はてなキーワード: シフトチェンジとは
どうにもこうにも親が機械の操作について、同じ事を何度も聞いてくることに苛立ってしまったからだ。
機械といっても、車のシフトチェンジなど分からなければできない操作ではなく、ディスプレイに専門用語ではない用語で丁寧に表示されている操作を、逐一毎回聞いてくるからだ。
おまえは日本語が読めないかと最初はバカにしていたが、話を聞くうちにそうではないということがわかった。
どうも失敗することができない操作と失敗してもリカバリーできる操作の区別がつかないらしい。
PCやAV系は失敗できない操作は普通最終確認をしてくることは、使える人はわかっているから、初めて使うソフトウェアやWEBサービス等を使うことが出来る。
その取り敢えず画面に従ってみるということが出来ないようだ。つまり表示を信用していない、いや信用できるか判別できない。
なんか聞いたことがある話かと思ったら、そうだ赤ちゃんのことだと気がついた。
赤ちゃんはチャレンジャーでなんでも真似してしまう。身体的に不可能なことでも、リカバリー出来ないことでも。
この場合、その模倣相手は画面表示だが、リカバリー不可能な操作をしてしまうことを恐れて逐一聞いてくるようだ。
ただ、赤ちゃんは親が見張ってくれるように、一般的にリカバリー不可能な操作は画面で警告してくれる。
まずはそこを教えるべきだったと反省している。
まとめ
思いのほか、反響が大きくて驚きました。ご質問やご意見に、反応と言うか、意見を書きたいと思います。
観察したり批評するという行為自体が、基本的に上から目線です。絶対そういうことを言われるだろうなと思ったのが自分のブログではなくマスダで書いた理由です。「天皇機関説」「産む機械」「暴力装置」等々、社会科学の文脈で語られた言葉でさえ優越感ゲームで処理されてしまう世の中です。こうした負の連鎖について、学校で教えればいいという意見もありましたが、絶対に無理だと思います。当事者たちから感情的な反発が来て、社会的なリンチにあうのが目に見えているのに誰が火中の栗を拾うでしょうか。お金のこと、キャリアのこと、仕事のこと、本当は中学までに教えておいた方がいいことがたくさんありますが、それがなされていないのにはそれなりの理由があります。
[地主のことが書かれていない]
H町は地方であり郊外ではあっても農村ではないということです。一時的な土地バブルがあったとしても、その恩恵を被ることが出来るのは資産家だけです。農民は、フローは少なくてもストックは持っているので、都市郊外の開発初期には、バブル資産家が続出しました。しかし郊外に住んでいる人はそうした人ばかりではありません。H町は、一度、農村化から工業化の過程を経ているために、住民の大半はプロレタリアート層(あるいは下層ブルーカラー)でした。地方=貧困とじゅっぱひとからげで見るのが間違いであるように、主に都市プロレタリアートの人が言いがちな、地方=資産家の構図も全体に敷衍するのは間違いです。
[戦後にはそういうところから成り上がった人たちがたくさんいる/別にブルーカラーでも不幸とは言えない]
現在は高度経済成長を経て、安定成長の時代も経て、デフレの時代です。そうしたチャンスの時代を経てなおかつ成り上がれなかった人たちが取り残されている問題なのです。「生きがい労働」がどうしたと散々不平不満を言っている今の世代が、ブルーカラーでもそれなりに幸せというのは偽善じゃないでしょうか。選んだ結果ならばともかく、それしか選べなかった、実質的には選ばされている状況で、人それぞれというのは気休めとしか言いようがありません。
[新住民も"上層"下層プロレタリアートに過ぎない]
これはある意味そう思います。元記事は、勉強という切り口から見たのですが、根本の知的好奇心が欠けているのは新住民も原住民も大して変わりません。これは精神論の話をしているのではなくて、根本の欲求がない限り、勉強が能力として身につかないという側面があるので、これは重要な問題です。恐竜博士といわれるような小学生は興味があることについては専門家レベルの知識を持っています。そういう人に、興味もない人が付け焼刃で暗記したところで太刀打ちできません。メリットシステムの上層部は、恐竜博士みたいな人ばかりなので、いずれ新住民も挫折を強いられることになります。それでも、下士官どまりであっても日常的に殴られる二等兵よりはマシです。新住民はその程度のことは理解しています。彼らは将軍になるためではなく二等兵にならないために走っているのです。
[金持ちを引きずり落とす必要がある]
「金持ちを貧乏にしたからと言って貧乏人が金持ちになるわけではない」と某女性が言いましたがこれは間違いです。経済自体はプラスサムですが、経済構造にはゼロサムの部分があるからです。一番わかりやすい例は農地解放です。富の偏在の是正を比較的可能にした戦後日本と、戦後すぐには日本より豊かであったフィリピンの現在の姿を比べれば一目瞭然です。メリットシステムの結果発生した富と、アリストクラシーの結果保持された富はまったく性質が異なります。前者はメリットシステムを強化し、後者はメリットシステムを弱体化させます。少なくとも新住民に「努力の報酬」を与え、原住民に努力の動機を与えるためにはメリットシステムの強化は不可欠であり、そのためには既得権益層を弱体化させる必要があります。
そういう極端な例を言うなら、逆のことも言えます。そういうことを言う人たちは家庭内の虐待を助長しているのではないでしょうか。
家庭には子供を抑圧し、スポイルしてしまう面もあると指摘することが、アボリジニの盗まれた世代に直結するというならば、家庭の不可侵性をことさら言い募る人たちは、親が子供を所有物のように扱い、虐待することを是としているとも言えるのではないでしょうか。物事を多角的に見ずに、だから進歩主義はダメなんだみたいに言いたがる人には、おぞましいという感情しか持てません。
じゃあ、どうすればいいという具体的な解決案が私にあるわけではありません。あるというなら、あると言う人が提示してくれればいいと思います。分かり易い具体的な解決があるならすでに実行されているでしょう。問題だけ示して解決も出さないのが無責任と言われるなら、そう批判されてもしかたがないと思います。しかし問題があるものをないということは出来ません。
不満に思っていない、と言い聞かせている、と私は思います。仮に宝くじにあたって、以前と同じライフスタイル、以前と同じ消費財で満足できるでしょうか。できるというなら、それはそれぞれの好みだと言えるでしょうが、実際にはそうではないわけです。選択可能性があって、初めて選べるのであって、選択可能性がないところで手に入れた物はあてがわれたものに過ぎません。努力をする人、特に自分の子供が努力をするのを引きずり落とそうとするのは自己欺瞞を突き付けられるからではないでしょうか。戦後の、教育熱心なお母さん(北野サキさんみたいな人)とそうした原住民の親の違いは自己欺瞞の自覚の有無だと思います。
原住民の友達の中にはマンガでさえ本というものは読まない子はたくさんいました。そういう子たちも中学の頃には「少女コミック」を熱心に読んでいました。素敵な彼とセックスしてしあわせ、みたいな話です。今にして思えば、小学館は貧困ビジネスをしていたんだなと思います。
[原住民にも向学心はある]
逆上がりができるようになって嬉しいくらいの向学心はあります。小学生の時の「勉強ができない」は本当に簡単なところで理解がつまずいているのですから、少し整理してあげるとパッと分かって、魔法みたい、嬉しいということはありました。ただ、それが続かないのです。それを続かせてサポートする環境がないのです。原住民の子でただひとりだけ、有名大学に進学した子(男の子)がいました。彼は頑張ってそうしたのではなくて、もともとの知的好奇心がある子だったので、勉強しないことの方が苦痛、という子でした。彼とは何でも話せる友達になりましたが、彼は少年時代ずっと、家族からさえ変人扱いされました。彼を励ましてサポートしたのは私と私の家族くらいだったと思います。彼の場合は、たとえ変人扱いされたとしても向学心の衝動があったので、どうしてもそうせざるを得ない結果、勉強したのであって、そういう生まれながらの衝動がない子ならば、そうじゃないならとっくに「かわいがられる方向」にシフトチェンジしただろうと思います。ちなみに彼は私の今の夫です。
付き合って7か月の彼がいるんだけど、喧嘩もするけど最近すごい仲良し。
まず先週。交換日記始めた。この歳でwって感じだし、いまさらかよって感じだけど、
あ、意味わからないね、ごめん。なんか、彼がカートやら4輪のレースに出てるもんで、
手のひら出して「この上で走ってー」って言ったら指で生命線を走ってくれた。
しかもカーブに差し掛かるときはちゃんとシフトチェンジしてたっていうかわいさ。
で、手相短いからもう一方の手をだして線繋げたら、なんかわかんないけどジャンプ音まで
でも絶対まわりに迷惑だったと思う。(小声でやってたけどね)「続きは家でやろうね」って言われて終了。
まあ、恋愛って楽しいことばっかじゃないから、楽しいことの後は悲しいことが必ずあると
思っているんだけど、この付き合いを大切にしていきたいなぁ。
あ、でも鬱陶しいこともあるんだよ。彼の好きなDVDを見たりすると、
横でいちいち解説してきてうるさい。
「おりだーっていうのはこの人のニックネームね」
へーそうなんだ。ふーん。
「あ、これが溝おとしね!これなんでこうするかわかる?」
え、なんで?
「こうするとうまく曲がれるんだよ、ここのカーブ(以後しゃべり続ける)」
今時珍しい(?)、他人の車を羨み蔑む同僚に対してどう振舞おうかという話。
移動は主に自転車や電車。車には興味もなく、特に乗りたいとも思わず、
19才で一応免許は取ったものの、ペーパードライバーとして過ごしてきた。
けど、都会と違って地方は足になる車がないとなかなかキツくなってきたのと、
業務で取引先等に行く際に社用車に乗る機会が出てきたので、さすがにペーパーの
ままではまずいなと思い、半年前に自分の車を買おうと思い立った。
中古で、予算は150万円以内。いい車はないかなーといろいろ物色していたところ、
ある日、毎日通勤で通う道にあるマツダディーラーの中古車展示場に置いてあった
ロードスター(NC1型)を見て一目惚れ。もうこれしかないと思った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC#3.E4.BB.A3.E7.9B.AE_.EF.BC.88NC.E5.9E.8B.EF.BC.89.282005-.29
後付で、買いたい車の条件として考えたのは以下の4点。
1.マニュアル車 → 最初に乗らないと、この先もう一生乗らないだろうと考えて
2.外観がカッコいい車 → スポーツカー or スポーティーカー
3.運転していて楽しい車 → 絶対的な速さは求めない。ハンドリングに定評のある車
4.若い今しか持てない車 → 2シーターでもOK。実用性はあまり考えない
で、ネットで探すこと約2ヶ月。マニュアルで、運転席がフルバケットシートの
ソフトトップ(幌)車を買った。最初はエンストや坂道発進でいろいろつまづいたり、
あまりに荷物が載らないことに戸惑いつつも、最近はようやく運転にも慣れて、
ビギナーなりに運転を楽しめるようになった。
問題はここから。
会社の同期の1人が、事あるごとに自分の目の前であからさまにロードスターの悪口を言う。曰く、
「荷物が載らない車なんて意味あるの?」
「こんなクソかっこ悪い車良く乗ってられんな」
「リクライニングできないシートなんてクズだわ」
買って間もなく助手席に載せたときは、自分はまともにマニュアル車を運転できないのに
「シフトチェンジがまだまだ」と評論したりと、まあ散々な言い様。
きっと羨ましいからわざとこんなことを言っているんだろうと好意的に解釈しているものの、
自分なりに考えて選んだ、アイデンティティを反映したモノを思いっきり否定されるというのは、
なかなか応える。
でもその一方で、友人のコンパクトカーやミニバンに乗るたびに、実用性の高い車にこだわる
同期の言い分も理解できる。不便なのを織り込み済みで乗っているが、かといって趣味車万歳と
開き直れない自分がいる。
ずっと以前の増田へのレスなのだが、そのエントリが見つからなかったので適当に。
肉食系は相手にしなければそれまで。
ってな感じ。
非モテにしてみれば、「彼女の前に女友達。もっと前に男友達」「イケる相手に行け」を実践しているんだろう。
が、そりゃウザイわ。
『モテキ』の「幸代君って私が好きになるの待ちって感じだった じゃんそれが重かったわけよ」じゃないけど。
「みんなに好かれようとして、(それがバレて)みんなに嫌われる」じゃないけど。
いやいや、相手の反応を見て対処するのは大事なんだよ。
けど、あからさまにそれやられると相手しんどいって話。
バレないようにやれないなら、相手の反応見ないほうがマシ。
まして「セクロス/お付き合いしませんか」→No→「でしたらお友達になど・・・」なんてやられた日にゃ。
うぜえええええええええええ。
僕は典型的な糞どうしようもない人間で、才能もなければ努力もできないという最低っぷりを常に発揮してきた。それは受験に関しても同様で、まあなんとかなるだろうと思っているうちにセンターが終わった。
具体的に言えば、高二秋に部活を卒業して皆受験モードに入るも「理一ならとりあえず高三からで大丈夫だろう」。高三に入っても「まあ夏休みから必死にやればなんとかなるだろう」。夏休みも、「もう早慶にシフトチェンジしたしまあ大丈夫だろう」で大して勉強せず。冬休み「もう諦めようか」。で、ここまでほぼ何もしないで来てしまった。まあそんなことはどうでも良い。
そしてここからが本題の、今回試験を受けて、僕があまりにも世の中全体というものが見えていなかったということに気づいた話。別に自分がどうとか、中二的な「やってなかったのにできた」話、また世間を見下して悦に浸っているということではないので了解いただきたい。
センター。センターも、ぶっちゃけ必要はなかったのだが、何故か教師にそそのかされて受けることになり、しかも科目は英語だけ。そして昨日受けて、家に帰って、自己採点して、今日はじめてセンターの全国平均というものを知って、正直驚愕したというか辟易したというか、とにかく唖然とした。
僕の点数は、156点。実際受けてみた感想としては、「恐らくちゃんと勉強している方々にとってはかなり簡単なテストなんだろうけど、僕みたいな怠惰さを通してきた奴にはなかなか点取れないな…。平均いかないだろうな…。」と思った。実際、僕の同級生たちの平均は180点オーバーだし、僕の感想は別段間違ったものではなかった。
しかし、全国平均点予想を見て驚いた。予想している団体により多少の差異はあるものの、例年、予想と実際の数値に誤差は1-2点ほどしか見受けられないため、ほぼ正確な数字だろう。そして、その数値は120点前後。
本当に驚いた。こんなもんなのかと。正直に自分のことを言えば、まあ多少ほっとした気持ちはあったものの、下を見て安心してもしょうが無いのは自明の理であった。なによりこの数字にはそんな心情を大きく上回るインパクトがあった。こんなにも低いのか。こんなにも馬鹿ばっかりなのか、或いは勉強してない奴らばかりなのか。と、自分の愚かさを棚にあげて、暫時驚いていた。なんかやり切れなかった。
トラバは流し見しただけだし、
「あなたはもっとやれるんだから目標をもちなさいよ!」
と散々仕事を頑張って成果もだしてる独身女性たち、に言われ続けて
何も見つけられなくなったことに開き直った現状自立ニート(貯金食いつぶし中)
自立支援法申請悩み中の人間、只今眠剤効き待ち中、が思うこと。
ぼやっと思うこと。
結婚してるとか子供がいるとかステキな彼氏がいるとか、そういうことでなくて、
そういう彼女たち(仕事に誇りを持ってるし、姿勢の面で学ぶことこともたくさんあった)
の、ようになりたい、とは全く思えなかった。尊敬、は出来なかった。
(大概私のようになりたいでしょう?と尊敬を遠回しに強要してきた)
ハッキリ言って、お金も力も持っててもまったく幸せそうには見えなかった。
かといって旦那の世話焼いて子供もきちんと育てて趣味も持って友達も沢山いて。。。
というこの場合意味があるとされる人生にも私は現実味を感じない。。。
>「女の幸せは結婚よ」「専業主婦で楽チン。働いている女は惨めw」
ってのに本気で羨望するならシフトチェンジしていくしかない。
評価がなければなにも成しえない、ってどこでみた一文だったかな。
当然その点は激しく同意する。
もっともっとただ生きてただ死ぬ cid:heiminさんみたいな
ギリギリの地平で生きるモンじゃないのか。人は。
ステレオタイプなこうあるべきとかから脱却するしかないんじゃないのかなぁ。
月並みだけど、自分の本心は何を欲しているか、ってとこにこれからの自分の主題を置いてる。
それを見極めて、見つからないかも知れないけど
のたうちまわりながら点を繋いで生きていく、ってとこに、
一応私は落ち着いている。
蛇足だけど でも子供は産みたいなぁってどっかで思ってる
おそらく経済的は子供を産み育てる選択肢が可能な増田さんを羨ましく思います。
元エントリの主文と激しくずれてしまった。。。申し訳ない。
でもなんか書きたかったの。
プログラムにまつわる内容を書いてから、音楽の話題とかいうのはだめだ。
それくらいのシフトチェンジにはついてくる奴がいるからな。
前知識のないひとにはわからないような書き出しで書くといい。
はやりの映画についてのエントリーを読んでいるつもりだったのだけど、気がついたら中世ヨーロッパ史を読んでいた、それくらいの散らばりようが必要だ。
全部読んでもその全貌を理解できないことが大切。
結局、その文がなにについて書いてあるかもわかならいととてもいい。
固有名詞や検索可能な単語を本文に書いてはならない。
人を登場させるときもその人の詳細について書いちゃだめだ。
読み終わっても男だったのか女だったのかわからないとベスト。
結局なんだったんだ・・・というがっかり感をかもしだそう。
日記なんだから後で読み返して自分だけわかればいいんだ。
無理に内容からタイトルを起こすなよ。
タイトルにキーワードとか絶対埋め込むなよ。書くんだったらひらがなにしろ。
商品名とかもつかうな。ほんの少しだけ工夫しろ。
「キーワード」も「きーわぁど」とするだけでやつらはたどり着けない。ざまぁみろ。
アクセス集まっちゃいそうだ!と思ったら消せばいい。
もっというと、日記はこまめに全部消してしまえ。ログ吐き出し機能があるだろ?
それをつかえ。ログがあったら十分だ。何年も前の日記を新参ものに読ませるな。
何年も前に自分が拾った最新情報を一元さんに拾わせるな。恥ずかしいだろ?
書くのはいい。でも消せ!
ハンドルとかも適時かえるのがいい。idを変えるだけで大抵は追跡できなくなる。
それがめんどくさければ、日記のタイトルを変えるだけで効果的だ。
半年に一回くるかこないかの奴が居つくパターンは「同じブログだ」、「同じ人物だ」と認識できたときだ。
デザインを変えてしまえば、はじめての場所だと思い込む。
タイトルを変えてしまえば、ここには初めてきたんだと思い込む。
お堅い話題のときは顔文字や変な擬音をちりばめて。軽い話題のときには使い慣れない熟語をおりまぜつつ。
これだけはだめだ。絡むんだったら相手のブログや相手の土俵でじゃれあおう。