冷戦終結、かつ、ケインズ主義国家新自由主義化で低成長、長期不景気が起きている。

新自由主義ケインズの知見を全部捨てて自由放任フラット税制にすれば景気が回る程度の思想しかいから。

というのと、あまりわかってない国民煽動するために、「敵か味方か、敵なら攻撃する、味方なら他のこれも賛同しろよ」という権威主義のもと右翼左翼利用しようと考えだした。

マルクスは負けたのはまあ、仕方ないが、だからそれと反対の自分たち右翼正義だ!ということで思考停止させ、他の都合のいいことも賛同させようとしている。

更にそれが行き過ぎて、今では石破支持とか、グダグダオリンピックに反対するのまで、左翼扱いしている。

今の定義ではほぼ政権全面支持=右翼政権わずかでも批判するやつ=左翼ぐらいにまでなってるだろう。

もはや今では政権問題点批判するのすら抑え込むためのツールと堕しているもの右翼左翼という時点で旗頭に乗っ取っている時点でバカにしていいと思ってる。

2018-09-30

anond:20180930223651

横だがリベサヨ(というのがよくわからんが)ってもっとパターナリズム的なあれじゃないの?積極的自由標榜してるような。

愚行権ってことばはリバタリアン界隈側から出てきたやつだしパターナリズムとは対局の、消極的自由を主張する側だと思ってたんだけど。

もしかして↑は認識が違う?

2018-09-07

anond:20180906185504

リベラリズム

「〇〇から自由消極的自由)」と「〇〇への自由積極的自由)」と本来は分けられるべきなんだよね。

前者は自由放任。小さな政府。故に官によってきめ細やかなサービス必要教育大学研究医療福祉が大ダメージを食らう。

後者はある程度権利を成約して結果的に各々が自由選択肢を選べるようにすること。女性社会進出のために保育所整備とか。格差によって子供教育に差が出ないようにして、

努力さえすればどんな職業もつけるようにするとか。

ただし、大きな政府になって非効率になりかねない。

2017-10-23

anond:20171022160346

リベラル保守主義対立軸として捉えてるからそんな訳わかんこといい出すんだよ

すでに常識だと思っていたけど保守主義リベラル対立軸じゃない。

しろリベラリズム保守主義の中で芽生え育てられてきた。

その変遷の過程の中で、消極的自由主義積極的自由主義に枝分かれし、前者はより小さな政府志向するように、後者大きな政府志向するようになった。

今日日本でいわゆるリベラル勢力と言われるのは後者積極的自由主義大きな政府志向しているので、あらゆる分野において国家積極的に関与してコントロールしようとする。

から子育て支援にも積極的なんだよ。

”そこには多様性があるのだから政府が一律に優遇冷遇をするべきではない”

これ、めっちゃ保守的リベラリズムの考え方だよ。

2017-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20170323053036

おれはリバタリアンだけどそういう息苦しい社会は持続可能ではないと思う。

増田が挙げているのは自己責任論というより、自分もつ特定思想に反した振る舞いをする人間罵倒するお墨付きが与えられる社会って感じだ。

本当の自由主義社会は、どんな行いも基本的に(迷惑を掛けない限り)許容され、

それによるどんな類の失敗であっても、ある程度社会がフェイルセーフしようとすることが肯定される社会だ。

増田のと真逆なんだよ。増田モデル全体主義ファシズムに近い。

そして、自己責任論と結びつけられやすリバタリアニズムだけれども、

リバタリアン想像するリバタリアンは「個人自分のやることを理性的判断して行動できる合理的個人である

と主張して暗に「賢くなれ、さもなきゃ死んで当然」と言わんばかりのマッチョだと捉えられがち。

でもリバタリアンと言われる人の多くはそんなに凝り固まっていない。賢くなることは重要だとは考えるけどね。

だってそうでしょ、人間はつねに合理的行動ができるなんて思っている人はそうそういない。

認知症から大事故を起こしてしまった、お前が認知症なのが悪い、

ギャンブル依存から破滅してしまった、お前がギャンブル依存なのが悪い、

そういった例が100%自分責任自分コントロール圏内にあったのか、と言われれば誰もが難色を示すだろう。

そもそも情報があふれかえる現代、人は自分意志で「自己決定」していることなんてあるのか、

なんてシニカルに言うことすらできるんだから

「~から自由である消極的自由は守られるべきだが、「~する自由である積極的自由を認めすぎると

衝突にあふれた社会になり、他人攻撃制御・統制しようとする邪悪自由侵食され、消極的自由が脅かされる。

増田のいう「当たり前の価値観」は後者だ。

穏健なリバタリアンは、車を持ったりタバコを吸ったりする自由などほとんどは認めるけれど、

それによりどうなってしまうか、合理的判断ができるように、越境する前に柵を設置して、注意書きをするんだよ。

そうやって「自分意志で乗り越えてる」ことを明確に意識させる配慮をした上で「自己責任ですよ」と言う。

もちろん乗り越えて死んでも知らんぷり、というわけでもなく、最低限の救いは用意するし。

理性的判断可能性をブーストしたうえで(これがリバタリアニズムITとの親和性が高い理由)の自己責任

それは、乗り越えて失敗した人を切り捨てる(ザマーミロする)ための自己責任ではなくて、

乗り越えた結果失敗してしま被害を最小化するために自己責任の考えを導入しているにすぎない。

日本で使われる「自己責任」は前者のニュアンスであることが多すぎて、苦々しい思いだ。

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