天国とか地獄とか強く信じてた事はないけど、うっすらと怖えーなと思ってた時期もあったような気はする。
四六時中死にてぇ〜〜〜って気持ちがまとわりつくようになってからは、天も何もなく「無」なんだろうなってかなり強く思うようになった。気がする。願望も混じってるのかもしれない。
願望で言ったら異世界転生して、生活シーンはカットされて心が動く瞬間だけを永遠に過ごし続ける物語の世界に行きたいんだけど。
意識の連続性とかそういうのも興味は薄れた。死んだらそこで終わり。それ以上の事は何も思わなくなった。宇宙の端っこについては未だに疑問に思ってる。あると言われても無いと言われてもおれの認識ではバグる。
無に帰すのが怖いとか、意識の断絶が恐ろしいとか、いつか誰からも忘れられてこの世にいなかったかのような存在になるのが怖いとかも、もうとっくに思わなくなった。でもそういうの考えてた時期は逆説的に生きるという事を考える時期でもあった。
死への原初の恐怖だった「死ぬ時の身体的苦痛」が一周回って一番怖くなった。
別に楽しく生きてたってこれは変わらんのかな。
それとも悪いことして地獄行ったらやだねぇとか、やっぱうっすらとは思ったりすんのかな。
天国も地獄もないやで。 死んだら無やで。
何にしても生きてる時間で一番無駄な行為は死んだらどうなるか考えることであるのは間違いない。 死ななきゃわからないんだからどんだけ考えたところで生きてる間に答えは出ない。
なんか子供の頃に仏教の本の人がすり潰されたりする地獄の絵が怖かった
いちばんおそろしいことっていうのはね そうおもったころの自分を思い出して それを誰とも共有できないことを 自覚するときだよ
天国しかありません すべては赦されるのです 人は人を赦さない しかし、神は人を赦すのです