関係ないけど付き合って1ヶ月記念って毎月やるのかな
めちゃくちゃわかる。変に先を読んでしまう。
うん、「手軽さ」が最重要になってるというか
スマホゲーなんかでもそうだけど、
凄くあっさり始められる、あっさり止められる、あっさり再開できる
という事が今の時代、とても求められてる気がする。
できれば登録不要で、個別の必要データはCookieで保持する
そして何日かやって気に入って、ガッツリやりたくなったら
次の面に進む時や重要イベントの直前になったら登録が必要になったり。
お通夜の式の前にお線香あげて顔を見た。すごい綺麗だった。血の気がなくて真っ白で安らかに目を瞑ってた。
私がおじいちゃんの顔見てたら横で母が、今にも起きてきそうだよねって言った。でもおじいちゃんの眠ってる時の顔はもっと眉間にシワが寄ってるし、これはなんか違う。それで、この人は本当に死んだんだなって感じた。
棺桶にはおじいちゃんが出かける時にいつも被っていたハンチング帽が入っていた。ここ数年は透析をしていて、遠出もできなかったから被っている姿を見たことはあまりなかったけれど、おじいちゃんのトレードマークのようなもので、とても懐かしいものだ。
おじいちゃんに最後に会ったのは、おじいちゃんが死ぬ2日前だった。おじいちゃんの体調が急に悪くなり、父の表情や会話が険しくなって、家族内にそろそろダメかもって空気も漂い始めていた。
病院に行ったらおじいちゃんは、私をしっかりと見て、私の進学先の話をしてくれた。細々としてはいたがちゃんと会話をしてくれた。でも、ご飯はほとんど食べれず、腕は骨だった。もう少しでおじいちゃんの誕生日だったけれど、正直これは間に合わないかもなって思った。
別れる時はまた来週来るから、って言って別れた。本当に来週なにがあってもまた来るつもりだった。でもおじいちゃんは2日後の深夜に亡くなった。
死んだと聞いても、涙も出なかったし、二度と会えない悲しさなんて湧いてこなかった。葬儀までずっといつもと同じように過ごしていた。
昔おじいちゃんが死んだなんて聞いたら悲しくて泣いちゃうだろうなと思っていたけれど、いざその時がきてみても泣かなかった。そんな自分になんだか大人になったなと思ったりもしたし、でも死んだおじいちゃんの姿みたら泣くかもなって思ったりもした。
けれど実際におじいちゃんの顔を見ても涙は出てこなかった。
式が始まると、仏教の式はひたすら聞くばかりでつまらないなと思い始めた(キリスト教みたいに参列者が歌を歌ったりしないので)。初めて聞いたお経と木魚のリズム感も面白くて悲しみに浸るどころではなかった。
そのまま式は終わって、兄弟と先に帰宅した。帰りの電車の中でも、ぼんやりスマホを見てて、いつもの日常と変わらなかった。
家に帰って翌日の朝のお米を研いでいる時、ふと、おじいちゃんが買ってくれた卓上クリーナーのお礼を言っていなかったことを思い出した。
電動式で、消しゴムのカスとか吸ってくれるただの卓上クリーナー。
おじいちゃんがこれをくれたのは1年程前という割と最近の話だ。けれど私がこれを欲しがったのはもう15年以上も前の小学一年生の時である。夏休みの宿題をやっている時におじいちゃんが自分の卓上クリーナーを貸してくれて、自分もこれが欲しいと、なんとなく言ったような気がする。けれどその後15年以上の間、おじいちゃんの卓上クリーナーを見ることはあっても、そんなこと言ったのはすっかり忘れていた。それで、ついこの間父親を通してクリーナーを貰った時に初めて思い出したのだ。
それを貰った時、私はとても嬉しかった。物よりもなによりも、私が忘れていた発言を私より忘れっぽいはずのおじいちゃんが覚えていて、果たしてくれたことが。
父は、「これは親父の気まぐれで、それを覚えていたわけじゃないと思うけどな」と言っていたけれど、私は覚えていてくれたのだと思った。父が今度お礼言うときに確かめてみればいいと言ってくれたので私もそうしようと思っていた。
でもその後、私はおじいちゃんになかなか会うことができず、結局お礼は言えなかった。おじいちゃんが覚えていたかも確かめることはできなかった。
卓上クリーナーのことを思い出すと、それまでなんともなかったのに、急に泣けてきた。泣いているうちに、おじいちゃんがいつもあの帽子を被って私に会いに来てくれたことを思い出して、涙が止まらなくなってしまった。私のピアノの発表会をおじいちゃんが新品のビデオレコーダーで録画して、テレビで一緒に見たことも思い出した。一人で泊まりにきた私がおじいちゃんとおばあちゃんの間で寝るために、ベッドに渡す板を作ってくれたことも思い出した。
葬式では誰一人泣いていなかった。みんな悲しんでいるのだろうけど、おじいちゃんは長生きだったし、死んだとしても泣くほど悲しいことではないんだなと思った。だから私も泣かなくてもおかしくないと思っていた。
でも、やっぱり、本当はすごく悲しかったんだな。一人でぼろぼろ泣いてしまった。
これも打ちながら思い出したらまた涙が出てきた。
しばらく経てばまた悲しみを忘れて、普通に生きていくのだろう。でもまた一回忌とかで思い出して、泣いてしまうのだろうか。悲しいな。
おじいちゃん、お礼言えなくてごめんね。
修行中だからって劣悪な労働環境で働き続けるのはブラック思考だろ。
技術盗めるとか、そういうやりがい搾取的なものじゃなく、払うべきものは払うべき。
なんかもう、そういう時代じゃないでしょ。
隙あらばあまり美味しくないクッキーを焼いて持ってくる我営業所のステラおばさんこと係長!
「彼氏と結婚するまででいいから付き合ってよ」複数の女社員に送っていたLINEが流出!隣の課の40代男!
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ハゲ!
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異常だ!!!
辞めたい
>>スーパーに親切な店員がいる→知的障害者が接客目的で居座るようになる→健常者の客が来なくなる→メインの顧客層を失い経営にダメージ
普通の人にとってスーパーに滞在するのは買い物するときの最大30分だよね
喫茶店なら知的がいて奇声を発してると集客に響きそうなのは分かるけどスーパーで普通の客がそれを問題視する状況が分からない
こういうこと書くのは知的障害者を追い出したい差別心丸出しの店側だろ
店員が客のふりして書き込むのやめろや
同時にイクメンという言葉が嫌い、自分の子どもを育てるのは当たり前のことなのにどうして男性だけイクメンなどともてはやされるのか、と疑問の声も耳にするようになった。
言いたいことはわかる。
でも皆さん忘れてませんか?
私はないです。
つまり、お金を稼ぐのは男性、子どもの世話をするのは女性というのが共通意識で、そこから逸脱するものに名前が付いている、それだけのことなのです。
でも、イクメンという言葉が流行って男性の育児参加が当たり前のことになればいいと思います。
イクメンって言われなくなるくらい、当たり前のことになればいいと思います。
そうしたら、ワーキングマザーって言葉もなくなってくれるかな。
困るのはこっちじゃないしほっとこ…