「いや、一太郎です」とか、そういうのじゃなくて。
ある規程が、他の規程を参照することって良くあるけれど、Wordだとリンクしていくのは地味に面倒。
しかも、リンクの構造管理が、出来ない。全体のツリー構造が見えないってこった。
なんか、いいツール無いですかね。全体の構造を見ることが出来て、個別のページレイアウトもやりやすい。ユーザ側の編集も楽、というアプリケーションが。
中高生とか若い人ならともかく、ある程度の年齢(アラサー世代以上)だったら、ジャニー喜多川の性的虐待疑惑知ってるのに、「ジャニーさんありがとう涙」一色で本当に気持ち悪いし怖い。
ジャニヲタ、「性暴力は許しません」みたいな発言の人もいるのにダブスタひどいわ。同調圧力もあるかもしれないけど、ショウマストゴーオンだよ〜!って言ってる場合か?本当にダブスタなジャニヲタはクソ。
だからいまはKindle Unlimitedとかsukima.meとかそういうサービスがいっぱいあるっつってんろ
そのお試しって漫画雑誌だと思うんだけどね、正直立ち読みだってできるわけだし
あれを使ってた人の大多数はそんなまともな神経してなくてタダ読みできてラッキーみたいなこと言ってた印象
その通りです。
dropbooks で違法同人誌を読んでいたのは、購入する価値のある同人誌を見つけ出すためだったんです。
1冊当たりせいぜい800円程度としても、100冊買えば8万円。
その中に1冊も好みの同人誌が無かったら、もう絶望するしかないじゃないですか。
僕の中でイケメンというのは玉山鉄二とかTOKIO長瀬みたいな顔をさすので自分をイケメンだと思ったことはないし好きな顔でもないが
昔からモテ囃されるので人からはそう思われる顔なんだろうなと思って生きてる。
妻といえば北欧あたりのハーフと間違えるほどのはっきりとした顔の美人で、街を歩けば必ず声をかけられ男からは特別扱いされる人生を歩いてる。
妻は僕の顔には興味が無いらしく「薄い顔」「簡単な顔」と言ってる。
そんな顔同士が結婚した。
名前は、あまり両親の期待を入れすぎてもなぁ、と、季節の名前とか花の名前とかそんな感じにしようと思ってる。
「美麗」とか付けちゃって美麗じゃない顔が生まれてきたらその子の人生かわいそうだし。
僕は薄い顔で妻は西洋人顔。この正反対な特徴が悪いように組み合わさってしまったらどうしよう。
ブサイクブス同士でブスが生まれてくるのとは違う、まわりからのプレッシャー。
自分の子供だから顔の良し悪し関係なくかわいいし愛するのはわかっているけど
ふと顔を見たときに「ブスだな…」と思うの嫌だ。
宇垣美里さんが「顔がいいというのは足が速いとかと一緒なので別に遠慮しない」というような話をしていたが、その気持ちよくわかる。
ブサイクブスより美男美女に生まれてきたほうが人生5割は得をしているのは実感しているので
どうにかその舞台にあがってほしい。
マグマはともかくさー。
食べられそうだが食材が手に入りにくいものって、もうクローン作ってなんとかなりそうだよな。「マンモスや恐竜のステーキ」とかはそのうち誰かがやりそう。あと「蚊の目玉のスープ」とかも(参考:http://www1.odn.ne.jp/seisin-an/wenzi.html)安全に作れるかもしれない。意味や需要があるかは分からんが。
個人的には、年末に「地下5000mに巨大な生物圏があることが分かった」ってニュースがあったけど(まあ真菌、線虫とかなんだが)これが気になる。中には代謝を極限まで減らして数千年生きてる生命とかいるらしいぜ。こいつらどんな味なんだろうな?
ほんこれ。
(ここでいう転職とは現状と環境や給与が同程度のやつね。年収200万とかの転職なら可能だ)
そこそこ出来る程度じゃ経歴すらみてもらえない。それどころか応募すら不可能だ。
エージェントが手にしている資料には募集年齢制限があり、それを越える年齢だと紹介されない。大抵は30代前半までだ。
年取って別にサボっているわけでも年上だから思い上がっているわけでもないのに中年というだけで老害と避けられる。
読書家と呼ばれるような人たちであってもたまに「図書館で借りて読んで面白かったらちゃんと買います」というひとがいる。
法的にも道徳的にもピュアリー・ホワイトであるし、なんなら本来支払う必要のない金を還元するぶん、
世間的には感心であるということになっている。その認識は正しいだろう。
しかし、余分な金を払う準備があるのならそもそも最初から買って読めばいいのでは、という疑問も湧く。
その疑問に対する答えはこうなるだろう。
「もしその本が『ハズレ』だったら金をムダにすることになるからいやだ」
でも純粋に困窮している人や高額な大著を求めようか迷っている人などならともかく、
せいぜい1000円2000円の小説に「合理性」を基準に購買行動を決めるのがどこまで経済的かは実のところよくわからない。
図書館に行き、お目当ての本を見つけ、順番待ちの予約を申請し、順番が来たらまたぞろ引取にでかけ、定められた制限期間内に読み通し、また図書館へ返却のためにでかけていく。そもそも読んでみてつまらなかった場合、買おうが借りようが読んだ時間が「ムダ」になることは変わりないのであって、800円の文庫本を読むのに二時間かかったとして時給マイナス400円、負けは負けである。あとはどのくらい負けるかどうかの話でしかない。
だいいちに金銭的・時間的なコストを考えたら世の中の九割九分のひとびとにとって読書など(自己啓発の類のものを含めて)絶望的に「ムダ」な行為だ。
逆に意味のないコストをむやみにかけることで趣味人としての見栄を見せつける、江戸時代の旦那衆のような蕩尽を称えるべきとも思われないけれど、息抜きや逃避や精神生活のための行為を損得でいちいち勘定するのはそれこそ余計なコストに見える。
それでも前もって無料のお試しをやらないと怖い。
どんなジャンルでも今コンテンツ業界において無料のお試しがデフォルトになっていることに由来するのではなかろうか。
音楽はYoutubeであらかじめ聴ける。映画はテレビでやる。マンガもネットで読める。これらはすべてオフィシャルだ。
いまや試すという行為は無料であることと分かちがたく結びついている。
金を払って試すのはもはや実験ではない。賭けだ。支払った金銭に見合うだけのリターンがあるかどうか。
そうした世界においては目に見えて焦点となっているのは金銭であるため、時間的なコストが余分にかかっていたりしても捨象されてしまう。
金と時間のバランスにおける試しのバリエーションが増えたと表現すれば、聞こえはいいかもしれない。
で、タイトルの話に戻るが、
こういう「図書館で借りて試す」派のひとびとと
実際そこまで違わないのではないのだろうか。
あくまで、「賭け」を極端に恐れる、という点において。
しかし現実には図書館に行く人々は法律や道徳を遵守している模範的な市民であり、
言われてみれば確かに巨額の金だな
🐈そうだそうだニャ〜!