①萌えに逃げない
④敵とのフィジカルバトル展開に逃げない
⑤ボケはあっても声色じゃ分からないほどあっさり。ツッコミ的なものは皆無
⑥登場人物同士の掛け合いやなれ合いでテンポが悪くなっている作品が極端に少ない
⑦どれだけ制作費がかかっていようが判子絵(ゆえに顔芸的な場面がある作品を見たことがない)
⑧ストーリーの続きが気になってむさぼるように延々見てしまうほど面白い作品の出現頻度が日本よりもかなり落ちる
⑨持ってたグラスを怒ってるわけでもないのにカジュアルに地面に放り投げて割ってしまい、それを別に意に介してないシーンが1シーズン1回は見る(まさかリアルのアメリカ人こんなことしてないよな?)
正直①~⑥を満たしているアニメを観るのはここまで快適なのか、体力を削がれないのかと衝撃だった。
まるでアメリカのアニメは見ててお茶を飲んでるような気楽さがある。
対する日本アニメは好きでもないドクペをどうにか飲んでるような感じ。皮肉にも逆。
⑦はすぐに慣れる。
⑧はストーリーがとにかく平板なせいだと思う。朝の連続テレビ小説くらいペラペラ
⑨は日本のアニメや漫画で言うところの「めっちゃ急いでる登場人物が自転車でAKIRAの金田みたいにドリフトしながら止まる、曲がる」的なお約束の表現みたいなもんなのか?
【追記】
追加
「これシュールだろ?笑ってー。ちなみにこのキャラ、あとで説明無しにちゃんと無傷で現れるから安心してねー」みたいな感じでエグいグロ描写を突然繰り出してくる場面が頻出
⑪ 木多康昭作品くらいの手数で、唐突に、無遠慮に芸能人やゴシップを皮肉るネタを「視聴者の属性の別なくこれはさすがにみんな分かるだろ」と言わんばかりにぶち込んでくる
⑫恐らくだが、ダジャレがイケてる笑いであるという文化がある。
「Holy Crap! He is a cripple!」
「Holy Crip! He is a crapple!」
と言い間違えてしまうシーンが某アニメであるのだが、涙流して動けなるくらい笑ったあの伝説的なブラックジョーク、くらいに絶賛されてredditで未だ語り継がれてるくらい
https://b.hatena.ne.jp/entry/4755677584495395360/comment/wdnsdy
https://www.kanjipedia.jp/kanji/0001354000
虐待(ぎゃくたい、英:abuse, maltreatment)は、繰り返しあるいは習慣的に、暴力をふるったり、冷酷・冷淡な接し方をすることである[1]。
具体的な内容は様々で、肉体的暴力をふるう、言葉による暴力をふるう(暴言・侮辱など)、いやがらせをする、無視をする、等の行為を繰り返し行うことをいう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%90%E5%BE%85
子供がワガママな個体であり、癇癪をすぐ鎮めるために親が子供の欲しがるものをすぐ与えてしまうようになって、
「自分のために働いてくれる親に対し、同年代友人たちは自己中なヤツばかり」と感じて、親としか関われない子供に育つ、
というのはさすがに親が子供を虐待しているとはいえないと思うのですが。
「虐待」という言葉にかわる新語を作ったほうが良いかと思いますね。
瑠奈被告をめぐっては、両親への暴言や命令が遅くとも事件のおよそ3年前から続いていたことが分かっていて、瑠奈被告が適切な診療を受けないまま、一家が深刻な孤立状態に陥ったとみられます。また修被告は事件1カ月前までのおよそ3年間、将来的に精神科医の診断を受ける時のためとして、瑠奈被告との会話を断続的に録音していました。弁護側は、浩子被告の公判で、この音声データを証拠として提出する予定です。娘が主導し、両親が言いなりになる特異な家庭環境を示すことで、ほう助には当たらないと立証する方針です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d6da9c7463e7c0c5ed9e83fe49a5b5c212b9a45a
このケースなんかも「子供は親の被害者」が行き過ぎた結果だと思う。
そう言う報道があるおかげでお前らが支持していた候補が負けた時、
「公平な報道がされなかったせいで負けた!公平な報道がされていれば勝てていた!」って現実逃避できるんやで。
単純に自分達の主義主張熱意が人々から受け入れられなかったと言う残酷な事実から逃げられる道を残してくれてるんや。
感謝しいや。
でもどんな職業でもみんなその職業が選択肢の中で1番マシだったり自分に合ってるからそこにいるわけじゃん?
自分の職業が突然そんな賎業であり貶められる存在であるって指し示されるなんて、誰にとっても耐えがたいことだし、誰も他人に対してするべきではないと思う。
実際には心掛けてないので違う理由ですね
20中頃なんだけど
女は薄っすら好かれるとか言うけど、薄っすら好かれるような振る舞いを心掛けてるだけ、っていつも思う。
町内で唯一の弁当屋さんは、定額600円で売ってる昼間は私以外の客と出会ったことがないんだけど、全品半額になる6時前、5時半くらいから、店内で待機し6時を過ぎたらレジになだれ込むようなご老人が沢山いた。
それも1人で弁当を3~4つも持っていて、それだけで翌日の食事まで済まそうと言う魂胆だ。
そりゃ定額で買わない客ばかりに取り憑かれてしまったらやりくりしていくのも大変だろうし、
ただそこがなくなると最寄りの弁当屋さんは自宅から10km先の隣町にしかなく、
スーパーであっても5km先で、その弁当屋さんに群がってたご老人はとても行けないだろう。
田舎の横同士のつながりの怖いところで、弁当屋さんの店長の携帯番号や住所が割れているらしく、
抗議の電話をかけたり、押しかけたりしている人もいるとかいないとかって話も聞こえてくる。
こんなんだから田舎には仕事がなく、若者も逃げていくんだろうなぁと思っている。
サービスや商品に対しては正当な対価を支払った方が本当にいいとと思う。
それを嫌がるのは結局、将来的に自分の首を絞めるんだ。