国政の話。
自民党の中にリベラルも保守も、マクロ経済派も弱者救済派も、みんなそろってて執行部がだいたい決めちゃう。
議会制民主主義の中で、ここまで多様な政治家を抱えてる政党があると、野党は仕事なし(野党がバカとかではなく、自民党に仕事を奪われやすい)
国民は、政治家に投票しても、政党性が強くて意見を反映させにくい。
かといっていまの自民党は嫌だ……
各論の弱者救済よりも経済を伸ばして救える弱者を増やそうとする
そういう政党を作って、自民党を解体させるみたいなことするか、そういう自民党員を増やして自民党内に影響力ださないとだめ。
こまったねジャパン。
明治創業 大阪老舗のとんかつ屋のタレの成分なども ビッグデータだから開示してだれでもみられるようにするの?
学園の人気の小泉今日子さんのパンツの色や生理の日も登録するの?
匿名化すれば開示していいの?
夜食に買っておくと夜食を食べる間もなく早く帰れるジンクスがあるでお馴染みのおにぎりなのですが、
今日はそのおにぎりをお昼に食べてしまいました。つまりお昼出れなかったのでそれを食べたわけです。
お昼ぐらいしっかり好きなものでも食べたいのに、休憩する間もなく悲しくおにぎりをかじってお昼も頑張りました。
今日もいくつか増田を書きましたが、トラバやブクマがつきませんでした。
お昼からは頑張れたのか頑張れなかったのか分かりませんが、ギブミーアブレイク!です。
米津さん、インタビューとか昔のブログだとか読んでても、奇をてらってやろうとか自分の内相世界を克明に描ききりたいみたいなアーティスティックなエゴあんまり感じないんだよね。
曲聴いてても社会にちょっと意見してやりたいみたいな態度に出てくることもない。
影響受けたものとかはまっているものとかその時々流行っているものを素直に受け入れている印象。
なんかそこら辺が藤原基央や野田洋次郎のような先駆者や、常田大希、山口一郎あたりとは違うところだよなと思う。
ハチ時代からマスの中で自分の作ったものが共有され楽しまれることを第一に掲げてるように僕には見えた。
曲の中に広がる世界にしても「面白い話を思いついたんだ」と友だちに話すことの延長線上にある気がして、米津さんがやることや言うことを聴衆が「面白い」とか「カッコいい」っていってその気持ちを共有していることが軸になってるんじゃないのかな。
じゃないとあの時代のニコ動のボカロ文化にのめり込まなかっただろうし、メジャーデビュー時からのタイアップソング量産体制に舵を切らなかっただろうと思う。
米津さんがすごいのは独特な感性を持っているのに大衆性を全く取りこぼしてないところで、逆に言えば大衆的なアプローチを意識してもどこかしら独特な風合いを帯びてしまうことだと思う。
そしてどんなアプローチでも米津玄師らしいマインドというものが奥の方でブレなく残っているように僕には聴こえる。
また、おそらく本人は自分が素敵だと思ったものを無邪気に曲に盛りこんでいるだけだったり、みんなが楽しめるポップソングを真摯に作り上げたいと思っているだけで、最初から独自の米津ワールドを展開したいとは考えていない気がする。
結果的にそうなってしまうんだろうし、それでいて気負わずに聴けるポップソングとして未だに破綻していないから米津玄師は支持されるのだと思う。
僕は昔から宇多田ヒカルが好きなのだけれど、宇多田ヒカルと米津玄師はどこか近しいものを感じる。
宇多田ヒカルが今さらFirst LoveやDistanceの頃のテンションで曲を作ることはありえないし、それに反してFirst loveのような曲を求める人がいることも理解できる。
マスメディアの中に鎮座しながらも、最大公約数的な共感の世界に生きていない。作者の個人的な感情や自分だけが持つ脳内のイメージを、聴き手の心情に照らし合わせフィットしていくようなドアtoドアの世界。
感じたり考えてないことは歌ったり書けないんだな
ヤツは変わっちまったよ。スカシガオだよもはや