名前を隠して楽しく日記。
学生時代の相手と社会人になっても関係が続いて、なんやかんやあって結ばれて
付き合ってるころはほどほどにバカップルで常に相手のこと考えてるようなこともザラだったけど、一緒に過ごす時間が増えるにつれてもはや家族の一員みたいで
以前よりも近すぎるからなのか
気づけば“情け”にも近い感情で寄り添ってる
正直そういうの馬鹿にしてた
誰かと愛情を育む経験をしてこなければ情けだってかけられないし、ある意味では到達点なのかも
もう夢見るような年齢じゃないし、愛情のある恋愛や結婚なんて難しいんだろうな
強いて言えば憐れみをかけて一緒にいてもらうのかも
仕事して飯食って寝るだけの日々が続いている。
ゲームは好きだがAPEXもValoも上手くないのでソロではなにも達成感を得られない。
もともと人狼やTRPGが好きだったけど今更若者と絡むのはめんどくさい。
体を鍛えるのにハマったこともあったけど、誰に見せるでもないと思ってやめてしまった。
どこにも帰属していないと感じる。
三島由紀夫が近代ゴリラと揶揄されたのをアイロニカルに自虐していて、インテリの笑いって感じで面白かった
日本では教養を必要とするギャグをやると知識をひけらして、賢しらだとか言われるし
日本でウケるのは芸人が裸に剥かれたり、熱湯を被ったり、可哀想に見せたり視聴者に歯向かわなそうな態度をとるものばかりで、視聴者の層が頭悪そうって思う。
今のところ、LLMはまだまだ役に立たないよ
当たり前のことを言え
そんな当たり前のこと言わなくても
この人が感じてる「つまんなさ」って、ITに対してじゃなく「プログラミングできる俺かっけー」が出来なくなってきたことに対して感じてるつまらなさなんじゃないの?
わかるよわかる、プログラミングかっこいいよね。中学英語では出て来ないようなfunctionとかfloatみたいな英単語使いこなしてコード書くのかっこいいよね。うんうん。k8sとかDockerとかDDDとか名前がかっこいいよね。そういうの使いこなせる魔法使いみたいな俺様かっけーよな。
それがLLMの時代になって、急に自然言語でプロンプトを書くことになったわけよ。
まるで下請けSEに指示するような口調で「●●について調べて下さい」とか「××のプログラムを書いて下さい」とか書くの、ダサいことこの上ないよね。わかりますよ。俺様が憧れてたカッコイイプログラミング言語やアーキテクチャ用語はどこ行ったんだって言いたいわけよな。
要するにお前さんの厨二病プログラマー時代は終わりを告げ、これからは自然言語が支配する大人の時代がやってきた、ということだと思います。さよなら厨二病。
2024年8月22日、人類は未だにケツだけ星人の正体を掴めずにいる。
彼らは我々の想像を超えた存在なのか、それとも単なる都市伝説なのか。
その答えは、まるで宇宙の果てのように遠く、手の届かないところにある。
ある陰謀論者は、ケツだけ星人がバターン行進曲の隠されたリズムに反応すると主張している。
しかし、その証拠となる動画は、不思議なことに常に144p画質で撮影されている。
その姿は、まるでバレリーナのようだとも、はたまた巨大なジェリービーンズのようだとも言われている。
量子物理学者たちは、ケツだけ星人の存在が量子もつれ現象と関係があるのではないかと推測している。
彼らの理論によると、ケツだけ星人は複数の次元に同時に存在し、我々の観測によってその状態が決定されるという。
しかし、この理論を証明しようとした科学者たちは、不思議なことに全員ダジャレにハマってしまい、研究を断念した。
ケツだけ星人の謎は、まるでブラックホールのように我々の理解を飲み込んでいく。
その答えは、おそらく我々のケツの奥深くに隠されているのかもしれない。
危害を加える奴のほうがどう考えても悪いに決まっている
人に危害を加えるなんて弱いやつが出来るわけないだろ
何とは言わないが、運営側が認めてるなら俺もずるい方法使わせてもらうわ。
なんでペナルティ付けないんだこいつら。
botみたいに投稿されて、サーバー圧迫されるし最悪だろうに。
でも、そっちが認めてるなら、俺もそうさせてもらう。
『虎に翼』がだいぶ残念な感じになってきた。
自然法的な考えの無さそうな主人公(憲法が停止したら人権も停止すると考えてそうなクチ)に対して、「何故人を殺してはいけないのか」と問いかけるキャラ(ラスボスになるのだろうか)は面白かったし、被爆者訴訟についても楽しみなのだが、それらを横に追いやって下らない話ばかりしているように見えて、ドラマとして退屈だ。
かつて野田秀樹が岸田國士戯曲賞の選評で、ある作品についてこう述べた。
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この人のはいつ読んでもとてもイヤーな感じになる。いつもじぶんを正しい所に置いて、他人をやっつける。ニュースステーションのようで私はダメだ。エリートはすべてしょうもない奴、日本兵はすべて悪い奴、常にステレオタイプだ。「ベトコンを扱う米兵のように」という要らぬ形容の卜書きに作家の創作の姿勢が現れている。
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誰の何の作品に対する評なのかはここでは関係ないので触れない。
『虎に翼』でいわゆるリベラル的な主張が展開される時に感じる違和感、もう少し言うと嫌悪感は、上の感覚に似ている。
民法改正で「家族制度」にこだわった保守の論客を、単に頑迷な老人として描いていたのは、単純に卑劣だと感じた。保守は基本的に人間の理性を信頼していないので、だからこそ「家族は互いにたすけ合わなければならない」という一文を入れるのにこだわったのだろうが、そういった保守の考えは全く描かれぬまま、温かい家庭で両親の愛情を浴びまくって育った主人公が「なんでそんな言わずもがなの一文入れるんでしょうね」とぶった斬る。あのシーンは醜悪だった。
同性婚についても触れ始めているが、当然同じ俎上に上げて議論すべき近親婚の不当な禁止については触れようともしない。
絶対に勝てる試合を組んで主人公に戦わせる出来レースをずっと見せられている気持ちになる。
主人公が「自分は永遠に公平な視点など持てるはずがない」という当然の自覚をもっていないのも痛々しい。(現パートナーにかつて助言されたにも関わらず)
連続ドラマなので、上のような疑問や不快感は今後の展開で一掃されることもあるかもしれない。それを期待して見続けてきたが、どうやらそれには応えてくれなさそうな予感が強くなってきた。