「性格が悪いと損をしていることに気付いていない」っていうのは本当にそうだと思う。悪いまで行かなくても、人付き合いが悪いと、人と話すことで得られたかもしれない情報を失い、人伝に繋がったかもしれない人脈を失い、人から発生したかもしれない未来の選択を失う。
そういう集票組織に属して、政治家や政党と繋がって投票する見返りとして求める政策の為にどんな活動をするつもりか回答させる
そうやって目に見える形の成果を政治関係者に求めていかないと、政治家は本当仕事しなくなるぞ
自分の場合与党になる可能性がある政党の中から減税志向のある政党を意識して投票してた
けど、現実は今になって減税訴えるの間違いだったとか言い出したからな
これって組織票作って減税の為に動くってことを政党に突きつけてなかったから起きたんだよな
ネットの浮動票意識して票集めしてるような政党って、そこになんの関係性もないから、簡単に裏切るんだよ
政治家や政党にちゃんと仕事させるためには全国民が集票組織に属して投票することを義務化しないと駄目だろ
じゃないと嘘つき政治家をのさばらせることになるぞ
オチを先に言うべきだよね。
論文でもさ、結論→目的→方法→結果→考察→結論って感じで進めていくでしょ?
って感じでオチを先にしないと、忙しい現代人は相手にしてくれないよ?
知らんけど。
ほ~んとそれな。うちも毎日数時間ネットサーフィンで時間潰してる事務のパートがおるんやけど、仕事が終わらないので残業します!残業代はしっかりと1分単位で払ってください!って平気なして言ってきて、よくそんなこと言えるよなぁ・・・って。
どっちも発酵食品やしな
人間の身体はまずは蓄えたグリコーゲン(糖質から生成される)を燃焼してエネルギーを得るんだけど
朝糖質を切ることでグリコーゲンを枯渇した状態を維持しやすくなり、脂肪(と筋肉)を分解しやすい状態を維持できる
バターコーヒーに使用するグラスフェッドバターは普通の脂質に比べてエネルギーに変換しやすいので
過剰にエネルギー不足になりすぎる=筋肉を分解しすぎるというファスティングの欠点を多少補ってくれる
プログラミングや、スポーツや、絵、音楽、とかやりたい人は多いが長続きが難しい系のことで、
これらの何かをはじめることを話すと、まあ過去にちょっとだけやったことがある人っていうのは出てくるんだけど
その中で一人か二人、諦めたけれど先輩風を吹かす人が出てくる。
例えばプログラミングでは、「俺も少し大学時代にやってたよー。ポインタ難しいよね。でもね難しいと思うけど諦めたら色々できると思うから。俺は諦めたけど…でも俺がやってた勉強法は~~~~」みたいな
特徴は
といったところだな
本当に序盤で躓いている。
(現在C言語から始める人も少ないと思うが、わかりやすいからC言語をたとえに出すが)
ポインタなんて難しいって言われているけど、序盤の序盤のボスみたいなもんじゃん。ドラクエ3でいうところのカンダタ
そこができてからようやくスタートラインというか、チュートリアルがおわったというか…
そのボスを倒してから、配列がつかえるようになったり、ヒープを理解できるようになったりして、ようやく実用的なものをつくれるようになるわけで
まあそこらへんで躓いている人がおおい。
プログラミングはやりたいと思う人が多いけど、その難しさに最初で辞めちゃう人もかなり多く、プログラミングに触ったことある人の比率はちょっとだけかじった人のほうが、普通にできる人より多いと思うわけだ。
何かネットの記事で見たけど、ギター買った人のうち1年以上続けている人は1割にも満たないそうだね。
それはそれでいいけど、その中の一部に謎の先輩がいるんだよなあ
私は大きな寺の近くで生まれたので、漠然と寺で結婚式を挙げることをイメージしていた。
「親族で南無阿弥陀仏を10回唱える」結婚式は少し異様に感じるかもしれないが、今ある人生だけでなく次の輪廻でも巡り合うことを誓う念仏であり、魂が続く限り一緒にいたいという祈りはとても尊いものと思っていた。
とはいえ結婚相手となった妻はミッション系の中高を卒業していることもあり、漠然とした私の考えを押し付ける理由もなかったので、キリスト教式の結婚式を挙げる運びとなった。
いざ式場を探すといわゆる荘厳な雰囲気の結婚式場は妻からすると紛い物感がすごいということで、結局レストランウェディングになって、とてもカジュアルに式を執り行うことになった。
そんな中で行われる誓いの言葉にどれだけ意味があるのかと考えていたが、いざ誓いの言葉を口にすると思ったよりも自分にとって大きいことだった。
比較的に正直に生きてきた人生だったので、学生時代に先生からの頼まれごとでも友人との約束でも、不確かなことに単純なYesと答えることはしてこなかった。
そんな自分が、定番の「病める時も〜」と言う神父の言葉に「誓います」と答えるのは、結婚式であっても若干躊躇してしまうくらいで、それを宣言したことは、とても大きな決意をしたな、と言う気持ちだった。
どれだけ疲れていても、少なくとも家族の前では、強く、優しくしているつもり。
ただ、妻にとっては誓いの言葉はもう忘れ去っているようで、一時の感情で左右される言動は指摘しても決して直らない。
「誓い」って言うのは普通はそこまで大したものじゃないのかな。
仕事を早めに終わらせて子供を迎えに行って夕飯を作ってお風呂に入れて子供を寝かしつけて、妻としばらくゆっくりして一緒にベッドに入って、妻が寝たらベッドを出て仕事の続きをして、朝は妻より早く起きて朝食を作って妻を見送って子供の準備をして保育園に連れていって。